ブログデビュー竜田

あっちこっちの・あんなことこんなこと

ふくまる体操の広場

2022年06月28日 | 健康体操

6月25日 毎月曜日(ほぼ)開いている「ふくまる健康体操」の広場ももう少しで4年になります。警報とコロナ自粛以外は休まず続けてこられました。皆さん少しですがお金を払いながら参加していただいています。顔も声も覚えて親しく話をされています。参加は自分で決めて、これるときに来ておられますが、多くの方が皆勤されています。ただの一期一会ですが、大事にしていただいています。休まず続けていくつもりです。

            

毎週ある、まちがいのない現実です。貴重な経験です。 お近くの方は一度参加してみてください。人数制限緩和されました。


哲学カフェ㊴

2022年06月28日 | レモングラスカフェ

6月21日 日にちが少し過ぎましたが、レモングラス哲学カフェが池田「ばんまい」で開かれました。レモングラスカフェのお店はなくなりました。少し場所を変えながら・・グラスティーを飲みながら続いています。雨と平日ということで5人の参加でした。 

お題は「夢と物語」「濃密な現実と仮想現実」でした。最初に物語について話が進みました。過去につながる感じ、意図をもって語られていることが多い教訓教え。語るものは自分ではなく、他者そして主観的思惑があるかも。夢物語には自分に中心が移り将来を想像し創造してみる作業。ただ非現実とか仮想に近い印象がある。夢は物語しがたいくらい見つけにくくなっている。 ヒューマンヒストリーあるのかないのか?  現実感については今はあふれるくらいの情報が飛び込んでくる。知らず知らずのうちに自分の現実に沿う耳障りの良い仮想情報を選択して考えを固め正当化する傾向にあるのでは。発信側もこちらに受け入れやすい同調しやすい情報を知って流す。 とはいえ目にできる現実は多くない。それでも体感する現実をなるべくたくさん経験しながら、しっかり見間違わない心構えは持っていたいと再認識。 断定は避けたい。


くちなしの花

2022年06月22日 | 日記

6月19日 昨年に物理の寺子屋先生Mさんからいただいていた、くちなしの花が一輪咲きました!これといった世話もせず虫に食べられそうになりながらもしずかに開きました。香りがとても主張しています。紫陽花は今年は? 

やはりなぜか、渡哲也の「くちなしの花」の歌詞を思い浮かべます。

くちなしの花の、花の香りが、旅路の果てまでついてくる♪

 


市民活動交流センター

2022年06月19日 | キッズ・抱っこ

6月16日 今までコミュニティセンターで様々な活動をしてきました。今までのセンターが閉館になり新たに交流センターがオープン、活動場所が変りつあります。

当日「だっこ」としてのセンター初活動になりました。

建物は清潔で機能的な感じです。会議室などありますが、ワンフロアーの開放スペースでは子どもたちの空間も確保され利用がしやすい感じがします。これからPRされて利用度をあげてほしいと思いました。 ただ前のコミセンと違って、共益活動での会議室使用も有料になりました。利用料は少額ですが・・・活動自体がほとんど無償でもちだしです。配慮が欲しかったと思います。範囲・程度ありますがきめ細かい目線ほしいものです。

フリースペースにキッズプレイルーム見える化と防音徹底で

いい感じの空間です。利用自由とのこと 


花菖蒲まつり梅雨前

2022年06月13日 | 日記

6月11日12日 池田の水月公園で花菖蒲まつりが行われました。       中止が何年か続いての開催でした。 日曜日に行きました。

凄い人出で子供たちも大喜びまつりを楽しんでいました。         月並みですが、みんな集まれることを待ち望んでいたよう        に感じました。地元の子供会の父兄のかたも大活躍でした。

見ごろの菖蒲を演出してくださった、公園管理のみなさんに感謝。

園内で紫陽花もしっかり咲いていました。 見ごろはこれからです

 

 


三田の畑(夏支度)

2022年06月11日 | 日記

6月9日 天気と相談して急ぎ三田の畑に行きました。 夏を迎えるまえのジャガイモ収穫をしました。株をたくさん植えましたのですこし小ぶりですがおいしそうなメークインがたくさん採れました。

そして、夏野菜の世話を友人Aご夫妻がされています。トマトとゴーヤなどまたうれしい野菜を仕込んでくれています。感謝感謝

                              

          


哲学カフェ㊳

2022年06月03日 | レモングラスカフェ

5月29日(日) 哲学カフェに参加しました。8名の参加者がありました。

今回のお題は「助け合うとは」「自立するとは」の2題でした。関連がありそうな2題でした。 助け合うということの発議としてファシリテーターより、経験から移転するときに物の交換など含め助けられた経験ある。助け合いは無償?生きることを守る?など散発の発言があり、集団そのものが助け合う要素がある・・援助 助けが分業で見えない・助け方に?何かを生み出せる力ありや。導く事がいるのでは。周りを意識して(左右されて)助けにくいなど。助けること助け方などに意見が多くなる。 ただ助けるということは助けてもらう方と一対対象と発起があるはず。今までに助けてもらったこと、助けれなかったことの後悔などの深い経験が行為を形かしていると今は実感。あえて何故ということでなく、形かしている自分の行いには特に結果とか評価とか目的などはあまり大事なことでなく思いのままに、言わば自分勝手に手足を動かしているように感じています。身勝手かも

自立については しているつもりのあるある。 意見としては自分の置かれている位置を理解し、役割を果たす。 依存しない・規律をまもるなど 意外に疑う・反証するなどの方向の意見が自立として話されなかったのが?

自立とは自分の考えで生きていく決心のようなもの、いずれの方向にも思考をあきらめず見つめながらすごす・・難しいけど大事。

このごろ気づきの方向が反証的になってきた感じがあります。(相対的?)