なちこ、本名ナツ。
2018年2月17日交通事故でなくなりました。
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IN ギターケース
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IN 箱
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赤ちゃんの時からシェルター育ちで、だから怖い目に一度もあってなくて、人間をまったく疑わない、愛想のよい猫だった。
誰のひざにものるし、すぐにゴロゴロいうし、おふとんにも入って来るし、猫ともフレンドリーだし、「この子はどこでもやっていける」というような猫で、だからこそ、少しずつ扱いがテキトウだったり、放っておいてしまったりしていて、さらには健康優良児だったから「この子はいつまでも元気でいる」とみんな、何故か思い込んでいた。
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赤ちゃんの攻撃にも耐えるえらい猫(でもちょっと逃げ腰)。
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猫には興味しんしん。
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不気味ねこ。
たまに網戸をあけて脱走したり、宅急便や子供の友達が来た隙を狙ってピューと外にでる。
4時間くらいすると帰って来る。最近はちょっとずつ帰りが遅くなったりして不良猫め〜なんて言ってたけどあまり心配してなかった。
タブラオから帰って「今日なちこが帰ってないんだ」と聞いても、「まったくどこほっつきあるいんてるんだか」くらいに思っていた。翌日まだ帰って来なくて、その次も帰って来なくて、保健所に電話をしたり、ちらしを配ったり、近所の人がちらしをはってくれたり、SNSでいろんなひとがシェアしてくれたり、もちろん毎日近所中を探索したけれど見つからなくて、そんなこんなしていたら近所の人が交通事故のことを教えてくれた。
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この視線の先の道路で、家を脱走して2時間後くらいだったようだ。
ありがたいことに、なちこは動物霊園に送られていて、その手続きをとってくれた人と話すことも出来た。身体が痛んでなかったから、たぶん即死だったろうと。
びょんと道路に飛び出して、車にぽんとぶつかって、「わ!」となったところでもう死んでいたのだろうと思う。
だから、なちこのことを考えるとよかったなと思う。
「わ!」とビックリして、次の瞬間にはあの世でセツにとびかかっていたのだと想像する。そんで、しばらくセツと遊んで飽きたら、たぶんさっさと生まれかわって地上に戻って来ると思う。(ちなみに、1年前に死んじゃったセツは、あの世の玄関ドアの前で私のことをジーーーーと待っていると私は信じている)
なちこは、生きているのが楽しそうだったから、次も楽しそうに生きるのだろう。
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せちこと。
私たち家族は、当たり前にいると思い込んでいた存在が急にいなくなったときの当たり前の反応として、全員が後悔してああすればよかったこうすればよかった、と思ったが、なちこは恨みがましい猫ではなかったのできっとそういうこともあまり気にしていないんじゃないかと、事故から2週間たった今は思う。
当たり前のことを大切にして生きなくてはなどと思った時間もあったし、もちろんなるべくそう生きようと思うが、ただ私は、多分これからも当たり前にあるものを当たり前にあると思い込んでぞんざいにしたり、テキトウなことをしたりするのだろうとも思う。それが当たり前に生きるということなのだ。
なちこは当たり前に楽しそうに生きたネコで、私はその当たり前が好きだった。
なちこ、うちに来てくれてありがとう。
2018年2月17日交通事故でなくなりました。
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IN ギターケース
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IN 箱
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赤ちゃんの時からシェルター育ちで、だから怖い目に一度もあってなくて、人間をまったく疑わない、愛想のよい猫だった。
誰のひざにものるし、すぐにゴロゴロいうし、おふとんにも入って来るし、猫ともフレンドリーだし、「この子はどこでもやっていける」というような猫で、だからこそ、少しずつ扱いがテキトウだったり、放っておいてしまったりしていて、さらには健康優良児だったから「この子はいつまでも元気でいる」とみんな、何故か思い込んでいた。
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赤ちゃんの攻撃にも耐えるえらい猫(でもちょっと逃げ腰)。
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猫には興味しんしん。
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不気味ねこ。
たまに網戸をあけて脱走したり、宅急便や子供の友達が来た隙を狙ってピューと外にでる。
4時間くらいすると帰って来る。最近はちょっとずつ帰りが遅くなったりして不良猫め〜なんて言ってたけどあまり心配してなかった。
タブラオから帰って「今日なちこが帰ってないんだ」と聞いても、「まったくどこほっつきあるいんてるんだか」くらいに思っていた。翌日まだ帰って来なくて、その次も帰って来なくて、保健所に電話をしたり、ちらしを配ったり、近所の人がちらしをはってくれたり、SNSでいろんなひとがシェアしてくれたり、もちろん毎日近所中を探索したけれど見つからなくて、そんなこんなしていたら近所の人が交通事故のことを教えてくれた。
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この視線の先の道路で、家を脱走して2時間後くらいだったようだ。
ありがたいことに、なちこは動物霊園に送られていて、その手続きをとってくれた人と話すことも出来た。身体が痛んでなかったから、たぶん即死だったろうと。
びょんと道路に飛び出して、車にぽんとぶつかって、「わ!」となったところでもう死んでいたのだろうと思う。
だから、なちこのことを考えるとよかったなと思う。
「わ!」とビックリして、次の瞬間にはあの世でセツにとびかかっていたのだと想像する。そんで、しばらくセツと遊んで飽きたら、たぶんさっさと生まれかわって地上に戻って来ると思う。(ちなみに、1年前に死んじゃったセツは、あの世の玄関ドアの前で私のことをジーーーーと待っていると私は信じている)
なちこは、生きているのが楽しそうだったから、次も楽しそうに生きるのだろう。
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せちこと。
私たち家族は、当たり前にいると思い込んでいた存在が急にいなくなったときの当たり前の反応として、全員が後悔してああすればよかったこうすればよかった、と思ったが、なちこは恨みがましい猫ではなかったのできっとそういうこともあまり気にしていないんじゃないかと、事故から2週間たった今は思う。
当たり前のことを大切にして生きなくてはなどと思った時間もあったし、もちろんなるべくそう生きようと思うが、ただ私は、多分これからも当たり前にあるものを当たり前にあると思い込んでぞんざいにしたり、テキトウなことをしたりするのだろうとも思う。それが当たり前に生きるということなのだ。
なちこは当たり前に楽しそうに生きたネコで、私はその当たり前が好きだった。
なちこ、うちに来てくれてありがとう。
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