心の学校・佐藤康行の『真我の実践・サンタ営業の実践』日誌…『ひよこ』から『にわとり』への道

うつに苦しみ社会離脱した人間が真我(=本当の自分)に目覚め、サンタ営業実践の日々と開発者・佐藤康行の言霊を紹介します。

【第339回】真我プロカンの落とし穴・・・【自説】真我プロカウンセリングはカウンセリングではない。~No.6~

2019-10-16 08:16:01 | 日記

前回より続きます。

今回、真我プロカウンセラーの「愛で翻訳ができない。」「愛の翻訳が難しい。」という悩みに対しての処方箋を書こうと思っていましたが、

もう少し前回の話を続けることにしました。

(※なお、一旦ブログをアップしましたが1時間後に、加筆しました。先にブログを見て頂いた方、よかったらもう一度読んでみてください。最後の方を大文字にして付記しました。)

真我プロカウンセラーが陥りやすい落とし穴があるように私には思います。

もちろん、私にもそういう経験があるからなのですが・・・・(笑)。

それは、

✖真我プロカウンセラーが、相談者の先生になってしまうこと✖です。

私が、よく陥るのがこんな感じです。

『相手が見えていない世界。相手が気づいていない世界、でも「私には見えているその方の素晴らしい世界」を私が教えてあげよう。』と、教えに走るのです。 

真我プロカウンセラーが、相談者を下に見て、上から目線で、

『貴方は気づいていないが、私はこんな事に気づいているんだよ。私は貴方より素晴らしいことに気付いているでしょ。私の指摘していることは素晴らしいでしょ。』

相手より、『私が』優れていることに有頂天になってしまい、悦に入ってしまうのです。

まさに、佐藤学長が仰る、相談者を三日月として扱い、その欠けている部分を足して、満月にしてやろうという、『かぶせ』の発想になってしまうのです。

その人は、もともと満月で欠けている事は一つもないのに、

カウンセラーは、目の前の完全完璧な方を、不完全な人と扱い、

さらにカウンセラーである私は、完全完璧で、相手のためにとても素晴らしいことを言っているのだと、私自身に酔ってしまう。

んな事が観えて、素晴らしい愛の翻訳ができる私は、何て素晴らしいカウンセラーなんだろう!!と。

さらに厄介なのは、誰しも潜在意識の中に、人より優れていたいという気持ちが無意識にあるので、

カウンセラー自身もその事を自覚できていないことだと思います。

だから、なかなかカウンセラーも、その事に気付けない。

しかし・・・・私から発した、素晴らしいはずの愛の翻訳の言葉を、相手は理解してくれない。

あー、やっぱこの人は理解力の無い人だ、見えていない、私の言っているレベルの高い内容は、この人にはわかるわけないか。

私の、素晴らしいプロカンでも、この人は良くならないから、この人は相当難しい人だ。困ったもんだ……。

という事が、以外とありがちな気がします。

いつの間にか、

カウンセラー『が』主役になってしまい、相談者を『材料』にして、自分だけが喜び、悦に入っていこうとする。

『相手のため』ではなく、『カウンセラー自身の喜びのため』に「愛の翻訳」をしようとした瞬間、相手の心、相手の世界が見えなくなり、愛の翻訳ができなくなる。

こんな感じではないかと思います。

かなり極端に書きましたが、真我プロカンのみならず、一般のカウンセリングにおいても、こういう事が少なくないのではないかと私は思います。

✖完全に自分中心のカウンセリング。✖

まさに、佐藤学長の仰る「サンタ営業、ドロボー営業に」当てはめると、完全な自分中心のドロボーカウンセリング✖に陥ってしまうのです。

100%相手中心の、サンタのカウンセリング、即ち、真我プロカウンセリングとは、完全に真逆なのです。

じゃあ、どうすれば、サンタのカウンセリング、真我プロカウンセリングができるようになるのでしょう。

佐藤学長より直接学ばせて頂いた、私なりの答えを、次回に書きたいと思います。

ありがとうございました。