大島海峡を作るリアス式海岸は旧日本軍の司令部や砲台、観測所を隠した(大紀元/佐渡道世)
かつてなく厳しい安全保障環境に囲まれた令和の日本。中国共産党が引き起こす台湾海峡の有事のリスクがくすぶり続けている。近代より日本防衛の要となる南西諸島では、着実に“備え”が整えられていく。現地の住民はどのような思いなのか。静かな島々の住民の声を、聞いた。
奄美大島南部の大島海峡を望む山の奥に、旧日本海軍の砲台がある。「1944年8月に佐世保で編成した海軍高角砲隊…敵機を18機撃ち落とす戦果を挙げた」ーー。生い茂った草むらに建てられた看板に説明がある。
海上交通の中継地点として、南西諸島は歴史的に防衛の要衝とみなされてきた。すでに明治時代に軍が島の近代化を進めていた。当時朝鮮の主導権をめぐる清国との対立、琉球と台湾の領有権問題が深化するなど、周辺の国際環境は緊張の度合いが増していたためだ。島々にはいまなお司令部、観測所、弾薬庫など戦争遺跡が数多く山林に残されている。
第二次世界大戦後、南西諸島の防衛は沖縄、九州を担当する陸上自衛隊・西部方面区に委ねられた。「南西防衛の空白」を埋めるため、2016年から、与那国、宮古、石垣、奄美などで部隊配備が着々と進む。ミサイル部隊や沿岸監視隊の配備、警戒管制レーダーが配備された。
- 空母訓練の島 馬毛島
- 避難シェルターを要望 与那国島
- もしもの時「とまどうかも」
- かつての要塞
【続きはこちら】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます