
記憶する、、
記憶される、、
死者が結ぶ、縁ある人とのつながり。
母の死が圧倒的にいきなりだったから、
今回を色々考えちゃいました。
今思えば、、
親の死を乗り越えられなかったからなのかな、
何年か前に親が死ん時、
年末年始も含め、1日も欠かさず100日ほど毎朝7時からの築地本願寺さんのお晨朝に出向いていたことを思い出しました。
そんな私だけど、、
普段はかなりの薄情だと自負していたり、、
なんだかね,身近な人の死を体験してもね、
それが自分の親の時もね、、
この日本という、
どこもに住もう地震や台風といった天変地異から逃げることのできない国に生まれたという因果もあるのでしょうね。
死ぬ、
っていうのに関心ありすぎて、
死への悲しみに、ちょい俯瞰的になっちゃう自分がいたりする。
I would say that in Japan, there is less tolerance of failure.
「日本人、失敗を無茶恐れる人多い」
ってのが「NHKのラジオ英会話」2月号にあったんだけど、、
「失敗を恐れる人が多い」っていうの、天変地異無茶多すぎ日本だからこその感覚かも?って思っちゃったり、、
自らを曝け出しすぎてね、村八分でもなったら、有事に大変!
そんな無意識が、このやばい、自然災害はびこる土地に住んできた私たちの潜在意識に巣食ってるのかもしれません。
そんな、周りの人に嫌われたら大変という意識が根底あるから、金があれば大丈夫だなんて思えるわけもない。
世界に占める国土面積がたった0.25%のこの日本でね、
マグニチュード6以上の地震が発生する割合が世界全体の20%を超えてるという事実。
この、世界でもヤバい土地に台風やら土砂災害やらもデフォルトだなんて、、
だから、
首都圏での高いビル建てまくりに「大丈夫か?」って思うことも無きにしも非ず。
ほんと日本人、
震災や土砂崩れ等々、忘れるの早過ぎ!
有事が多過ぎるからこそ、それを忘れたがる国民性。
うん、忘れたがる、、
忘れるんじゃなくって、忘れたがる、が合ってるかも、、
普段はいいよ、政治家どんだけヘボくても、官僚や公務員さんだけでやっていける。
でもね、有事にはね、
胆力ある政治家が必要だと思う。
でも、、
巻かれに巻かれて恥ずかしいほどに胆力失い次の選挙しか考えていない政治家しか残ってない現状、、
そんな風に世の中を見てるから
有事に向けての自分なりの用意とか、
普段からの何気ない連帯とか、、
そんなことぼーっと考えちゃう私なんです。
ところで、、
東洋医学はね、
肘から先、膝から先にね、大切な大切なツボがたくさんあるの。
そう、
大事なツボは真ん中にないの。
それ、世界も同じだと思う。
今のね、地方を切り捨てる政策、末端を大切にしない愚策はね、絶対行き場を失うよ。
マジ、末端あっての中央なのにね、
なんだか、、
身近な人の死に、自分の生き方を改めて考えさせられてる!
あっ、、
んな講釈はどうでもいい!
火を吹く麻婆豆腐が食べたくて
家にあるとんがらし総動員で、
おまけに豚肉やらひなびた野菜やらも投入したけどなんか違う
で、調べてみたら花椒やらが私の思うところのそれっぽい
だから花椒買ってみた!
痺れ系の辛さ、よござんす!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます