5月18日(土)に兵庫県たつの市で行われた「町並みと民家を訪ねる会」の報告です。
13名の参加がありました。
関西中国地域ブロック事務局より
今回は龍野(重伝建地区)を訪れました。
龍野は戦国の赤松氏が鶏籠山(霞城)の麓に造った城下町で、その後脇坂氏が現在の町を作りました。
保存地区は、江戸から昭和戦前期までにかけて建てられた伝統的建造物が良好に残っており、又、文学・詩歌の町として、古来より文人墨客の往来した町で、山と川に囲まれた“ふるさとの城下町”としての様相をもっています。
そんな街を歩きました。
清流揖保川の龍野橋を渡ると下川原の町家が続きます。
城に向かって北への道は古い佇まいの商家が連なっています。
幕末から明治大正にわたる家並がよく整備されて清潔な町並みが続いています。
龍野淡口醤油資料館町を支えてきたウスクチ醤油発祥処として、創業当時からの醸造道具資料などが展示されてい
ました。
ここから如来寺(浄土宗)を経て、大正浪漫を感じさせてくれる大正ロマン館へと、ここではイベントが開催されいました。
龍野城址山麓部に築かれた陣屋仕立ての城と復元された櫓門をくぐると二層隅櫓・多聞櫓・本丸御殿が残って
います。
古くは学校としても使われていたようですが、現在は歴史資料館として龍野の歴史が展示されています。
本丸御殿と二層隅櫓を通って城跡を出ました。
ちょっとおしゃれな昼食後は文學の小路から、城下町“龍野”のイメージをつくり上げ、静かな落ちついた白壁の古き佇まいは、何とも言えない安らぎを感じる路ではありました。
ここの旧脇坂屋敷(脇坂家の旧住居)と武家屋敷資料館(天保年間に造られた典型的武家屋敷)が残されていました。
文人の町霞城館(矢野勘治記念館)龍野出身の文化人である三木露風、内海信之、矢野勘治、三木清らの文献資料などが展示されています。
龍野は江戸期より藩校や私塾があり、又、古来からの水運を活用した産業(醤油・素麺)が盛んで、これらの経済力が文学詩歌を育てる土壌を培われていたようです。
今回は重伝建地区の北部を中心に城址・町屋を中心に回りましたが、山と川に囲まれ、新緑に包まれたきれいに整備
された町に触れることができ、絵にしたいような風情が多く 文学の小路楽しむことができました。
13名の参加がありました。
関西中国地域ブロック事務局より
今回は龍野(重伝建地区)を訪れました。
龍野は戦国の赤松氏が鶏籠山(霞城)の麓に造った城下町で、その後脇坂氏が現在の町を作りました。
保存地区は、江戸から昭和戦前期までにかけて建てられた伝統的建造物が良好に残っており、又、文学・詩歌の町として、古来より文人墨客の往来した町で、山と川に囲まれた“ふるさとの城下町”としての様相をもっています。
そんな街を歩きました。
清流揖保川の龍野橋を渡ると下川原の町家が続きます。
城に向かって北への道は古い佇まいの商家が連なっています。
幕末から明治大正にわたる家並がよく整備されて清潔な町並みが続いています。
龍野淡口醤油資料館町を支えてきたウスクチ醤油発祥処として、創業当時からの醸造道具資料などが展示されてい
ました。
ここから如来寺(浄土宗)を経て、大正浪漫を感じさせてくれる大正ロマン館へと、ここではイベントが開催されいました。
龍野城址山麓部に築かれた陣屋仕立ての城と復元された櫓門をくぐると二層隅櫓・多聞櫓・本丸御殿が残って
います。
古くは学校としても使われていたようですが、現在は歴史資料館として龍野の歴史が展示されています。
本丸御殿と二層隅櫓を通って城跡を出ました。
ちょっとおしゃれな昼食後は文學の小路から、城下町“龍野”のイメージをつくり上げ、静かな落ちついた白壁の古き佇まいは、何とも言えない安らぎを感じる路ではありました。
ここの旧脇坂屋敷(脇坂家の旧住居)と武家屋敷資料館(天保年間に造られた典型的武家屋敷)が残されていました。
文人の町霞城館(矢野勘治記念館)龍野出身の文化人である三木露風、内海信之、矢野勘治、三木清らの文献資料などが展示されています。
龍野は江戸期より藩校や私塾があり、又、古来からの水運を活用した産業(醤油・素麺)が盛んで、これらの経済力が文学詩歌を育てる土壌を培われていたようです。
今回は重伝建地区の北部を中心に城址・町屋を中心に回りましたが、山と川に囲まれ、新緑に包まれたきれいに整備
された町に触れることができ、絵にしたいような風情が多く 文学の小路楽しむことができました。