お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

新居城

2013-03-09 20:52:10 | 愛知県
 新居城

2013/2/24

愛知県尾張旭市のお城めぐり

 土豪水野氏が築き代々城主だったお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 新居城
よみ: アライ
別称: 旭城
所在地: 愛知県尾張旭市城山町長池下4502
現状: 城山公園
築城年代: 南北朝時代
築城者: 水野良春
形式: 平山城
遺構: 模擬天守・本丸・二の丸・土塁・堀切
規模: 280m×140m、比高40m
文化財:
訪城日: 2013/2/24


≪ 訪城記 ≫

小田井城から新居城へ向かう。

小田井城址碑のある城跡公園を南に約100mで国道22号の上り坂の側道を進み庄内川に架かる新名西橋西詰で国道22号に合流する。そのまま新名西橋を渡り、鳥見町で国道22号を道なりに右折、康生通2を左折して環状線を東進する。志賀橋のクランクを通り、矢田二丁目信号次の信号交差点を斜めに左折、県道15号を道なりに進み砂川交差点を左折、北上し名鉄瀬戸線のアンダーを通り、城前町茅池交差点を右折、東へ進むと田園地帯になり、道の左手に模擬天守が見えてきて城山公園信号の次の信号を左折すると城山公園の模擬天守前にある駐車場に着く。ここに車を駐車する。

道沿いの旭城模擬天守は1階がレストランになっていて、4階が展望台となっています。
駐車場から丘に登る階段があり、登っていくと左手にテニスコートがあり、このテニスコート付近が二の丸跡です。そのまま登っていくと本丸跡と本丸の土塁跡があり、前に説明板があります。
模擬天守はとてもカッコいいです。しかし、1階と4階の窓が現代風でお城にマッチしていません。


≪ 歴 史 ≫

南北朝時代に土豪の水野良春が築城しました。その後、水野宗国が近隣の大森城主尾関氏と争う。永禄頃には水野才蔵、元亀頃には水野宗信が城主と伝わる。

≪ 写 真 ≫


南からの旭城模擬天守


南東からの旭城模擬天守


南西からの旭城模擬天守


新居城跡への登り口


本丸跡


本丸土塁跡


北側からの本丸土塁跡


公園側からの旭城模擬天守


現地案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄瀬戸線尾張旭駅から徒歩20分。
<車>
名古屋第二環状道大森ICを降りて大森インター北交差点を右折、瀬戸街道を東へ進み砂川交差点を左折、北上し名鉄瀬戸線のアンダーを通り、城前町茅池交差点を右折、東へ進むと田園地帯になり、道の左手に模擬天守が見えてきて城山公園信号の次の信号を左折すると城山公園の模擬天守前にある駐車場に着く。


≪ 位置図 ≫

旭城模擬天守


新居城跡


紹介したお城の数 37城



愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
サンライズ出版

小田井城

2013-03-08 20:28:43 | 愛知県
 小田井城

2013/2/24

愛知県清須市のお城めぐり

 尾張下四郡を統治した織田敏定の子孫の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 小田井城
よみ: オタイ
別称:
所在地: 愛知県清須市西枇杷島町小田井2丁目7-2
現状: 城跡公園
築城年代: 室町時代中期
築城者: 織田敏定
形式: 平城
遺構:
規模: 54m×94m
文化財:
訪城日: 2010/8/8・2013/2/24


≪ 訪城記 ≫

清洲城から小田井城へ向かう。

清洲市民センター駐車場から一方通行道路を東へ進み、突き当りの三叉路を左折、すぐに右折して県道67号を南下する。新川大橋北交差点を左折、堤防沿いに進み、名古屋高速6号清須線下の国道22号手前で手防下に進み、道路の下をくぐって反対側に出て大きくUターンして堤防上の道を進み国道22号に合流し南下する。庄内川に架かる新名西橋北詰で左にUターンして側道の坂をを北に降りていき、坂を下りきった所を右折して、100m程進むと城跡公園に着く。車は道路に路駐する。

この城跡公園の北西角の小田井城址碑が2つ建てられているのみで遺構はなにもない。


≪ 歴 史 ≫

尾張下四郡を統治した織田敏定が築き、以来、子孫が居城とした。

≪ 写 真 ≫


小田井城址碑 古い石碑


小田井城址碑 新しい石碑


城跡公園全景

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄犬山線下小田井駅から徒歩10分。
<車>
名古屋高速6号清須線清須出口で降りて国道22号名岐バイパスを南下、庄内川に架かる新名西橋北詰で左にUターンして側道の坂をを北に降りていき、坂を下りきった所を右折して、100m程進むと城跡公園に着く。


≪ 位置図 ≫

城跡公園


紹介したお城の数 36城



城めぐりがもっと楽しくなる!お城の地図帳 (タツミムック)
クリエーター情報なし
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清洲城

2013-03-07 21:56:51 | 愛知県
 清洲城

2013/2/24

愛知県清須市のお城めぐり

 織田信長が桶狭間の戦いに出陣したお城
 清洲会議の舞台になったお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 清洲城
よみ: キヨス
別称: 清須城
所在地: 愛知県清須市清洲
現状: 清洲古城跡公園・清洲公園・清洲城広場
築城年代: 応永十二年(1405)頃
築城者: 斯波義重
形式: 平城
遺構: 模擬天守・復元本丸石垣
規模: 2,000m×2,500m
文化財:
訪城日: 2010/8/8・2013/2/24


≪ 訪城記 ≫

名古屋高速16号一宮線春日出口で降りて、そのまま高速下の国道22号名岐バイパスを清洲IC下の朝日交差点の朝日南西信号を右折、名古屋環状2号線下の道を西へ進み、五条川を渡り、清洲中学校交差点を左折、もう一度五条川を渡り、清洲橋信号を右折、直進すると清洲城模擬天守が正面に見える。この模擬天守前で左折、広場の終わるところに市民センター駐車場がある。ここに車を駐車する。他にも清洲中学校交差点を直進してすぐ、左手の日産プリンス過ぎを左折した道を入って行くと清洲古城跡公園の駐車場に着く。

市民センター駐車場から西に歩くとすぐに清須城模擬天守に着く。広場は工事中で入ることができない。
清洲模擬天守前を五条川が流れていて、赤い大手橋がかかっている。
この大手橋を渡った五条川西側の一帯が清洲城跡で中央を東海道本線と東海道新幹線が通っていて東側が清洲古城跡公園で西側が清洲公園となっている。
まずは大手橋を渡った清洲古城跡公園の「清須ふるさとのやかた」右の堤防道の沿いに復元本丸石垣があり、説明板がある。
やかたの裏の小高い丘の上には信長公の社と「右大臣織田信長公古城跡」・「清須城墟碑」の二つの石碑が建っていて、その下に清洲城の説明板がある。
線路の下を堤防沿いに西へ進むと、線路の西側に清洲公園があり、ここには織田信長公の銅像と一緒に、以前は清洲城広場にあった濃姫の像が今は並んでいます。
桶狭間の戦いでは織田信長がこの清洲城で幸若舞「敦盛」を舞って出陣していく姿が目に浮かびます。
その後、模擬天守内を見学しました。入場料は大人300円でした。
この城は西向きに建てられているせいで、黒塗りの精悍なお城の姿を写真に撮る時間帯は早朝時には逆光になってしまいます。
おすすめは昼過ぎが良いと思います。わたしは早朝に着いたため、良い写真が撮れませんでした。


清洲城の詳細 ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

応永十二年頃 (1405) 尾張守護職斯波義重が五条川の左岸沿いに築城したといわれている。
文明八年 (1476) 尾張守護所下津が戦乱で焼失し、清洲に移転した。
文明十年 (1478) 織田敏定が清洲城を中心に尾張下郡、織田敏広が岩倉城を中心に尾張上郡を分割支配する。
弘治元年 (1555) 織田信長が尾張守護代織田信友を倒し、清洲城に移る。その後、弟織田信勝を清洲城で誘殺し、永禄二年(1559)、岩倉城の織田信賢を攻め尾張をほぼ統一した。
永禄三年 (1560) 今川義元の大軍が尾張に攻め入った際、織田信長は、この清洲城で幸若舞「敦盛」を舞って出陣し、桶狭間の戦いで見事義元を討ち戦国の世に頭角を現した。
永禄六年 (1563) 織田信長は美濃国の稲葉山城を攻めるため清洲城から小牧山城に移る。
天正十年 (1582) 本能寺の変で斃れた信長の後継者を決める清洲会議が清洲城で行われる。
天正十四年 (1586) 清洲会議後、信長の次男織田信雄が居城を清洲城に移し大改修を行う。
天正十八年 (1590) 豊臣秀次が城主となる。
文禄四年 (1595) 福島正則が城主となる。
慶長五年 (1600) 徳川家康の四男、松平忠吉が城主となる。
慶長十二年 (1607) 徳川御三家徳川義直が城主となり、慶長十五年(1610)、名古屋城を築城して「清須越し」が行われ、清洲城は廃城となる。
明治三十一年 (1898) 清洲公園が造られる。
平成元年 (1989) 旧清洲町制施行百周年を記念して清洲城天主閣が建設される。


≪ 写 真 ≫


清洲古城跡公園にある復元本丸石垣


清洲古城跡公園にある信長公の社


清洲古城跡公園にある清洲城墟碑


清洲古城跡公園にある右大臣織田信長公古城跡碑


清洲城址碑


清洲公園に建つ織田信長公像と濃姫像


織田信長公像


信長塀


正面からの清洲城天主閣


清洲城展望台から見た清洲城跡


清洲城入口


大手橋から見る清洲城


西から見る清洲城


広場から見る清洲城


正面から見る清洲城


現地清洲城周辺案内板(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄名古屋本線新清洲駅・JR東海道線清洲駅から徒歩15分。
<車>
名古屋高速16号一宮線春日出口で降りて、そのまま高速下の国道22号名岐バイパスを清洲IC下の朝日交差点の朝日南西信号を右折、名古屋環状2号線下の道を西へ進み、五条川を渡り、清洲中学校交差点を左折、もう一度五条川を渡り、清洲橋信号を右折、直進すると清洲城模擬天守が正面に見える。この模擬天守前で左折、広場の終わるところに市民センター無料駐車場がある。他にも清洲中学校交差点を直進してすぐ、左手の日産プリンス過ぎを左折した道を入って行くと清洲古城跡公園の無料駐車場に着く。


≪ 位置図 ≫

清洲城天主閣


清洲古城跡公園


清洲公園


紹介したお城の数 35城



愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
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鹿背山城

2013-03-02 22:59:33 | 京都府
 鹿背山城

2012/11/18

京都市木津川市のお城めぐり

 南山城屈指の大規模な土の城

≪ お城の概要 ≫

城名: 鹿背山城
よみ: カセヤマ
別称:
所在地: 京都府木津川市鹿背山鹿曲田
現状: 山
築城年代: 文治四年(1188)頃
築城者: 木津太郎英清
形式: 山城
遺構: 曲輪・土塁・堀切・竪堀・櫓台・虎口
規模: 400m×300m、標高136m
文化財:
訪城日: 2012/11/18


≪ 訪城記 ≫

山崎城から鹿背山城へ向かう。

宝積寺へ行く急な坂道の狭い道の来た道を引き返し、山崎駅前を過ぎ、西国街道、国道171号を通って名神高速大山崎ICまで戻る。名神高速には乗らずに京滋バイパス下の側道を市田まで進み、市田の信号を右折して、国道24号大久保バイパスをひたすら南下し、京奈和道城陽ICに乗らず、左折して東進し、消防本部前辺から側道に入り、城陽新池交差点を右折、国道24号を南下、木津川沿いの道をさらに南下、木津川を渡り、木津交差点で左折、すぐの木津駅前で左折、約400m行った突き当りを右折、府道47号を1.3km西進したところの交差点信号を右折して鹿背山の集落に入る。細い道を約400m進むと右手に鹿背山会館がある。この会館の前の空き地に車を駐車する。

会館から西念寺へ行く登り道があり、この登り道の入口に「左西念寺」と「左鹿背山城址」の石碑があるので分かりやすい。すぐに西念寺に到着し、寺の鐘突堂の前に縄張図付の説明板と横のポストに「鹿背山城跡配置図」が置いてあり、自由にもらえるので城めぐりに役立ちました。
寺から大手道を登れ、大手道を登るとすぐに、竹藪の中に段曲輪が連なり、所々に竹が伐採されていて様子が良く分かる。水たまりになった段曲輪から竪堀が良く分かるところを過ぎると、城の虎口に着く、この虎口を左に行き山裾を斜めに登りきると桝形虎口があり、抜けると主郭Ⅰに着く。主郭Ⅰには周囲に土塁跡があり、中央に鹿背山城址の木製碑がある。右手奥の広くなった曲輪の奥には一段高くなった櫓台跡がある。
城虎口にもう一度戻り、こんどは右に行くと主郭Ⅱに着く。主郭Ⅱは小さな台状地で、もう一度戻り山裾を行くと主郭Ⅲに着く。主郭Ⅲは主郭Ⅱより少し大きい台状地になっている。
主郭にⅡと主郭Ⅲの間に竪堀があり、この竪堀を降りて山裾沿いに主郭Ⅲの周りを行くと畝状竪堀群が見られ、さらに奥に行くと主郭Ⅲと出曲輪の間に大きな堀切があり、大きさに感動します。
城虎口へ戻り、主郭Ⅰと主郭Ⅱの間にある竪堀を降りて主郭Ⅰの山裾を行くと水の手(井戸)に着きます。
また、城虎口に戻り、今度は主郭Ⅰの山裾を左に行くと、割と広い段曲輪が続き、その先にははっきりわかる畝状竪堀群があり、山裾を右に行くと開けた場所に出て、大きな横堀群がはっきりわかります。この横堀の中を進むと土橋にたどり着きます。
図面には畝状竪堀群から点線で道が書かれているので行ってみようと竪堀降りたのですが、道がわからず迷子になりそうだったので、引き返し大手道から西念寺まで帰りました。
この城跡は見やすいように竹藪や木々が伐採されていて、とても見やすく遺構の竪堀や堀切がたくさん見られて満足です。
ちょうど紅葉の時期で、西念寺辺の木々がちょうどよい具合に赤く染まってました。


≪ 歴 史 ≫

文治四年頃、木津太郎英清が築城し、文明二年十月(1470)に畠山義就勢に攻められ、落城している。
永禄八年から四年間松永弾正久秀が大和の北の守りとして改築しようである。


≪ 写 真 ≫


登城口の西念寺


大手道沿いの段曲輪


段曲輪と奥に続く竪堀


城虎口


主郭Ⅰの虎口


主郭Ⅰの土塁


主郭Ⅰ


主郭Ⅰの木製鹿背山城址碑


主郭Ⅰ奥の櫓台


櫓台上からの主郭Ⅰ


主郭Ⅰと主郭Ⅱの間の堀切


主郭Ⅱ


主郭Ⅲ


主郭Ⅱと主郭Ⅲの間の堀切


主郭Ⅲ沿いの竪土塁


主郭Ⅲと出曲輪の間の広い堀切


水の手(井戸)


段曲輪奥の畝状竪堀群


横堀


西念寺登城口付近の紅葉


西念寺前の説明板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR奈良線木津駅からバスで鹿背山下車、徒歩20分。
<車>
京奈和道城陽ICで降りて、右折して東進し、消防本部前辺から側道に入り、城陽新池交差点を右折、国道24号を南下、木津川沿いの道をさらに南下、木津川を渡り、木津交差点で左折、すぐの木津駅前で左折、約400m行った突き当りを右折、府道47号を1.3km西進したところの交差点信号を右折して鹿背山の集落に入る。細い道を約400m進むと右手に鹿背山会館がある。


≪ 位置図 ≫

鹿背山会館


登城口の西念寺


鹿背山城


紹介したお城の数 34城



日本の城 完全名鑑 増補改訂版 (廣済堂ベストムック)
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山崎城

2013-03-01 22:50:37 | 京都府
 山崎城

2012/11/18

京都府大山崎町の城めぐり

 天下分け目の山崎合戦のあった地に築かれた豊臣秀吉の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 山崎城
よみ: ヤマザキ
別称: 鳥取尾山城・天王山城
所在地: 京都府乙訓郡大山崎町大山崎古城
現状: 山
築城年代: 南北朝時代初期
築城者: 赤松則祐
形式: 山城
遺構: 曲輪・天守台跡・井戸・土塁・石垣
規模: 標高270m、比高240m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2012/11/18


≪ 訪城記 ≫

名神高速道路大山崎ICで降りて大山座IC信号を右折、国道171号を南西に進み東海道新幹線高架下を通り約1.4kmで大山崎交差点を右折、もう一度東海道新幹線の下をくぐり、約200mで左折して府道67号西国街道を進み、大山崎町歴史資料館を右手に通り過ぎ、阪急京都線の下をくぐり、約600mで右折、東海道本線山崎駅前を北東に約200mで突き当りに東海道本線の踏切があり、この踏切を越えて、そのまままっすぐ狭い山道を登っていくと宝積寺の入口に着き、その右手に宝積寺の参拝者用駐車場がある。ここに駐車させてもらう。

ここから徒歩で天王山山頂の山崎城跡へ向かう。
宝積寺の境内へ入り、その右手、社殿と閻魔堂の間から突き当りに天王山への登山道があり、天王山山頂への案内板が出ている。
閻魔堂北側にある池の中にある小さな社付近はちょうど紅葉の季節で、とても綺麗でした。
しばらく登ると左手に青木葉谷広場があり、この広場に堺屋太一氏の「秀吉の道」と題した「秀吉の中国大返し」について書かれた石碑が建てられている。この後も山頂までの要所要所に建てられていて、この碑文を読みながら登るのもいいです。
また、この広場右手にも曲輪跡のような段曲輪があります。
30分程で酒解神社の鳥居前に着きます。この鳥居前には山崎合戦の地の石碑や旗立松があり、鳥居を過ぎたところ左手に「秀吉の道」、「天下分け目の天王山」の石碑が2枚あります。この後、分かれ道があり右側の道を行くと、すぐに禁門の変十七烈士の墓があります。そのまま登っても、元の道をまっすぐ行っても、酒解神社に着きます。入り口に三社宮の古い社があり、そのまま登ると酒解神社です。
神社を通り過ぎて、さらに登っていくと山頂に着きます。ここが山崎城跡です。奥の一段高いところに石が積まれていて天王山山頂の標柱のある場所が天守台跡のようです。本丸跡左に一段下がった曲輪があり、そこには井戸跡や土塁跡、さらに奥に帯曲輪があり、ここに石垣跡があるそうですが、わたしは分かりませんでした。
登山道脇には削平地や石垣跡が所々にあり、登りながら見つけるのも楽しいです。

帰りに大山崎町歴史資料館に寄りました。


大山崎町歴史資料館の詳細 ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

摂津国の南朝方から京都を防御するため、南北朝時代初期に播磨守護赤松則村の子則祐によって天王山山頂に築かれた。
応仁の乱頃、西軍に対抗するため山城守護山名是豊によって修築される。
その後、三好元長、柳本賢治・法華一揆、一向一揆の諸勢力の間で争奪が繰り返される。
天文七年三月 (1538) 細川晴元が修築をする。
天正十年六月 (1582) 本能寺の変後、備中国高松城から大返しをした羽柴秀吉と明智光秀が、この山崎の地で天下分け目の合戦を行い、天王山を占領した秀吉方が勝利し、秀吉は翌年六月に大坂城に移るまで山崎城を本拠地とした。


≪ 写 真 ≫


宝積寺


青木葉谷広場


酒解神社鳥居前にある山崎合戦の地の石碑


酒解神社鳥居前にある旗立松


酒解神社鳥居


禁門の変十七烈士の墓


三社宮


酒解神社


酒解神社神興庫


本丸西側の帯曲輪


本丸西側の井戸跡


井戸のある曲輪の土塁跡


本丸の一段高い天守台跡


本丸跡


宝積寺の紅葉


天王山山頂にある案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線山崎駅より徒歩50分。
<車>
名神高速道路大山崎ICで降りて大山座IC信号を右折、国道171号を南西に進み東海道新幹線高架下を通り約1.4kmで大山崎交差点を右折、もう一度東海道新幹線の下をくぐり、約200mで左折して府道67号西国街道を進み、大山崎町歴史資料館を右手に通り過ぎ、阪急京都線の下をくぐり、約600mで右折、東海道本線山崎駅前を北東に約200mで突き当りに東海道本線の踏切があり、この踏切を越えて、そのまままっすぐ狭い山道を登っていくと宝積寺の入口に着き、その右手に宝積寺の参拝者用駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

宝積寺社殿と閻魔堂の間にある登城口


天王山山頂の山崎城跡


大山崎町歴史資料館


紹介したお城の数 33城



日本の城 完全名鑑 増補改訂版 (廣済堂ベストムック)
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