先日ご一緒したパロマ(小島慶子)さんのことは
15年も前から存じ上げていて、大好きだった。
15年前、というと
わたしはまだ札幌で公務員をやっていて
ほっぺたがぱっつんぱっつんしてる若い女の子で
フラメンコが大好きになりかけていたころだ。
クリスティナオジョスの舞踊団を見に
東京にやってきたついでに行ったタブラオで
確か、はじめて見たんだったと思う。
ぱっつんぱっつんの21歳が
何を感じたのかはもはや覚えていないけれど、
その後も何度見ても「好きだわあ」と思った。
でも「何がこんなに好きなのか」ということは
上手く説明出来なかった。
「何が素敵か」ということはいくらでも言える。
エネルギー量。爆発力。足の強さ。芯の太さ。
でも「それだけじゃないんだけどね」といつも思っていた。
何かが、私を惹き付けているんだけど、
その核心が、よくわからない。
わからないけれど、好きだという気持ちだけは確実にある。
そしてパロマさんを見るたび、
最近ではパロマさんと舞台に立つたびに、
私の踊りは確実に変わる。
すごい影響を受ける。
でもその「どこが」影響されたのかは、やはりナゾのまま。
先週、1年振りにご一緒した
パロマさんを見ていて、話していて、
気付いたことがひとつある。
「この人は心と身体が直結してる」
あっそうか。それで好きなんだな。
踊りは、テクニックが必要だ。
だけど、心も大切だ。
心のない踊りは、踊りではない。
そういう話はよく聞くし、事実だと思う。
だけどその「心を踊りに表す」という作業は
結構難しいものだと思う。
心は、簡単に「言語化」されたりしない。
「わたしは今哀しいから、哀しく踊る」
みたいな「言語化出来る心」なんて、
それは嘘っぱちだし、誰の心も動かさない。
その言語化出来ない心を「踊り」として表すには
それなりの「テクニック」が必要だ。
「おまじない」とかね。
実は私は「良く効くおまじない」を
この1年で手に入れたので、
最近は心と踊りがまっすぐになってきた(と思う)。
(「良く効くおまじない」を知りたい方は直接きいてね。
誰にでも有効ではないような気がしますが、
最低ひとり、わたしには効いてます。)
わたしの踊りが嫌いな人は、わたしのことが嫌いだと思う。
そのくらいには、まっすぐになってきた(と願う)。
(わたしの踊りが好きな人は、
わたしのことを好きになるかというと、多分それは違う。
「舞台のわたし」よりも「普段のわたし」は
遥かに心が狭く、小さく、悪人であるからだ。
困ったものだ。)
で。
パロマさんは多分「生来心と身体がまっすぐな人」
なんじゃないかと思う。
(なんかすごい感動やさんの泣き虫さんみたいだし。)
だからたぶん「おまじない」もなしに
自然に「直結踊り」してるんだと思う。
理想だ。
素敵だ。
きょうはここまで。
15年も前から存じ上げていて、大好きだった。
15年前、というと
わたしはまだ札幌で公務員をやっていて
ほっぺたがぱっつんぱっつんしてる若い女の子で
フラメンコが大好きになりかけていたころだ。
クリスティナオジョスの舞踊団を見に
東京にやってきたついでに行ったタブラオで
確か、はじめて見たんだったと思う。
ぱっつんぱっつんの21歳が
何を感じたのかはもはや覚えていないけれど、
その後も何度見ても「好きだわあ」と思った。
でも「何がこんなに好きなのか」ということは
上手く説明出来なかった。
「何が素敵か」ということはいくらでも言える。
エネルギー量。爆発力。足の強さ。芯の太さ。
でも「それだけじゃないんだけどね」といつも思っていた。
何かが、私を惹き付けているんだけど、
その核心が、よくわからない。
わからないけれど、好きだという気持ちだけは確実にある。
そしてパロマさんを見るたび、
最近ではパロマさんと舞台に立つたびに、
私の踊りは確実に変わる。
すごい影響を受ける。
でもその「どこが」影響されたのかは、やはりナゾのまま。
先週、1年振りにご一緒した
パロマさんを見ていて、話していて、
気付いたことがひとつある。
「この人は心と身体が直結してる」
あっそうか。それで好きなんだな。
踊りは、テクニックが必要だ。
だけど、心も大切だ。
心のない踊りは、踊りではない。
そういう話はよく聞くし、事実だと思う。
だけどその「心を踊りに表す」という作業は
結構難しいものだと思う。
心は、簡単に「言語化」されたりしない。
「わたしは今哀しいから、哀しく踊る」
みたいな「言語化出来る心」なんて、
それは嘘っぱちだし、誰の心も動かさない。
その言語化出来ない心を「踊り」として表すには
それなりの「テクニック」が必要だ。
「おまじない」とかね。
実は私は「良く効くおまじない」を
この1年で手に入れたので、
最近は心と踊りがまっすぐになってきた(と思う)。
(「良く効くおまじない」を知りたい方は直接きいてね。
誰にでも有効ではないような気がしますが、
最低ひとり、わたしには効いてます。)
わたしの踊りが嫌いな人は、わたしのことが嫌いだと思う。
そのくらいには、まっすぐになってきた(と願う)。
(わたしの踊りが好きな人は、
わたしのことを好きになるかというと、多分それは違う。
「舞台のわたし」よりも「普段のわたし」は
遥かに心が狭く、小さく、悪人であるからだ。
困ったものだ。)
で。
パロマさんは多分「生来心と身体がまっすぐな人」
なんじゃないかと思う。
(なんかすごい感動やさんの泣き虫さんみたいだし。)
だからたぶん「おまじない」もなしに
自然に「直結踊り」してるんだと思う。
理想だ。
素敵だ。
きょうはここまで。
えこちゃんがパロマさんについて書いていることを
そっくりそのままわたしからえこちゃんに捧げます。
ほんとです!
って感じで、フラメンコを知ってから私にとっての一番の
舞台でした~鳥肌って生易しいものではなく、確実に
固まって見てました、うるうるでした。。。
私もjemさんと同じで、一番えこ先生の踊りが好きです。
こんなに「命の火が燃えてる」踊りする人、いないです。
踊り終わった後の、人見知りなとこも、人間らしくて好きです。
人間なんて善いことをしながら悪いことをし、悪いことをしながら
善いことをする生き物なんですから(池波正太郎先生のお言葉)
悪人だなんて、そんなのみんな同じですっ。
みんな善人でみんな悪人なんですからぁ。
ところで、「小人がいた」って表現もなんかわかります。
多分、陳腐だけど「オーラ」がそういう風にその人には
映ったんでしょうね~
私はそれを「生命体が光を放つってこういうことなんだ~」
「生命体ってほんとうに光るんだ!」
って思ったんだと・・・
今年も何度かライブに足を運びたいと思ってますので
よろしくお願いしまーす!!
私もパロマさんの踊りは好きで、(身体でいうとハラと腰の粘り具合が好きなのだけれどそれはさておき)ありきたりな表現だけれど「自然体」なところが好きで、それをもっと掘り下げて言うと「心と身体の直結」ということになるのだと思いました。
テクニックというものについては、必要だけれども、ただそれのみを見せつけられると、観ている側の身体が拒絶してしまい、脳みそで踊りを分析するのみになってしまう。それは悲しい。
さて、「それじゃあ自然体って?」となるのですが、「よし!自然体で踊るぞ!」という時点ですでに自然ではないわけで・・・。私の場合、しつこいですが「常に、生きること、死なないこと」をイメージしてます。惰性で仕事をしたり、余計なことを考えたり、物事に真剣に対峙しなかったりすることは、死んでいることなので、深く反省し、でもまだまだダメなのでよく死ぬのですが、少しでも生きる時間を長くしていようと。それが、踊りに活きてくるかな、と信じるわけで・・・。
なお、えこさんの踊りは、「踊っている」でもなく、「えこさんが踊っている」でもなく、「えこさんが踊っている!えこさんが、えこさんが、踊っているーーー!!!」と感じ、最終的に「そのような空気に包んでくれてありがとう」と思えるところが好きです。
では。
褒めて頂きありがとうございます。
ちょっとは近づけてるのかな?と思うと嬉しいデス!!!
jemちん
どうもありがとう。またご一緒しませうね。
megさん
ナゾの生命体、がんばりますね。
舞台の自分を日常にもっていけるかが現在の課題です。
文武両道。なかなかむずかしいです。
いずみちゃん
「よく死ぬ」のくだりは笑いましたが。わたしもよく「あっ、さっき死んでたよ」と思う事あり。ほんと、積み重ねの生が多分踊りに繋がって行くんだよね。
「マルカール」わたしもやりたかったが、時間的に無理っぽいので、今度、縄跳び、企画するので是非やりましょう。最低4人必要だよね。