行政に携っていた身として心痛むニュースを聞いた。
詳報には接していないが、もっと適切な対応ができなかったものか。
せめて医師の診察を受けてさえいたら、別の対応に向かったはずの事例だ。
合理主義、経済優先の逆風が吹いていたのだろうか、放置という処置を取ってしまった。
だが、一般的に理解しにくい行動をとる人に対する視線は、おおかた冷たい。
今回は、脳梗塞を起こしていたらしい高齢者が、不可解な行動をしていたことから、
今回の対応につながってしまった。
知的障害をもつ他人、認知症の他人、耳の聞こえない他人、みな他人のことだ。
身内にいれば、冷たい視線、対応にはならないことが多い。
いても知らんぷりということはありうるが、少なくとも軽視はできないだろう。
つい、不謹慎ながら、基本的人権を享受されていない一部の高貴?な人々の家族に、
差別を受けている人と同じ障害、不幸があれば、理解が進むのだがと、夢想する。
例えば、その対象者が耳が聞こえなかったり、目が見えなかったらどうするのか。
難病者であったり、脳性麻痺であったりすることもあるだろう。
公務に堪えないとして、除外する規定でもあるのだろうか。
そのまま、就任?させるだろうか。闇から闇、だろうか。
私は、その可能性が高いと思う。
私は、少なくとも雲上人のいない社会、に住みたい。
そうすれば、平等がもっと徹底した社会になると夢想する。
今日の歩きは久しぶりのコース。