今週は子らの参観日&保護者会(上)&個人面談(下)という週だった。
子(上)は小2で、国語では「主語」「述語」などやっている。算数は九九。
保護者会で先生が「九九までは2年生のこの時期になんとかと覚えて欲しいのだが、学習が出来るかどうかという話の前に、”10ページをひらいて”と言った時に開かない(聞いてない)子がいて、そこばかりに時間をとるわけにもいかない」という話をしていた。
小2にもなって、というべきか、まだ小2なのにすでに、というべきか分からない。
学習意欲がない、というべきか、すでに自分の道をみつけてしまっているというべきか。
いずれにしても、私が小学生だった時の頃とはまるで違うということは間違いない。
北海道の田舎の小学校だったからかもしれないが、私たちが小学2年だったときはもっと皆こどもこどもしてて、小さい子がお母さんに「ママみてて」というみたいな感覚で先生に見てもらおうとしていたと思う。10ページひらいて、と言われたら喜びいさんで10ページひらく、みたいな他愛もない子供たちだった。いや、ひょっとしたら私がただそういう子供だっただけか?そういえば小5の時に「えこちゃんは精神年齢が低いんじゃないですか」と言われたことがある(直接言われたわけじゃなくて母が個人面談で言われて憤慨して帰って来た)。
んー。なんかヤなこと思い出しちゃったなあ。
でも「俺は先公の言うことなんかに組みしやしねえぜ、who's bad?」みたいなのは我々の小2時代にはいなかったのは間違いないし、現在の10ページを開かない子たちが「who's bad?」というスタンスをとっているわけでもなさそうだ。
実際に授業参観でクラスが相当盛り上がっている時ですら、じいっと前を向いたままで座っているだけの子が結構な数いるが、彼らは喋るわけでもない、ケンカをするわけでもない、ちょっと見、おとなしくて邪魔になってない子だ。
勿論オレ様を見ろ!的な自己主張満載の子もいるし、ちょっとばかり「who's bad?」を漂わせているボーイズもいる(かわいいぜ)。そのうちの誰が10ページを開かないのかは定かではないが、明らかにひっそりと参加を拒否しているような子がいるのは間違いない。
彼らは何を思っているのかなあ、と想像すれば、たぶん「ここはつまらない」ということなんだろうなあと思う。シャットアウト。今日は閉店です。
だったらなんだか切ない話だ。
そういう子を「学習意欲がない」と切って捨てるのは簡単だ。「そういう子がいると困るんですよ」と文句をつけるのも簡単だ。「もっと魅力のある授業にしろ」と文句をつけるのもまた簡単だ。その他「親が悪い」「環境汚染のせいだ」「社会のせいだ」「政府が悪い」「こども手当よこしやがれ」「こども手当は不平等だ」等々。
それに、授業中にぼんやりしていても、他で輝いている瞬間があれば、それでいいじゃん?とも思う。別に学習なんか出来なくてもさ。
「学ぶ」ということは人生必要だと思うけれど、それは授業でなくても、なにかを覚えた時「私変わったじゃん」という快感が良いタイミングで起これば、簡単に覚えられることのような気もする。
でも九九は出来た方がいいとも、やっぱり思う。二次方程式なんか解けなくてもいいけど「くにじゅうはち」くらいは分かってた方がいいような気がする。
そして、自分の足元をみてみれば、「私は無力だ」ということだけが浮かび上がる。
ただこうやってボヤくのみ。なにも出来ない。そこに斬り込んで行くだけの勇気も馬力も根性もない。
ただ踊るだけ。
ただ踊るだけなんだなあ。
子(上)は小2で、国語では「主語」「述語」などやっている。算数は九九。
保護者会で先生が「九九までは2年生のこの時期になんとかと覚えて欲しいのだが、学習が出来るかどうかという話の前に、”10ページをひらいて”と言った時に開かない(聞いてない)子がいて、そこばかりに時間をとるわけにもいかない」という話をしていた。
小2にもなって、というべきか、まだ小2なのにすでに、というべきか分からない。
学習意欲がない、というべきか、すでに自分の道をみつけてしまっているというべきか。
いずれにしても、私が小学生だった時の頃とはまるで違うということは間違いない。
北海道の田舎の小学校だったからかもしれないが、私たちが小学2年だったときはもっと皆こどもこどもしてて、小さい子がお母さんに「ママみてて」というみたいな感覚で先生に見てもらおうとしていたと思う。10ページひらいて、と言われたら喜びいさんで10ページひらく、みたいな他愛もない子供たちだった。いや、ひょっとしたら私がただそういう子供だっただけか?そういえば小5の時に「えこちゃんは精神年齢が低いんじゃないですか」と言われたことがある(直接言われたわけじゃなくて母が個人面談で言われて憤慨して帰って来た)。
んー。なんかヤなこと思い出しちゃったなあ。
でも「俺は先公の言うことなんかに組みしやしねえぜ、who's bad?」みたいなのは我々の小2時代にはいなかったのは間違いないし、現在の10ページを開かない子たちが「who's bad?」というスタンスをとっているわけでもなさそうだ。
実際に授業参観でクラスが相当盛り上がっている時ですら、じいっと前を向いたままで座っているだけの子が結構な数いるが、彼らは喋るわけでもない、ケンカをするわけでもない、ちょっと見、おとなしくて邪魔になってない子だ。
勿論オレ様を見ろ!的な自己主張満載の子もいるし、ちょっとばかり「who's bad?」を漂わせているボーイズもいる(かわいいぜ)。そのうちの誰が10ページを開かないのかは定かではないが、明らかにひっそりと参加を拒否しているような子がいるのは間違いない。
彼らは何を思っているのかなあ、と想像すれば、たぶん「ここはつまらない」ということなんだろうなあと思う。シャットアウト。今日は閉店です。
だったらなんだか切ない話だ。
そういう子を「学習意欲がない」と切って捨てるのは簡単だ。「そういう子がいると困るんですよ」と文句をつけるのも簡単だ。「もっと魅力のある授業にしろ」と文句をつけるのもまた簡単だ。その他「親が悪い」「環境汚染のせいだ」「社会のせいだ」「政府が悪い」「こども手当よこしやがれ」「こども手当は不平等だ」等々。
それに、授業中にぼんやりしていても、他で輝いている瞬間があれば、それでいいじゃん?とも思う。別に学習なんか出来なくてもさ。
「学ぶ」ということは人生必要だと思うけれど、それは授業でなくても、なにかを覚えた時「私変わったじゃん」という快感が良いタイミングで起これば、簡単に覚えられることのような気もする。
でも九九は出来た方がいいとも、やっぱり思う。二次方程式なんか解けなくてもいいけど「くにじゅうはち」くらいは分かってた方がいいような気がする。
そして、自分の足元をみてみれば、「私は無力だ」ということだけが浮かび上がる。
ただこうやってボヤくのみ。なにも出来ない。そこに斬り込んで行くだけの勇気も馬力も根性もない。
ただ踊るだけ。
ただ踊るだけなんだなあ。
たぶん、いっしょよね。
あきらめてなければ、「ただ」は尊い。
あきらめなくちゃいけないような制度があるならば、それはよくない。
ひとりひとりがあきらめないで,その人らしくいられたら,きっとじゅうぶんだよね~。
と、馬力のない私は思うんだよなあ。
かかと,疲労がたまりますね。。。身体,大切に存分に使っていこうねえ!
そうね。
しかしそのただ踊ることだけですらままならないんだもんなあ。。がんばりますよ!!