悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

手話通訳

2019-06-27 18:59:59 | 手話

ろうの知人に頼まれ、診察時の手話通訳として、ある病院に行った。
予約時間を待っていると、知り合いのろう者が派遣通訳者を伴って受付に姿を見せた。
簡単な挨拶だけしてそれぞれに分かれた。私は未登録なのでめったに手話通訳はしない。
本来は、通訳者として登録し、それなりに研鑽をしなければならない。
30年近いブランクがあるし、今更地域の手話サークルに通うのもしんどい。
登録すれば、通訳依頼がきて、土日に多いウォーキングへも出かけにくくなる。
30年前、それも理由の一つとして、手話奉仕員(旧制度)の登録を取りやめた。
10年ほどやってみて、手話通訳はかなり難しい業務であり、精神的にも負担がある。
不可能ではないにしても、後期高齢者がこれから取り組むべき仕事ではないだろう。

今日会った通訳者は、かなり以前から知っている人で、私が最も信頼している人である。
私のつまらない手話指導を早めに切り上げ、地元のろう者から直に手話を習う道を選んだ。
その後、そのろう者の話を聞きたいという、地元の教育委員会からの依頼があった。
「ろう者の子育ての苦労」を学校の保護者会で話してほしいというものだったそうだ。
それは、ろう者が直接手話で語るのではなく、通訳者が語る添え物としての位置づけだった。
教育委員会では、障害者を前面に出すと、「さらし者」のようで、望ましくないと言う見解。
その人は、手話を学び始めたばかりの自分が語るのではなく、ろう者が手話で語るのを、
伝える立場に徹したいと、やりあったそうである。準備にはかなり時間をかけたと聞いた。
この話を後日聞いた時、この人は信頼できる人だと思った。
それで、私が職場で手話通訳を必要としたときは、その人を依頼するようにした。
手話通訳の指導者を紹介してほしいという依頼がいくつかあったが、その人に話を振った。
その人は、もう30年以上手話にかかわっている。私とは雲泥の差、月とすっぽんである。

今日はわりに楽に歩く決心がついた。




  
今日は握りを持ってこなかった。家に帰ってから腹が減って困った。