皆さまこんにちは~(*ゝω・*)ノコンチャ☆
蒸し暑い日が続きますね~
こういう気候だと、汗もじんわりとネバつくイヤ~な汗で、不快さMAX
その上、こういうときの汗って体内のミネラル分が排泄されてしまうから、夏バテの原因にもなるんですよね。
わたしは夜な夜な、こむら返り(ふくらはぎがツルやつ)をするようになってしまって・・・イタイノヨネ~
それをツイッターで呟いたら、『塩分不足』だと教えていただいて、その後、塩分を普段よりも多めに採るように気をつけたら、お陰さまでこむら返りもすっかりなくなりました
塩分過多は良くないって、聞くけど、夏場はかえって不足に気をつけたいものです。
お塩も良いお塩だと、ミネラルが豊富でかえって身体にいいんですよね。
この時期は食中毒の防止と食欲不振に梅干がいいって言うけど、塩分を補う上でも梅干は好いですね
梅干に冷たいお茶漬けと谷中しょうが・・・日本の食文化は季節ごとの体調にあった滋味豊かなものなんだなと改めて思います。
さて、今日の本題。
最近、なんとなく『痛い人』というキーワードが浮かんできて、そのことについて自分なりに考えてみました。
まず、わたしが思う『痛い人』。
代表格は『履歴書』シリーズにも書いたわたしが初めてお付き合いした彼(コチラ)。
http://blog.goo.ne.jp/epicurean1974/d/20120311
他にもイロイロと職場で出会った痛い人達がいて、彼らを見ていて、どうやら『痛い人』には共通点がある、ということが判明。
その共通点とは
等身大のその人自身と、演出している自分がかけ離れている
ということでした。
例えると、宝塚の男役の方々はとても素敵だけど、彼(女)らは男性を演じるのは職業で、プロだから許せるけど、フツーに学校や職場で同じことをしている人がいたら、それは傍目から見てとても痛い人になってしまう。
わたしが昔付き合っていたジョニーもそうですよね。
両親ともに生粋の日本人で、名前にも『ジョ』なんて字はどこにも入っていないのに、自分のことをジョニーと呼んで、格好や仕草もアメリカンかぶれ。。。
結局そういった、素の自分とかけ離れた人物になろうとして、そのギャップがはたから見て『痛さ』を感じさせてしまうようです。
わたし自身もずっと仮面を被って自分以外の人間になろうとしてきたから、そうした痛い人達が自分以外の人物になりきようとしている気持ちもわからなくもないです。
でも、どんなに頑張って演じても、結局は自分以外の人物にはなれないんですよね。
仮面を被って演じているのもまた自分だといえば、確かにそうですが。。。
なりたい自分をイメージして、そのイメージに近づくために努力するのも素晴らしいことですが、でも、足りない、まだまだだ、といった向上心はややもすると欠乏感となって、やっぱり傍目には無理をしているように映ってしまうし、なんとなくガツガツとした印象を持ってしまいます。
イメージに届かない今の自分を認めて、その足りない自分すらも愛せる。
そんな人が自然体に見えて、周りにもかえって好い印象を与えるのかも、です。
巷では
異性(同性)にイタイ人と思われない言動は
というのが雑誌などの記事で特集を組まれていたりするけど、ようは、素の自分と言動が一致していて、今の自分自身を否定せずに、受け入れることができればそんなマニュアルなどなくても、誰の目にも痛い人とは映らないんじゃないかな
と思うのです。
ま、素の自分と言動を一致させて、今の自分自身を受け入れる、ということ自体が中々難しいのかもしれませんが。。。
でも自然体で飾らずにいることができたら、きっと、ずっと楽ですよね