美人塾~エピキュリアンのススメ~

『美人塾』の著者、高原めぐみのブログです。心地の良いこと、楽しいことを追求し、本当の自分らしさ美しさを探索していきます!

美しく生きる2

2011年06月16日 12時04分44秒 | 美人塾的・・・

***前回の続きです***

もちろん学校では、集団生活に必要な『ルール』は教え込まれますし、更にその場、その場で『暗黙のルール』なるものが存在して、『ルール』は生きていく上で非常に重要なファクターとなります。そして、そのルールに従わないものは必然的に「社会不適格」の烙印を押されて抹消されるのです。学校でも、大人の社会でも。

でも、それは『ルール』であって、『倫理』や『道徳』ではありません。

『ルール』は監視する目から逃れ、あるいは抜け道を探せばいいわけで、極論すると『法の抜け道』、『法の盲点』をついた悪徳非道だって『ルール』(法律)に触れなければそれが犯罪と言われる類のものであっても、何してもOKなのです。

まぁ、それで大きな被害がでれば『盲点』をカバーする法律が新たにできるわけで、でも、結局はまたさらに『盲点』をつく犯罪がでて、と、『ルール』に沿うと永久にイタチごっこが続くことになります。

一方、『倫理』や『道徳』に基づいた言動を求められた場合、いかに法律に触れず、犯罪にならないような行為であっても、誰も見ているものがいなくとも、それが『人として如何なものか?』という自問自答によって判断しますから、イオチごっこになるようなこともないわけです。

で、『ルール』と『倫理』『道徳』の違いを簡単にまとめると、

『ルール』は自分以外の人間や社会の価値基準に左右され、善悪の判断はあくまでも『ルール』に沿っているかどうかということ。

それに対し『倫理』『道徳』は法が認めていようがいまいが、判断基準はあくまで『自分』。自分の心に沿った言動であるかどうかが重要なので、他人や社会、法律は関係ないわけです。

例えば、電車で座っていて、立っているのが如何にもしんどそうなお年寄りが目の前に来たとき、『ルール』に沿えば、別にそのお年寄りのことは気にしなくていいわけです。

だって、席を譲らないといけないって法律は別にないわけですし、校則にもありませんから。先に座ったのは自分だと『権利』を主張すればいいのです。

前出の『モンスターペアレンツ』も同じです。

子供が持っている携帯電話を先生が没収して、保護者を呼び出して注意したところ、

「先生の呼び出しで学校に行くことになってパートを休まなくてはならなくなったのだから、その分のパート賃金を払え」

と学校を訴える。

笑えない冗談のような話ですが、実際、この類の話は結構あるようです。

でも、こんな不条理な話でも、『ルール』に沿って『自己の権利』を主張しているだけですから、こういった行為を規制する新たな『ルール』ができない限りは真っ当な主張になるわけです。

でもこれが『倫理』『道徳』に基づいて考えたらどうか?

電車の話でも、学校での話も、いくら自分の権利を主張し、認められたところでそれらの行為は「道徳観に欠けた浅ましい行為」、「人として未熟だ」となるのです。

***次回へ***

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