内容としては
【第345回】※加筆修正※満月という前提NO.4~観える世界、神える世界へ~
の続きになります。
(リンクが貼れず、すみません。)
佐藤学長の提唱される『満月の法則』
その急所である『満月という前提』という言葉。
満月の法則を極めていくには、たった1つ、この『前提』という言葉だけで良いと思っています。
『満月という前提に立つ』だけ。たったそれだけで良いと思います。
但し、この立ち位置から1ミリもぶれてはいけない。
そして、『満月を見よう』としては行けない。
なぜなら、私たちには、『満月は絶対に見えない』からです。
私たちは認識の世界で生きているので、実相の世界は見えない、絶対見えないのです。
ここで、
【第348回】満月という前提No.5~お願いだからスタッフの方へ『佐藤学長には見えている』と言わないで下さいという個人要望です。
と関連してきますが、心の学校のスタッフが、『いや、佐藤学長からは見えているんです。』と言ったりしているのは何なのか?という話になってきます。
ここからは、あくまでも私の個人的意見ですが、
佐藤学長にも実相の世界までは見えきれていない。
見える訳がない。
なぜなら、佐藤学長も、同じ人間だから、同じ肉体をもち、五感、六感を持ち、認識の世界の中で生きているから。
佐藤学長でも、実相が見えている訳ではない。満月が見えている訳ではないのです。
私たちも、佐藤学長にも、三日月しか見えていないのです。
しかし、私には三日月にしか見えない、その月は『満月』なのです。
だから、私たちは、佐藤学長も含め『満月という前提』に立つのです。
佐藤学長も、私たちも一緒なのです。
私たちと佐藤学長には、何ら違いはないのです。
しかし、佐藤学長と私たちには決定的な違いがあります。
それは、何か┅┅┅
次回に続きます。
ありがとうございました。