ブログデビュー竜田

あっちこっちの・あんなことこんなこと

哲学カフェ㊴

2022年06月28日 | レモングラスカフェ

6月21日 日にちが少し過ぎましたが、レモングラス哲学カフェが池田「ばんまい」で開かれました。レモングラスカフェのお店はなくなりました。少し場所を変えながら・・グラスティーを飲みながら続いています。雨と平日ということで5人の参加でした。 

お題は「夢と物語」「濃密な現実と仮想現実」でした。最初に物語について話が進みました。過去につながる感じ、意図をもって語られていることが多い教訓教え。語るものは自分ではなく、他者そして主観的思惑があるかも。夢物語には自分に中心が移り将来を想像し創造してみる作業。ただ非現実とか仮想に近い印象がある。夢は物語しがたいくらい見つけにくくなっている。 ヒューマンヒストリーあるのかないのか?  現実感については今はあふれるくらいの情報が飛び込んでくる。知らず知らずのうちに自分の現実に沿う耳障りの良い仮想情報を選択して考えを固め正当化する傾向にあるのでは。発信側もこちらに受け入れやすい同調しやすい情報を知って流す。 とはいえ目にできる現実は多くない。それでも体感する現実をなるべくたくさん経験しながら、しっかり見間違わない心構えは持っていたいと再認識。 断定は避けたい。


哲学カフェ㊳

2022年06月03日 | レモングラスカフェ

5月29日(日) 哲学カフェに参加しました。8名の参加者がありました。

今回のお題は「助け合うとは」「自立するとは」の2題でした。関連がありそうな2題でした。 助け合うということの発議としてファシリテーターより、経験から移転するときに物の交換など含め助けられた経験ある。助け合いは無償?生きることを守る?など散発の発言があり、集団そのものが助け合う要素がある・・援助 助けが分業で見えない・助け方に?何かを生み出せる力ありや。導く事がいるのでは。周りを意識して(左右されて)助けにくいなど。助けること助け方などに意見が多くなる。 ただ助けるということは助けてもらう方と一対対象と発起があるはず。今までに助けてもらったこと、助けれなかったことの後悔などの深い経験が行為を形かしていると今は実感。あえて何故ということでなく、形かしている自分の行いには特に結果とか評価とか目的などはあまり大事なことでなく思いのままに、言わば自分勝手に手足を動かしているように感じています。身勝手かも

自立については しているつもりのあるある。 意見としては自分の置かれている位置を理解し、役割を果たす。 依存しない・規律をまもるなど 意外に疑う・反証するなどの方向の意見が自立として話されなかったのが?

自立とは自分の考えで生きていく決心のようなもの、いずれの方向にも思考をあきらめず見つめながらすごす・・難しいけど大事。

このごろ気づきの方向が反証的になってきた感じがあります。(相対的?)


哲学カフェ㊲

2022年03月26日 | レモングラスカフェ

3月20日 いつもの哲学カフェに行きました。このところ少し知名度があがり参加者が増えるようすです。ということで2回の開催になったようです。ということもあり、少人数でのゆっくりしたカフェになりました。

お題は 「時代や文化を越えるもの」「あるがままの自分とは」でした・時代や文化を越えるものについて、ファシリテーターは食べ物という例を挙げました。食べるものは本当に越えて変わっていないのか?食べなくなったもの食べるようになったもの様々。たしかに幅はそれほど大きくないのかも、でも時代文化を越えているのか?食文化とか言うくらい。ただ毎日の切り替えしのなかで意外に不変なものかも。発言にはひとの感覚、母性などがあり。変わらないものはいいも悪いも「ひと」ということなのかも。

あるがままの自分については、ひとまず欲望、感情というキーワードが出される。この言葉も、自分に向く言葉としては、思いのまま感じるまま素直に・・ただあるがままとは相手他者との関係が一方でありそう。自分の気持ち望み思いが他者に受け入れられないことの方が多い印象。ありのままの自分でいることは結構難しい。年齢を重ねると、分別と頑固(わたくし意識)の対極が強くなってきそう。頑固でないあるがままで行きたいとは感じるところですが

哲学カフェ 回数重ねています。すこし休もうと思っています。


哲学カフェ㊱

2022年03月02日 | レモングラスカフェ

2月27日 いつものレモングラスカフェに参加しました。定例化して参加しやすくなったこともあってか、参加される人が多くなってきました。今回はコーデイネーターもいれて10名で会場フルになりました。多くなり発言が次々で少し消化が遅れがちになります。 今回のお題は「ルールは何のため?」「同調圧力」についてでした。

ルールとは、社会を効率的にコントロールするためにできてきたもの。自然と生活生存の中から生まれた1次規範が意識無意識のうちにルールとしてなりたつ。人の社会が作られる過程で自分(近親)を維持する。時代が移り社会そのものを意識するようになり、自分と取り巻く環境を守るため意識して、いわば恣意的にできていったものがありそう。国・法律のスタートのように感じる。多数者と強者(権力者)難しい綱引きがある。正論・・・

同調圧力については、現代的テーマか話がたくさんでる。圧力を受けることについて、同調(多数)の感覚からは受ける側(いわば異端)の感覚が理解しにくいのかも。聞き流す。ほっておく、巻かれるなど割に軽い受け止めもちらほら。信条を守る貫くことは大変難しい事と思い多数の側のくみ取り理解もけっこうほしいものだと感じます。正しさは絶対ではないと思います。


哲学カフェ㉟

2022年01月25日 | レモングラスカフェ

1月23日 本年最初の哲学カフェに参加しました。参加者は増え8名のカフェでした。参加されている方は何度か来られている方ばかりで、発言も多く感じました。 

今回のお題は 「美しいと感じる心」「真実のこころ」でいつもにまして抽象的で考えがまとまりにくい題でした。 心から美しいと感じる?振り返るとあまりはっきり意識、記憶に残ること(もの)が浮かんできませんでした。話に出てきたことは、神秘的、自然の中の造形、共感、成長のすがた・・・でした。大まかには、見る感じる芸術、構造物、自然など対象についての気持ちと感動共感など状態行為などの無形の具体的でない感覚とありそうでした。自分の気持ちとしては、今まで優先順位が引くてあまり感じる心が鈍かったように思いました。美しいの言葉で感じる心を整理できないまま今まで来ています。都度思はないわけではないのでしょうが。 「真実のこころ」についてはより哲学的な問いです。宗教を語るひと、積み重ねる努力を語る人、 今までの経験知識先入観などが考え行動を方向づけることも少なくなくなかなか、ありのままを受け止める、見きることができないような気がします。 あるとき突然のように知らされる、思い知る、気づく感じの中に意外にありそうに思うことも。ただ「真実」は一つとは言え、ひとりひとりの中にそれぞれに真実らしいものがあってもいいような気もしました。    

理屈が先にたってしまいました。未整理です。


哲学カフェ㉞

2021年12月28日 | レモングラスカフェ

12月26日 レモングラスの哲学カフェに参加しました。師走ということもあり参加者主催入れて5名とすこし少なめのカフェでした。

お題は ・こだわりと美学 ・とりつかれ の2題でした。 

こだわりについて様々な実感と解釈が話されました。こだわりとは執着する、思い込みがんこなど自分の感じ方・ある意味エゴといった。もう一方こだわりとは、対象(相手)に対して自分を通す、自己を肯定する(させる)というがんこな側面もある。美学という題とがなかなかしっくりこない。自己正当化・極める美しさ?やはり相手があり評価が必要。譲れない、通し続けたいもの・・あまり思いつかず。 と美学の対話発展せず。

とらわれ・・ほんとうはやりたくない、ついついやってしまう。依存?  もうすこし簡単に考えてみたいと思った。本心から思っていることか、偏った情報もしくは、それをあえて選択していることが多いような気もする。思い込まされている真反対を探して、バランスしてみることができるかも。とらわれとこだわりという言葉の近さを感じました。

来年は1月23日 

 

 

 

             


哲学カフェ㉝

2021年12月01日 | レモングラスカフェ

11月28日(日) いつもの哲学カフェに参加しました。 場所がリニュアルされてから心なしか参加される方が多いような気がします。今回は主催者も含め10名の参加でした。

お題は 「やりたくてもできなかったこと」「やりたくなかったこと」でした やりたくてもできなかったことは、やっていないこと(かったこと)と言い換えれそうです。やはり若いころの記憶経験にさかのぼる話が多かったと思います。後ろ向きに言えば後悔(しっと)前向きに言えば途上の可能性もあり。やはり環境と能力への自己評価そしてやれなかったことへの言い訳の裏返し。 やりたくなかったことは、やったことの意味の説明(言いわけ)とも聞こえる。少し後ろ向きの話になっているように見えますが、途中経過の確認のような感じもしてこれから感があり。人ならではという気がします。時々見直すにはいいワードのようです。

カフェ一応定期開催になったとの事です。毎月第4日曜午後 池田コミュニティセンターで。

 


哲学カフェ㉜

2021年10月29日 | レモングラスカフェ

10月24日 レモングラスカフェリニュアル2回目があり参加しました。開催場所がコミュニティセンターに変わりました。アクセスも良く久しぶりに9名でのカフェになりました。メンバーにはほかの哲学カフェも良く参加されている人も多く、発言が多くあり多彩でした。

今回のお題は「迷惑をかけるということ」「おせっかい」でした。

迷惑をかけるについては、不特定(匿名)との経験が話され、迷惑の自覚と判断がすれ違いを呼ぶことが多いとのこと。自分はつもりはなくても相手は感じる。なかなか譲り合えない、心情があるようです。生きていく・いること自体での迷惑?をかけるということについて話してみたかったです。

おせっかいは相手の受け止めようが、それこそ迷惑にも親切にもなり測りにくい(いいとも・よくないとも) 最近耳にした「利他」「利己」という言葉がイメージに出ました。自分は、いわば他の人への気配り思い(おせっかい?)は自分の利己から始まるような気がしてます。人のための行動も発出は利己からの事も結構あります。ただ利他につながるには利己を積むことが大事な気がします。大きなお世話・すべることあるものの。

カフェの主催者。次回は11月28日予定です。


レモングラスカフェ㉛

2021年09月20日 | レモングラスカフェ

9月19日 レモングラスの哲学カフェ(対面)に参加しました。今回から場所が池田コミュニティセンター内の部屋に変更になりリニュアルしました。参加者は主催者いれて5人でした。お題は 「自分らしさ」「捨てること」とはでした。

「自分らしさ」仕事社会にいるときは自分らしさを他者との差優などの写し鏡から認識していたように思います。だれだれと比べて、よりもなどどうしても全体として同じ判断の基準かららしさを感じ求めていたように思います。対話のなかの話し・・。自分らしさは組織集団の中で個性として感じるものだが 一つの事を周りの評価は気にせず継続高めていく(匠職人・芸術・~道)社会・生活の中での自分の決め事をまもる(嘘つかない・いじめない・・)など丸まった言葉「健全な自己認識」が主催者より ふわっと理解

「捨てること」ものと心ふたつが頭に浮かびました。ものを捨てられないわけは様々です。捨てたら帰ってこない後で後悔するかも?そのものに今の自分につながる、またはことを思える。仕事を辞めた後の名刺ホルダー、古いアルバム、給料明細・・ 心は少し複雑か?捨てるプライド・周りの評価・逆に恥ずかしい思い出、失敗捨てたいけど、忘れたつもりでも勝手に残る。捨てるのは難しいのに残しておくのも同じくらい難しい。もう一度「健全なる自己認識」を考えました。

レモングラスティ・囲み

 


レモングラスカフェにてZoom㉚

2021年09月09日 | レモングラスカフェ

 緊急事態宣言の再?延長になりそうです。以前の動きになかなか・もう戻るのが難しいですが、人とのつながりもそれなりに作り直しがいりそうですね。池田市はじめ妊婦さん等の優先接種が思いのほか始まったことは良かったです。

9月8日 レモングラスの哲学カフェに参加しました。今回はZOOMで行われました。参加者は主催入れて4名と寂しいカフェになりました。たくさん参加があればよいというものでもないですが、Zoomでの哲学カフェは少々飛び込みにくいのかもしれません。 今回のお題は「人にとってお金とは」でした。あちらこちらに脱線しながらでしたがそれぞれに違いがあり興味深かったです。

お金を使うのは人間だけ、あらゆるものを合理化し、移動を容易にした。当然お金の前提は信用で定期的に価値が上下し信用を失う。お金のお金が生まれ(株・手形・信用取引)莫大なお金?が世の中を作り豊かにしてきた。半面成長ということで価値を測れないくらい仮想で流通するようになってきている。精算ができるのか、できないのか。 最近は、貨幣紙幣を使わなくなってきた。ますます身の程のスケールが見えなくなってきている。成長することはこのお金の回り方とかかわりがあるのかも。 使う?使わない?

次回のカフェは場所が変って 9月19日(日)13:30~池田市コミュニティセンター(トアエル)で開催されます。興味ある方はどうぞ。