(佛家の人物参考資料)
一、悉達(しった)太子、王宮で生まれる
古代インドには多くの国が存在しました。中部インドの北東、ガンジス川流域に位置する国があり、それは迦毗羅衛国(かびらえこく)と呼ばれていました。約2500年前の時代、迦毗羅衛国の国王は浄飯王(じょうはんおう)と言い、非常に仁慈で知恵者でした。王妃の摩耶夫人も善良で誠実でした。このように上下一体となり、国は富み、人々は幸福でした。
摩耶夫人は45歳になったとき妊娠しました。インドの慣習に従い、女性が妊娠すると母方の家に隠れる必要がありました。摩耶夫人はクリ国の王女でした。中国の周王朝の周昭王24年4月8日の日、夫人は迦毗羅衛国を発ち、クリ国の母親の家に戻る途中で藍毗尼園(らんびにえん)と呼ばれる庭を通りました。
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