えんどうえこばなし

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だんしゃりセラピー

2019-09-25 13:07:50 | えこばなし
前回の断捨離ブログで、「明日の夜の報告しまっせ!」と言っておいて報告してなかったが、
DIYの「夢のかけら」は、5分もしないで片付いた。
これも「あるある」なんだが、恐れ、遠巻きにして、後回しにしていたものも、手をつけてみればなんということはない。
「この5分間を後回しにしていただけで5年間も(意識に上らないくらいにかすかだが)嫌な思いをし続けていたのか・・・」と拍子抜けというか、バカみたいな気持ちになる。

そして「夢のかけら」というワードをブログに書き記し、言語化したことで、目の鱗が取れるみたいな、視点が変わるみたいな変化が起きて、もう大変である。
何が大変かって、家の中に「夢のかけら」の多いこと、多いこと!!!
だいたい一巡した断捨離の「捨」だったが、「夢のかけら視点」で見てみると、まだまだあるのだ。

一巡した「捨」を生き抜いた(つまりまだ捨ててなかった)モノの中で
現時点で一番多いのは「いいお母さんになる夢のかけら」で、
次は「アタマがいい人の夢のかけら」である。

つまり私はアタマがよくて、いいお母さんになりたかったのだった。

「アタマがいい」も「いいお母さん」も定義によって色々変わると思う。
だから私は昔だって今だって、そしてこれからだって「アタマがよくて、いいお母さん」である。

でも残っている「夢のかけら」からイメージするような「アタマがよくて、いいお母さん」にはなれなかった。
だからなかなか捨てられなかった。

でもその仕組みに気づいたら、なんということはないのだ。

なんということはない、というのは言い過ぎで、
その「夢」を家族にも押し付けていたこととか、
「夢」を維持しようとして無理して破綻したこととかが一緒に思い出されてしまうから、
たまに泣いたりしながら一個一個「夢のかけら」と別れている。

いや、これはすごい。
一個一個、お別れをしていく時に、ありがとうと、頑張ったよねと、ごめんねと、胸の中の誰かに言っていく。
そして一つ一つ心がスッキリしていくのだ。
ほとんどセラピーである。
これが、断捨離の「離」の部分なのかなと思う。
やましたひでこすげえな・・・

「アタマいい人」の夢のカケラはDIY関係も多いけれど、今回発見したのは「読まないけど取ってあった本」で、こっちは「夢のカケラ」という視点に気づいたら急に恥ずかしくなって、一人でギャーーーと言いながら処分である。なんか「いつか解るかもしれない」とか思ってたんだよ!!!

また、ついでに「この作家は全巻(しかもかなりが初版本)持っている」にこだわってたのも馬鹿馬鹿しいと気づいたので(これも「アタマいい人」の一種?)、読んでないのは捨てて、読むのは文庫版に変えて、ということも始めた。ブックオフにそのうちの紙袋一つ分持っていったら5円とか引き取れませんとかだったので、心がくじけて残りを本棚に戻しそうだったが、文庫版(ブックオフで108円のを見つけたら買うことに決める)はやっぱり読みやすいので、くじけずに続けようと思う。

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