杉下右京は手話を使えた!
昨日、図書館に予約していた「相棒5下」を借りてきた。最初の一編のタイトルがこれ。
一気に読み、午後、同タイトルのビデオを借りてきて見た。なかなか良い作品だった。
「バベルの塔」とは、旧約聖書に書かれている伝説上の塔。
人類が傲慢になり、天にも届く塔を建てようとしたことに神が怒り、
それまで1つであった人間の言葉を通じなくさせた。そのために、工事を中止し、
関わった者たちは、地球上の各地に散ったという逸話からきている。
手話を含めたさまざまな言葉を使うもの同士が、伝えようとする意思の必要を描いた、
というのが今回のテーマだろうか?
今回の作品では、難聴の女児が一定の役割を果たす。何歳の頃かわからないが、
高熱のため聴覚をうしなったという設定。映像では、3歳以降のように見えた。
女児は手話で会話をする。声がおかしいと笑われるので、普段声を出さないという。
しかし、3歳以降であれば、音声言語を獲得しており、手話に頼るのは不自然だ。
普通学校に通っていれば、手話を獲得することはさらにまれになる。
また、聾学校の幼稚部あるいは、小学部に行っていれば、手話は使わないことが多い。
東京の聾学校では手話を教えないことが多い。教える学校もあるかも知れないが?
ただ、ここは家族の考え方にもよるので、手話を使う可能性もある。
地域の手話サークルにでも通わないと覚えられないことが多い。すべてではないが。
ドラマでは、1~2年前に聴覚を失ったらしい。母親も手話が上手という設定は不自然。
また、「右京は完璧な手話で」と書いてあったが、映像で見た限り、そこそこの手話。
これは無い物ねだりかもしれない。であれば「完璧な」という表現は避けた方が良い。
ところで、手話がどうドラマの中ではたらくのかというと、犯人に知られないうちに、
右京と関係者が手話で連絡をするというもの。声を出さず、離れた位置で伝える。
これはドラマでよく使われる設定であり、可能であるが、手話を知らない人には、
興味本位な印象を植え付ける恐れがあり、いかがなものかと思う。
今回は使われていないが、手話コーラスなどの取り組みも同レベルだ。
などなど、難癖を付けたが、好きなドラマだけに細かい点が気になった。