お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

林谷山砦

2013-03-19 21:33:39 | 滋賀県
 林谷山砦

2012/10/25

滋賀県長浜市のお城めぐり

 賤ヶ岳合戦で柴田方の毛受勝助家照兄弟、徳山五兵衛秀現が布陣した砦

≪ お城の概要 ≫

城名: 林谷山砦
よみ: ハヤシタニヤマ
別称:
所在地: 滋賀県長浜市余呉町小谷
現状: 山
築城年代: 天正十一年(1583)
築城者: 毛受勝助家照兄弟・徳山五兵衛秀現
形式: 砦
遺構: 土塁・空堀・削平地
規模:
文化財:
訪城日: 2012/10/25


≪ 訪城記 ≫

自宅から国道8号を北上し、木之本三叉路信号を左折、北陸道木之本IC前の木之本IC口交差点信号を右折、国道365号北国街道を北上し、余呉町新堂の集落へ入る入口に毛受兄弟の墓の道案内石柱と賤ヶ岳合戦史跡案内の看板が目印の交差点を左折、余呉川に架かる橋を渡り、毛受の森(行市山登山口)の案内板のある三叉路を右折、途中、舗装道路から林道のような未舗装道路にかわり、約400mで毛受兄弟の墓のある毛受の森に約30分で到着する。森の手前に墓地があり、そこの空き地に車を駐車させてもらう。

毛受の森の入り口左側の山裾に行市山登山道登り口の案内板があり、獣除けの柵を開けて登山道に入る。くれぐれも閉め忘れをしないように。
案内板に橡谷山まで570m、別所山まで2,100m、行市山まで3,350mとあり、この登山道を行けば橡谷山砦、林谷山砦、中谷山砦、別所山砦、行市山砦と行くことができる。

金森五郎八長近が布陣した橡谷山砦のある尾根の分岐を東に少し行くと、木に設置された林谷山砦と書かれた矢印案内板があり、この案内板の示す東へ300m程尾根を進むと、少し開けた場所に着く。
ここが毛受勝助家照兄弟が布陣した砦跡で奥に木製の標柱に「林谷山 毛受勝助家照兄弟の砦」と書かれてあり、その裏に砦を遮る土塁と空堀跡がある。
さらに土塁を越えて、次の削平地には徳山五兵衛秀現の布陣した砦跡になり、奥に木製の標柱に「林谷山 徳山五兵衛秀現」と書かれてあり、その裏にも土塁と空堀跡があります。


≪ 歴 史 ≫

天正十一年 (1583) 賤ヶ岳合戦で柴田方の毛受勝助家照兄弟、徳山五兵衛秀現が砦を築き布陣した。

≪ 写 真 ≫


毛受勝助家照兄弟の砦跡


徳山五兵衛秀現の砦跡


行市山登山道登り口


行市山・別所山・林谷山史跡案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸線余呉駅から徒歩約5Km、1時間30分。
<車>
北陸道木之本ICを降りて木之本IC口交差点信号を直進、国道365号北国街道を北上し、余呉町新堂の集落へ入る入口に毛受兄弟の墓の道案内石柱と賤ヶ岳合戦史跡案内の看板が目印の交差点を左折、余呉川に架かる橋を渡り、毛受の森(行市山登山口)の案内板のある三叉路を右折、途中、舗装道路から林道のような未舗装道路にかわり、約400mで毛受兄弟の墓のある毛受の森に約10分で到着する。


≪ 位置図 ≫

毛受兄弟の墓にある行市山登山道登り口


林谷山砦


紹介したお城の数 42城



近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
クリエーター情報なし
滋賀県文化財保護協会

橡谷山砦

2013-03-18 22:38:55 | 滋賀県
 橡谷山砦

2012/10/25

滋賀県長浜市のお城めぐり

 賤ヶ岳合戦で柴田方の金森長近が布陣した砦

≪ お城の概要 ≫

城名: 橡谷山砦
よみ: クヌギタニヤマ
別称:
所在地: 滋賀県長浜市余呉町池原
現状: 山
築城年代: 天正十一年(1583)
築城者: 金森長近
形式: 砦
遺構: 削平地
規模:
文化財:
訪城日: 2012/10/25


≪ 訪城記 ≫

自宅から国道8号を北上し、木之本三叉路信号を左折、北陸道木之本IC前の木之本IC口交差点信号を右折、国道365号北国街道を北上し、余呉町新堂の集落へ入る入口に毛受兄弟の墓の道案内石柱と賤ヶ岳合戦史跡案内の看板が目印の交差点を左折、余呉川に架かる橋を渡り、毛受の森(行市山登山口)の案内板のある三叉路を右折、途中、舗装道路から林道のような未舗装道路にかわり、約400mで毛受兄弟の墓のある毛受の森に約30分で到着する。森の手前に墓地があり、そこの空き地に車を駐車させてもらう。

毛受の森の入り口左側の山裾に行市山登山道登り口の案内板があり、獣除けの柵を開けて登山道に入る。くれぐれも閉め忘れをしないように。
案内板に橡谷山まで570m、別所山まで2,100m、行市山まで3,350mとあり、この登山道を行けば橡谷山砦、林谷山砦、中谷山砦、別所山砦、行市山砦と行くことができる。

行市山登山道を登り橡谷山砦まで約30分で着く。尾根の上の東西の分かれ道に行市山・別所山・林谷山史跡案内図が建てられていて、地図がわかりやすい。この地図から北の谷への下り口の木に金森長近砦跡と書かれた矢印案内板があり、足元が滑るのを気にしながらゆっくりと降りていくと、削平地があり、ここが砦跡のようです。

地図のところまで戻り、尾根を右に行くと林谷山砦、左に行くと中谷山砦・別所山砦・行市山砦です。


≪ 歴 史 ≫

天正十一年 (1583) 賤ヶ岳合戦で柴田方の金森長近が砦を築き布陣した。

≪ 写 真 ≫


毛受兄弟の墓


谷を降りたところにある削平地


行市山登山道登り口


行市山・別所山・林谷山史跡案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸線余呉駅から徒歩約5Km、1時間30分。
<車>
北陸道木之本ICを降りて木之本IC口交差点信号を直進、国道365号北国街道を北上し、余呉町新堂の集落へ入る入口に毛受兄弟の墓の道案内石柱と賤ヶ岳合戦史跡案内の看板が目印の交差点を左折、余呉川に架かる橋を渡り、毛受の森(行市山登山口)の案内板のある三叉路を右折、途中、舗装道路から林道のような未舗装道路にかわり、約400mで毛受兄弟の墓のある毛受の森に約10分で到着する。


≪ 位置図 ≫

毛受兄弟の墓にある行市山登山道登り口


橡谷山砦


紹介したお城の数 41城



城めぐりがもっと楽しくなる!お城の地図帳 (タツミムック)
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末盛城

2013-03-16 13:39:33 | 愛知県
 末盛城

2013/2/24

愛知県名古屋市のお城めぐり

 兄信長に謀殺された織田信勝の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 末盛城
よみ: スエモリ
別称: 末森城
所在地: 愛知県名古屋市千種区城山町2丁目63
現状: 城山八幡宮・愛知学院大学研究棟
築城年代: 天文十七年(1548)
築城者: 織田信秀
形式: 平山城
遺構: 本丸跡・二の丸跡・空堀跡
規模: 本丸43m×46m、二の丸50m×43m、標高43m
文化財:
訪城日: 2012/2/22・2013/2/24


≪ 訪城記 ≫

竜泉寺城から末盛城へ向かう。

竜泉寺参拝者用駐車場から県道15号へ出て南へ向かい、竜泉寺南三叉路信号を斜め右に右折、県道30号を西進、途中道なりに南進、矢田川に架かる宮前橋を渡り、浄水場を左に見ながら谷口交差点信号を直進し、末盛通2交差点一つ手前の狭い道への入り口に「城山八幡宮」案内板に従い左折、狭い道を約200m登っていくと「城山八幡宮」参拝者用の駐車場に着く。この駐車場付近が本丸跡です。ここに車を駐車しました。

駐車場東に鳥居があり、その南に登ってくる参道の階段がある。その階段を登りきった右側に末盛城址碑と城山八幡宮境内案内図がある。案内図によると本殿前の広い削平地で駐車場になっているところが本丸跡で、駐車場へ登ってくる道の西側にある愛知学院大学の古い研究棟(昭和塾堂)付近が二の丸跡です。
本丸と二の丸を取り巻くように、周りは空堀跡があります。
まず本殿へ行き、次に本殿入り口に左右の小路がり、西側へ行くと空堀跡が見られますが、南側の空堀跡は機械で踏みならした跡があり壊れています。北側は金網で保護されていますが、中が見られません。本殿入口に戻り、今度は東側の小路へ降りていくと大きく深い空堀跡が見られ、途中に降りられる場所があり、堀内に降りて歩きましたが、すばらしい空堀です。
南からの入る口にある一の鳥居前の西側に説明板があります。
もう一度、本丸跡への参道を登り、西側の昭和塾堂のある二の丸跡を見ました。


≪ 歴 史 ≫

天文十七年 (1584) 織田信長の父信秀が末盛城を築き、古渡城か移る。
天文十八年 (1585) 信秀が末盛城で病死する。(異説有)
替わって信長の弟信勝が城主となる。
弘治三年 (1557) 信勝は清洲城で兄信長に誘殺される。


≪ 写 真 ≫


末盛城址碑


本丸跡


城山八幡宮本殿


城山八幡宮の西側の空堀跡


本丸跡の南東側の空堀跡


本丸跡の南側の空堀跡


一の鳥居


南側の空堀に架かる参道道の橋


二の丸跡


城山八幡宮境内案内板(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
市営地下鉄本山駅から徒歩15分。
<車>
名古屋高速都心環状線東新町で降りて、そのまま環状線下道を南下し、東新町交差点信号を左折、県道60号広小路通を東進、末盛通2の交差点信号を左折、約100mで「城山八幡宮」案内板に従い右折、狭い道を約200m登っていくと「城山八幡宮」参拝者用の駐車場に着く。


≪ 位置図 ≫

城山八幡宮


紹介したお城の数 40城



愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
サンライズ出版

竜泉寺城

2013-03-14 22:14:19 | 愛知県
 竜泉寺城

2013/2/24

愛知県名古屋市のお城めぐり

 寺院の境内に模擬天守があるめずらしいお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 竜泉寺城
よみ: リュウセンジ
別称:
所在地: 愛知県名古屋市守山区竜泉寺1丁目902
現状: 竜泉寺
築城年代: 弘治三年(1557)
築城者: 織田信勝
形式: 平山城
遺構: 模擬天守・横堀跡
規模:
文化財:
訪城日: 2013/2/24


≪ 訪城記 ≫

守山城から竜泉寺城へ向かう。

瀬戸街道に戻り東へ進み名鉄瀬戸線小幡駅前の小幡交差点を左折、県道15号を北上、名古屋第二環状道を越えて、小幡緑地を右手に見ながら進むと竜泉寺への道案内版がある左側道の坂を登っていくと竜泉寺に着く。前に参拝者用の駐車場がある。わたしは側道を通り過ぎ竜泉寺信号の三叉路を左折して、すぐの三叉路をまた左折した道路左側に未舗装の大きな参拝者用駐車場に車を駐車しました。

この駐車場の西側の小高い山の上が竜泉寺で、鉄製の階段を登っていくと竜泉寺の山門前に出られます。
ここには模擬天守があるはずと思い、立派な山門付近を眺めて、もそれらしい城はありません。山門から中に入って本殿右側を見ると緑色の屋根瓦のお城らしき建物が見えたので、そちらへ行こうと本殿の右側へ進むと入り口で入場料が100円必要でした。模擬天守は宝物館となっていています。
模擬天守北側は断崖となっていて、東側の竹藪に降りていくと横堀跡が見られます。


≪ 歴 史 ≫

弘治三年 (1557) 織田信長の弟信勝が築城するが、同年十一月二日、信長の謀略で清洲城で殺され、竜泉寺城もまもなく廃城となった。
天正十二年 (1584) 長久手の合戦の際に秀吉が竜泉寺の城址を陣所とした。


≪ 写 真 ≫


竜泉寺の参拝入口


竜泉寺の山門


竜泉寺本殿


入口側から見た竜泉寺城模擬天守


西側から見た竜泉寺城模擬天守


模擬天守の東側竹藪内の横堀跡

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
ゆとりーとライン小幡緑地駅から徒歩10分。
<車>
名古屋第二環状道小幡ICを降りて小幡インター西交差点を右折、県道15号を北上、小幡緑地を右手に見ながら進むと竜泉寺への道案内版がある左側道の坂を登っていくと竜泉寺に着く。前に参拝者用の駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

竜泉寺


紹介したお城の数 39城



ビジュアル百科 日本の城1000城 1冊でまるわかり!
大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社

守山城

2013-03-13 22:31:39 | 愛知県
 守山城

2013/2/24

愛知県名古屋市のお城めぐり

 徳川家康の祖父松平清康が家臣に殺害された
 「守山崩れ」の舞台となったお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 守山城
よみ: モリヤマ
別称:
所在地: 愛知県名古屋市守山区市場
現状: 宝勝寺
築城年代:
築城者:
形式: 平山城
遺構: 堀跡
規模: 58m×52m、標高24m
文化財:
訪城日: 2012/2/22・2013/2/24


≪ 訪城記 ≫

新居城から守山城へ向かう。

城山公園駐車場を出て旭城前の道路を西へ、城前町茅池交差点を左折、名鉄瀬戸線の下をくぐり、砂川交差点を右折、県道61号瀬戸街道を西進、東名高速の下をくぐり、名古屋第二環状道を越え、矢田川に架かる矢田川橋北詰を堤防沿いに右折、約200m進んで右折、さらにすぐ右折、狭い道を約80mで左折、約40mで左折して宝勝寺へ入る道を進むとすぐに山門が見える。さらに進んだ木々の中の空き地が宝勝寺の参拝者用駐車場です。ここに車を駐車しました。

ここから徒歩で駐車場に入ってきた道の交差点を左に約100m北上すると「城跡荘」というアパートが道の左側にあり、その前に説明板が高いところにあります。このアパートの裏側の小高い丘の上に守山城址碑が建っています。
さらに宝勝寺の墓地の北側、住宅との間の竹藪の中に広い堀跡が住宅地から先ほどのアパート付近まで約100m続いています。


≪ 歴 史 ≫

大永元年(1521)、今川氏親が那古野城を築いたころに小幡城・川村城に対応するため築かれたといわれている。
天文四年十二月 (1535) 徳川家康の祖父、松平清康が尾張へ攻め込み、この守山城まで手中にしたが、誤って家臣に殺された。これが有名な「守山崩れ」です。
その後、織田信秀に属する。
弘治元年 (1555) 織田信光が城主であったが、信光は織田信長と共に清洲城の織田彦五郎信友を襲い、信光は清洲城主となり、その後を信秀の弟孫十郎信次が城主になる。その後、信次は出奔し、替わって信長の弟信時が城主となるが家臣に殺害される。その後、信長に許された信次が再び城主となったが、天正二年(1574)、長島一向一揆で討死する。
永禄三年 (1560) 桶狭間の戦いの後に廃城となる。


≪ 写 真 ≫


宝勝寺山門


城址碑のある丘


丘への登り口


守山城址碑


宝勝寺北側の堀跡

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄瀬戸線矢田駅下車徒歩10分。
<車>
名古屋第二環状道大森ICを降りて大森インター北交差点を左折して西進し、矢田川に架かる矢田川橋北詰を堤防沿いに右折、約200m進んで右折、さらにすぐ右折、狭い道を約80mで左折、約40mで左折して宝勝寺へ入る道を進むとすぐに山門が見える。さらに進んだ木々の中の空き地が宝勝寺の参拝者用駐車場です。


≪ 位置図 ≫

宝勝寺


守山城址碑


紹介したお城の数 38城



愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
サンライズ出版