Bo-Bo-Rock

このページは、時間が前後しますが f-o-q の 備忘録 です。
昨日のことより、云十年前の方が鮮明だったりします。

シルバーシート記念日(9月15日)

2022-09-15 02:30:00 | 現在過去日記
1969年10月の東京モーターショーでフェアレディZ発表。53年前だよ。
Zは日産のはぐれもの集団が作ったようなものだから、ダッツン・ズィーカーでOK。

1973年9月15日、東京・中央線の電車に初めて老人・身体障害者の優先席「シルバーシート」が設置された。
1997年に、「優先席」に改称された。

究極の最優先列車登場!
近鉄22600系電車-Ace(エース)!シルバー専用車 オール譲り合いスペシャル 。
こんなん見たら乗れないよな。なんちゃって。

9月15日の出来事「 リバプール・マンチェスター鉄道 」
1830年:世界初の旅客輸送用鉄道が開業。

開業式典当日にリヴァプール選出の保守党の代議士であるウィリアム・ハスキソンが列車に轢かれて死亡するという最悪の事態に見舞われた。
彼は保守党の代議士ではあるが、とても新しい考えの持ち主で、当時設立に反対する者がたくさんいたにもかかわらず、リバプール&マンチェスター鉄道設立運動の先頭に立ち、土地の人たちを説得し国会でも活躍し、最大の功労者であった彼を悲劇が待ち受けていた。

ロケット号に轢かれて瀕死の重体となったハスキソンを病院に搬送するために記念列車を乗り離し、機関車と客車1輌だけでマンチェスターに走り出した。緊急事態であったため速度制限を無視し、可能な限りのスピードを出して病院に運んだが、結局彼は助からなかった。
しかし皮肉なことに、このアクシデントが性能テストの役割を果たした。速度制限をはるかに超えて走ったにもかかわらず、機関車や客車、線路には何の支障もなかった。
それにより、技術面での信頼度の高さが証明されたのである。

9月15日生まれ「 Zの父 」
1909年:片山豊(元アメリカ日産社長)
静岡県周智郡気多村(現・浜松市天竜区春野町気田)で生まれる。
日産自動車創業者の鮎川義介の親戚にあたる。
1998年にフェアレディZの生みの親としてエンジニア以外では稀な米国自動車殿堂入りを果たしたほか、Z-car Festaを初めとするイベントにも頻繁に出席するなど「Z-carの父」として各国で知られている。
ファンへのサインに添えられる言葉は、自身のモットー「Love life, love cars」や「快走」。
2005年5月22日には「生まれ故郷であり、自然に恵まれた春野を皆さんに紹介したい」との豊の言葉から、春野町が主催となり春野町民、日産自動車、フェアレディZオーナーズクラブ(D.S.C.C.中部)を中心に「K'z meeting in HARUNO」が開催され、本人も出席。春野の山間にある「ふれあい公園」には全国から歴代フェアレディZ約700台と、町民を含め約5,000人が集った。自治体、自動車メーカー、ユーザーが一体となった自動車イベントは他に例が少なく、今なお語り継がれている。

日本での自動車ショーの開催を発起し、1954年の東京モーターショー(当時の名称は全日本自動車ショウ)初開催に尽力。東京モーターショーのシンボルマークとなったギリシャ神話の青年が車輪を持つ姿を考案した。

その後、官僚的でない片山は、日産社内で干されて50歳でアメリカへ飛ばされる。
何にもないところだからやりたいように好きにやった。ディーラーとの信頼関係構築で業績を伸ばしていく片山に対し、日産本社から片山に対抗するため刺客部隊が送り込まれるが、返り討ちに会い片山は米国日産社長となるというドラマティックな展開が待ち受けていた。ホントその頃の日産って・・・。
アメリカでのイメージリーダーカーを求めていた片山の要請に応えたのは、こちらも日産の社風にそぐわない はぐれ デザイナー松尾良彦だったから面白い。
官僚的エリートって、どんなに優秀でも、お次が無限に控えている心太集団だから、顔が見えにくいけれど、この二人は後世に名も伝説も残したよ。

9月15日の誕生花「 ダリア(赤):華麗、優雅、気品 」
和名:天竺牡丹(テンジクボタン)
別名:ダリア
英名:Dahlia
Dahlia(ダリア)は、スウェーデンの植物学者アンデシュ・ダール
(Anders Dahl / 1751~1789)の名前にちなむ。
日本には江戸時代(1842年)にオランダ人によってもたらされ、
花姿がボタンに似ているため天竺牡丹(テンジクボタン)と名づけられた。
天竺はインドであり、初期にはインドからきた花であると思われていた。
花言葉の「華麗」「優雅」は花姿から
 
では f-o-q