今日は、息子は共通テスト模試で朝から晩まで外出。
我々夫婦は、昨日は私の実家、今日は夫側の墓参り。
そして夕方に車の点検があるくらい、と、我々にしては
あまり予定がない1日。
いつもは午前中から動くのだが、今日はゆったり。
昨日買ってきたパンにオムレツを焼いたりスープ作ったり
食事も朝昼家だが、ちょっと豪華。
それでも、昼は早めにして、霊園へ向かう。
今日は気温は低いが日差しはタップリで風もないので
歩きにはもってこいの日よりだ、
墓参り後、霊園に車を駐めたまま、川沿いを散歩。
そのまま電車に乗って、先日再発見したコーヒー店へ行こう、となった。
(2店舗あって、1つを閉めてしまい、
もう1店舗がどこだか良く分からなかったのを見つけたのだ)
しかし、電車で確認すると、今日は臨時休業との事。
丁度、大きめの駅で停車中だったので、とりあえず下車。
ホームのベンチで、私が何か良さそうなカフェがないか検索した。
すると、紅茶の店があるらしいと分かったので、そちらへ行く事にした。
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沢山の茶葉から選ぶことができる。
テスターで香りを嗅がせて貰える。
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私は定番のイングリッシュブレックファストにスコーン。
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ちゃんとクロテッドクリームだった。
(夫がわざわざ店員さんに確かめていた・・・)
1個は夫行き(そんなにお腹空いてなかったから)
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夫はフレーバーティーに林檎のケーキ。
ケーキを少し味見させて貰ったけれど、美味しかった。
フレーバーティーはウイスキーの香りで面白かったが
私はスタンダードの方が好きだな。
店員さんもニコニコしていて感じが良く
何故か、BGMがエラフィッツジェラルドと
ルイアームストロングの共演版が流れていた・・・
紅茶にジャズ、不思議な取り合わせだが
私はエラの大ファンなので、非常に嬉しかった。
まぁ、エラの黒人シンガーとしてはライトで軽妙な声が
あまり重すぎないので紅茶にもあっているかな。
(ビリーホリデイやサラヴォーンとかだと重過ぎそう)
今年できたばかりのお店だそう。
また、一つ、地元近くにお気に入りの店が増えた。
最近、コーヒー店ばかり開発していたからね。
帰りのホームのベンチで電車を待っていると
突然70がらみくらいの男性から声を掛けられた。
「仲が良くて良いですね」
とっさの事に夫と顔を見合わせた。
それから、少し自分語りをする男性。
私はよく聞き取れなかったのだが
どうも配偶者と一緒にいられる状況ではない事は分かった。
当たり障りのない返答をして、何となくお茶を濁してしまった。
後で夫に聞くと、どうも妻君は鬱になってしまった、との事らしい。
その辺りが良く聞き取れなかったのもあるけれど
色々背負った人に対して、今、私が寄り添うのは難しいと思ったので
私にしては塩対応だったと思う。
勿論、ただ聞いて欲しかっただけだと思うけれど
その先を促すには、あまりにも、その人を知らないし
そして、現時点で恵まれている(夫婦で行動している)私たちが
何を言っても上からに聞こえるだろう。
私は幼少期から、人様に添う役回りの立場にいて
(障碍のある子のお世話係や介護のキーパーソン)
結局、仕事もそれに近い事(講師や臨床関係)を選び
何故か、こうして、知らない人から声を掛けられることも多い。
袖振り合うも多生の縁、人間は社会性の動物、いつか行く道・・・
微力ながら、少しでも自分と関わる人が笑顔になったり
少しだけでも息抜きになったりするのを見るのは嬉しいのだが
自分が幸福である事に水を差されるのはシンドイ。
(勿論、相手はそう思って声を掛けた訳ではないだろうが)
私は生育歴もあるのかもしれないが
楽しい事があっても「この幸せは続かない」
少しでも嫌な事があると「やっぱりね」と思うタイプだ。
だからこそ、ささやかな幸せを感じるときに影が差すと
その思考に持って行かれそうになってしまう。
幸福の罪悪感
夫と過ごす幸せも永久ではないからこそ
人生後半戦、1日1日かみしめていきたい。
自分の身の丈に合わない
自己犠牲をあまりにもしてきた人生だった。
器は小さく、本来は自分勝手な快楽型の人間なのに
真逆の行動を求められ(求められていると思い込み)
そうしなければ自分の居場所がないと勘違いしてきた。
今は、自分の本質と、それでも、その役割を良しとする自分を認めつつ
無理のない範囲で人と関わっていこうと思う。(今更だけどね・・・)
何でもかんでも受け入れる必要は無いのだ。
でも、こうして、色々ここで感情を吐露しないといけないのは
やはり自分の行動に罪悪感があるからなのだろうなぁ・・・
こればっかりは、長年の癖のようなもので、仕方がない事なのかも。
だからこそあえて言う。
今日は暖かく、夫とゆっくり過ごせた良い一日だった。