えんどうえこばなし

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自由を手に入れる

2010-06-25 14:40:55 | えこばなし
「自由」という言葉、実はあまり好きではなかった。

わたしにとって「自由」は、どちらかというと「わがまま」「自分勝手」という言葉を連想してしまうものであった。自分に課せられた責任とか義務とかをポンと放り投げてどこかへ行ってしまう、というイメージ。
それはわたしにとっては羨んでも羨んでも手に入らない奔放さである。
別に子どもがいるから、とか病身の母がいるから(いないけど)、とかいう環境の話ではなく、そういう性格なのである。わたしはいつでも今年の税金のことを心配しているような骨の髄まで日本の小市民なのである。

そういえば「日本人」に「自由」はあまり似合わない。
わたしは自由人ではない。

ただ最近「自由を広くする」ということを意識している。
幼稚園から小学校にあがって行動範囲が広くなり、自転車にのれるようになって更に広くなる。更に中学生になって電車にのればどこまでもいける。
でも、いまは自転車や電車にのる話ではない。
幼稚園から小学校にあがって行動範囲が広くなるのは、歩けるようになるからだ。
道に迷わないことも大切だ。
そして今度は荷物をかついで歩けるようになって、
地図を読めるようになったらどうだろう。
相当行動範囲が広がるだろう。
自由が広がる。

電車や飛行機やロケットに飛び乗ってピューン、とひとっとびする、限りのない(本当の)自由さは、わたしには無理だ。そういう自由さは多分人を選ぶ。
だけど、荷物をかついで歩いていく自由さだったら、わたしにも楽しめる自由さだ。
限りのある自由を広げて行くことは、まさに小市民向けのやりかたである。

重い荷物をかついでどこまでもご機嫌で歩けるようになったら、わたしはわたしの自由を手に入れることになるだろう。
どんなリズムをも正確できれいに奏でることが出来たら、わたしはまたわたしの自由を手に入れる。

わたしの手に入れた自由は、一緒にいるひとを楽しくすることが出来るだろう。

重い荷物で不機嫌になってこどもにやつあたりすることもなく、
一緒に舞台に上がる人を不安な気持ちにさせることもなくなるだろう。

もちろん、どこまでも歩くことなんて出来ない。おなかがすけば不機嫌になるし、足が動くにも限界がある。だけど、ちょっと、ほんのちょっと遠くまで、ほんのちょっと重たい荷物を持って、ほんのちょっときれいな音が出たら、自由は広がって行くんだ。

そんなことを考えて練習していたら練習が楽しくなっていて、まだ練習期間は続いている。

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