Bo-Bo-Rock

このページは、時間が前後しますが f-o-q の 備忘録 です。
昨日のことより、云十年前の方が鮮明だったりします。

海王星の日(9月23日)

2022-09-23 22:10:00 | 現在過去日記
1846年9月23日、ベルリン天文台のガレが海王星を発見した。
1781年の天王星の発見以降、その軌道がニュートンの天文力学に合わないのは、その外側にさらに惑星があるためだと考えられていた。そのためいろいろな科学者が天王星の軌道の乱れ等を元に未知の惑星の大きさや軌道・位置を計算した。そして、フランスのル・ベリエが計算で予言した場所に新しい惑星が発見された。
近づく時は、外側の惑星の重力が天王星の軌道をかく乱させ、予測された位置から引っ張る。追い越す時は逆のことが起き、かく乱により天王星の軌道運動は遅れる。
イギリスのアダムスもその場所を突き止めていたため、ル・ベリエとアダムスが共同発見者とされている。
海王星は、望遠鏡による観測の前に、数学的な計算によってその位置が予測され、発見された惑星である。フランス人天文学者ユルバン・ルヴェリエの予測に基づき、1846年9月23日から24日の夜に、ベルリン天文台でヨハン・ゴットフリート・ガレが望遠鏡観測で実在が確認された。
あんたらみんなすげーよ
パリ天文台長のフランソワ・アラゴは、「ルヴェリエはいっさい天空を見ることもなく、『ペンの先』(計算のみ)でこの惑星を発見した」と述べた。

9月23日の出来事「 手取川の戦い 」
1577年:手取川の戦い。上杉謙信が柴田勝家ら織田軍に圧勝。

7月8日:上杉謙信、春日山を出陣
9月15日:七尾城の親上杉の重臣・遊佐続光らが反乱を起こし長一族を粛清、謙信に降伏
9月17日:上杉軍の先鋒隊が末森城を落とす。
9月18日:織田軍北上の知らせを受けた謙信は本隊を率いて七尾から出陣
9月23日:松任城にて陣備えを行い、織田勢との戦いに備える。
 手取川を渡河した織田勢が、七尾城の陥落を知り、退却を始めたところを襲い大勝。
飛ぶように逃げる織田軍を信長にひっかけてるんですね
能登を制圧した謙信は、12月18日にはひとまず春日山城に帰還。
「霜は軍営に満ちて秋気清し 数行の過雁月三更 越山併せ得たり能州の景 さもあらばあれ、家郷遠征を憶う」
陥落間際の七尾城外で謙信が詠んだ詩であるといわれる。
実際のところ、織田軍敗戦の要因としては
①総指揮官である勝家との意見対立の末に秀吉が勝手に軍を引き上げてしまったこと。
②能登の一向一揆衆が上杉側に付いて情報を遮断、七尾城の様子がわからなかったこと。
などとされる。「これでは戦えない」と織田軍は一時撤退を選んだが、ときすでに遅し。
水嵩の増した手取川の渡河に手間取り、およそ1000の将兵が討たれ、さらに多数の溺死者を出したといわれる。

9月23日生まれ「 グレートウェーブに至る道のり 」
1760年:葛飾北齋(浮世絵師)
1831年、72歳を迎えた北斎は、ついに「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を完成。
ここに至るまでを掻い摘んでご紹介
『江ノ島春望』1792
 いや普通に怖い波です。そこの人すぐ逃げて!
『賀奈川沖本杢之図』1803
のっぺり感が可愛い波です。って危ないよその船
『おしおくりはとうつうせんのづ』1805
視点は近い感じになってきましたが、まだ26年後ですよ。
「北斎漫画 2編」
何となく近づいてきたよ。
「北斎漫画 7編」
これだよ。一皮むけたよ。これを待っていたんだよな。きっと本人も
『神奈川沖浪裏』1831
まさにグレートウェーブGODZILLA 。そこに富士をもってきたか。
上町祭屋台天井絵『怒涛図 女浪(部分)』
おどろおどろしいですが、北斎最晩年の波の絵。
しぶき一つ一つに魂をぶっこんでます。つかみかかってくる指先かよ。

9月23日の誕生花「 一位:高尚 」
アララギ 【蘭】、スダオノキ、 紫松、水松、オンコ (アイヌ語) とも呼ばれる。
イチイの名前の由来は、仁徳天皇がこの木で笏(しゃく)をつくらせ、
それで正一位を授けたので「一位」と呼ばれるようになったといわれる。
種子や樹皮に含まれるタキシンは口に含むと有毒になりますが、悪性細胞の増殖を抑える効果があると言われていて、癌の治療薬として研究されている。
栃木県日光市にある「中宮祠のイチイ」や、岐阜県高山市にある「治郎兵衛のイチイ」は、
樹齢1000年以上の巨木で、天然記念物に指定されている。

では f-o-q