昨日のノベンバーイレブンス来て下さったみなさまありがとうございました!!
昨日は車内読書に「日本の行く道(橋本治)」をチョイス。
平成19年に書かれた橋本治のこの本は、地球温暖化を軸にして日本はなんでこんなことになっちゃったんだ?みたいなことが書かれている。橋本治の本は時にわたしには難解すぎて「ただ字面だけを追っている」という状態が10ページくらい続いたりするのだが、これは分りやすくて突拍子もないのでお気に入りの本である。
今回の震災と原発の問題があって、わたしは随分混乱して自己反省をしてみたり東電の人に自己投影をしてみたり祈ったり呪ったりと忙しかった。忙しかったが未だになんだかよくわからないままだ。
そのとき「あっそういえば」と思い出したのがこの本である。
この本で橋本治は「高層ビルを壊して1960年代に戻しちゃえ」というめちゃくちゃなことを言う。そして工場制手工業に戻って必要なものを必要なだけ作る、という状態に戻っちゃえ、と言う。じゃんじゃん作って欲しいと言ってないところまで行って売る的なことをやめちゃえ、と。人力ではなく機械に頼る前に戻しちゃえ、と。
わたしが書くとうすっぺらに聞こえるし、震災前に読んでいたわたしも「橋本治おもしれー(でも現実にはならないよねーゼッタイ)」的な感じでしかなかったが、いま読むと「これが本当にいいのではないか」と思う。
話が長いが、つまりこの日のわたしは「1960年代でいこう!」だった(すぐ影響されるが私のいいところなのだ。決して短所ではない!、と思う!)。
生まれてないからよくわからないけれど、エスカレーターやエレベーターはめずらしいものだっただろう。階段だ、階段のぼるぞー。
しかし、そんなイメージも必要なく、赤坂駅の去年出来たながーいエスカレーターは「節電のため休止」だった。あっそうですよね。でも「エスカレーターが動いてないから仕方なく階段をのぼる」のと「わたしは今自分で1960年代にいるのだと決めているから階段をのぼる」のとは全然心持ちが違う。さくさくと背筋をのばして。おじいちゃんに見せてもらった「銀ブラ写真」の中の若いころのおばあちゃんのように颯爽と。しかしそれは1960年代ではない。戦前だ。まあいいや。「生まれてないくらい前」という点では一緒だ。
地上に出るとTBSタワーがそびえている。この辺りは都会的にキラキラしている場所だったが、電気も暗くてしょんぼり見える。あのキラキラの「おしゃれ感」は電気だったんだなあ。1960年にはこんへんはどんなだったんだろう。きっと既にキラキラしていたんだろう。どんなキラキラだったんだろうか。
なかなかライブの話にならない。
そうだ。ライブだ。
ライブはソレアはちょっとなんだか今イチなかんじでもうしわけない感満載。
アレグリアスは楽しかった。ちゃんと楽屋で打合せをしたしなー。
遠藤美穂さんは2回目。この飄々としたかんじはたまらなくイイ。地震のときも飄々としていたらしい。2日間も帰れなかったのに。この飄々さが踊りにもでてていいなあと思う。
屋良ありこちゃんははじめまして。溜めまくった後に切れまくる。こんなに身体が自在だったらさぞかし楽しいだろう。眼光するどい。たぶんもっともっとすごいときには凄まじいのだろう(昨日も十分すごかったけれど、でもたぶんもっと)と思うがわたしのパルマがついていけない部分があり申し訳なかった。ぐぞう~。
つよしくんとはスペイン時代から知っているが、仕事では2回くらいかなあ。
綾子ちゃんも学生でボランティアに出てもらったりした(一体いつのだ?!)以来だと。スタジオではしょっちゅう会うんだけどね。すっかりちゃんとした歌い手さんになっていた。
加奈さんバイオリンは昨日ものびやか。
だけどやはりリハは大事だ。踊ることが大事なのではなく出演者全員がわかりあうためのリハをしなくてはいけなかったように思う。うーん。まだまだ分かってない。はじめましての人がいる場合には役割分担、というか出番を引き出す、というか、遠慮し合ってお見合い状態にならないようにするためのリハーサル。なんだか課題はいっぱいだなあ。休んでる場合か。
気をつけていたので咳はあぶなっかしくもありつつ収まっている。
ひきつづき注意していきたい。
帰りも階段を使って、おそらく60年代にはなかった自転車駐輪場(自動電気式)から自転車を引き出し帰る。外灯はやっぱり必要だなーとか考えながら。もう家中いっぱいに電気をつけているおうちもある。そう。わたしたちはのど元を過ぎれば熱さを忘れるという特性もある。そのことをよーく覚えていたい。
そして家に帰って間違いなく60年に存在していなかったインターネットで原発チェック。ブログ、なんてものも存在してなかったね。
ライブはしばらく空いて、9月アルハムブラ。
よろしくおねがいします!
昨日は車内読書に「日本の行く道(橋本治)」をチョイス。
平成19年に書かれた橋本治のこの本は、地球温暖化を軸にして日本はなんでこんなことになっちゃったんだ?みたいなことが書かれている。橋本治の本は時にわたしには難解すぎて「ただ字面だけを追っている」という状態が10ページくらい続いたりするのだが、これは分りやすくて突拍子もないのでお気に入りの本である。
今回の震災と原発の問題があって、わたしは随分混乱して自己反省をしてみたり東電の人に自己投影をしてみたり祈ったり呪ったりと忙しかった。忙しかったが未だになんだかよくわからないままだ。
そのとき「あっそういえば」と思い出したのがこの本である。
この本で橋本治は「高層ビルを壊して1960年代に戻しちゃえ」というめちゃくちゃなことを言う。そして工場制手工業に戻って必要なものを必要なだけ作る、という状態に戻っちゃえ、と言う。じゃんじゃん作って欲しいと言ってないところまで行って売る的なことをやめちゃえ、と。人力ではなく機械に頼る前に戻しちゃえ、と。
わたしが書くとうすっぺらに聞こえるし、震災前に読んでいたわたしも「橋本治おもしれー(でも現実にはならないよねーゼッタイ)」的な感じでしかなかったが、いま読むと「これが本当にいいのではないか」と思う。
話が長いが、つまりこの日のわたしは「1960年代でいこう!」だった(すぐ影響されるが私のいいところなのだ。決して短所ではない!、と思う!)。
生まれてないからよくわからないけれど、エスカレーターやエレベーターはめずらしいものだっただろう。階段だ、階段のぼるぞー。
しかし、そんなイメージも必要なく、赤坂駅の去年出来たながーいエスカレーターは「節電のため休止」だった。あっそうですよね。でも「エスカレーターが動いてないから仕方なく階段をのぼる」のと「わたしは今自分で1960年代にいるのだと決めているから階段をのぼる」のとは全然心持ちが違う。さくさくと背筋をのばして。おじいちゃんに見せてもらった「銀ブラ写真」の中の若いころのおばあちゃんのように颯爽と。しかしそれは1960年代ではない。戦前だ。まあいいや。「生まれてないくらい前」という点では一緒だ。
地上に出るとTBSタワーがそびえている。この辺りは都会的にキラキラしている場所だったが、電気も暗くてしょんぼり見える。あのキラキラの「おしゃれ感」は電気だったんだなあ。1960年にはこんへんはどんなだったんだろう。きっと既にキラキラしていたんだろう。どんなキラキラだったんだろうか。
なかなかライブの話にならない。
そうだ。ライブだ。
ライブはソレアはちょっとなんだか今イチなかんじでもうしわけない感満載。
アレグリアスは楽しかった。ちゃんと楽屋で打合せをしたしなー。
遠藤美穂さんは2回目。この飄々としたかんじはたまらなくイイ。地震のときも飄々としていたらしい。2日間も帰れなかったのに。この飄々さが踊りにもでてていいなあと思う。
屋良ありこちゃんははじめまして。溜めまくった後に切れまくる。こんなに身体が自在だったらさぞかし楽しいだろう。眼光するどい。たぶんもっともっとすごいときには凄まじいのだろう(昨日も十分すごかったけれど、でもたぶんもっと)と思うがわたしのパルマがついていけない部分があり申し訳なかった。ぐぞう~。
つよしくんとはスペイン時代から知っているが、仕事では2回くらいかなあ。
綾子ちゃんも学生でボランティアに出てもらったりした(一体いつのだ?!)以来だと。スタジオではしょっちゅう会うんだけどね。すっかりちゃんとした歌い手さんになっていた。
加奈さんバイオリンは昨日ものびやか。
だけどやはりリハは大事だ。踊ることが大事なのではなく出演者全員がわかりあうためのリハをしなくてはいけなかったように思う。うーん。まだまだ分かってない。はじめましての人がいる場合には役割分担、というか出番を引き出す、というか、遠慮し合ってお見合い状態にならないようにするためのリハーサル。なんだか課題はいっぱいだなあ。休んでる場合か。
気をつけていたので咳はあぶなっかしくもありつつ収まっている。
ひきつづき注意していきたい。
帰りも階段を使って、おそらく60年代にはなかった自転車駐輪場(自動電気式)から自転車を引き出し帰る。外灯はやっぱり必要だなーとか考えながら。もう家中いっぱいに電気をつけているおうちもある。そう。わたしたちはのど元を過ぎれば熱さを忘れるという特性もある。そのことをよーく覚えていたい。
そして家に帰って間違いなく60年に存在していなかったインターネットで原発チェック。ブログ、なんてものも存在してなかったね。
ライブはしばらく空いて、9月アルハムブラ。
よろしくおねがいします!
変わらず素敵でした!
またスタジオで…?
9月はなるべく見に行きます!☆