4月15日(土)に京都府京都市で行われた
「第24回町並みと民家を訪ねる会」の報告です。
15名の参加がありました。
関西中国地域ブロック事務局より
今回は遅咲きの桜がまだ残る「堺」の町を訪ねました。
古来、堺は交通の要衝であり、歴史的に古墳の時代から
中世の自由都市として、海を介した外交・交易の場であり、
史跡や遺跡を多く残しています。
町並は北東/南東に伸びる紀州街道を中心に、海岸に沿って
できた環濠を持った街です。
中世から今世紀に至る“応仁の乱”“大阪夏の陣”“昭和の大戦”など
3 度の大きな火災で灰燼 に帰し、北の町家と寺院の一部を
残すままですが、見どころが多く文化に満ちた、そんな町並みを歩いてみました。
午前中は北の町を歩き、午後堺名物の“ちく満”でそばを戴き、
バスで南の町を眺め、途中堺の古刹 “南宗寺”により、市役所の屋上から
古墳群を眺めました。3 度の大きな火災の中でも「建屋道楽」と言われる堺の
心意気は、古民家や御寺を多く残しており、「堺」のイメージが全く変わるだけの
ものを見せてくれました。案内頂いたガイドさんから町並みを残そうとする、
又、堺に対する並々ならぬ思いから、堺の伝統とその誇り高い町衆の一端を
のぞかせてもらいました。
「第24回町並みと民家を訪ねる会」の報告です。
15名の参加がありました。
関西中国地域ブロック事務局より
今回は遅咲きの桜がまだ残る「堺」の町を訪ねました。
古来、堺は交通の要衝であり、歴史的に古墳の時代から
中世の自由都市として、海を介した外交・交易の場であり、
史跡や遺跡を多く残しています。
町並は北東/南東に伸びる紀州街道を中心に、海岸に沿って
できた環濠を持った街です。
中世から今世紀に至る“応仁の乱”“大阪夏の陣”“昭和の大戦”など
3 度の大きな火災で灰燼 に帰し、北の町家と寺院の一部を
残すままですが、見どころが多く文化に満ちた、そんな町並みを歩いてみました。
午前中は北の町を歩き、午後堺名物の“ちく満”でそばを戴き、
バスで南の町を眺め、途中堺の古刹 “南宗寺”により、市役所の屋上から
古墳群を眺めました。3 度の大きな火災の中でも「建屋道楽」と言われる堺の
心意気は、古民家や御寺を多く残しており、「堺」のイメージが全く変わるだけの
ものを見せてくれました。案内頂いたガイドさんから町並みを残そうとする、
又、堺に対する並々ならぬ思いから、堺の伝統とその誇り高い町衆の一端を
のぞかせてもらいました。