子(上)の期末テスト終了。
子(上)にとっては「期末テスト期間=部活がなくてツマラナイ期間」であるから、「テスト終了=部活はじまるヤッター!」である。
そんでテストの出来はどうなの。
「うん、まあまあできたよ。」
ほんまかいな。
「でもなんか勉強の仕方がわかんないんだよねー」
まあ、そうだろうねえー。
とりあえずマンガを目の前に置かないっていうのはどうだろうねえー。
小学生までは宿題やってればよかった。
最近そうでもない小学生も多いと思うけど、うちでは宿題やってればいいということになっていた。あとは朝の15分ドリルで計算ザクザクやる。計算は数こなさないと身につかないのでひたすら計算。
子の中学校は「宿題」というものが少なく、そのかわり「自主計画した家庭学習をする」ということになっているようである。家庭学習計画表を提出してそれに添って実行する。5月に出した計画表は「これだけ出来たらすごいね!」というようなパーフェクトな計画表を出して実際まるで出来ない、というよくあるパターンだったが、6月は計画表自体を出さずに先生から電話が来たりしてた。
出そうよー。
たとえ実行できなくても計画表くらいは出そうよー。
最近の中学校が全部そうだというわけではないみたいで、宿題がバリバリ出るところもあるみたい。
「自分で計画して実行する」というのは、管理する側がすごい大変だと思うけれど、でもとてもいいなあと思う。たとえ出来なくてもね。
ーーーーーーーーーー
前にも書いたが「進研ゼミ」をとってみたことがある。
子がやりたいと言い出し、私もどんな教材か興味もあったので2ヶ月(最短単位)とってみた。
はじめの1ヶ月目から全然やらなくてキーとなったりしたことは横においておいて、その6000円超えの教材は確かにすごかった。マンガ、解説、イラスト、子どもが興味もちそうなものを全部投入して、懇切丁寧に出来ている。
しかしすごく違和感があった。
なんでこんなにしてまで勉強させるの?
こんなに噛み砕いてあげなきゃ勉強しない子(またはそれでもやらない子)に、なんで勉強させるの?
ーーーーーーーーーー
わたしは、お勉強の出来る子ではなかった。
ただ、わたしは器用だったので、そこそこ出来る子であった。
しかし「器用貧乏」という言葉どおり、「そこそこ」から上にはいけない。フラメンコと同じ。努力が出来ないのである。
だから、「計画をたててコツコツ」もやったことがないし、「毎日コツコツ」もやったことがない。
幸いにして、わたしの兄姉というのが「びっくりするくらい勉強の出来る子」だったので、わたしはさっさと勉強の道で兄姉と張り合うことをあきらめて「大学進学ではなくさっさと職業につく」という道を選択し、そのために「授業だけを真面目にきいていれば、あとは勉強しなくてもそこそこの成績はとれるし、それで充分」という結論に達した(まあ実際は思春期にあれやこれやと迷い道クネクネしたのだが)。
それで、そこそこの高校でそこそこの成績とって、そんで10日間くらい真剣に勉強して公務員になった。
だから公務員試験を受験するための10日間くらいの勉強がはじめてやった勉強なのである。
18歳。
遅いのだろうか。
それとも早いのだろうか。
ーーーーーーーーーー
勉強するとはなんだろう、と思う。
これは机の上のいわゆる「お勉強」だけの話ではない。
身体をコントロールすることも、楽器を演奏することも、もちろんお勉強も、そしてフラメンコも。
自分と対話する。
わたしは何が出来るのか?何が出来ないのか?何をしたいのか?
わたしは何になりたいのか?そのためには、何をすればいいのか?
そして、やってみる。
当初の計画では「ここが出来ればクリアー」と思っていたことが「ここが出来たら、向こう側にもっと大きな山があった」ということも珍しくはない。それで「やればやるほど出来なくなる」という言葉をつぶやく。
勉強するとは、そういうことなのだろうと、42歳のわたしは思う。
めでたく60歳になったら違う風に思うかもしれないが、今はそう思う。
そしてそれは18歳のときにはじめて得た感覚なのだが、42歳になってようやく言語化できるようになった。
ーーーーーーーーーー
「最近の若い子の愚痴」をたまに聞く。
生徒さんもいいトシこいてきたので、「職場の若い子の愚痴」を言うのであるが、これがまた皆が皆おんなじようなことを言うので面白い。
乱暴にまとめちゃうと「考える力がない」ってことなのだ。そしてそのことに本人が気付いていないということみたい。
お勉強はできる(学歴はいい)のに、もうマニュアル対応しか出来ない!全部説明しないと出来ない!全部説明しても出来ない!、、、みたいな。
はじめは「へー」なんつって面白がって聞いていたが、なんとなく人ごとじゃないような気がしてきた。
自分じゃなくて、子どものこととして。
だいたい「考える力」って、学校なんかでも言うけど、でもそれって何?
管理教育と考える力って、そもそも相反するものではないの?
で、「勉強の仕方」かな、と。
他にも要素はあると思うけど(志、とか)、とりあえず、子ども時分に学べるとしたら勉強の仕方。
ーーーーーーーーーー
13歳の我が子は、まだ勉強することを知らない。
勉強の意味も、仕方も、まったくトンチンカンで面白いくらいである。
親として、さて、どうしようかと思う。
具体的な勉強の仕方などを、やってなかったわたしが教えられるはずもないが、それでも中学1年生の問題くらいはまだ手の内の中なので、あれこれ口を出したくなる。
ただ、そうではない。
そうではないのだと思う。
「よい成績を効率よく取ってほしい」わけではないのだ。
勉強の仕方。
自分のスタイル。
そして考える力。
そういうものを身につけて欲しいのだ。
ーーーーーーーーーー
未来を見よう。
3年後の高校受験くらいの近い未来ではなく、ずっと先。彼女の生きるはずの、ずっと先の未来を。
お膳立てされたルートをただ辿っていただけではない、力強さを、意味を、彼女が持つように。
ずっと先の未来を見よう。
ごまかしの「点だけとれればいい」ではない、勉強の仕方を、彼女が手に入れられるように。
ーーーーーーーーーー
月曜日。
期末テストが順次返ってくるのである。
「んー?まあまあできたよ。」に対しての現実に冷静であれますように。
何かアドバイスするにしても、そこを決して忘れないように。
説教ではなく、アドバイスになるように。
決して忘れないように。
ネバー。
ヌンカ。
がんばれわたし!
子(上)にとっては「期末テスト期間=部活がなくてツマラナイ期間」であるから、「テスト終了=部活はじまるヤッター!」である。
そんでテストの出来はどうなの。
「うん、まあまあできたよ。」
ほんまかいな。
「でもなんか勉強の仕方がわかんないんだよねー」
まあ、そうだろうねえー。
とりあえずマンガを目の前に置かないっていうのはどうだろうねえー。
小学生までは宿題やってればよかった。
最近そうでもない小学生も多いと思うけど、うちでは宿題やってればいいということになっていた。あとは朝の15分ドリルで計算ザクザクやる。計算は数こなさないと身につかないのでひたすら計算。
子の中学校は「宿題」というものが少なく、そのかわり「自主計画した家庭学習をする」ということになっているようである。家庭学習計画表を提出してそれに添って実行する。5月に出した計画表は「これだけ出来たらすごいね!」というようなパーフェクトな計画表を出して実際まるで出来ない、というよくあるパターンだったが、6月は計画表自体を出さずに先生から電話が来たりしてた。
出そうよー。
たとえ実行できなくても計画表くらいは出そうよー。
最近の中学校が全部そうだというわけではないみたいで、宿題がバリバリ出るところもあるみたい。
「自分で計画して実行する」というのは、管理する側がすごい大変だと思うけれど、でもとてもいいなあと思う。たとえ出来なくてもね。
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前にも書いたが「進研ゼミ」をとってみたことがある。
子がやりたいと言い出し、私もどんな教材か興味もあったので2ヶ月(最短単位)とってみた。
はじめの1ヶ月目から全然やらなくてキーとなったりしたことは横においておいて、その6000円超えの教材は確かにすごかった。マンガ、解説、イラスト、子どもが興味もちそうなものを全部投入して、懇切丁寧に出来ている。
しかしすごく違和感があった。
なんでこんなにしてまで勉強させるの?
こんなに噛み砕いてあげなきゃ勉強しない子(またはそれでもやらない子)に、なんで勉強させるの?
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わたしは、お勉強の出来る子ではなかった。
ただ、わたしは器用だったので、そこそこ出来る子であった。
しかし「器用貧乏」という言葉どおり、「そこそこ」から上にはいけない。フラメンコと同じ。努力が出来ないのである。
だから、「計画をたててコツコツ」もやったことがないし、「毎日コツコツ」もやったことがない。
幸いにして、わたしの兄姉というのが「びっくりするくらい勉強の出来る子」だったので、わたしはさっさと勉強の道で兄姉と張り合うことをあきらめて「大学進学ではなくさっさと職業につく」という道を選択し、そのために「授業だけを真面目にきいていれば、あとは勉強しなくてもそこそこの成績はとれるし、それで充分」という結論に達した(まあ実際は思春期にあれやこれやと迷い道クネクネしたのだが)。
それで、そこそこの高校でそこそこの成績とって、そんで10日間くらい真剣に勉強して公務員になった。
だから公務員試験を受験するための10日間くらいの勉強がはじめてやった勉強なのである。
18歳。
遅いのだろうか。
それとも早いのだろうか。
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勉強するとはなんだろう、と思う。
これは机の上のいわゆる「お勉強」だけの話ではない。
身体をコントロールすることも、楽器を演奏することも、もちろんお勉強も、そしてフラメンコも。
自分と対話する。
わたしは何が出来るのか?何が出来ないのか?何をしたいのか?
わたしは何になりたいのか?そのためには、何をすればいいのか?
そして、やってみる。
当初の計画では「ここが出来ればクリアー」と思っていたことが「ここが出来たら、向こう側にもっと大きな山があった」ということも珍しくはない。それで「やればやるほど出来なくなる」という言葉をつぶやく。
勉強するとは、そういうことなのだろうと、42歳のわたしは思う。
めでたく60歳になったら違う風に思うかもしれないが、今はそう思う。
そしてそれは18歳のときにはじめて得た感覚なのだが、42歳になってようやく言語化できるようになった。
ーーーーーーーーーー
「最近の若い子の愚痴」をたまに聞く。
生徒さんもいいトシこいてきたので、「職場の若い子の愚痴」を言うのであるが、これがまた皆が皆おんなじようなことを言うので面白い。
乱暴にまとめちゃうと「考える力がない」ってことなのだ。そしてそのことに本人が気付いていないということみたい。
お勉強はできる(学歴はいい)のに、もうマニュアル対応しか出来ない!全部説明しないと出来ない!全部説明しても出来ない!、、、みたいな。
はじめは「へー」なんつって面白がって聞いていたが、なんとなく人ごとじゃないような気がしてきた。
自分じゃなくて、子どものこととして。
だいたい「考える力」って、学校なんかでも言うけど、でもそれって何?
管理教育と考える力って、そもそも相反するものではないの?
で、「勉強の仕方」かな、と。
他にも要素はあると思うけど(志、とか)、とりあえず、子ども時分に学べるとしたら勉強の仕方。
ーーーーーーーーーー
13歳の我が子は、まだ勉強することを知らない。
勉強の意味も、仕方も、まったくトンチンカンで面白いくらいである。
親として、さて、どうしようかと思う。
具体的な勉強の仕方などを、やってなかったわたしが教えられるはずもないが、それでも中学1年生の問題くらいはまだ手の内の中なので、あれこれ口を出したくなる。
ただ、そうではない。
そうではないのだと思う。
「よい成績を効率よく取ってほしい」わけではないのだ。
勉強の仕方。
自分のスタイル。
そして考える力。
そういうものを身につけて欲しいのだ。
ーーーーーーーーーー
未来を見よう。
3年後の高校受験くらいの近い未来ではなく、ずっと先。彼女の生きるはずの、ずっと先の未来を。
お膳立てされたルートをただ辿っていただけではない、力強さを、意味を、彼女が持つように。
ずっと先の未来を見よう。
ごまかしの「点だけとれればいい」ではない、勉強の仕方を、彼女が手に入れられるように。
ーーーーーーーーーー
月曜日。
期末テストが順次返ってくるのである。
「んー?まあまあできたよ。」に対しての現実に冷静であれますように。
何かアドバイスするにしても、そこを決して忘れないように。
説教ではなく、アドバイスになるように。
決して忘れないように。
ネバー。
ヌンカ。
がんばれわたし!
そうなんだ!?授業しかやってなかったんだ?高校でも?
それまたそれですごいね。
できる人はできるんだねー。
意外と5教科の点は悪くなくて、でも技術家庭科とかでびっくり点数とってました。10点じゃないけど。
きらいな先生だったのかな。。
そうだねー。毎日何時間もすごいことだよねー。
子にtigrimpa(姉)のコメントを聞かせたら
「つぎは試験前にべんきょうする」
とか言ってたよ!