さて、クラスの紹介の続きです。
今日は「歌を歌う」です。
私のクラスでは歌を歌います。
フラメンコの歌は「カンテ」といいますが、「カンテ」以外にも「童謡」とか「松田聖子」とかも歌います。
踊りを習いにきているのになんで歌わなアカンのか、という顔をしている方もちらほらいますが私は気にしません。とにかく歌います。歌わせます。
なぜか。
フラメンコにおける「歌(カンテ)」パートというのは絶大です。
まあアタリマエといえばアタリマエなんです。普通の音楽だったらシンガーが一番真ん中にいますもの。ダンサーはたいてい「バックダンサー」つまり後方が定位置であって、前方を独り占めしてるってことは普通ないです。
ところがフラメンコは踊り手が前にいます。
ここで踊り手はちょっと勘違いをしてしまうんです。「むしろ音楽がBGM(バックグラウンドミュージック)である」と。ウィキペディアさんはBGMのことを「バックグラウンドミュージックはその場の主役にはならないが、その場を演出するために使用される音楽である。」と説明していますが、まさにそういう錯覚を起こしてしまうんです。「主役は私。音楽は私を演出するためのもの。」と。
まあ、ね。人間だもの。気持ちも分かります。
でも、ね。そうじゃないですよ、音楽がはじめにあるんですよ、っていうのが私のクラスの目指しているところです。
ーーーーーーーーーー
私は「踊り手は拡声器」だと思っています。後ろから来る歌やギターの音を自分の中に一旦取り入れて、そしてそれを大きく拡げて発信する。
自分の言いたいことを言うのではなくて、後ろの人たちが言っていることを取り込んで、前方の人たちに伝わりやすく言う、ということです。
このたとえ話をすると「では踊り手の感情や言いたいことはどうなるの?」という話になりますが、前方で踊ってやろうなんて考えている人間は、放っておいたってペラペラペラペラ喋り出すに決まってるんです(こないだのライブの私のように)。また「踊り」という行為はどうしたって想いがこもるものです。だから私は「自分の想いを込めようとしたり言いたいことを考えたりする必要は踊り手にはなし」という立場をとります。
だいたいおしゃべりな人には「まあ、それよりヒトの話聞こうよ?」って言うでしょ?それと同じ。踊り手なんて目立ちたがりやばっかりなんですから。
勿論ものごとには例外がつきものですから、「踊り手なのに無口」って人もいます。無口っていうのは本当に口数が少ないってことじゃなくてね。踊りが雄弁じゃないっていうか、自己顕示欲がないっていうかね。そういう人もモチロンいます。そういう人には「もうちょっと前を向こう」とか「矢沢永吉をyoutubeで見てくるように」という別の課題を出しますが、まあ、大抵の踊りを習う生徒さんは「踊ったろか」という人が多いです。そこの人ごとみたいな顔してるアナタ。アナタもそうですよ?
ーーーーーーーーーー
で、そういうわけで、また元の話に戻って、歌です。
歌が中心となってまわる「普通の音楽」というものと「フラメンコ」は「歌が主体というところで同じである」という考えを私はとっています。だから聖子ちゃんもブレリアも「一緒」と考えます。
さて、まあ聖子ちゃんもいいですけど、こんなのを一つ見ましょうか。
It's Probably Me
たまりませんね。
スティングが好みでなければお好みの「ゆったりしていてリズムがしっかりしてる歌」を聞いてみて下さい。
さて、この歌からドラムやキーボードを全部なくして歌声だけ取り出したら、歌からリズムは聴こえてくるでしょうか?
どうですか?
たぶん、聴こえます。
息をすったり止めたり、言葉をのばして止めるところ。全部リズムがあって歌があるから自然にリズムと一緒にいるから。
では私が真似して歌ってみたらそんな風に歌えるでしょうか?
それはなかなか難しい。たぶん「リズムのない伸ばしっぱなしの歌」になってしまうでしょう。どこかの風呂場から聴こえてくる歌声のように。
フラメンコの歌=カンテは一見「リズムのない歌」に聴こえるものです。しかし踊りと絡むカンテにはリズムがあります。この歌のようにです。
ーーーーーーーーーーー
えー、そんな私スティングになりたいわけじゃないし!!
という声がきこえてきました。
その通りです。
私たちは踊ることを目指しています。歌うことではありません。
だから「自然にリズムと一緒にいるから唇とんがらせるところまでいいところ」みたいな追求は歌い手を目指す方達にしてもらいましょう。
ただ私は「踊りは拡声器である」という考えですので、つまりこの「It's Probably Me」であれば、踊りは歌であり、ドラムであり、ギターであり、キーボードであり、暖炉の火であり、映像に出て来ないサックスかなにかの音なのです。
だから極めるのならばその全部の音に精通できればベスト。極めるのが無理ならば、というか無理なので、ダッサイ歌いかたでもいいからちょっと歌詞を覚えて歌ってみたい。四拍子くらいにははめたい。ドラムの真似くらいしてみたい。
そんな風に思うのです。
というか真似くらいしなくてどうやって踊るの?と思うのです。せめて四拍子くらいにははめて歌えるようにならないと何もはじまらないですよね。
だから歌います。歌詞とリズムを重ねることも、アーって伸ばした声とリズムを共存させることも、全部それは最終的に踊りになるからです。
ーーーーーーーーーーーー
実際フラメンコの歌というのは「It's Probably Meを歌うね」という風ではなくて、「スティング歌うね」くらいの大雑把な分類分けになってますから、ひとつの歌を覚えたからといって、それを歌ってもらえるわけではありません。ただ、「スティングってこんな歌もあるんだ」っていって歌ったり真似したりしたら少しは理解が進むし、ぐっときてみたり、泣けてしまったり、そんなことがおきます。
それはスーパーでBGMで流れているスティングとは全然違うものになるのです。
BGMだと思っている音楽からは何も感じません。
不思議なもので、それをBGMだと思った時点で何も感じなくなるのです。
上手い下手ではなくて、何かを感じる踊りが私は好きです。
それはBGMをしたがえて自分が素敵になることを考えている踊りではなくて、音をつかまえて音に感じて動いている踊りだと思っています。
ーーーーーーーーーーーーー
ああ、どうしましょうか。
またもや「ぷぷっ、センセー。あれってさあ、”はじめてフラメンコやりたいな!わ!町田にフラメンコ教室がある~。なになに?クラスの紹介?っていって見る人がいたら、、、ドン引きだよね!!」という展開になってしまいましたよ。
まあ、いいんです。こういう意見もありましたから。
「来てみてビックリよりはずっといいですよ!」
こんなクラスです。
よろしければ見学体験など是非おこしください。
6月1日から一般受付開始いたします。
また続きも書くかもしれません。
今日は「歌を歌う」です。
私のクラスでは歌を歌います。
フラメンコの歌は「カンテ」といいますが、「カンテ」以外にも「童謡」とか「松田聖子」とかも歌います。
踊りを習いにきているのになんで歌わなアカンのか、という顔をしている方もちらほらいますが私は気にしません。とにかく歌います。歌わせます。
なぜか。
フラメンコにおける「歌(カンテ)」パートというのは絶大です。
まあアタリマエといえばアタリマエなんです。普通の音楽だったらシンガーが一番真ん中にいますもの。ダンサーはたいてい「バックダンサー」つまり後方が定位置であって、前方を独り占めしてるってことは普通ないです。
ところがフラメンコは踊り手が前にいます。
ここで踊り手はちょっと勘違いをしてしまうんです。「むしろ音楽がBGM(バックグラウンドミュージック)である」と。ウィキペディアさんはBGMのことを「バックグラウンドミュージックはその場の主役にはならないが、その場を演出するために使用される音楽である。」と説明していますが、まさにそういう錯覚を起こしてしまうんです。「主役は私。音楽は私を演出するためのもの。」と。
まあ、ね。人間だもの。気持ちも分かります。
でも、ね。そうじゃないですよ、音楽がはじめにあるんですよ、っていうのが私のクラスの目指しているところです。
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私は「踊り手は拡声器」だと思っています。後ろから来る歌やギターの音を自分の中に一旦取り入れて、そしてそれを大きく拡げて発信する。
自分の言いたいことを言うのではなくて、後ろの人たちが言っていることを取り込んで、前方の人たちに伝わりやすく言う、ということです。
このたとえ話をすると「では踊り手の感情や言いたいことはどうなるの?」という話になりますが、前方で踊ってやろうなんて考えている人間は、放っておいたってペラペラペラペラ喋り出すに決まってるんです(こないだのライブの私のように)。また「踊り」という行為はどうしたって想いがこもるものです。だから私は「自分の想いを込めようとしたり言いたいことを考えたりする必要は踊り手にはなし」という立場をとります。
だいたいおしゃべりな人には「まあ、それよりヒトの話聞こうよ?」って言うでしょ?それと同じ。踊り手なんて目立ちたがりやばっかりなんですから。
勿論ものごとには例外がつきものですから、「踊り手なのに無口」って人もいます。無口っていうのは本当に口数が少ないってことじゃなくてね。踊りが雄弁じゃないっていうか、自己顕示欲がないっていうかね。そういう人もモチロンいます。そういう人には「もうちょっと前を向こう」とか「矢沢永吉をyoutubeで見てくるように」という別の課題を出しますが、まあ、大抵の踊りを習う生徒さんは「踊ったろか」という人が多いです。そこの人ごとみたいな顔してるアナタ。アナタもそうですよ?
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で、そういうわけで、また元の話に戻って、歌です。
歌が中心となってまわる「普通の音楽」というものと「フラメンコ」は「歌が主体というところで同じである」という考えを私はとっています。だから聖子ちゃんもブレリアも「一緒」と考えます。
さて、まあ聖子ちゃんもいいですけど、こんなのを一つ見ましょうか。
It's Probably Me
たまりませんね。
スティングが好みでなければお好みの「ゆったりしていてリズムがしっかりしてる歌」を聞いてみて下さい。
さて、この歌からドラムやキーボードを全部なくして歌声だけ取り出したら、歌からリズムは聴こえてくるでしょうか?
どうですか?
たぶん、聴こえます。
息をすったり止めたり、言葉をのばして止めるところ。全部リズムがあって歌があるから自然にリズムと一緒にいるから。
では私が真似して歌ってみたらそんな風に歌えるでしょうか?
それはなかなか難しい。たぶん「リズムのない伸ばしっぱなしの歌」になってしまうでしょう。どこかの風呂場から聴こえてくる歌声のように。
フラメンコの歌=カンテは一見「リズムのない歌」に聴こえるものです。しかし踊りと絡むカンテにはリズムがあります。この歌のようにです。
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えー、そんな私スティングになりたいわけじゃないし!!
という声がきこえてきました。
その通りです。
私たちは踊ることを目指しています。歌うことではありません。
だから「自然にリズムと一緒にいるから唇とんがらせるところまでいいところ」みたいな追求は歌い手を目指す方達にしてもらいましょう。
ただ私は「踊りは拡声器である」という考えですので、つまりこの「It's Probably Me」であれば、踊りは歌であり、ドラムであり、ギターであり、キーボードであり、暖炉の火であり、映像に出て来ないサックスかなにかの音なのです。
だから極めるのならばその全部の音に精通できればベスト。極めるのが無理ならば、というか無理なので、ダッサイ歌いかたでもいいからちょっと歌詞を覚えて歌ってみたい。四拍子くらいにははめたい。ドラムの真似くらいしてみたい。
そんな風に思うのです。
というか真似くらいしなくてどうやって踊るの?と思うのです。せめて四拍子くらいにははめて歌えるようにならないと何もはじまらないですよね。
だから歌います。歌詞とリズムを重ねることも、アーって伸ばした声とリズムを共存させることも、全部それは最終的に踊りになるからです。
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実際フラメンコの歌というのは「It's Probably Meを歌うね」という風ではなくて、「スティング歌うね」くらいの大雑把な分類分けになってますから、ひとつの歌を覚えたからといって、それを歌ってもらえるわけではありません。ただ、「スティングってこんな歌もあるんだ」っていって歌ったり真似したりしたら少しは理解が進むし、ぐっときてみたり、泣けてしまったり、そんなことがおきます。
それはスーパーでBGMで流れているスティングとは全然違うものになるのです。
BGMだと思っている音楽からは何も感じません。
不思議なもので、それをBGMだと思った時点で何も感じなくなるのです。
上手い下手ではなくて、何かを感じる踊りが私は好きです。
それはBGMをしたがえて自分が素敵になることを考えている踊りではなくて、音をつかまえて音に感じて動いている踊りだと思っています。
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ああ、どうしましょうか。
またもや「ぷぷっ、センセー。あれってさあ、”はじめてフラメンコやりたいな!わ!町田にフラメンコ教室がある~。なになに?クラスの紹介?っていって見る人がいたら、、、ドン引きだよね!!」という展開になってしまいましたよ。
まあ、いいんです。こういう意見もありましたから。
「来てみてビックリよりはずっといいですよ!」
こんなクラスです。
よろしければ見学体験など是非おこしください。
6月1日から一般受付開始いたします。
また続きも書くかもしれません。
クラスの紹介1、2…大変共感しつつ読ませていただきました。こういうわたしだからえこちゃんを好きになったのか、えこちゃんに源流を作ってもらったのかわかりませんが、わたしも後ろから追いかけます!
いやいやー、どんどん前いっちゃって!!また今度ご一緒できたらいいねー。