
分数や文章題
何度言っても同じところを間違える事ってありますよね
つまづくところはだいたい同じ
どこに引っかかっているのか正直理解できない時がたくさんあります
3×1/3
3÷1/3
例えば上のような問題。3に3分の1を掛けるのはわかっても、3分の1でどうやって割るのかがどうしても理解できない
わからなければそのまま覚えてしまって、使う中で理解したら良いのではないかと思うのだけど、納得できないと先に進めない…
理解して先に進むことができない…という子もいるわけで
疑問がどこにあるのか分かっている場合ならまだしも、
どこでつまづいているのかがわからない場合の方が圧倒的に多かったりします
確かに「わからない」ところは人それぞれ
そこを理解せずに先に進むから面白くないのは当然です
「待てない…」
まだ走ることさえおぼつかない子に、三段跳びを要求しているような事があるのではないかと、私自身反省することが多々あります
そして当の本人がどう思っているのか、不安に思う事も多いです
特に兄弟のどちらかがよく出来るような場合、その目線で他の子を見ているのではないかと思うこともあって、どのように接すればよいか、考えこんでしまうこともしばしばです
そういえば毎朝自分を鼓舞する言葉を唱えているのですが(その話はまたいつか…)、その中に次の言葉があります
そう、、
自分を鼓舞する言葉の一つがこれ…
「他の人が何をやったかなんてどうだっていい。要は自分が何をやったかやらなかったかだけ!」っていう感じの言葉です
子育ても自分育てと同じで、他と比べないっていうのがとても大切
その子だけに焦点を当てる
たやすくできる子にとってはなんでもないことでも、できない子にとっては地獄になるかもしれません
特に小学校や中学校を受験させる場合、期日が決まっているので親も焦ります
そしてその焦りを子どもにぶつけてしまう事もあるかと思います
子の将来を思ってのことだというのは重々承知しているつもりですが、そこで力尽きて、その後の人生に大きな影を落としている子を見ることもあります
とにかくその後のケアも含めて、子どもの目線でもう一度考えてもらいたい
子どもの歩みにとことん付き合う
誰がなんと言おうと自分の子の歩みだけを見続ける
「ユルユルと道草をしつつ歩む子こそ人生を楽しむ事ができる!」
「だからそのままでいいんだよ!」
っていうぐらいの気持ちで接すれば、日々の何気ない事を大いに喜べる子になるのではないかと思います
おおした
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