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高智晟著『神とともに戦う』(58) “黄じいさん”の暴力的立ち退きから1年⑤
中国で今日発生している、野蛮な暴力を主な手段とする強制立ち退き、およびその他の数多(あまた)の公然と存在する、無辜の公民に対する残忍な悪行は、モラルある社会に恐怖と絶望をもたらした。しかし、これらは表面に現れた罪悪に過ぎない。公民が白昼、暴力に虐げられているのに、全く何の救済もない窮地にまで追い詰められている。
根本的な原因はやはり、官と民が結託した権力集団と、憲法がいかなる真の価値を持つことすら許されない憲政システムである。この権力集団は、憲法がいささかも有することすら出来ない「力」を持っている。この社会では、黄じいさんの悲劇は偶然ではないのだ。この権力集団はテロと暴力に対し、絶対的な信仰を持っている。しかもそれは、決してこの1年に始まったことではない。
こんな西洋のことわざに、「真理こそ堅持せよ。虚言は永遠に変化する」というのがある。中国では「全身全霊を傾けて人民に尽くす」から「3つの代表」「人をもって本となす」「調和の取れた社会の建設」など次々に新たなスローガンが登場してきた。
中国人が目にする永遠の変化とは、他でもない次から次へと生まれる美しい掛け声なのである。しかし旧態依然とした権力の残虐性、および助けの手を差し伸べられない無力な公民は、永遠に変わっていないのだ。このような存在こそが、中国社会における最大の危険なのである。
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