心の学校・佐藤康行の『真我の実践・サンタ営業の実践』日誌…『ひよこ』から『にわとり』への道

うつに苦しみ社会離脱した人間が真我(=本当の自分)に目覚め、サンタ営業実践の日々と開発者・佐藤康行の言霊を紹介します。

【第350回】満月という前提No.6~見ようするんじゃない、観えてくるんだ~

2019-10-24 11:33:35 | 日記

内容としては

【第345回】※加筆修正※満月という前提NO.4~観える世界、神える世界へ~

の続きになります。

(リンクが貼れず、すみません。)

佐藤学長の提唱される『満月の法則』

その急所である『満月という前提』という言葉。

満月の法則を極めていくには、たった1つ、この『前提』という言葉だけで良いと思っています。

『満月という前提に立つ』だけ。たったそれだけで良いと思います。

但し、この立ち位置から1ミリもぶれてはいけない。

そして、『満月を見よう』としては行けない。

なぜなら、私たちには、『満月は絶対に見えない』からです。

私たちは認識の世界で生きているので、実相の世界は見えない、絶対見えないのです。

ここで、

【第348回】満月という前提No.5~お願いだからスタッフの方へ『佐藤学長には見えている』と言わないで下さいという個人要望です。

と関連してきますが、心の学校のスタッフが、『いや、佐藤学長からは見えているんです。』と言ったりしているのは何なのか?という話になってきます。

ここからは、あくまでも私の個人的意見ですが、

佐藤学長にも実相の世界までは見えきれていない。

見える訳がない。

なぜなら、佐藤学長も、同じ人間だから、同じ肉体をもち、五感、六感を持ち、認識の世界の中で生きているから。

佐藤学長でも、実相が見えている訳ではない。満月が見えている訳ではないのです。

私たちも、佐藤学長にも、三日月しか見えていないのです。

しかし、私には三日月にしか見えない、その月は『満月』なのです。

だから、私たちは、佐藤学長も含め『満月という前提』に立つのです。

佐藤学長も、私たちも一緒なのです。

私たちと佐藤学長には、何ら違いはないのです。

しかし、佐藤学長と私たちには決定的な違いがあります。

それは、何か┅┅┅

次回に続きます。

ありがとうございました。