お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

一戸城

2014-10-20 06:23:07 | 北海道・青森県・岩手県
 一戸城

2014/9/18

岩手県一戸町のお城めぐり

 南部氏初代南部光行の庶子行朝の子、南部義実が築いた一戸南部氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 一戸城
よみ: イチノヘ
別称: 北館
所在地: 岩手県二戸郡一戸町一戸北舘
現状: 一戸公園・神社
築城年代: 建長年間(1249-56)
築城者: 南部義実
形式: 平山城
遺構:
規模: 100m×100m
文化財:
訪城日: 2014/9/18


≪ 訪城記 ≫

九戸城から一戸城に向かう。

九戸城跡を出て案内図のある三叉路を右折、北上して岩屋観音像付近の川を渡った交差点信号を左折、馬淵川を渡り、県道24号を西進、中曽根三叉路信号を左折、国道4号を南下、馬淵川に架かる馬仙大橋を渡って一戸町に入る。そのまま国道4号を南下、一戸インター入口前を通り、約1.0㎞進んだ道の右側に一戸公園がある。入口に駐車場がある。ここに車を駐車する。

奥に入って行くと忠魂碑や水道施設のある広場に出る。ここが一戸公園で南に降りた神社社殿前に一戸城跡の木製標柱があるのみです。
公園入口の南側に国道4号に沿って道があり、両側が高く断崖になっている。この道は深い空堀跡ではないか。


≪ 歴 史 ≫

建長年間 (1249-56) 南部氏初代南部光行の庶子行朝の子、南部義実が築き、一戸南部氏の居城とする。一戸氏は、平舘、荒木田、千徳、津軽石、堀切、寄木、野田、谷内、中村、金田一の諸氏の祖と言われている。
天正九年七月 (1581) 一戸政連父子が刺殺され、一戸氏本家は断絶した。
天正十九年 (1591) 九戸政実の乱で、一戸城の攻防戦が行われる。
文禄元年 (1592) 一戸城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


一戸城趾碑


一戸公園


空堀跡?

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
いわて銀河鉄道一戸駅から徒歩約30分。
<車>
八戸道一戸ICを降りて一戸インター入口信号を右折、国道4号を約1.0㎞南下した道の右側に一戸公園がある。入口に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

一戸城(一戸公園)


紹介したお城の数 284城



お城へ行こう! (岩波ジュニア新書)
萩原 さちこ
岩波書店




図説厳選日本の名城探訪ガイド―お城へ行こう!もっとお城を楽しもう! (歴史群像シリーズ)
大島慎一,岡崎壮一
学研マーケティング

九戸城

2014-10-19 08:39:22 | 北海道・青森県・岩手県
 九戸城

2014/9/18

岩手県二戸市のお城めぐり

 南部氏に謀反した九戸政実らが豊臣秀吉の奥州仕置に籠城した、九戸政実の乱の舞台となった九戸氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 九戸城
よみ: クノヘ
別称: 白鳥城・宮野城・福岡城
所在地: 岩手県二戸市福岡城ノ内
現状: 史跡九戸城跡
築城年代: 明応年間(1492-1500)
築城者: 九戸光政
形式: 平山城
遺構: 本丸・二の丸・松の丸・外館(石沢館)・若狭館・大手門跡・搦手門跡・本丸虎口・桝形虎口・空堀・石垣・土塁・西南隅櫓跡・西北隅櫓跡
規模: 850m×650m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/9/18


≪ 訪城記 ≫

四戸城から九戸城へ向かう。

長壽寺の駐車場を出て前面道路を約1.35㎞北上したいわて銀河鉄道踏切に入る三叉路を右折、踏切を渡ってすぐの三叉路を右折、約180m南下した三叉路を左折して約300m東進した金田一温泉入口交差点信号を右折、国道4号を南下、金田一交差点信号を左折、すぐに大きく右に曲がり、馬淵川を渡り、県道274号を南下、岩屋観音堂付近の交差点信号を直進、約360m進んだ九戸城周辺文化財案内図のある三叉路を左折、約450m南西に細い道を進み、途中、大手門脇堀跡があり、道の左側上に九戸城趾碑がある方向へ左折すると九戸城跡に着く。奥の二の丸搦手門跡前に駐車スペースがある。ここに車を駐車する。

まずは入口三叉路の案内板が気になったので見に行き、入ってきた道沿いの大手門脇堀跡と二の丸南側の見事な断崖絶壁を見て、南側に松の丸を先に見に行きました。松の丸は一番南側の九戸政実神社付近の遊具のある広場に説明板付の石柱がある。
大手門跡へ戻り、綺麗な芝生で緑一色になった二の丸を見ながら、奥の二の丸搦手門跡を東に行くと、本丸入口の堀に架かる橋を渡り、追手門跡の桝形を通って本丸に入る。本丸は土塁と空堀に囲まれ東と西側に区画されているようで、東側が少し高く、断崖絶壁になっている。
南西隅櫓付近に本丸跡碑があり、桝形虎口になっていて、土塁と空堀が南東隅櫓につながっている。桝形虎口を出ると二の丸で、ここも東側が少し高い。中央付近に城跡の模型が造られている。
搦手門跡に戻り、西側に空堀を降りていくと、台地上になった外館(石沢館)跡、さらに奥に若狭館がある。
各郭ごとに石柱が建てられていて説明板が付いているので非常にありがたい。


九戸城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

明応年間 (1492-1500) 九戸政実の四代前の九戸光政の頃に築城したと言われている。
永禄十一年 (1568) 鹿角郡奪還の戦いで九戸政実が戦功をたて、二戸郡福岡を給され移ったと言われている。
天正八年 (1580) 三戸城主南部晴政が死去。政実は妾腹の子晴継を後継に推していた。それより前にも、南部信直が世子となっていたにもかかわらず、晴政の弟実親を推していたことが対立の引鉄となったようです。
天正十八年 (1590) 豊臣秀吉は小田原を攻略し、続いて奥州仕置を開始する。
天正十九年三月 (1591) 九戸城主九戸政実らが三戸南部氏に反逆し、南部信直と合戦に及ぶが、八月に蒲生氏郷を主将とする奥州仕置の軍勢が到着、九月一日には姉帯、根反の二城を攻略、二日、九戸城に迫り、政実らは籠城する。四日、政実らが降伏して九戸城は落城する。信直は三戸城から九戸城へ移って修築、福岡城と改める。
寛永十三年 (1636) 南部利直が盛岡城に本拠を移したため、九戸城は廃城となった。


≪ 写 真 ≫


九戸城本丸


本丸空堀


本丸追手門跡


本丸跡南側


本丸桝形虎口


西南隅櫓跡


二の丸跡


本丸桝形虎口付近の土塁


追手門桝形虎口


西北隅櫓跡


本丸跡北側


本丸虎口付近


本丸西南隅櫓跡付近


二の丸と石沢館の間の空堀


外館(石沢館)南西側


外館(石沢館)南東側


外館(石沢館)跡


若狭館


大手門跡


九戸城趾碑


大手門脇堀跡


二の丸南側断崖絶壁


松の丸跡


二の丸搦手門跡


九戸城周辺文化財案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北新幹線、いわて銀河鉄道二戸駅から徒歩約25分。
<車>
八戸道一戸ICを降りて一戸インター入口信号を左折、国道4号を北上、中曽根三叉路信号を右折、県道24号を西進、馬淵川を渡り、岩屋観音堂付近の交差点信号を右折、約360m進んだ九戸城周辺文化財案内図のある三叉路を左折、約450m南西に細い道を進み、途中、大手門脇堀跡があり、道の左側上に九戸城趾碑がある方向へ左折すると九戸城跡に着く。奥の二の丸搦手門跡前に駐車スペースがある。


≪ 位置図 ≫

九戸城


紹介したお城の数 283城



お城へ行こう! (岩波ジュニア新書)
萩原 さちこ
岩波書店




わくわく城めぐり ビギナーも楽しめる〈城旅〉34
萩原さちこ
山と渓谷社

四戸城

2014-10-18 05:50:00 | 北海道・青森県・岩手県
 四戸城

2014/9/18

岩手県二戸市のお城めぐり

 南部光行の四男孫四郎宗朝を祖とする四戸氏代々の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 四戸城
よみ: シノヘ
別称: 金田一城
所在地: 岩手県二戸市金田一舘
現状: 長壽寺・墓地・空き地
築城年代:
築城者:
形式: 平城
遺構:
規模: 700m×100m
文化財:
訪城日: 2014/9/18


≪ 訪城記 ≫

ホテルから四戸城へ向かう。

ホテルを出て根城跡と八戸市立博物館前を通り、国道104号を南西に進み、馬淵川に架かる櫛引橋を渡り、突き当りの一日市三叉路信号を左折、八戸道高架下をくぐり、南部町役場前を通り、しばらく青い森鉄道沿いを並走して、斗賀付近で大きく左へ曲がり南下、こんどは右へ大きく曲り西進、突き当りの剣吉三叉路信号を左折、国道4号を南下、諏訪ノ平駅付近で右へ曲がり西進、町役場南部分庁舎前を通り、三戸町を通って南下、岩手県に入り、金田一温泉入口交差点信号を右折、西進した突き当りの三叉路を右折、約180m北上した三叉路を左折していわて銀河鉄道踏切を渡り、すぐの三叉路を左折、約1.3㎞南下した三叉路を約50m直進した三叉路を右折、右手に長壽寺の駐車場があり、奥に四戸城跡の長壽寺がある。寺の駐車場に車を駐車させてもらう。

長壽寺と八坂神社の間の墓地へ行く階段を登って、墓地の東側の空き地に大きな石と四戸城跡の看板とその下に消えかかった小さな説明板があるのみです。
日本城郭大系によると、長壽寺と八坂神社一帯が上館、その北側が中館、さらに北側の秋葉神社付近が下館だそうです。


≪ 歴 史 ≫

南部光行の四男孫四郎宗朝を祖とする四戸氏代々の居城。
天正元年 (1573) 十五代四戸宗春は九戸政実の叔母を室としていたが、政実の謀反が発覚すると秋田に逃れ病死している。こののち、南部信直は四戸城代として大光寺左衛門を配している。
慶長年間 (1596-1615) 四戸一族の中野氏が居城する。


≪ 写 真 ≫


四戸城跡の看板


四戸城跡付近


長壽寺

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
いわて銀河鉄道金田一温泉駅から徒歩で約1.8㎞、約30分で長壽寺。
<車>
八戸道一戸ICを降りて一戸インター入口信号を左折、国道4号を北上、金田一温泉入口交差点信号を左折、西進した突き当りの三叉路を右折、約180m北上した三叉路を左折していわて銀河鉄道踏切を渡り、すぐの三叉路を左折、約1.3㎞南下した三叉路を約50m直進した三叉路を右折、右手に長壽寺の駐車場があり、奥に四戸城跡の長壽寺がある。


≪ 位置図 ≫

四戸城(長壽寺)


紹介したお城の数 282城



城を攻める 城を守る (講談社現代新書)
伊東 潤
講談社




信長軍の司令官―部将たちの出世競争 (中公新書)
谷口 克広
中央公論新社

森ノ腰館

2014-10-16 05:55:17 | 北海道・青森県・岩手県
 森ノ腰館

2014/9/17

青森県南部町のお城めぐり

 北信愛の家系に列する北十左衛門直連の居館

≪ お城の概要 ≫

城名: 森ノ腰館
よみ: モリノコシ
別称:
所在地: 青森県三戸郡南部町森越上小路
現状: 首塚
築城年代:
築城者:
形式: 居館
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2014/9/17


≪ 訪城記 ≫

剣吉城から森ノ腰館に向かう。

剣吉城跡の剣吉小学校を出て青い森鉄道高架を渡り、県道33号を東進、青い森鉄道踏切手前の三叉路を斜め右折、すぐに次の三叉路も右折、県道42号を南下、剣吉公民館前を通り、馬淵川を渡り、森越公民館前の交差点を右折、県道134号を南西に約100m進んだ住宅地が途切れる道の右側に森ノ腰館跡標柱と説明板がある。右折した道路脇に車を駐車しました。

森ノ腰館跡標柱と説明板の裏側に稲荷神社と森越館主北十左衛門直連公の首塚がひっそりとあるのみです。


≪ 歴 史 ≫

森越館主北十左衛門直連は、藩主南部利直のい密命により大坂城の豊臣方に参陣するが、捕われの身となり南部家の二心を疑われた利直の命により処刑される。

≪ 写 真 ≫


森ノ腰館跡標柱と説明板


森越館主北十左衛門直連公の首塚

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
青い森鉄道剣吉駅からバスで森越バス停下車、約3分。
<車>
八戸道八戸ICを降りて県道29号を北上、松園町三叉路信号を左折、国道104号を南西に進み、馬淵川に架かる櫛引橋を渡り、突き当りの一日市三叉路信号を左折、八戸道高架下をくぐり、南部町役場前を通り、しばらく青い森鉄道沿いを並走して、斗賀付近で大きく左へ曲がり南下、こんどは右へ大きく曲った三叉路を左折、県道33号を南東に進み、青い森鉄道踏切を渡り、すぐの三叉路を斜め左折、すぐに次の三叉路を右折、県道42号を南下、剣吉公民館前を通り、馬淵川を渡り、森越公民館前の交差点を右折、県道134号を南西に約100m進んだ住宅地が途切れる道の右側に森ノ腰館跡標柱と説明板がある。右折した道路脇に駐車可能。


≪ 位置図 ≫

森ノ腰館


紹介したお城の数 281城



わくわく城めぐり ビギナーも楽しめる〈城旅〉34
萩原さちこ
山と渓谷社




信長と将軍義昭 - 提携から追放、包囲網へ (中公新書)
谷口 克広
中央公論新社

剣吉城

2014-10-15 05:55:03 | 北海道・青森県・岩手県
 剣吉城

2014/9/17

青森県南部町のお城めぐり

 南部氏の家老職北左衛門佐信愛(松斎)の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 剣吉城
よみ: ケンヨシ
別称: 剣吉館・大館・小古館
所在地: 青森県三戸郡南部町剣吉岩ノ下
現状: 剣吉城址公園・剣吉小学校
築城年代:
築城者: 北氏
形式: 平山城
遺構:
規模: 70m×100m
文化財:
訪城日: 2014/9/17


≪ 訪城記 ≫

平良ヶ崎城から剣吉城へ向かう。

平良ヶ崎城跡の旧南部中学校跡を出て県道233号を南下、突き当りの南部町門前三叉路信号を左折、国道4号を東進、剣吉前田付近で三叉路を右折、県道33号を東進、青い森鉄道踏切を渡り、四反田交差点を左折してすぐに突き当りの三叉路を右折、剣吉荒町付近の剣吉小学校へ入る細い道へ左折、青い森鉄道陸橋を渡った先が剣吉小学校で、小学校の東側を回った裏側に剣吉城址公園があり、登り口手前の駐車場に車を駐車する。

駐車場から西に坂を登っていくと相撲場と四阿のある公園で、入口に「覚」の碑文があるのみです。
剣吉小学校入口には剣吉城址公園の案内図がある。


≪ 歴 史 ≫

天正二十年 (1592) 北氏は南部氏の家老職で、二十六代藩主南部信直の擁立に大功があり、豊臣秀吉による破却を免れる。
元和元年 (1615) 一国一城令により廃城となる。


≪ 写 真 ≫


剣吉城址公園「覚」の碑文付近


剣吉城址公園


剣吉城址公園登り道


現地剣吉城址公園案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
青い森鉄道剣吉駅から徒歩約15分。
<車>
八戸道八戸ICを降りて県道29号を北上、松園町三叉路信号を左折、国道104号を南西に進み、馬淵川に架かる櫛引橋を渡り、突き当りの一日市三叉路信号を左折、八戸道高架下をくぐり、南部町役場前を通り、しばらく青い森鉄道沿いを並走して、斗賀付近で大きく左へ曲がり南下、こんどは右へ大きく曲った三叉路を左折、県道33号を南東に進み、青い森鉄道踏切を渡り、すぐの三叉路を右に約70m進み、剣吉荒町付近の剣吉小学校へ入る細い道へ右折、青い森鉄道陸橋を渡った先が剣吉小学校で、小学校の東側を回った裏側に剣吉城址公園があり、登り口手前の駐車場を利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

剣吉城(剣吉城址公園)


紹介したお城の数 280城



信長の城 (岩波新書)
千田 嘉博
岩波書店




戦国大名の城を読む 築城・攻城・籠城 (SB新書)
萩原 さちこ
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