東京に住んで居る姉と最近はよく話すことが多い、コロナウイルスの影響で
会う機会も少なくなったこともありおしゃべりします。
私たち一家は両親の故郷である糸魚川に、東京の下町から引き揚げてきたいわゆる疎開者である。
下町の家は東京大空襲で焼け野原になり、その後戻ることはできなかったと聞いた。一家7人である。
家もなく仕事もなく無理もない。当時の生活に追われ着の身着のままで、ふるさとに戻った両親の心情考えれば
妙にこの年になると考え深い。故郷に於いても転々と住むところを変えたと聞いた。
「そういえば荒れた土地を開墾して兄弟みんなでサツマイモやダイコンの収穫したね」
いろいろな人々に支えられての生活であったこと等話が尽きなかった。
激動の生活の中で支えてくれた両親に感謝。
多くの犠牲の元この国の今があること考えさせられた8月15日である。