お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

平良ヶ崎城

2014-10-14 18:30:07 | 北海道・青森県・岩手県
 平良ヶ崎城

2014/9/17

青森県南部町のお城めぐり

 南部氏の糠部入国当初に政庁が置かれた南部氏発祥地の館

≪ お城の概要 ≫

城名: 平良ヶ崎城
よみ: ヘラガサキ
別称: 平良ヶ崎館・篦ヶ崎館
所在地: 青森県三戸郡南部町沖田面南古館
現状: 旧南部中学校跡地
築城年代: 建久三年(1192)
築城者: 南部光行
形式: 平城
遺構:
規模: 160m×220m
文化財: 町指定史跡
訪城日: 2014/9/17


≪ 訪城記 ≫

聖寿寺館から平良ヶ崎城へ向かう。

聖寿寺館跡を出て約750m東進、三叉路を右折、県道233号を130m南下した道の東側に南部中学校の看板のある坂道の入口に車を駐車する。

鎖で車止めされた坂を徒歩で登った先に古びた説明板があり、東側の空き地が旧南部中学校跡が平良ヶ崎城跡で、雑草が繁茂した状態で遺構はなにもない。


平良ヶ崎城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

建久三年 (1192) 初代南部光行が平泉の藤原氏討伐の戦功によって源頼朝から糠部の地を賜り、一族が入国、一時居館とした相内館が手狭になり平良ヶ崎館を築いて政庁が置かれた南部氏発祥の地。

≪ 写 真 ≫


平良ヶ崎城説明板付近


旧南部中学校跡


旧南部中学校跡のグラウンド跡


旧南部中学校跡への入口

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
青い森鉄道諏訪ノ平駅からバスで南部分庁舎前バス停下車、徒歩約750m、約15分。
<車>
八戸道八戸ICを降りて県道29号を北上、松園町三叉路信号を左折、国道104号を南西に進み、馬淵川に架かる櫛引橋を渡り、突き当りの一日市三叉路信号を左折、八戸道高架下をくぐり、南部町役場前を通り、しばらく青い森鉄道沿いを並走して、斗賀付近で大きく左へ曲がり南下、こんどは右へ大きく曲り西進、突き当りの剣吉三叉路信号を左折、国道4号を南下、諏訪ノ平駅付近で右へ曲がり西進、町役場南部分庁舎前を通り、南部町門前三叉路信号を右折、県道233号を約300m北上した道の東側に南部中学校の看板のある坂道を登った先が旧南部中学校跡で平良ヶ崎城跡です。登り口の坂に路上駐車すると良い。


≪ 位置図 ≫

平良ヶ崎城(旧南部中学校跡)


紹介したお城の数 279城



戦国の城 (学研新書)
小和田 哲男
学習研究社




織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)
谷口 克広
中央公論新社

聖寿寺館

2014-10-13 08:22:13 | 北海道・青森県・岩手県
 聖寿寺館

2014/9/17

青森県南部町のお城めぐり

 南部氏宗家三戸南部氏発祥地の居館

≪ お城の概要 ≫

城名: 聖寿寺館
よみ: ショウジュジ
別称: 本三戸城
所在地: 青森県三戸郡南部町小向聖寿寺・小向舘
現状: 果樹園・国史聖寿館跡・三光寺
築城年代:
築城者:
形式: 平城
遺構:
規模: 250m×300m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/9/17


≪ 訪城記 ≫

三戸城から聖寿寺館へ向かう。

城山公園を出て三戸町役場前の道を西進、二日町交差点信号を右折、県道258号を北上、六日町三叉路信号を右折、県道45号を北東に進み、道が大きく左に曲がり本木平交差点信号を直進して県道258号を北上、次の三叉路信号を斜め右折、三戸駅前を通って北上、道が大きく左に曲がった沖田面三叉路信号を右折、国道4号を北東に進み、南部町門前三叉路信号を左折、県道233号を約400m北上して交差点を左折、約750m西進した三叉路を右折、約100m北上した突き当りに三光寺があり、左折して約50mで道の南側にトイレのある空き地がある。ここに車を駐車する。

道の北側斜面一帯が聖寿寺館跡で南部実光の墓と二十七代利直四男彦八郎利康の霊屋がある。三光寺の裏境内には二十六代信直夫妻の墓、南部利直の霊屋がある。
ここから南へ道を回って行ったリンゴ園の前に聖寿寺館跡の標柱があるのみです。


聖寿寺館の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

建久二年 (1191) 初代南部光行が平泉の藤原氏討伐の戦功によって源頼朝から糠部の地を賜り、一族が入国して移り住んだ居館で、もとは三戸城と呼ばれていた南部氏発祥の地。
天文八年六月十四日 (1539) 家臣赤沼備中の放火によって聖寿寺館は焼失、城山と呼ばれる三戸城に移城してからは本三戸城と呼ばれるようになる。


≪ 写 真 ≫


聖寿寺館跡


二十七代利直四男彦八郎利康霊屋


二十六代信直夫妻墓


二十七代南部利直霊屋


南部実光の墓


聖寿寺館跡標柱

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
青い森鉄道諏訪ノ平駅からバスで南部分庁舎前バス停下車、徒歩約2㎞、約40分。
<車>
八戸道八戸ICを降りて県道29号を北上、松園町三叉路信号を左折、国道104号を南西に進み、馬淵川に架かる櫛引橋を渡り、突き当りの一日市三叉路信号を左折、八戸道高架下をくぐり、南部町役場前を通り、しばらく青い森鉄道沿いを並走して、斗賀付近で大きく左へ曲がり南下、こんどは右へ大きく曲り西進、突き当りの剣吉三叉路信号を左折、国道4号を南下、諏訪ノ平駅付近で右へ曲がり西進、町役場南部分庁舎前を通り、南部町門前三叉路信号を右折、県道233号を約400m北上して交差点を左折、約750m西進した三叉路を右折、約100m北上した突き当りに三光寺があり、左折して約50mで道の南側にトイレのある空き地がある。ここに駐車すると良い。


≪ 位置図 ≫

聖寿寺館(南部実光の墓付近)


紹介したお城の数 278城



図説・戦国地図帳―決定版 (歴史群像シリーズ)
久保田 昌希
学研




土の城指南
西股 総生
学研パブリッシング

三戸城

2014-10-12 10:00:00 | 北海道・青森県・岩手県
 三戸城

2014/9/17

青森県三戸町のお城めぐり

 二十四代藩主南部晴政が築いた南部氏宗家三戸南部氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 三戸城
よみ: サンノヘ
別称: 留ヶ崎城・三戸高城・城山
所在地: 青森県三戸郡三戸町梅内城ノ下
現状: 城山公園・糠部神社
築城年代: 永禄年間(1558-70)
築城者: 南部晴政
形式: 山城
遺構: 本丸・淡路丸・谷丸・模擬天守(三戸城温故館)・綱御門・鍛冶屋御門・欅御門跡・鳩御門跡・家臣邸跡・三層櫓跡・太鼓櫓跡・物見櫓跡・鶴池・亀池・石垣・空堀・武者溜り
規模: 900m×200m、標高130m、比高90m
文化財:
訪城日: 2014/9/17


≪ 訪城記 ≫

根城から三戸城へ向かう。

八戸市立博物館を出て国道104号を南西に進み、馬淵川に架かる櫛引橋を渡り、突き当りの一日市三叉路信号を左折、八戸道高架下をくぐり、南部町役場前を通り、しばらく青い森鉄道沿いを並走して、斗賀付近で大きく左へ曲がり南下、こんどは右へ大きく曲り西進、突き当りの剣吉三叉路信号を左折、国道4号を南下、諏訪ノ平駅付近で右へ曲がり西進、町役場南部分庁舎前を通り、沖田面三叉路信号を左折、大きく左に曲がり県道258号を南下、三戸駅前を通り、突き当りの三叉路信号を左折、本木平交差点信号を直進、この付近から正面の山が三戸城跡で山に三戸城の看板が見える。しばらく行くと道が斜め右に曲がり、県道45号を南西に進み、六日町三叉路信号を左折、県道258号を南下、二日町交差点信号を左折、三戸町役場前を通り、道が坂道になり県道134号が斜め右に曲がるところに城山公園の看板があり、案内に沿って左折、山へ登る。途中、道が右に大きく曲る辺りに三戸城趾碑が建っている。今度は道が左に曲がるところが物見櫓跡で、少し登った道の左側に石垣が少し残っている。坂道を登り詰めた山頂が本丸跡で駐車場となっている。ここに車を駐車する。

駐車場の入口付近の車回しに三戸城本丸趾碑と説明板がある。
入口の右側に太鼓櫓跡、左側に入って行くと南部氏の祖南部光行公を祀る糠部神社があり、三戸町民俗資料館と模擬天守風の三戸城温故館がある。糠部神社参道入口付近が欅御門跡で、参道沿いには家臣邸跡が左右に並ぶ。さらに降りていくと鳩御門跡、復元された立派な綱御門がある。
駐車場の北東端には三層櫓跡、イベント広場の東側に上段御馬屋跡、鶴池、亀池、その下に降りていくと石垣が良く残る鍛冶屋御門跡が見られる。イベント広場の北側に淡路丸、大清水、谷丸には薬研堀の空堀跡が見られる。


三戸城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

天文八年六月十四日 (1539) 家臣赤沼備中の放火によって三戸南部氏代々の居館聖寿館(本三戸城)が焼失、永禄年間(1558-70)に入り南部晴政が宗家三戸南部氏の居城を築く。
天正十八年 (1590) 二十六代南部直信の時に津軽四郡を失ったが、小田原の陣への参陣により、豊臣秀吉から新領地、岩手、志和、稗貫、和賀、閉伊、鹿角を与えられ、三戸城は領内中央ではなく、北方に位置することとなる。
天正十九年 (1591) 九戸政実の乱が終り、豊臣秀吉から派遣された軍監浅野長政の勧めで岩手郡不来方に築城することとなる。
慶長二年 (1597) 信直の子利直の指揮監督で築城が始まり、盛岡城と命名される。
慶長四年 (1599) 南部信直の死去によって、築城が一時中断する。
寛永十年 (1633) 二十八代重直の時代にようやく完成する。三戸城は城代が置かれ明治維新まだ存続する。


≪ 写 真 ≫


三戸城温故館


三戸城本丸跡


三層櫓跡


鍛冶屋御門跡


鍛冶屋御門跡石垣


谷丸の空堀跡


復元綱御門


綱御門と石垣


三戸城趾碑


城山公園登り道途中の石垣跡


太鼓櫓跡


欅御門跡


糠部神社


上段御馬屋跡


鶴池


亀池


淡路丸跡


鳩御門跡


綱御門の武者溜り


物見櫓跡


現地三戸城復元図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
青い森鉄道三戸駅からバスで三戸町役場前バス亭下車、徒歩約15分。
<車>
八戸道八戸ICを降りて県道29号を北上、松園町三叉路信号を左折、国道104号を南西に進み、馬淵川に架かる櫛引橋を渡り、突き当りの一日市三叉路信号を左折、八戸道高架下をくぐり、南部町役場前を通り、しばらく青い森鉄道沿いを並走して、斗賀付近で大きく左へ曲がり南下、こんどは右へ大きく曲り西進、突き当りの剣吉三叉路信号を左折、国道4号を南下、諏訪ノ平駅付近で右へ曲がり西進、町役場南部分庁舎前を通り、沖田面三叉路信号を左折、大きく左に曲がり県道258号を南下、三戸駅前を通り、突き当りの三叉路信号を左折、本木平交差点信号を直進、この付近から正面の山が三戸城跡で山に三戸城の看板が見える。しばらく行くと道が斜め右に曲がり、県道45号を南西に進み、六日町三叉路信号を左折、県道258号を南下、二日町交差点信号を左折、三戸町役場前を通り、道が坂道になり県道134号が斜め右に曲がるところに城山公園の看板があり、案内に沿って左折、坂道を登り詰めた山頂が本丸跡で駐車場となっている。


≪ 位置図 ≫

三戸城(城山公園)


紹介したお城の数 277城



あやしい天守閣 (イカロス・ムック)
かみゆ歴史編集部
イカロス出版




定本 日本城郭事典
クリエーター情報なし
秋田書店

根城

2014-10-11 06:08:02 | 北海道・青森県・岩手県
 根城

2014/9/17

青森県八戸市のお城めぐり

 陸奥国国司北畠顕家と共に下向した南部師行が築いた根城南部氏の居城

 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 根城
よみ: ネ
別称:
所在地: 青森県八戸市根城大字根城・東構
現状: 根城の広場・住宅地
築城年代: 建武元年(1334)
築城者: 南部師行
形式: 平城
遺構: 本丸・中館・東善寺館・西ノ沢・復元東門・主殿・上馬屋・中馬屋・下馬屋・物見・番所・常御殿・奥御殿・工房・野鍛冶場・鍛冶工房・板蔵・納屋・本丸東門・北門・西門・土塁・空堀・井戸・柵
規模: 約650m×約410m、標高20m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/9/17


≪ 訪城記 ≫

ホテルを出て根城へ向かう。

ホテルを出て類家堤田交差点信号を右折、南西に進み、市立図書館前を通り、平中交差点信号を右折、国道340号を北上、根城1丁目三叉路信号を斜め左折、長根公園前を通り西進、国道104号を進み博物館前三叉路信号を右折、すぐに道の左側にある八戸市博物館駐車場に車を駐車する。

博物館前には南部師行公の騎馬像ある。
博物館の西側に広がる芝生広場が根城です。復元された立派な東門を入ると南北に深い空堀がある。芝生広場の通路右側の墓石のある杉林一帯が東善寺館で、芝生広場を西に進むと一段高い中館で前に空堀があり、中館中央付近に全体屋外模型、北端には四阿が復元されている。
国道104号挟んだ南側の住宅地が岡前館と沢里館跡です。
国道104号からの入り口の三角地に根城趾碑が建てられいて、西へ入ると空堀に囲まれた台地状の本丸があり、建物が復元されている。開館まで時間が早かったので国道沿いの空堀沿いに西の西ノ沢へ行く。 本丸の西側に当たり、深い堀や高い土塁が見られ、非常に満足します。
深い空堀に架かる木橋を渡り、左側の東門から入ると案内所があり、入場料250円です。
主殿・上馬屋・中馬屋・下馬屋・物見・番所・常御殿・奥御殿・工房・野鍛冶場・鍛冶工房・板蔵・納屋・本丸東門・北門・西門・井戸・柵が復元されています。


根城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

建武元年 (1334) 陸奥国国司北畠顕家と共に下向した南部師行が築城する。
延元三年 (1338) 泉州石津で北畠顕家とともに南部師行が討死する。その後、政長、信政、信光、政光と続く。
天正十八年 (1590) 三戸南部氏の南部信直が豊臣秀吉の小田原攻めに参陣し、領地を安堵され、根城南部氏は三戸南部氏の支配下に入った。
天正十九年 (1591) 九戸政実の乱では、南部信直の有力な支援者として活躍する。
天正二十年 (1592) 豊臣秀吉の諸城破却令によって廃城となるが、寛永四年(1627)、根城(八戸)南部氏の二十二代南部直栄(直義)が岩手遠野への国替えまで使用されていたようです。


≪ 写 真 ≫


根城本丸の主殿


奥御殿


板蔵


納屋


井戸


鍛冶工房


野鍛冶場


常御殿


工房


中馬屋


本丸跡碑


上馬屋


本丸東門


中館西側切岸


西ノ沢


本丸西側


本丸西側空堀と土塁


本丸南側空堀


根城趾碑


本丸入口の空堀


中館


中館前の空堀


芝生広場の通路


東善寺館北西側切岸


中館北東側切岸


東善寺館


東善寺館東側空堀


復元東門


南部師行公騎馬像


現地根城城郭配置図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北新幹線・青い森鉄道八戸駅からバスで約15分。博物館前バス停下車すぐ。
<車>
八戸道八戸ICで降りて県道29号を西進、沢里二ツ屋交差点信号を左折、国道340号を北上、根城1丁目三叉路信号を斜め左折、長根公園前を通り西進、国道104号を進み博物館前三叉路信号を右折、すぐに道の左側にある八戸市博物館駐車場を利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

根城(根城の広場)


紹介したお城の数 276城



定本 日本城郭事典
クリエーター情報なし
秋田書店




日本100名城めぐりの旅―7つの「城の楽しみ方」でお城がもっと好きになる!
萩原 さちこ
学研パブリッシング

新田城

2014-10-09 06:01:13 | 北海道・青森県・岩手県
 新田城

2014/9/16

青森県八戸市のお城めぐり

 根城南部氏の五代南部政長の次男政持が新田氏を名乗り築いた居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 新田城
よみ: ニイダ
別称: 新井田城
所在地: 青森県八戸市新井田館平
現状: 八幡宮・新井田小学校・住宅・畑
築城年代: 建武年間(1334-38)
築城者: 新田政持
形式: 平山城
遺構: 本丸跡・空堀跡
規模: 約330m×約150m、標高38m
文化財:
訪城日: 2014/9/16


≪ 訪城記 ≫

八戸城から新田城へ向かう。

八戸市役所有料駐車場を出て南下、馬場町交差点信号を左折、突き当りを左折して一方通行輪回しを一周して県道251号久慈街道を南下、吹上小学校前を過ぎてすぐの三叉路信号を左折、県道251号のまま南下、田向毘沙門平交差点信号を左折、市民病院前を通り、次の田向毘沙門前交差点信号を右折、道が左に曲がり新井田川に架かる新井田橋を渡り、突き当りの新井田横町三叉路信号を右折してすぐに細い道に右折、約200m南西に進んだ突き当りの鳥居を入って、坂を登った先が新田城跡の八幡宮です。私は左へ曲がって坂を登った先の新井田小学校の駐車場に車を駐車させてもらいました。

道の突き当りの八幡宮へ登る鳥居の左側にある水車の横に説明板がある。坂を登って行った八幡宮入口の左側に新田城趾碑があるのみで遺構はない。
八幡宮の西と南側は急斜面で、下に帯曲輪のような空堀跡のような広い部分があるが、全面雑草だらけで良く分からなかった。


≪ 歴 史 ≫

建武年間 (1334-38) 根城南部氏五代南部政長が次男政持に新田城を、三男信助に中館(のちの八戸城)を与え、新田氏・中館氏となる。
寛永四年 (1627) 三戸南部氏二十二代直義が岩手遠野に移り、新田氏十二代義実も随行し、新田城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


新田城趾碑と八幡宮


八幡宮入口の鳥居と説明板


南側の空堀跡


現地説明板図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR八戸線本八戸駅からバスで新井田バス停下車、徒歩約400m、約10分。
<車>
八戸道八戸ICで降りて県道29号を西進、沢里二ツ屋交差点信号を左折、国道340号を北上、根城1丁目三叉路信号を右折、東進した三日町交差点信号を右折、県道251号久慈街道を南下、吹上小学校前を過ぎてすぐの三叉路信号を左折、県道251号のまま南下、田向毘沙門平交差点信号を左折、市民病院前を通り、次の田向毘沙門前交差点信号を右折、道が左に曲がり新井田川に架かる新井田橋を渡り、突き当りの新井田横町三叉路信号を右折してすぐに細い道に右折、約200m南西に進んだ突き当りの鳥居を入って、坂を登った先が新田城跡の八幡宮で横に2台程度車を駐車するスペースがある。


≪ 位置図 ≫

新田城(八幡宮)


紹介したお城の数 275城



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