お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

郡上八幡城

2014-04-12 06:13:44 | 岐阜県
 郡上八幡城

2014/4/5

岐阜県郡上市のお城めぐり

 東氏を滅ぼした支族の遠藤盛数が築いた居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 郡上八幡城
よみ: グジョウハチマン
別称: 八幡城・積翠城・郡城・虞城
所在地: 岐阜県郡上市八幡町柳町
現状: 郡上八幡城・城山公園・岸剣神社
築城年代: 永禄二年(1559)
築城者: 遠藤盛数
形式: 平山城
遺構: 復興模擬天守・隅櫓二棟・城門・天守台・松の丸・桜の丸・八幡屋敷・石垣・首洗い井戸・空堀
規模: 標高523m、比高220m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2011/9/13・2014/4/5


≪ 訪城記 ≫

篠脇城から郡上八幡城に向かう。

「古今伝授の里フィールドミュージアム」の駐車場を出て、栗栖川沿いの県道318号を西進、徳永交差点信号を左折、国道156号越前街道を南下、東海北陸道高架下をくぐり、長良川、長良川鉄道沿いに進み、五町三叉路信号を左折、すぐに大きく左に曲がり県道319号を北上、道が大きく右に曲がり郡上八幡トンネルを通り総合庁舎前三叉路信号を右折して南下、道が左へ曲がった中坪1交差点信号を右折、約700m南下した城下町プラザ駐車場の交差点を左折、突き当りの安養寺前を右折してすぐに今度は左折した坂道を登って、道が左に曲がり城山公園沿いに右に曲がった郡上八幡城への登城道前の駐車場に車を駐車する。

城山公園には山内一豊と妻の像があり、像越しに見上げる郡上八幡城が美しい。城山公園の登城口から徒歩でヘアピンカーブの一方通行道路を登ること約10分で石垣のある入口に着く。石垣沿いの道を登り、そのまま犬走り道を東に抜けると、断崖の八幡屋敷があり、ここから眺める天守閣も美しい。西側の出丸、隅櫓を見ながらお城への登城道を進むと売店と入場券売り場があり、入場料は310円です。城門をくぐり天守閣を見学する。北側にも隅櫓がある。
天守閣北側の駐車場は空堀跡で南西隅に首洗い井戸がある。


郡上八幡城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

永禄二年 (1559) 木越城主遠藤胤縁が東殿山城を訪問したとき東常堯が家臣に命じて胤縁を謀殺させた。胤縁の弟盛数は兄の弔い合戦で東殿山城を攻撃して城を奪い、東氏を滅ぼした。郡上を支配することとなった遠藤盛数が東殿山城攻撃の際に陣を張った八幡山に城を築いたのが郡上八幡城の始まりです。盛数はわずか四年で没し、長子慶隆が跡を継いだ。
天正十一年 (1583) 賤ヶ岳の戦いで遠藤慶隆は岐阜城主織田信孝に味方し、豊臣秀吉に領地を没収され小原城主に移される。
天正十六年 (1588) 稲葉一鉄の子稲葉貞通が郡上八幡城主となる。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の戦いで、最初西軍に属した稲葉貞通の郡上八幡城を遠藤慶隆が金森可重の援軍を得て攻め、戦後、途中から東軍に転じた稲葉貞通は豊後臼杵に転封となり、遠藤慶隆が郡上八幡城主に復帰する。その後、養子の慶利、その子の常友と継ぐ。
寛文七年 (1667) 常友が城を修理して、城下町を整備する。以後、常春、常久と続く。
元禄五年五月 (1692) 常久が重臣に毒殺され、嗣子なく、弟の胤親が遠藤氏を継ぎ、常陸国で減封となる。その後、しばらく笠松代官が置かれる。
元禄五年十一月 (1692) 井上正任が郡上八幡城主となる。その後、正岑が継ぐ。
元禄十年六月 (1697) 井上正岑が丹波亀山へ転封となり、代わって金森頼旹が郡上八幡城主となる。頼旹が没すると子の頼錦が継ぐ。
宝暦八年十二月 (1758) 金森頼錦は郡上宝暦騒動の百姓一揆によって所領を没収される。代わって丹後宮津城主青山幸道が郡上八幡城主となる。以後、幸完、幸孝、幸寛、幸礼、幸哉、幸宜と続き、明治の版籍奉還となる。
昭和八年 (1933) 大垣城に模して天守閣が造られる。


≪ 写 真 ≫


郡上八幡城


西側通路からの見上げる天守閣


西側からの天守閣


松の丸からの天守閣


天守閣と隅櫓


八幡屋敷からの天守閣


南面の隅櫓


北西面の隅櫓


城門


桜の丸


松の丸


首洗い井戸


松の丸石垣


入口の出丸


力石


八幡屋敷


入口の石垣


登城口


山内一豊と妻の像と郡上八幡城


現地郡上八幡城案内図(リンク付サムネイル)


現地城山公園案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
長良川鉄道郡上八幡駅からバスで城下町プラザ下車、徒歩約20分。
<車>
東海北陸道郡上八幡ICを降りて八幡IC口交差点信号を右折、五町三叉路信号を右折、すぐに大きく左に曲がり県道319号を北上、道が大きく右に曲がり郡上八幡トンネルを通り総合庁舎前三叉路信号を右折して南下、道が左へ曲がった中坪1交差点信号を右折、約700m南下した城下町プラザ駐車場の交差点を左折、突き当りの安養寺前を右折してすぐに今度は左折した坂道を登って、道が左に曲がり城山公園沿いに右に曲がった郡上八幡城への登城道前の駐車場がある。天守閣北側にも駐車場があるが、登城口から駐車場まで一方通行なので注意。


≪ 位置図 ≫

郡上八幡城


紹介したお城の数 200城



岐阜の山城ベスト50を歩く
クリエーター情報なし
サンライズ出版





図説・日本名城集―決定版 (歴史群像シリーズ)
クリエーター情報なし
学研

篠脇城

2014-04-11 06:22:53 | 岐阜県
 篠脇城

2014/4/5

岐阜県郡上市のお城めぐり

 斎藤妙椿に城を奪われたが、東常縁が悲しみの和歌を詠み返還された東氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 篠脇城
よみ: シノワキ
別称: 郡上城
所在地: 岐阜県郡上市大和町牧
現状: 山・東氏館跡庭園
築城年代: 正和元年(1312)ごろ
築城者: 東氏村
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・腰曲輪・土塁・畝状空堀群・横堀・竪堀・井戸
規模: 標高523m、比高220m
文化財: 市指定史跡・国名勝
訪城日: 2014/4/5


≪ 訪城記 ≫

自宅から篠脇城へ向かう。

東海北陸道ぎふ大和ICを降りて北上、道が大きく右に曲がり長良川沿いの県道52号へ出る突き当りの三叉路を左折、すぐに次の三叉路を右折して長良川の架かる橋を渡り、県道61号を東進、長良川鉄道踏切を渡り、徳永交差点信号を直進、県道318号を約2.2kmで道の左側に「古今伝授の里フィールドミュージアム」があり、ここの駐車場に車を駐車させてもらう。

「古今伝授の里フィールドミュージアム」の西側に明建神社があり、神社前に篠脇城趾碑が建っている。
駐車場から道を渡り、道の南を流れる栗栖川に架かる橋を渡った先に東氏館跡庭園があり、古今伝授の碑のある突き当りを左折した山裾の道が登城口で、説明板と実測図が建てられている。
ジグザグの登り道を約15分登ると目の前に大きな竪堀が見え、大手門通りに着き、左の大手門通りを進むと明瞭な竪堀群が見られる。分かれ道に戻り、右側の道を登っていくといくつか竪堀が見られ、古井戸への案内板のある踏付け道を降りると今も水を蓄える井戸がある。井戸から戻り、さらに本丸下の横堀を南に進むと西側の見事な畝状空堀群、本丸南側の下には深く大きな東西の横堀が2条あり、さらに出丸らしき台地上の削平地がある。本丸下の東側にも見事な畝状空堀群を見られる。本丸下を一周して本丸へ登ると、まず腰曲輪、二の丸、本丸と北から三段になっていて、畝状空堀群と比べると質素な削平地で本丸南面に土塁跡が残るのみです。
本丸中央に東家の碑があり、南西土塁横に篠脇霊魂堂の社と実測図、本丸北東に篠脇城跡の看板と裏面に説明書きがある。


≪ 歴 史 ≫

正和元年 (1312) 阿千葉城を居城とした東時常が越前の大野郡に攻め入り討死、その弟下野守氏村が家督を継ぎ篠脇城を築き居城とする。氏村ののちは常顕、師氏、益之、氏数と続いたが、永享十年(1438)の永享の乱で氏数は宗家千葉氏に従って鎌倉公方足利持氏に与したと疑われ、同十二年(1440)、周防国に流される。氏数の跡は弟の常縁が継いだ。
康正元年 (1455) 常縁は将軍義政の命を受け、宗家下総の千葉氏の内紛で死んだ胤直の甥実胤を援けるため関東に下向した。
応仁二年 (1468) 応仁の乱が起こり、篠脇城は美濃守護代斎藤妙椿の攻撃を受け、落城する。
文明元年 (1469) 常縁が篠脇城が落城した悲しみを詠んだ和歌が発端となり、妙椿が常縁に篠脇城を返還する。東氏は歴代和歌に長じ、特に常縁は「古今伝授」を確立した人物で、この頃に連歌の名匠宗祇が「古今和歌集」の伝授を受ける。宗祇に伝えられた古今伝授は、三条西実隆を経て細川幽斎に伝わる。
天文九年 (1540) 常縁の死後、元胤、常慶と継ぎ、常慶のときに越前朝倉義景の攻撃を受け、篠脇城は守るのに不適として、翌十年(1541)、東殿山城を新たに築き移る。


≪ 写 真 ≫


篠脇城本丸


本丸中央の「東家之碑」


本丸南側の土塁


本丸南西側の篠脇霊魂堂


本丸入口


二の丸


腰曲輪


北東側の畝状空堀群


東側の畝状空堀群


南東側の畝状空堀群


南側の出丸付近


南側の横堀


西側の横堀


西側の畝状空堀群


井戸


大手通りの畝状空堀群


大手通り


大手通り前の竪堀


登城口


東氏館跡庭園


古今伝授の碑


栗栖川に架かる橋


明建神社前の篠脇城趾碑


現地篠脇城跡実測図(リンク付サムネイル)


現地東氏館跡庭園図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
長良川鉄道徳永駅から徒歩約30分。登城口から約30分で本丸。
<車>
東海北陸道ぎふ大和ICを降りて北上、道が大きく右に曲がり長良川沿いの県道52号へ出る突き当りの三叉路を左折、すぐに次の三叉路を右折して長良川の架かる橋を渡り、県道61号を東進、長良川鉄道踏切を渡り、徳永交差点信号を直進、県道318号を約2.2kmで道の左側にある「古今伝授の里フィールドミュージアム」に駐車場有。登城口から約30分で本丸。


≪ 位置図 ≫

篠脇城


東氏館跡庭園


紹介したお城の数 199城



岐阜の山城ベスト50を歩く
クリエーター情報なし
サンライズ出版




戦国の山城―山城の歴史と縄張を徹底ガイド (歴史群像シリーズ)
全国山城サミット連絡協議会
学研マーケティング