皆さまこんにちは~(。・o・。)ノ こんにちゎぁ
今日は先日の記事の補足からです(・ω・)/ヨロ
先日の記事で、どんな人でも持つ、3つの問題の核について書きました。
3つの核とは・・・
無価値感と無力感と罪悪感
で、その中の罪悪感についてです
罪悪感とは
生まれてきてゴメンナサイ
というような、キリスト教でいう原罪意識的なものと説明しましたが他にもあります
その一つが、例えば
自分の母親がとぉーっても苦労の連続の人生だった・・・
苦労し続ける母の姿を小さいころから見続けてきて、いつの間にか自分の中に
お母さんの人生はホント苦労ばっかり・・・
わたしはお母さんよりも幸せになってはいけないんだ。。
というもの。
これは自分でも心当たりがある人と、全く自覚がない人と二通りのタイプがいますが、母親、あるいは父親との精神的な結びつきが強い場合、こういった
わたしは親よりも幸せになってはけない
わたしだけ幸せになるのはお母さん(お父さん)に申し訳ない
という
自分が幸せになることに罪悪感を持って
自分自身に幸せになることを禁止する・・・
ということがあります。
これは何も幸せに限ったことではなく、他には
親よりも認められてはいけない
とか・・・
これは例えば料理人とかで代々職業を受け継いでいる場合にあったりします。
いずれにしても、殆どの場合が両親ですが、自分の尊敬する人や慕う人に自分自身を重ね合わせてその結果
尊敬する人や慕う人を差し置いて自分だけ良い思いをしてはいけない
というもの。
これがもう一つの罪悪感になります。
自分だけが良い思いをしてはいけない・・・
というこの罪悪感を持つ人って結構多いんですよ
いずれにしても幼少期の身近な大人(大概は親ですが)の関係がすごく影響を与えます。
というか、
幼少期の身近な大人との関係がその後の人格形成や心、精神に・・・
そして人生にまで影響します。
とはいえ、すでにそんな大事な幼少期を過ぎてしまって、とっくのとうに大人になってしまった今。。
幼少期に自分が受けた心の痛手のことなんてすーっかり忘れてしまっている人が殆ど。。
しかーし
自分はすっかり忘れて記憶にはないはずの遠い昔のことであっても・・・
感情は、心は、はっきりと、つい今しがたの出来事のように覚えています
それは、何度も言いますが、感情や心には時間の概念がないからです。
自分が時間の経過とともに忘れ、時が過ぎ、大人になっても・・・
あの時、傷ついた心は何十年たっても、あの時の状態のまま存在し続けます。。
自分が、自ら心の傷に気づいて癒すその時まで。。
自分、自らが癒さない限りずっとその当時のまま傷つき続ける心はインナーチャイルドとなって、自らが癒されることを望み、そのために自分の存在をアピールします。
それが現実に様々な問題や不愉快な出来事となって現れるのです。
そして、幼いころ、何かの出来事で心が深く傷ついたあなたは、
もう、そんなことならわたしなんて、〇〇してしまえばいいんだ
と〇〇であることを自分自身に誓います。
その〇〇が観念となって、これまた現実に様々な問題や不愉快な出来事を自ら選んで引き寄せてしまうわけなのです。
結局、
こんなアホなことしでかす、わたしなんていらんわ( ̄  ̄ )ノ” ⌒* ポイッ!イラン
と切り捨てようとする自我の部分って、自分が自分の心を守るためにあえて創り出したものなんですね。
だからこそ、自分の足を引っ張るような問題(自我)はいらないモノだと、石ころのように自分から切り捨てるのではなく・・・
もともとは自分自身を守るための苦肉の策で創り出した自分の身替わりだったのだと、そのときの傷ついた幼い自分の心に寄り添いながら・・・
飴のようにしっかりと味わいながら自分自身に統合していって欲しいな。。
そう思います
とはいえ、
そんなー統合するって一体どーすれば・・・
となるかと思います。
ということで、次回はそこら辺のお話しおば(・ω・)/チャオ