前回に続きます。
というよりも内容としては、前々回より続きます。
前々回のリンクです。ご参照下さいませ。
https://blog.goo.ne.jp/estukoi/e/460a9c09a2019e2fcb5cf6fbd3d396c1
さあ、佐藤学長の仰る『満月という前提』という言葉。
たったこの一言の言葉の意味が深いこと深いこと。
本当に深いなあと実感します。
実は、最近、佐藤学長の仰る『満月の法則』。
この言葉自体には、ちょっと遠ざかっていたので、正確ではないかもしれませんが、私の一個人の解釈を書かせて頂きます。
あくまでも一個人の意見になりますので、真理を指し示していないかもしれませんが、よろしくお願いいたします。
佐藤学長は、満月と三日月に例えて、真理を伝えています。
満月は実相、三日月は私たちの認識の世界を指し示しています。
言い換えれば、満月は無限の世界、三日月は有限の世界だと思います。
そして、この『満月という前提』という言葉が次に来ます。
この『満月という前提』という言葉が、認識の世界に生きている私たちと、実相の世界、無限の神なる世界とをつなぐマスターキーだと思うのです。
特に『前提』という立ち位置にたった瞬間に、私たちの認識の世界で見えてくるものがある。
これが、まさに佐藤学長の仰る、『観える世界』『神える(みえる)世界』と思います。
昨年、開催された、佐藤学長が講師の『サンタ営業 コトバ編~初めに言葉ありき、言葉は神なりき~』というセミナーでは、『言葉』の領域をはるかに越えた、『神シーズ』について深堀りするという内容に進化していましたが、
そのセミナーの午前中には佐藤学長と受講生との禅問答のような会話がひたすら続きました。
佐藤学長と受講生の会話が、全く噛み合わないのです。
その中の一つに、確か、こんなやりとりがありました。
受講生『満月を見ようとするが、満月が見えません。三日月にしか見えません。どうしたらいいでしょうか?』
佐藤学長『満月を見ようとするんじゃない。満月なんです!。』
このやりとりの中に、私たちがこの肉体を持つ三次元の世界の中で、真理を体現していく急所が見え隠れしています。
そして、この噛み合わない会話をつなぐのが、『満月という前提』という言葉なのです。
実は、これこそが、真我プロカンの急所でもあります。
次回に続きます。
ありがとうございました。