やっぱりクロたは元気がなくて、ごはんになると今までは飛んできてガツガツ食べてたのに今朝はぼんやりと見てるだけ。目の前にまでごはんを持って行くとようやく食べ始めた。
そして半分くらい食べたところでナツに奪われて、ほかほかベンチ(今はほかほかしてない)に入って行ってしまった。
昼のレッスンが終わって家に帰ると、クロたはベンチの脇にぼんやりと座っていた。
さすがにおなかすいてるんじゃない?とごはんを出しても食べない。なんだかやつれたみたいな顔でフラフラ~と再びベンチ内に戻ってしまった。
聞けば、昼にトイレに出てきたときに吐いたという。
どうしよう!なにか食べないと。
そうだ、ミルクだ、ミルクあげよう。
早速スーパーへ走り「ねこちゃんのミルク」というやつを買ってくるが、まったく食いつかない。
しばらく様子をみていたがまるで飲んでる気配もない。
どうしよう!クロたがしんじゃう!
ーーーーーーーーーー
私は手にガンが発見されて入院したことがある。
同室の人たちもやっぱり同じタイプのガンの人が何人かいて(悪性軟部腫瘍というタイプで珍しいのであまり治療法が進んでいない)抗がん剤でげーげー苦しみながらも効果がなかったと聞いたり、「ここにも腫瘍ができているんだけど、もう先生は手術してくれないんだよ(全身に広がっているから最早一個一個取っていられない)」と聞いたりした。
わたしは幸運にも発見が早く、腫瘍を取る手術とそれにまつわる手術が3回くらいあっただけで化学療法はやらずに済んだのだが、「再発しても抗がん剤治療はやらない。その時はちゃんと死ぬことにする。」と家族に宣言したりしていた。苦しくて効果がなくても一度はじめてしまえば後戻り出来ない。そう思ったのだ。今はどうなんだろう、少しは治療法も進んでいるんだろうか。
この経験は大きくわたしの生き方を変えた。
生きるのだ。
自分で生きれるものは自分で生きるのだ。
自分ひとりではちょっと難しいとなったら、その分だけ誰かの手を借りるのだ。
でもその分だけでいい。
過剰になりすぎてはいけない。
それはあくまで「手を借りる」であって、それに支配されてはいけない。
本当に、それはあの入院と手術の日々で身にしみて思ったことで、それから私は風邪くらいで病院にはいかないし、子どもにもいかせない。具合が悪ければ自力で治す。治すのは薬じゃない。自力なんだ。生きる力で治すんだ!!太刀打ちできない事態や助けが欲しい時以外はぎりぎりまで自力で治すんだ!!
ーーーーーーーーーーー
そして度々このブログで書いているが「ペットは自分」である。
だからなにかと病院に通う人はペットのこともすぐ病院につれていくだろうし、私のような「自力で治せ」タイプの人はペットのことも「野生の力を信じろ(野生じゃないけど)」と思って病院にいくタイミングが遅くなるのだと思う。
それでいいのだと思う。
ペット本人がどう思っているかなんて本当にはわからない。
だから飼い主がやりたいようにやればいいのだと思う。
病院にすぐに行く人は、行かない人に「飼い主失格だ」と言うかもしれない。
行かない人は、苦しい治療を続ける飼い主に「それはペットにとって本当に幸せなのか?」と言うかもしれない。
でも、どっちが本当にいいのかなんてわかりゃしない。だからそれぞれの飼い主の哲学と人生にのっとっていればいいのだと思う。
ーーーーーーーーー
それで私がどうしたか、という話である。
私はクロたのげっそりした顔を見てうろたえた。
クロたが死んじゃう。このままだとクロたが死んじゃうとぽろぽろ泣いて、ベンチの中で寝ているクロたを無理矢理ひっぱりだして病院につれていった。クロたはキャリーの中であばれて意外と元気なところを見せたがそれでも連れて行った。
「もともと持っていた風邪が治らずに悪化したのでしょう。」
ということでインターフェロンと抗生剤の注射をした。
他のネコとは触れさせないようにということでまたミシン部屋に離したら、クロたはぴゅうっと走って行ってクローゼットの奥に引っ込んだ。
意外に元気なところを見て、わたしは再度ぽろぽろと泣いた。
診断を受けてなんだか安心した。別に状況はかわっていないのに安心した。
ーーーーーーーーーーー
生きる力が、なんていっておいてこのザマである。
クロたの生きる力を信じられなかった。
いや、そうじゃない。それならばいいのだ。クロたがどんな力をもっているか分からないから医者にいったのならば。そうではなくて、クロたの命の責任を負えなくなって逃げ出したという方が近い。
誰かに責任を預けたい。お医者なら、それを背負ってくれるだろう。
だから「風邪です」と「注射してもらった」というだけで安心している。ごはんを食べないことは変わりないのに。ぜんぜんクロた本人は元気になっていないのに。インターフェロンなんて本当にいいものかどうかわからないけれど、でも完全に丸投げで安心している。
ーーーーーーーーーーー
ということで自分の底の浅さを思い知ってしまったのだが、底が浅かろうと落ち着くことは悪いことではない。ただただ不安にかられて「クロたが死んじゃったらどうしようどうしよう」と泣くお母ちゃんが家にいるのは家族にとってとんでもなく迷惑だろうから、これでいいのだと思う。
クロた、よくなりますように。
かみさまかみさま。どうかクロたが元気になりますように。
そして半分くらい食べたところでナツに奪われて、ほかほかベンチ(今はほかほかしてない)に入って行ってしまった。
昼のレッスンが終わって家に帰ると、クロたはベンチの脇にぼんやりと座っていた。
さすがにおなかすいてるんじゃない?とごはんを出しても食べない。なんだかやつれたみたいな顔でフラフラ~と再びベンチ内に戻ってしまった。
聞けば、昼にトイレに出てきたときに吐いたという。
どうしよう!なにか食べないと。
そうだ、ミルクだ、ミルクあげよう。
早速スーパーへ走り「ねこちゃんのミルク」というやつを買ってくるが、まったく食いつかない。
しばらく様子をみていたがまるで飲んでる気配もない。
どうしよう!クロたがしんじゃう!
ーーーーーーーーーー
私は手にガンが発見されて入院したことがある。
同室の人たちもやっぱり同じタイプのガンの人が何人かいて(悪性軟部腫瘍というタイプで珍しいのであまり治療法が進んでいない)抗がん剤でげーげー苦しみながらも効果がなかったと聞いたり、「ここにも腫瘍ができているんだけど、もう先生は手術してくれないんだよ(全身に広がっているから最早一個一個取っていられない)」と聞いたりした。
わたしは幸運にも発見が早く、腫瘍を取る手術とそれにまつわる手術が3回くらいあっただけで化学療法はやらずに済んだのだが、「再発しても抗がん剤治療はやらない。その時はちゃんと死ぬことにする。」と家族に宣言したりしていた。苦しくて効果がなくても一度はじめてしまえば後戻り出来ない。そう思ったのだ。今はどうなんだろう、少しは治療法も進んでいるんだろうか。
この経験は大きくわたしの生き方を変えた。
生きるのだ。
自分で生きれるものは自分で生きるのだ。
自分ひとりではちょっと難しいとなったら、その分だけ誰かの手を借りるのだ。
でもその分だけでいい。
過剰になりすぎてはいけない。
それはあくまで「手を借りる」であって、それに支配されてはいけない。
本当に、それはあの入院と手術の日々で身にしみて思ったことで、それから私は風邪くらいで病院にはいかないし、子どもにもいかせない。具合が悪ければ自力で治す。治すのは薬じゃない。自力なんだ。生きる力で治すんだ!!太刀打ちできない事態や助けが欲しい時以外はぎりぎりまで自力で治すんだ!!
ーーーーーーーーーーー
そして度々このブログで書いているが「ペットは自分」である。
だからなにかと病院に通う人はペットのこともすぐ病院につれていくだろうし、私のような「自力で治せ」タイプの人はペットのことも「野生の力を信じろ(野生じゃないけど)」と思って病院にいくタイミングが遅くなるのだと思う。
それでいいのだと思う。
ペット本人がどう思っているかなんて本当にはわからない。
だから飼い主がやりたいようにやればいいのだと思う。
病院にすぐに行く人は、行かない人に「飼い主失格だ」と言うかもしれない。
行かない人は、苦しい治療を続ける飼い主に「それはペットにとって本当に幸せなのか?」と言うかもしれない。
でも、どっちが本当にいいのかなんてわかりゃしない。だからそれぞれの飼い主の哲学と人生にのっとっていればいいのだと思う。
ーーーーーーーーー
それで私がどうしたか、という話である。
私はクロたのげっそりした顔を見てうろたえた。
クロたが死んじゃう。このままだとクロたが死んじゃうとぽろぽろ泣いて、ベンチの中で寝ているクロたを無理矢理ひっぱりだして病院につれていった。クロたはキャリーの中であばれて意外と元気なところを見せたがそれでも連れて行った。
「もともと持っていた風邪が治らずに悪化したのでしょう。」
ということでインターフェロンと抗生剤の注射をした。
他のネコとは触れさせないようにということでまたミシン部屋に離したら、クロたはぴゅうっと走って行ってクローゼットの奥に引っ込んだ。
意外に元気なところを見て、わたしは再度ぽろぽろと泣いた。
診断を受けてなんだか安心した。別に状況はかわっていないのに安心した。
ーーーーーーーーーーー
生きる力が、なんていっておいてこのザマである。
クロたの生きる力を信じられなかった。
いや、そうじゃない。それならばいいのだ。クロたがどんな力をもっているか分からないから医者にいったのならば。そうではなくて、クロたの命の責任を負えなくなって逃げ出したという方が近い。
誰かに責任を預けたい。お医者なら、それを背負ってくれるだろう。
だから「風邪です」と「注射してもらった」というだけで安心している。ごはんを食べないことは変わりないのに。ぜんぜんクロた本人は元気になっていないのに。インターフェロンなんて本当にいいものかどうかわからないけれど、でも完全に丸投げで安心している。
ーーーーーーーーーーー
ということで自分の底の浅さを思い知ってしまったのだが、底が浅かろうと落ち着くことは悪いことではない。ただただ不安にかられて「クロたが死んじゃったらどうしようどうしよう」と泣くお母ちゃんが家にいるのは家族にとってとんでもなく迷惑だろうから、これでいいのだと思う。
クロた、よくなりますように。
かみさまかみさま。どうかクロたが元気になりますように。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます