「おおしたさん」のブログです

2005年6月に始めたこのブログ、鍼灸院をやってた頃のことを含め、今も気ままに書いています。

過干渉と過保護と

2024年07月30日 | 子育て
先日の土用の丑の日
スーパーで安くなってた鰻と、本見て作った麺つゆでのうどん
これで元気に夏場を過ごせるかな(^。^)

過干渉は親の気持ちを押し付けること。
過保護は親の気持ちを差し伸べるもの。

日記の片隅に書いてたこの言葉。同じような言葉を拾っては書き写している気がするんだけど、これって果たして誰の言葉として、どこ仕入れたんだろう。

厳しく育てられた子の方がね、よほどに打たれ弱くしなやかさに欠けてて、逆に周りの大人にわがままを許された子どもほど、やりたいことを見つけ、自らを律して生きているという印象を私は持つんだけど、果たして私の考えはおかしいのかな。

振り向いたらそこに何があっても決して見離さない、わがままを許してくれる親がいる。その安心感こそが自立への第一歩だと思うのです。だけど躾けと称した諸々で、その子の特性を無視して縛り上げるような親を意外と見てきちゃったり。もちろん挨拶やら人としての作法やら、人と生きる上での最低限は口を酸っぱくして教えないといけないよ。でも動いていないと死んでしまうマグロのような子どもたちに、着席を強要し続けるとか静かにさせ続けるとかどうなんだろうね。勉強嫌いに何をさせても勉強を好きになるわけがないんだから。そこは一工夫が必要なんだけど、勉強しなさいの一点張りって。そんなんやるわけないしやる気は落ちるだけだし。そんなね、子どもの特性を無視した躾けと称する瑣末な教育のあれこれで疲弊させるより、どんなことがあってもあなたを見離さないからね、安心しまくってね、みたいなメッセージを子どもの無意識に叩き込むことの方がよほど大切だと思うのです。そんな感じで許されて育った子はね、高卒だろうが三流大出だろうが、これをやりたい!っていうのが見つかった時におそろしく頑張るものなのです。

ところで私は港区南青山のかなりの都会で、鍼灸院を20年近くやっていました。場所が場所なんで、私のようなしょぼい治療にも、誰もが知っているであろう経営者や俳優、歌手やスポーツしてた人が来てました。もちろん守秘義務があるので誰をとかは言えないし、ただ治療しただけなので自慢にもならないんだけど、世に言う成功者と話をして思ったことは、どんなに金持ちでもタワマン上層階に住んだとしても、誰もがそれなりに色々抱えているっていうこと。そしてその原因が幼少期のあり方を解決できずに今に至っていると思われる人が意外と多いっていうこと。

現代社会がイメージするヒエラルキー上位者も、挨拶ひとつ碌にできない人がいるの。他者への尊敬なくして生きやすくなるわけがないのにね。ほんと、どれだけお金が転がり込んでも、何かに追い立てられるように上を目指し続ける人がいたかと思えば、劣等感に自己不信、それに押しつぶされて仕事に行けなくなるような、自ら不安に飛び込みそこに安住しようとする人もいる。人と比べる必要なんて無いのにね。ネットで他者のキラキラを盗み見しつつ、虚構で身を固めた人に嫉妬を抱ける傲慢さってどこからくるんだろう。そして勝手に自ら惨めさに安住してしまうていたらく。ほんとしょうもないところで戦ってる人、意外といるものなのですよ。

誰もがそんな世界を生きているんだから、親や年長者が子どもにできることなんてただ一つ、何をしても、何もしなくても、許される場所を提供するだけ。こっちの方が、勉強しろ!よりはるかに頑張り始めちゃうんだけど。そしてちょっとの成長をこれでもかというほど喜んであげるのもいいかも。それでなくても子どもたちは、親から離れたところで比べられまくっちゃてるんだから、親くらいはね、家くらいはね、その子のそのありのままを、生きててくれるだけで嬉しいよ、みたいな感じでとことん喜んであげるだけで、自分の生きる道を自らの手で見つけちゃうんじゃないかなって思うんだけど、どうだろ。

「過保護」は子どもの興味を尊重し育てるという事。「過保護は自立の芽を育て、過干渉は自立の芽を摘む」と精神科医の故・佐々木正美氏が言っているように、過保護は悪いことではなく、むしろ子どもの欲求に応える事になるため、承認欲求が満たされ自己肯定感が高まり、自立への道を歩み始める。


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