お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

八戸城

2014-10-08 06:01:45 | 北海道・青森県・岩手県
 八戸城

2014/9/16

青森県八戸市のお城めぐり

 南部重直の遺領を分け与えられた弟南部直房が築いた八戸藩の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 八戸城
よみ: ハチノヘ
別称:
所在地: 青森県八戸市内丸1丁目
現状: 三八城神社・三八城公園・八戸市公会堂・八戸市役所・住宅地
築城年代: 寛文四年(1664)
築城者: 南部直房
形式: 平城
遺構: 本丸跡・御殿跡・八戸城角御殿表門
規模: 800m×500m
文化財: 県重宝
訪城日: 2014/9/16


≪ 訪城記 ≫

七戸城から八戸城へ向かう。

神明宮の駐車場を出て町役場七戸庁舎前の道を南下、柏葉館前の交差点信号を左折、約180m東進した交差点を右折、南下して川を渡った三叉路を斜め右折、南下して太田野三叉路信号を直進して国道4号を南下、大沢田北野三叉路信号で国道4号奥州街道と合流して南下、洞内入口三叉路信号を斜め左折、十和田バイパスを南東に進み、野崎手前で側道を通って左折、国道45号を東進、第二みちのく有料道路高架下をくぐってすぐの交差点信号を右折、県道8号を百石道路沿いに南下、市川付近で国道45号八戸北バイパスを南下、八戸北IC前を通り、馬淵川に架かる馬淵大橋を渡り、城下三丁目交差点信号を右折、南下してJR八戸線高架下をくぐり、約100mで突き当りを斜め右折、この付近の高台の上が八戸城跡の三八城公園です。そのまま約450m南下した八戸市役所の有料駐車場に車を駐車する。

駐車場から市役所の西側を北へ行くと三八城公園です。公園中央の築山に八戸藩初代南部直房公の坐像と大きな八戸城趾碑と説明板がある。
公園南の三八城神社が御殿跡で、公園の南東隅、神社入口に八戸城本丸跡碑が建てられている。
八戸市役所の東側の道を隔てた南部会館前に八戸城角御殿表門が復原されている。


八戸城角御殿表門の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

八戸城は、根城南部氏の時代に南部政長の三男信助が根城の支城として築いた「中館」が始まりと言われていて、代々中館氏が居館する。
寛永四年 (1627) 根城南部氏が岩手県遠野に国替えとなり、以後、三戸南部氏の直轄地となる。
寛文四年 (1664) 南部重直が没し、遺領を分け与えられた弟直房が初代八戸藩主となり、八戸城を築く。二代直政は藩政確立に努める。以後、明治四年(1871)の廃藩置県で廃城となり、八戸南部氏十二代の居城であった。


≪ 写 真 ≫


八戸城角御殿表門


三八城公園中央の築山


八戸藩初代南部直房公坐像


八戸城趾碑


御殿跡の三八城神社


八戸城本丸跡

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR八戸線本八戸駅から徒歩約10分。
<車>
八戸道八戸北ICを降りて国道45号八戸北バイパスを南下、馬淵川に架かる馬淵大橋を渡り、城下三丁目交差点信号を右折、南下してJR八戸線高架下をくぐり、約100mで突き当りを斜め右折、この付近の高台の上が八戸城跡の三八城公園です。そのまま約450m南下した八戸市役所の有料駐車場を利用すると良い。他にも付近に有料駐車場有。


≪ 位置図 ≫

八戸城(三八城公園)


八戸城角御殿表門


紹介したお城の数 274城



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七戸城

2014-10-07 06:03:54 | 北海道・青森県・岩手県
 七戸城

2014/9/16

青森県七戸町のお城めぐり

 九戸政実の乱で九戸城主九戸政実とともに滅ぼされた七戸南部氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 七戸城
よみ: シチノヘ
別称: 柏葉城
所在地: 青森県上北郡七戸町七戸・城ノ後・貝ノ口
現状: 神明宮・柏葉公園・住宅地
築城年代: 鎌倉時代
築城者: 工藤右近将監または南部政長
形式: 平山城
遺構: 本丸・二の丸・北館・下館・宝泉館・西館・角館・土塁・水堀・空堀・大手虎口跡・復元東門
規模: 375m×387m、比高40m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/9/16


≪ 訪城記 ≫

ホテルから七戸城へ向かう。

ホテルを出て国道103号を南下、浜田交差点信号を直進、青森道高架下をくぐり、八甲田山へ向かう。山道に入り八甲田ゴールドライン途中で三叉路を左折、県道40号を東進、突き当りの雪中行軍銅像茶屋前を右折、そのまま南下、山を越えた駒込交差点を斜め左折、国道394号を北上して、山を迂回して東進、山を下りていき和田ダム横を通り、七戸町に入り、柏葉館前の七戸信号を左折、約50m北上した三叉路を左折、右手に七戸庁舎があり、そのまま坂を登って行った先に神明宮があり、横の駐車場に車を駐車する。

神明宮のあたりが本丸跡で、北側に柏葉公園が広がる。
柏葉公園の入口に七戸城趾碑と説明板が建てられていて、入った芝生広場が二の丸跡で南西隅に空堀跡が残る。
北東へ降りると姫塚があり、その東に菖蒲園があり、この付近が堀跡らしい。この菖蒲園の南側に東門が復元されている。姫塚から二の丸跡に戻り、北側土塁跡の中央付近で北館に渡る間に水堀がある。広い北館の西側に七戸城の復元模型が展示してある。道を隔てた西側に角館と西館があり、道を南に降りたところが大手虎口跡で大きな案内マップがある。東側に下館、西側に宝泉館があり、宝泉館には土塁と空堀跡がある。


七戸城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

建武元年 (1334) 北畠顕家の将工藤右近将監が蝦夷館を改修するが、北条方であった工藤氏は七戸城を没収され、南朝方の伊達行朝にあたえられ、さらに結城朝祐に与えられる。
建武二年 (1335) 結城氏が南朝方に反したので、鎌倉攻めに功を立てた南部政長に与えられ、改築する。
建武五年 (1338) 根城南部氏の南部師行が戦死する。弟の七戸城主政長が五代根城城主となり七戸城主と兼任する。
貞和四年 (1348) 政長の子根城南部氏六代信政が京都で戦い戦死する。
観応元年 (1350) 根城南部氏五代政長が死去する。以後、七代信光、八代政光と続く。
明徳四年 (1393) 政光は八戸を甥の長経に譲り、七戸に退き、七戸南部氏の初代となる。
康正二年 (1456) 田名部の蛎崎蔵人の乱で七戸城は落城する。
文明十五年 (1483) 宗家三戸南部の御家騒動により落城する。
天正十九年 (1591) 九戸政実の乱で九戸城主九戸政実と七戸城主家国が結び、豊臣秀吉の奥州仕置軍によって滅ぼされ、七戸南部氏は断絶する。七戸城は宗家南部信直の直轄地となる。


≪ 写 真 ≫


七戸城大手虎口


本丸跡の神明宮


七戸城趾碑


柏葉公園入口


二の丸跡


姫塚


東門の北側の堀跡


復元東門


二の丸と北館の間の水堀


北館


角館


菖蒲園の空堀跡


西館


西から見た水堀


大手へ降りる付近


下館


宝泉館


宝泉館の空堀跡


二の丸土塁跡


現地七戸城跡全体図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北新幹線七戸十和田駅からバスで役場七戸庁舎バス停下車すぐ。
<車>
青森道青森東ICを降りて県道47号を南東に進み、滝沢下川原付近でみちのく有料道路を通り、七戸町志茂川原付近で県道242号を東進、後平交差点信号を右折、国道4号を南下、JR東北新幹線高架下をくぐり、七戸署を過ぎた大沢三叉路を右折、道が左に大きく曲り奥州街道を南下、影津内信号を過ぎた、次の三叉路を右折、国道394号を約600m西進、交差点を左折、約80m南下した交差点信号を右折、約130m西進して左折した町役場七戸庁舎の裏山に七戸城跡の柏葉公園がある。庁舎や柏葉館前の駐車場を利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

七戸城(柏葉公園)


紹介したお城の数 273城



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横内城

2014-10-05 06:25:37 | 北海道・青森県・岩手県
 横内城

2014/9/15

青森県青森市のお城めぐり

 南部氏第二十代信時の四男田子弾正左衛門光康が築いて堤弾正氏初代となった居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 横内城
よみ: ヨコウチ
別称: 堤城・鏡城
所在地: 青森県青森市横内亀井
現状: 常福院
築城年代: 明応七年(1497)頃
築城者: 田子弾正左衛門光康
形式: 平城
遺構: 本丸・空堀
規模: 150m×150m、比高8m
文化財:
訪城日: 2014/9/15


≪ 訪城記 ≫

浪岡城から横内城に向かう。

浪岡城跡管理棟前の駐車場を出て左折、次の波岡前田交差点信号を右折、県道27号を東進、東北道を越え五本松平野三叉路信号を斜め右折、王余魚沢三叉路信号を斜め右折、浪岡ダム横を通り、青森空港を左手に見ながら迂回して高田朝日山付近で県道27号と合流、北上してすぐの三叉路分れ道を右折、団地を左手に進み、高田川瀬付近交差点信号を直進、県道122号を北上、高田川瀬交差点信号を右折、堤川を渡り、県道44号を東進、観光通り横内交差点信号を右折、約300m南下した三叉路を左折、約80m東進した遊園地のある前を左折した道の右側が横内城跡の常福院です。常福院内の駐車場に車を駐車する。

山門の前に説明板があり、駐車場の東側に三代堤弾正則景の妻朝日御前(常福尼)の石塔があり、その東側の社前に立派な横内城趾碑がある。
この常福院境内が本丸跡で本殿の東側が斜面になっていて空堀が残り、南側には深い天然と思われる空堀がある。


≪ 歴 史 ≫

明応七年頃 (1498) 南部氏第二十代信時の四男田子弾正左衛門光康が横内城を築き、初代堤弾正となった。その後、四代弾正のとき、津軽為信が油川城を落したと聞き、城を捨て逃れた。しかし、為信の部下福士弥三郎、小三郎に討たれ、津軽氏が城兵を置いて守った。

≪ 写 真 ≫


常福院山門


三代堤弾正則景の妻朝日御前(常福尼)の石塔


横内城趾碑


常福院境内


常福院裏の空堀跡


南側の天然の空堀跡

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR奥羽本線青森駅からバスで浄水場入口バス停下車、徒歩約3分。
<車>
青森道青森中央ICを降りて側道の国道7号を東進、浜田交差点信号を右折、青森道高架下をくぐり南下、観光通り横内交差点信号を直進、約300m南下した三叉路を左折、約80m東進した遊園地のある前を左折した道の右側が横内城跡の常福院です。常福院内の駐車場を利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

横内城(常福院)


紹介したお城の数 272城



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浪岡城

2014-10-04 07:54:03 | 北海道・青森県・岩手県
 浪岡城

2014/9/15

青森県青森市のお城めぐり

 後醍醐天皇に味方した南朝方の名門北畠親房・顕家の子孫浪岡御所の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 浪岡城
よみ: ナミオカ
別称: 浪岡御所・北の御所
所在地: 青森県青森市浪岡大字浪岡五所14-1
現状: 浪岡城跡
築城年代: 室町時代
築城者: 北畠顕義
形式: 平城
遺構: 内館・北館・西館・東館・新館・猿楽館・検校館・無名の館・土塁・堀・掘立柱建物跡・井戸跡
規模: 東西1,200m×南北600m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/9/15


≪ 訪城記 ≫

黒石城から浪岡城に向かう。

県道38号を西進、弘南鉄道弘南線境松駅前を通り、堂野前種井交差点信号を右折、県道38号のまま北上、東光寺前田交差点信号を右折、県道148号を北東に進み、馬場尻東付近で大きく右に曲がり、下目内澤小屋敷添交差点信号を左折、県道13号を北上、浪岡若松交差点信号を右折、浪岡高校前を通り、浪岡川を渡って中世の館前を通り、県道27号の右側に広大な敷地の浪岡城跡が見えてくる。浪岡前田交差点信号を右折して約200m南下した浪岡川手前を右に入って行くと浪岡城跡管理棟に着く。ここに車を駐車する。

管理棟の北側の広大な平野が浪岡城跡で館と呼ばれる郭がいくつもあり、堀と土塁によって区画されている。
道順に沿って管理棟の北西裏側から入って行くと猿楽館があり、堀を挟み一段高くなった東館、広大な緑の大地を東側に新館があり、県道27号沿いが無名の館、堀を渡って北館に入る手前に国史跡浪岡城跡の看板があり、北館に入ると区画された掘立柱建物跡と井戸跡が復元されている。北館を西へ抜けると堀と土塁を隔て西館、南の一段高い郭が内館で中央北側に北畠古城跡碑がひっそりと建っている。内館を西に抜けて、川の西側に検校館が見える。浪岡川沿いに管理棟へ帰る。一周約50分かかった。


浪岡城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

正慶二年 (元弘三、1333) 北畠顕家が陸奥守に任ぜられ、義良親王を奉じて多賀国府に下る。顕家の戦死後は子の顕成が浪岡を領するようになり、顕元、顕邦、顕義、顕具、具統、具永、具運、顕村と続き、「浪岡御所」、「大御所」、「北の御所」と呼ばれる。
顕義の代に浪岡城を築く。
明応二年 (1493) 北畠顕義が没する。
永禄五年 (1562) 川原御所の乱が起こり、川原御所の北畠具信に浪岡御所北畠具運が殺害される。この内乱を契機に浪岡御所北畠氏は急速に衰える。
天正六年七月二十日 (1578) 大浦(津軽)為信の軍に攻められ、浪岡御所は戦わずに離散、最後の御所北畠顕村は捕えられ切腹する。浪岡城も廃城となる。


≪ 写 真 ≫


浪岡城北館に復元された掘立柱建物跡


浪岡城入口


猿楽館


猿楽館と東館の間の堀


東館


新館


東館と北館の間の堀と土塁


東館と新館


県道27号沿いの浪岡城跡看板


北館入口


北館入口横の土塁


北館


北館の通路


北館からの内館


北館西側の土塁


北館と西館の間の堀と土塁


西館


西館から内館への入口


内館


内館にある北畠古城址碑


管理棟内の浪岡城跡全体図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR奥羽本線浪岡駅から徒歩約30分。
<車>
東北道浪岡ICを降りてIC入口を左折、県道285号羽州街道を南下、青森南署前を通り、浪岡川を渡り、浪岡細田三叉路信号を斜め左折、浪岡若松交差点信号を左折、浪岡高校前を通り、浪岡川を渡って中世の館前を通り、県道27号の右側に広大な敷地の浪岡城跡が見えてくる。浪岡前田交差点信号を右折して約200m南下した浪岡川手前を右に入って行くと浪岡城跡管理棟に着く。管理棟前に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

浪岡城


浪岡城跡管理棟


紹介したお城の数 271城



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黒石城

2014-10-03 05:58:39 | 北海道・青森県・岩手県
 黒石城

2014/9/15

青森県黒石市のお城めぐり

 旧黒石城と呼ばれる工藤右衛門尉貞行が築いた居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 黒石城
よみ: クロイシ
別称: 旧黒石城
所在地: 青森県黒石市境松2丁目
現状: 住宅地
築城年代: 元弘・建武年間(1331-1338)
築城者: 工藤貞行
形式: 平城
遺構:
規模: 330m×150m、比高2m
文化財:
訪城日: 2014/9/15


≪ 訪城記 ≫

黒石藩陣屋から黒石城に向かう。

御幸公園北側の道を西進、突き当りの三叉路を右折、北上して元町三叉路信号を左折、県道38号を1.2km西進した三叉路の南へ向かう道の左隅に旧黒石城趾碑があるのみ。


≪ 歴 史 ≫

津軽田舎郡の地頭職を務めていた工藤右衛門尉貞行が境松付近に築く。工藤貞行は建武三年(1336)の田舎楯合戦、元亨三年(1323)以後の藤崎安東氏の内乱、正慶二年(1333)の大光寺楯合戦や石川楯合戦に出陣して領地を拝領している。
工藤貞行の娘が八戸根城南部政信の妻になっていることから南部氏が津軽進出をするようになったとみられる。
慶長七年 (1602) 津軽為信が黒石城を改修して孫と居城した。


≪ 写 真 ≫


旧黒石城趾碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
弘南鉄道弘南線境松駅下車すぐ。
<車>
東北道黒石ICを降りて国道102号を西進、中川篠村交差点信号を右折、県道13号を北上、浅瀬石川を渡り、山形町交差点信号を左折、県道38号を西進して石黒市役所前を通り、御幸公園前を通り、突き当りの三叉路を右折、北上して元町三叉路信号を左折、県道38号を1.2km西進した三叉路の南へ向かう道の左隅に旧黒石城趾碑があるのみ。


≪ 位置図 ≫

旧黒石城趾碑


紹介したお城の数 270城



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