春 夏 秋 冬

めぐり来る 春夏秋 麗しき 大和し護れ 民草いとえ 
          

ブログ休止のお知らせ

このブログの表題に入れた短歌の、春夏秋冬の中の冬の字が、誰かによって削られて、修正不能になって久しいのですが、昨日から編集画面までが、誰かにいじられたようで、出す事が出来なくなっています。 この記事作成画面も、何時使用不能になるかもしれない状況にありますので、 春夏秋冬はこの記事をもって、しばらく休ませていただく事にしました。(2010年3月) * * * * * * *  Fc2ブログに不祥事が起き、広告主が引き上げたそうです。 Fc2は何時終了になるか予断を許さない状況かと思い、 気になる過去記事を少しずつ、こちらのブログに写す事にしました。(2015・4・24)

夫の癌は治った?

2017年12月25日 11時52分01秒 | 記録しておきたいもの
10月にdendrodiumに書いた記事なのですが、癌が治った体験談を、このブログを覘いて下さった方にも読んでいただけたらと思い、複写しました。(2017.12.25)
・・・・・・・・

夫の癌が治った?



昨日は報恩講でお寺参りをしていました。

浄土真宗の秋の行事で、これまでは何時も、夫が行っていたのですが、

今年は5~6日前から体に沢山の湿疹ができ、だるそうでしたので、

代わりに私がお参りしたのでした。



夫は昨年夏、大腸がんの摘出手術をした後、元気にしていたのですが、

手術後6ヶ月の定期検診の時、肝臓に小さな癌が見つかって、

手術を勧められていたのですが、

80過ぎた高齢で1年に2回も手術したら、
見つかった癌を摘出する事が出来たとしても、
又他のところに癌が出来るに違いないから、
手術は止めておこうと手術は受けなかったのでした。



話は変わりますが。
私の父が63の頃(昭和43年6月)、父の商業学校の同級生・平田治郎さんが胃癌にかかられ、開腹手術を受けられました。

ところが、お腹を開けたら癌はあちこちに転移していて、
手術不能の状態になっていたそうです。
それでお医者さんは何もできず、そのまま閉じられ、

余命3ヶ月という診断の上、帰宅させられたそうです。



父は三菱鉱業が石炭廃止で縮小~廃業になってから後、

55歳定年だった時代に53歳で希望退職させられ、
妹は未だ小学生でしたので、遊んでいるわけにいかず、
最初は三菱鉱業からの出向でしたが、その後色々と苦労していた様です。


そんな訳で平田さんにはお世話になっていましたし、
もし治すことが出来るなら、何とかしたいという意欲の塊のような人でしたから、

父は平田さんの家に日曜日毎に(5ヵ月ほど)通って、

生長の家の話をしていました。



平田さんの奥様は、お医者さんから見離されて、(ご本人はご存じなかったそうです)
父の話を命の綱と思われたのかもしれません。

いつも父の来訪を歓迎して下さったそうです。
(ご本人に胃潰瘍の手術だったと嘘を言っておられたそうです。)


或る時平田さんが「体中に湿疹が出来た、どうしよう」と父に聞かれたそうです。

父は「それは病院に行って塗り薬を出してもらったらいいだろう」と答えたら、

「君の考えでは如何なんだ」と平田さんが重ねて聞かれるので、

それなら、と父は自分の考えを言ったのだそうです。



「皮膚は表だけが皮膚ではなく、丁度蛸の頭をひっくり返したら、同じような皮が出るように、内臓の内側もやっぱり皮膚であると思う。
これは人体の自然療能力が働いて、内臓の表面に出来た吹き出物を、もっと治し易い体の表面にもってきて、今治しているのだろう」という様な話を父は平田さんにしたそうです。


平田さんの湿疹は一週間ほどで枯れてしまったそうです。

その前だったか後だったかは忘れたのですが、
平田さんは40.2度の高熱にも耐えて、(*註)
お医者さんの言われた余命3ヶ月を、はるかに超え生きておられただけではなく、
年末にはすっかりお元気になっておられました。



そんな平田さんの奥さん宛に、春に手術した病院から、ご愁傷様ですという書き出しで、
亡くなった時の様子を知らせて欲しいという葉書が来たそうです。



年が明けて平田治郎さん本人がその病院を訪ねたら、
お医者さんが驚かれて、

「あんたは本当に平田治郎さんか?」と何度も聞かれたそうです。



こんな話を見聞していましたので、
夫の体に沢山の湿疹が出た時、

2月に見つかった小さな癌が、これで治されて消えていくのだろうと思う事が出来ました。


夫の体に湿疹が出始めて約1週間の今日は、殆ど枯れかけています。

これで夫の体に出来ていたトラブルが、
自然治癒力で治されたのに違いないとほっとしているところです。



尚余談ですが、父が平田さんの癌が消えた事を谷口(雅春)先生に報告しましたら、

谷口先生は、次の生長の家誌にその事を載せてくださり、久しぶりに(父の)名前を聞いて、

「友遠方より来るの思いです。」と書いてくださったのでした。



これを見た父は大感激で、

「わしは谷口先生の『友』よ!」と何度も何度も繰り返して感激していましたが・・・・・



父にとって谷口先生は『人間・神の子・完全円満』という思想の先達であって、

それ以上でも以下でもない存在だったと思います。

生長の家が現在のように『日本会議』の母体のような存在になって、

安倍晋三という売国奴が跋扈する下支えになっていようとは、父は想像もしていなかった事でしょう。



次の選挙では絶対に、

安倍晋三が総理を続けられないようにしましょう。

安倍晋三を選挙区で落とすか、自民党を過半数われにすれば済む事ですし・・・・・


10月18日追記  一部修正しました。

*註  平田さんが全快された時の記録が見つかりました。

    高熱が出たのは手術不能で退院された直後(6月27日)からで、
    37度余りの微熱が8月初旬まで続き、
    その後最高40,2度の高熱が2週間ほど続いたのだそうです。


関連記事
   癌が治った話 
   

鳩山総理施政方針演説(全文-1)

2010年01月29日 15時25分19秒 | 記録しておきたいもの
施政方針演説全文-1 
 【1・はじめに】
いのちを、守りたい。
 いのちを守りたいと、願うのです。
 生まれくるいのち、そして、育ちゆくいのちを守りたい。
 若い夫婦が、経済的な負担を不安に思い、子どもを持つことをあきらめてしまう、そんな社会を変えていきたい。未来を担う子どもたちが、自らの無限の可能性を自由に追求していける、そんな社会を築いていかなければなりません。
 働くいのちを守りたい。
 雇用の確保は、緊急の課題です。しかし、それに加えて、職を失った方々や、さまざまな理由で求職活動を続けている方々が、人との接点を失わず、共同体の一員として活動していける社会をつくっていきたい。経済活動はもとより、文化、スポーツ、ボランティア活動などを通じて、すべての人が社会との接点を持っている、そんな居場所と出番のある、新しい共同体の在り方を考えていきたいと願います。
 いつ、いかなる時も、人間を孤立させてはなりません。
 一人暮らしのお年寄りが、誰にもみとられず孤独な死を迎える、そんな事件をなくしていかなければなりません。誰もが、地域で孤立することなく暮らしていける社会をつくっていかなければなりません。
 世界のいのちを守りたい。
 これから生まれくる子どもたちが成人になった時、核の脅威が歴史の教科書の中で過去の教訓と化している、そんな未来をつくりたいと願います。
 世界中の子どもたちが、飢餓や感染症、紛争や地雷によっていのちを奪われることのない社会をつくっていこうではありませんか。誰もが衛生的な水を飲むことができ、差別や偏見とは無縁に、人権が守られ基礎的な教育が受けられる、そんな暮らしを、国際社会の責任として、すべての子どもたちに保障していかなければなりません。
 今回のハイチ地震のような被害の拡大を国際的な協力で最小限に食い止め、新たな感染症の大流行を可能な限り抑え込むため、いのちを守るネットワークを、アジア、そして世界全体に張り巡らせていきたいと思います。
 地球のいのちを守りたい。
 この宇宙が生成して137億年、地球が誕生して46億年。その長い時間軸から見れば、人類が生まれ、そして文明生活を送れるようになった、いわゆる「人間圏」ができたこの1万年は、ごく短い時間にすぎません。しかし、この「短時間」の中で、私たちは、地球の時間を驚くべき速度で早送りして、資源を浪費し、地球環境を大きく破壊し、生態系にかつてない激変を加えています。約3000万とも言われる地球上の生物種のうち、現在年間約4万の種が絶滅していると推測されています。現代の産業活動や生活スタイルは、豊かさをもたらす一方で、確実に、人類が現在のような文明生活を送ることができる「残り時間」を短くしていることに、私たち自身が気付かなければなりません。
 私たちの英知を総動員し、地球というシステムと調和した「人間圏」はいかにあるべきか、具体策を講じていくことが必要です。少しでも地球の「残り時間」の減少を緩やかにするよう、社会を挙げて取り組むこと。それが、今を生きる私たちの未来への責任です。本年、わが国は生物多様性条約締約国会議の議長国を務めます。かけがえのない地球を子どもや孫たちの世代に引き継ぐために、国境を越えて力を合わせなければなりません。
 私は、このような思いから、2010年度予算を「いのちを守る予算」と名付け、これを日本の新しい在り方への第一歩として、国会議員の皆さん、そして、すべての国民の皆さまに提示し、活発なご議論をいただきたいと願っています。
 【2・目指すべき日本の在り方】
 私は、昨年末、インドを訪問した際、希望して、尊敬するマハトマ・ガンジー師の慰霊碑に献花させていただきました。慰霊碑には、ガンジー師が、80数年前に記した「七つの社会的大罪」が刻まれています。
 「理念なき政治」
 「労働なき富」
 「良心なき快楽」
 「人格なき教育」
 「道徳なき商業」
 「人間性なき科学」、そして
 「犠牲なき宗教」です。
 まさに、今の日本と世界が抱える諸問題を、鋭く言い当てているのではないでしょうか。
 20世紀の物質的な豊かさを支えてきた経済が、本当の意味で人を豊かにし、幸せをもたらしてきたのか。資本主義社会を維持しつつ、行き過ぎた「道徳なき商業」、「労働なき富」を、どのように制御していくべきなのか。人間が人間らしく幸福に生きていくために、どのような経済が、政治が、社会が、教育が望ましいのか。今、その理念が、哲学が問われています。
 さらに、日本は、アジアの中で、世界の中で、国際社会の一員として、どのような国として歩んでいくべきなのか。
 政権交代を果たし、民主党、社会民主党、国民新党による連立内閣として初めての予算を提出するこの国会であるからこそ、あえて、私の政治理念を、国会議員の皆さんと、国民の皆さまに提起することから、この演説を始めたいと、ガンジー廟(びょう)を前に私は決意いたしました。
 (人間のための経済、再び)
 経済のグローバル化や情報通信の高度化とともに、私たちの生活は日々便利になり、物質的には驚くほど豊かになりました。一方、一昨年の金融危機で直面したように、私たちが自らつくり出した経済システムを制御できない事態が発生しています。
 経済のしもべとして人間が存在するのではなく、人間の幸福を実現するための経済をつくり上げるのがこの内閣の使命です。
 かつて、日本の企業風土には、社会への貢献を重視する伝統が色濃くありました。働く人々、得意先や取引先、地域との長期的な信頼関係に支えられ、100年以上の歴史を誇る「長寿企業」が約2万社を数えるのは、日本の企業が社会の中の「共同体」として確固たる地位を占めてきたことの証しです。今こそ、国際競争を生き抜きつつも、社会的存在として地域社会にも貢献する日本型企業モデルを提案していかなければなりません。ガンジー師の言葉を借りれば、「商業の道徳」をはぐくみ、「労働を伴う富」を取り戻すための挑戦です。
 (「新しい公共」によって支えられる日本)
 人の幸福や地域の豊かさは、企業による社会的な貢献や政治の力だけで実現できるものではありません。
 今、市民や民間非営利団体(NPO)が、教育や子育て、街づくり、介護や福祉など身近な課題を解決するために活躍しています。昨年の所信表明演説でご紹介したチョーク工場の事例が多くの方々の共感を呼んだように、人を支えること、人の役に立つことは、それ自体が喜びとなり、生きがいともなります。こうした人々の力を、私たちは「新しい公共」と呼び、この力を支援することによって、自立と共生を基本とする人間らしい社会を築き、地域のきずなを再生するとともに、肥大化した「官」をスリムにすることにつなげていきたいと考えます。
 一昨日、「新しい公共」円卓会議の初会合を開催しました。この会合を通じて、「新しい公共」の考え方をより多くの方と共有するための対話を深めます。こうした活動を担う組織の在り方や活動を支援するための寄付税制の拡充を含め、これまで「官」が独占してきた領域を「公(おおやけ)」に開き、「新しい公共」の担い手を拡大する社会制度の在り方について、5月をめどに具体的な提案をまとめてまいります。
 (文化立国としての日本)
 「新しい公共」によって、いかなる国をつくろうとしているのか。
 私は、日本を世界に誇る文化の国にしていきたいと考えます。ここで言う文化とは、狭く芸術その他の文化活動だけを指すのではなく、国民の生活・行動様式や経済の在り方、さらには価値観を含む概念です。
 厳しい環境・エネルギー・食料制約、人類史上例のない少子高齢化などの問題に直面する中で、さまざまな文化の架け橋として、また、唯一の被爆国として、さらには、伝統文化と現代文明の融和を最も進めている国の一つとして、日本は、世界に対して、この困難な課題が山積する時代に適合した、独自の生活・行動様式や経済制度を提示していくべきだと考えます。
 多くの国の人々が、一度でよいから日本を訪ねたい、できることなら暮らしたいとあこがれる、愛され、輝きのある国となること。異なる文化を理解し、尊重することを大切にしながら、国際社会から信頼され、国民が日本に生まれたことに誇りを感ずるような文化をはぐくんでいきたいのです。
 (人材と知恵で世界に貢献する日本)
 新しい未来を切り開くとき、基本となるのは、人を育てる教育であり、人間の可能性を創造する科学です。
 文化の国、人間のための経済にとって必要なのは、単に数字で評価される「人格なき教育」や、結果的に人類の生存を脅かすような「人間性なき科学」ではありません。一人ひとりが地域という共同体、日本という国家、地球という生命体の一員として、より大きなものに貢献する、そんな「人格」を養う教育を目指すべきなのです。
 科学もまた、人間の英知を結集し、人類の生存にかかわる深刻な問題の解決や、人間のための経済に大きく貢献する、そんな「人間性」ある科学でなければなりません。疾病、環境・エネルギー、食料、水といった分野では、かつての産業革命にも匹敵する、しかし全く位相の異なる革新的な技術が必要です。その母となるのが科学です。
 こうした教育や科学の役割をしっかりと見据え、真の教育者、科学者をさらに増やし、また社会全体として教育と科学に大きな資源を振り向けてまいります。それこそが、私が申し上げ続けてきた「コンクリートから人へ」という言葉の意味するところです。
 【3・人のいのちを守るために】
 私は、来年度予算を「いのちを守る予算」に転換しました。公共事業予算を18.3%削減すると同時に、社会保障費は9.8%増、文教科学費は5.2%増と大きくめりはりをつけた予算編成ができたことは、国民の皆さまが選択された政権交代の成果です。
 (子どものいのちを守る)
 所得制限を設けず、月額1万3000円の子ども手当を創設します。
 子育てを社会全体で応援するための大きな第一歩です。また、すべての意志ある若者が教育を受けられるよう、高校の実質無償化を開始します。国際人権規約における高等教育の段階的な無償化条項についても、その留保撤回を具体的な目標とし、教育の格差をなくすための検討を進めます。さらに、「子ども・子育てビジョン」に基づき、新たな目標の下、待機児童の解消や幼保一体化による保育サービスの充実、放課後児童対策の拡充など、子どもの成長を担うご家族の負担を、社会全体で分かち合う環境づくりに取り組みます。
 (いのちを守る医療と年金の再生)
 社会保障費の抑制や地域の医療現場の軽視によって、国民医療は崩壊寸前です。
 これを立て直し、健康な暮らしを支える医療へと再生するため、医師養成数を増やし、診療報酬を10年ぶりにプラス改定します。乳幼児からお年寄りまで、誰もが安心して医療を受けられるよう、その配分も大胆に見直し、救急・産科・小児科などの充実を図ります。患者の皆さんのご負担が重い肝炎治療については、助成対象を拡大し、自己負担限度額を引き下げます。健康寿命を延ばすとの観点から、統合医療の積極的な推進について検討を進めます。
 お年寄りが、ご自身の歩まれた人生を振り返りながら、安らぎの時間を過ごせる環境を整備することも重要です。年金をより確かなものとするため、来年度から2年間を集中対応期間として、紙台帳とコンピューター記録との突き合わせを開始するなど、年金記録問題に「国家プロジェクト」として取り組みます。
 (働くいのちを守り、人間を孤立させない)
 働く人々のいのちを守り、人間を孤立させないために、まずは雇用を守ることが必要です。雇用調整助成金の支給要件を大幅に緩和し、雇用の維持に努力している企業への支援を強化しました。また、非正規雇用の方々のセーフティーネットを強化するため、雇用保険の対象を抜本的に拡充します。
 労働をコストや効率で、あるいは生産過程の歯車としかとらえず、日本の高い技術力の伝承をも損ないかねない派遣労働を抜本的に見直し、いわゆる登録型派遣や製造業への派遣を原則禁止します。さらに、働く意欲のある方々が、新規産業にも生かせる新たな技術や能力を身につけることを応援するため、生活費支援を含む恒久的な求職者支援制度を11年度に創設すべく準備を進めます。
 若者、女性、高齢者、チャレンジドの方々など、すべての人が、孤立することなく、能力を生かし、生きがいや誇りを持って社会に参加できる環境を整えるため、就業の実態を丁寧に把握し、妨げとなっている制度や慣行の是正に取り組みます。社会のあらゆる面で男女共同参画を推進し、チャレンジドの方々が、共同体の一員として生き生きと暮らせるよう、障害者自立支援法の廃止や障害者権利条約の批准などに向けた、改革の基本方針を策定します。
 また、いのちを守る社会の基盤として、自殺対策を強化するとともに、消防と医療の連携などにより、救急救命体制を充実させます。住民の皆さまと一緒に、犯罪が起こりにくい社会をつくり、犯罪捜査の高度化にも取り組んでいきます。
 【4・危機を好機に-フロンティアを切り開く-】
 (いのちのための成長を担う新産業の創造)
 ピンチをチャンスととらえるということがよく言われます。では、私たちが今直面している危機の本質は何であり、それをどう変革していけばよいのでしょうか。
 昨年末、私たちは、新たな成長戦略の基本方針を策定いたしました。
 鳩山内閣における「成長」は、従来型の規模の成長だけを意味しません。
 人間は、成人して体の成長が止まっても、さまざまな苦難や逆境を乗り越えながら、人格的に成長を遂げていきます。私たちが目指す新たな「成長」も、日本経済の質的脱皮による、人間のための、いのちのための成長でなくてはなりません。この成長を誘発する原動力が、環境・エネルギー分野と医療・介護・健康分野における「危機」なのです。
 私は、すべての主要国による公平かつ実効性ある国際的枠組みの構築や意欲的な目標の合意を前提として、20年に、温室効果ガスを1990年比で25%削減するとの目標を掲げました。大胆過ぎる目標だというご指摘もあります。しかし、この変革こそが、必ずや日本の経済の体質を変え、新しい需要を生み出すチャンスとなるのです。日本の誇る世界最高水準の環境技術を最大限に活用した「グリーン・イノベーション」を推進します。地球温暖化対策基本法を策定し、環境・エネルギー関連規制の改革と新制度の導入を加速するとともに、「チャレンジ25」によって、低炭素型社会の実現に向けたあらゆる政策を総動員します。
 医療・介護・健康産業の質的充実は、いのちを守る社会をつくる一方、新たな雇用も創造します。医療・介護技術の研究開発や事業創造を「ライフ・イノベーション」として促進し、利用者が求める多様なサービスを提供するなど、健康長寿社会の実現に貢献します。
 (成長のフロンティアとしてのアジア)
 今後の世界経済におけるわが国の活動の場として、さらに切り開いていくべきフロンティアはアジアです。環境問題、都市化、少子高齢化など、日本と共通の深刻な課題を抱えるアジア諸国と、日本の知識や経験を共有し、ともに成長することを目指します。
 アジアを単なる製品の輸出先ととらえるのではありません。環境を守り、安全を担保しつつ、高度な技術やサービスをパッケージにした新たなシステム、例えば、スマートグリッドや大量輸送、高度情報通信システムを共有し、地域全体で繁栄を分かち合います。それが、この地域に新たな需要を創出し、自律的な経済成長に貢献するのです。
 アジアの方々を中心に、もっと多くの外国人の皆さんに日本を訪問していただくことは、経済成長のみならず、幅広い文化交流や友好関係の土台を築くためにも重要です。日本の魅力を磨き上げ、訪日外国人を20年までに2500万人、さらに3000万人まで増やすことを目標に、総合的な観光政策を推進します。
 アジア、さらには世界との交流の拠点となる空港、港湾、道路など、真に必要なインフラ整備については、厳しい財政事情を踏まえ、民間の知恵と資金も活用し、戦略的に進めてまいります。
 (地域経済を成長の源に)
 もう一つの成長の新たな地平は、国内それぞれの地域です。
 その潜在力にもかかわらず、長年にわたる地域の切り捨て、さらに最近の不況の直撃にさらされた地域経済の疲弊は極限に達しています。まずは景気対策に万全を期し、今後の経済の変化にも臨機応変に対応できるよう、11年ぶりに地方交付税を1.1兆円増と大幅に増額するほか、地域経済の活性化や雇用機会の創出などを目的とした2兆円規模の景気対策枠を新たに設けます。
 その上で、地域における成長のフロンティア拡大に向けた支援を行います。
 わが国の農林水産業を、生産から加工、流通まで一体的にとらえ、新たな価値を創出する「6次産業化」を進めることにより再生します。農家の方々、新たに農業に参入する方々には、戸別所得補償制度を一つの飛躍のバネとして、農業の再生に果敢に挑戦していただきたい。世界に冠たる日本の食文化と高度な農林水産技術を組み合わせ、森林や農山漁村の魅力を生かした新たな観光資源・産業資源をつくり出すのです。政府としてそれをしっかりと応援しながら、食料自給率の50%までの引き上げを目指します。
 地域経済を支える中小企業は日本経済の活力の源です。その資金繰り対策に万全を期するほか、「中小企業憲章」を策定し、意欲ある中小企業が日本経済の成長を支える展望を切り開いてまいります。
 さらに、地域間の活発な交流に向け、高速道路の無料化については、来年度から社会実験を実施し、その影響を確認しながら段階的に進めてまいります。
 地域の住民の生活を支える郵便局の基本的なサービスが、地域を問わず一体的に利用できるようユニバーサルサービスを法的に担保するとともに、現在の持ち株会社・4分社化体制の経営形態を再編するなど、郵政事業の抜本的な見直しを行ってまいります。
 (地域主権の確立)
 地域のことは、その地域に住む住民が責任を持って決める。この地域主権の実現は、単なる制度の改革ではありません。
 今日の中央集権的な体質は、明治の富国強兵の国是の下に導入され、戦時体制の中で盤石に強化され、戦後の復興と高度成長期において因習化されたものです。地域主権の実現は、この中央政府と関連公的法人のピラミッド体系を、自律的でフラットな地域主権型の構造に変革する、国の形の一大改革であり、鳩山内閣の改革の一丁目一番地です。
 今後、地域主権戦略の工程表に従い、政治主導で集中的かつ迅速に改革を進めます。その第1弾として、地方に対する不必要な義務付けや枠付けを、地方分権改革推進計画に沿って一切廃止するとともに、道路や河川などの維持管理費にかかる直轄事業負担金制度を廃止します。また、国と地方の関係を、上下関係ではなく対等なものとするため、国と地方との協議の場を新たな法律によって設置します。地域主権を支える財源についても、今後、ひも付き補助金の一括交付金化、出先機関の抜本的な改革などを含めた地域主権戦略大綱を策定します。
 併せて、「緑の分権改革」を推進するとともに、情報通信技術の徹底的な利活用による「コンクリートの道」から「光の道」への発想転換を図り、新たな時代にふさわしい地域のきずなの再生や成長の基盤づくりに取り組みます。本年を地域主権革命元年とすべく、内閣の総力を挙げて改革を断行してまいります。
 (責任ある経済財政運営)
 当面の経済財政運営の最大の課題は、日本経済を確かな回復軌道に乗せることです。決して景気の二番底には陥らせないとの決意の下、このたび成立した、事業規模で約24兆円となる第2次補正予算とともに、当初予算としては過去最大規模となる10年度予算を編成いたしました。この二つの予算により、切れ目ない景気対策を実行するとともに、特にデフレの克服に向け、日本銀行と一体となって、より強力かつ総合的な経済政策を進めてまいります。
 財政の規律も政治が果たすべき重要な課題です。今回の予算においては、目標としていた新規国債発行額約44兆円以下という水準をおおむね達成することができました。政権政策を実行するために必要な約3兆円の財源も、事業仕分けを反映した既存予算の削減や公益法人の基金返納などにより捻出(ねんしゅつ)できました。さらに将来を見据え、本年前半には、複数年度を視野に入れた中期財政フレームを策定するとともに、中長期的な財政規律の在り方を含む財政運営戦略を策定し、財政健全化に向けた長く大きな道筋をお示しします。


鳩山総理施政方針演説(全文-2)

2010年01月29日 15時10分37秒 | 記録しておきたいもの
施政方針演説全文-2 
 【5・課題解決に向けた責任ある政治】
 以上のような政策を実行するのが政治であり、行政です。政府が旧態依然たる分配型の政治を行う限り、ガンジー師の言う「理念なき政治」のままです。新たな国づくりに向け、「責任ある政治」を実践していかなければなりません。
 (「戦後行政の大掃除」の本格実施)
 事業仕分けや子育て支援の在り方については、ご家庭や職場でも大きな話題となり、さまざまな議論がなされたことと思います。私たちは、これまで財務省主計局の一室で官僚たちの手によって行われてきた予算編成過程の議論を、民間の第一線の専門家の参加を得て、事業仕分けという公開の場で行いました。上から目線の発想で、つい身内をかばいがちだった従来型の予算編成を、国民の主体的参加と監視の下で抜本的に変更できたのも、ひとえに政権交代のたまものです。
 「戦後行政の大掃除」は、しかし、まだ始まったばかりです。
 今後も、さまざまな規制や制度の在り方を抜本的に見直し、独立行政法人や公益法人が本当に必要なのか、「中抜き」の構造で無駄遣いの温床となっていないか、監視が行き届かないまま垂れ流されてきた特別会計の整理統合も含め、事業仕分け第2弾を実施します。これらすべてを、聖域なく、国民目線で検証し、一般会計と特別会計を合わせた総予算を全面的に組み替えていきます。行政刷新会議は法定化し、より強固な権限と組織によって改革を断行していきます。
 (政治主導による行政体制の見直し)
 同時に、行政組織や国家公務員の在り方を見直し、その意識を変えていくことも不可欠です。
 省庁の縦割りを排し、国家的な視点から予算や税制の骨格などを編成する国家戦略局を設置するほか、幹部人事の内閣一元管理を実現するために内閣人事局を設置し、官邸主導で適材適所の人材を登用します。
 こうした改革を断行するため、政府と与党が密接な連携と役割分担の下、政府部内における国会議員の占める職を充実強化するための関連法案を今国会に提案いたします。
 さらに、今後、国民の視点に立って、いかなる府省編成が望ましいのか、その設置の在り方も含め、本年夏以降、私自身が主導して、抜本的な見直しに着手します。
 税金の無駄遣いの最大の要因である天下りあっせんを根絶することはもちろん、「裏下り」とやゆされる事実上の天下りあっせん慣行にも監視の目を光らせて国民の疑念を解消します。同時に、国家公務員の労働基本権の在り方や、定年まで勤務できる環境の整備、給与体系を含めた人件費の見直しなど、新たな国家公務員制度改革にも速やかに着手します。
 (政治家自ら襟を正す)
 こうした改革を行う上で、まず国会議員が自ら範を垂れる必要があります。国会における議員定数や歳費の在り方について、会派を超えて積極的な見直しの議論が行われることを強く期待します。
 政治資金の問題については、私自身の問題に関して、国民の皆さまに多大のご迷惑とご心配をお掛けしたことを改めておわび申し上げます。ご批判を真摯(しんし)に受け止め、今後、政治資金の在り方が、国民の皆さまから見て、より透明で信頼できるものとなるよう、企業・団体献金の取り扱いを含め、開かれた議論を行ってまいります。

 【6・世界に新たな価値を発信する日本】
 (文化融合の国、日本)
 日本は四方を豊かな実りの海に囲まれた海洋国家です。
 古来より、日本は、大陸や朝鮮半島からこの海を渡った人々を通じて多様な文化や技術を吸収し、独自の文化と融合させて豊かな文化をはぐくんできました。漢字と仮名、公家と武家、神道と仏教、あるいは江戸と上方、東国の金貨制と西国の銀貨制というように、複合的な伝統と慣習、経済社会制度を併存させてきたことは日本の文化の一つの特長です。近現代の日本も和魂洋才という言葉の通り、東洋と西洋の文化を融合させ、欧米先進諸国へのキャッチアップを実現しました。こうした文化の共存と融合こそが、新たな価値を生み出す源泉であり、それを可能にする柔軟性こそが日本の強さです。自然環境との共生の思想や、木石にも魂が宿るといった伝統的な価値観は大切にしつつも、新たな文化交流、その根幹となる人的交流に積極的に取り組み、架け橋としての日本、新しい価値や文化を生み出し、世界に発信する日本を目指していこうではありませんか。
 (東アジア共同体の在り方)
 昨年の所信表明演説で、私は、東アジア共同体構想を提唱いたしました。アジアにおいて、数千年にわたる文化交流の歴史を発展させ、いのちを守るための協力を深化させる、「いのちと文化」の共同体を築き上げたい。そのような思いで提案したものです。
 この構想の実現のためには、さまざまな分野で国と国との信頼関係を積み重ねていくことが必要です。断じて、一部の国だけが集まった排他的な共同体や、他の地域と対抗するための経済圏にしてはなりません。その意味で、揺るぎない日米同盟は、その重要性に変わりがないどころか、東アジア共同体の形成の前提条件として欠くことができないものです。北米や欧州との、そして域内の自由な貿易を拡大して急速な発展を遂げてきた東アジア地域です。多角的な自由貿易体制の強化が第一の利益であることを確認しつつ地域の経済協力を進める必要があります。初代常任議長を選出し、ますます統合を深化させる欧州連合(EU)とは、開かれた共同体の在り方を、ともに追求していきたいと思います。
 (いのちと文化の共同体)
 東アジア共同体の実現に向けての具体策として、特に強調したいのは、いのちを守るための協力、そして、文化面での交流の強化です。
 地震、台風、津波などの自然災害は、アジアの人々が直面している最大の脅威の一つです。過去の教訓を正しく伝え、次の災害に備える防災文化を日本は培ってきました。これをアジア全域に普及させるため、日本の経験や知識を活用した人材育成に力を入れてまいります。
 感染症や疾病からいのちを守るためには、機敏な対応と協力が鍵となります。新型インフルエンザをはじめとするさまざまな情報を各国が共有し、協力しながら対応できる体制を構築していきます。また、人道支援のため米国が中心となって実施している「パシフィック・パートナーシップ」に、今年から海上自衛隊の輸送艦を派遣し、太平洋・東南アジア地域における医療支援や人材交流に貢献してまいります。
 (人的交流の飛躍的充実)
 昨年の12月、私はインドネシアとインドを訪問いたしました。
 いずれの国でも、国民間での文化交流事業を活性化させ、特に次世代を担う若者が、国境を越えて、教育・文化、ボランティアなどの面で交流を深めることに極めて大きな期待がありました。この期待に応えるために、今後5年間で、アジア各国を中心に10万人を超える青少年を日本に招くなど、アジアにおける人的交流を大幅に拡充するとともに、域内の各国言語・文化の専門家を、相互に飛躍的に増加させることにより、東アジア共同体の中核を担える人材を育成してまいります。
 アジア太平洋経済協力会議(APEC)の枠組みも、今年の議長として、充実強化に努めてまいります。経済発展を基盤として、文化・社会の面でもお互いを尊重できる関係を築いていくため、新たな成長戦略の策定に向けて積極的な議論を導きます。
 (日米同盟の深化)
 今年、日米安保条約の改定から50年の節目を迎えました。この間、世界は、冷戦による東西の対立とその終えん、テロや地域紛争といった新たな脅威の顕在化など大きく変化しました。激動の半世紀にあって、日米安全保障体制は、質的には変化を遂げつつも、わが国の国防のみならず、アジア、そして世界の平和と繁栄にとって欠くことのできない存在でありました。今後もその重要性が変わることはありません。
 私とオバマ大統領は、日米安保条約改定50周年を機に、日米同盟を21世紀にふさわしい形で深化させることを表明しました。今後、これまでの日米同盟の成果や課題を率直に語り合うとともに、幅広い協力を進め、重層的な同盟関係へと深化・発展させていきたいと思います。
 わが国が提出し、昨年12月の国連総会において採択された「核兵器の全面的廃絶に向けた新たな決意」には、米国が初めて共同提案国として名を連ねました。本年は、核セキュリティー・サミットや核拡散防止条約運用検討会議が相次いで開催されます。「核のない世界」の実現に向け、日米が協調して取り組む意義は極めて大きいと考えます。
 普天間基地移設問題については、米国との同盟関係を基軸として、わが国、そしてアジアの平和を確保しながら、沖縄に暮らす方々の長年にわたる大変なご負担を少しでも軽くしていくためにどのような解決策が最善か、沖縄基地問題検討委員会で精力的に議論し、政府として本年5月末までに具体的な移設先を決定することといたします。
 気候変動の問題については、地球環境問題とエネルギー安全保障とを一体的に解決するための技術協力や共同実証実験、研究者交流を日米で行うことを合意しています。活動の成果は、当然世界に及びます。この分野の同盟を、そして日米同盟全体を、両国のみならずアジア太平洋地域、さらには世界の平和と繁栄に資するものとしてさらに発展させてまいります。
 (アジア太平洋地域における2国間関係)
 アジア太平洋地域における信頼関係の輪を広げるため、日中間の戦略的互恵関係をより充実させてまいります。
 日韓関係の、世紀をまたいだ大きな節目の今年、過去の負の歴史に目を背けることなく、これからの100年を見据え、真に未来志向の友好関係を強化してまいります。ロシアとは、北方領土問題を解決すべく取り組むとともに、アジア太平洋地域におけるパートナーとして協力を強化します。
 北朝鮮の拉致、核、ミサイルといった諸問題を包括的に解決した上で、不幸な過去を清算し、日朝国交正常化を実現する。これは、アジア太平洋地域の平和と安定のためにも重要な課題です。具体的な行動を北朝鮮から引き出すべく、6者会合をはじめ関係国と一層緊密に連携してまいります。拉致問題については、新たに設置した拉致問題対策本部の下、すべての拉致被害者の一日も早い帰国を実現すべく、政府の総力を挙げて最大限の努力を尽くしてまいります。
 (貧困や紛争、災害からいのちを救う支援)
 アフリカをはじめとする発展途上国で飢餓や貧困にあえぐ人々。イラクやアフガニスタンで故郷に戻れない生活を余儀なくされる難民の人々。国際的テロで犠牲になった人々。自然災害で住む家を失った人々。こうした人々のいのちを救うために、日本に何ができるのか、そして何が求められているのか。今回のハイチ地震の惨禍に対し、わが国は、国連ハイチ安定化ミッションへの自衛隊の派遣と約7000万ドルに上る緊急・復興支援を表明しました。国際社会の声なき声にも耳を澄まし、国連をはじめとする国際機関や主要国と密接に連携し、困難の克服と復興を支援してまいります。
 【7・結び】
 いのちを守りたい。
 私の友愛政治の中核をなす理念として、政権を担ってから、片時も忘れることなく思い、ますます強くしている決意です。
 今月17日、私は、阪神・淡路大震災の追悼式典に参列いたしました。15年前の同じ日にこの地域を襲った地震は、尊いいのち、平穏な暮らし、美しい街並みを一瞬のうちに奪いました。
 式典で、16歳の息子さんを亡くされたお父様のお話を伺いました。
 「地震で、家が倒壊し、2階に寝ていた息子ががれきの下敷きになった。積み重なったがれきの下から、息子の足だけが見えていて、助けてくれというように、ベッドの横板をとん、とん、とんとたたく音がする。何度も何度も助け出そうと両足を引っ張るが、がれきの重さに動かせない。やがて、30分ほどすると、音が聞こえなくなり、次第に足も冷たくなっていくわが子をどうすることもできなかった。
 『ごめんな。助けてやれなかったな。痛かったやろ、苦しかったやろな。ほんまにごめんな』
 これが現実なのか、夢なのか、時間が止まりました。身体中の涙を全部流すかのように、毎日涙し、どこにも持って行きようのない怒りに、まるで胃液が身体を溶かしていくかのような、苦しい毎日が続きました」
 息子さんが目の前で息絶えていくのを、ただ見ていることしかできない無念さや悲しみ。人の親なら、いや、人間なら、誰でも分かります。災害列島といわれる日本の安全を確保する責任を負う者として、防災、そして少しでも被害を減らしていく「減災」に万全を期さねばならないと改めて痛感しました。
 今、神戸の街には、あの悲しみ、苦しみを懸命に乗り越えて取り戻した活気があふれています。大惨事を克服するための活動は地震の直後から始められました。警察、消防、自衛隊による救助・救援活動に加え、家族や隣人と励ましあい、困難な避難生活を送りながら復興に取り組む住民の姿がありました。全国から多くのボランティアがリュックサックを背負って駆け付けました。復旧に向けた機材や義援金が寄せられました。慈善のための文化活動が人々を勇気づけました。混乱した状況にあっても、略奪行為といったものはほとんどなかったと伺います。みんなで力を合わせ、人のため、社会のために努力したのです。
 あの15年前の、不幸な震災が、しかし、日本の「新しい公共」の出発点だったのかもしれません。
 今、災害の中心地であった長田の街の一画には、地域の特定非営利活動法人(NPO法人)の尽力で建てられた「鉄人28号」のモニュメントが、その勇姿を見せ、観光名所、集客の拠点にさえなっています。
 いのちを守るための「新たな公共」は、この国だからこそ、世界に向けて、誇りを持って発信できる。私はそう確信しています。
 人のいのちを守る政治、この理念を実行に移すときです。子どもたちに幸福な社会を、未来にかけがえのない地球を引き継いでいかねばなりません。
 国民の皆さま、議員の皆さん、輝く日本を取り戻すため、ともに努力してまいりましょう。
 この2010年を、日本の再出発の年にしていこうではありませんか。(2010/01/29-14:38)

鳩山由起夫 私の政治学(前編)

2009年09月02日 14時36分08秒 | 記録しておきたいもの
きっこのブログに紹介されていた、鳩山由起夫さんの論文を読んで、
総てに於いてうなずける論文であったのに、驚いた。
原文を書きとめておきたい。

 私の政治学   鳩山由起夫
党人派・鳩山一郎の旗印
 現代の日本人に好まれている言葉の一つが「愛」だが、これは普通loveのことだ。そのため、私が「友愛」を語るのを聞いてなんとなく柔弱な印象を受ける人が多いようだ。しかし私の言う「友愛」はこれとは異なる概念である。それはフランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の博愛=フラタナティ(fraternite)のことを指す。
 祖父鳩山一郎が、クーデンホフ・カレルギーの著書を翻訳して出版したとき、このフラタナティを博愛ではなくて友愛と訳した。それは柔弱どころか、革命の旗印ともなった戦闘的概念なのである。
 クーデンホフ・カレルギーは、今から八十五年前の大正十二年(一九二三年)『汎ヨーロッパ』という著書を刊行し、今日のEUにつながる汎ヨーロッパ運動の提唱者となった。彼は日本公使をしていたオーストリア貴族と麻布の骨董商の娘青山光子の次男として生まれ、栄次郎という日本名ももっていた。
 カレルギーは昭和十年(一九三五年)『Totalitarian State Against Man (全体主義国家対人間)』と題する著書を出版した。それはソ連共産主義とナチス国家社会主義に対する激しい批判と、彼らの侵出を許した資本主義の放恣に対する深刻な反省に満ちている。
 カレルギーは、「自由」こそ人間の尊厳の基礎であり、至上の価値と考えていた。そして、それを保障するものとして私有財産制度を擁護した。その一方で、資本主義が深刻な社会的不平等を生み出し、それを温床とする「平等」への希求が共産主義を生み、さらに資本主義と共産主義の双方に対抗するものとして国家社会主義を生み出したことを、彼は深く憂いた。
 「友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く」
 ひたすら平等を追う全体主義も、放縦に堕した資本主義も、結果として人間の尊厳を冒し、本来目的であるはずの人間を手段と化してしまう。人間にとって重要でありながら自由も平等もそれが原理主義に陥るとき、それがもたらす惨禍は計り知れない。それらが人間の尊厳を冒すことがないよう均衡を図る理念が必要であり、カレルギーはそれを「友愛」に求めたのである。
  「人間は目的であって手段ではない。国家は手段であって目的ではない」
 彼の『全体主義国家対人間』は、こういう書き出しで始まる。
 カレルギーがこの書物を構想しているころ、二つの全体主義がヨーロッパを席捲し、祖国オーストリアはヒットラーによる併合の危機に晒されていた。彼はヨーロッパ中を駆け巡って、汎ヨーロッパを説き、反ヒットラー、反スターリンを鼓吹した。しかし、その奮闘もむなしくオーストリアはナチスのものとなり、彼は、やがて失意のうちにアメリカに亡命することとなる。映画『カサブランカ』は、カレルギーの逃避行をモデルにしたものだという。
 カレルギーが「友愛革命」を説くとき、それは彼が同時代において直面した、左右の全体主義との激しい戦いを支える戦闘の理論だったのである。
 戦後、首相の地位を目前にして公職追放となった鳩山一郎は、浪々の徒然にカレルギーの書物を読み、とりわけ共感を覚えた『全体主義国家対人間』を自ら翻訳し、『自由と人生』という書名で出版した。鋭い共産主義批判者であり、かつ軍部主導の計画経済(統制経済)に対抗した鳩山一郎にとって、この書は、戦後日本に吹き荒れるマルクス主義勢力(社会、共産両党や労働運動)の攻勢に抗し、健全な議会制民主主義を作り上げる上で、最も共感できる理論体系に見えたのだろう。
 鳩山一郎は、一方で勢いを増す社共両党に対抗しつつ、他方で官僚派吉田政権を打ち倒し、党人派鳩山政権を打ち立てる旗印として「友愛」を掲げたのである。彼の筆になる『友愛青年同志会綱領』(昭和二十八年)はその端的な表明だった。
 「われわれは自由主義の旗のもとに友愛革命に挺身し、左右両翼の極端なる思想を排除して、健全明朗なる民主社会の実現と自主独立の文化国家の建設に邁進する」
 彼の「友愛」の理念は、戦後保守政党の底流に脈々として生きつづけた。六十年安保を経て、自民党は労使協調政策に大きく舵を切り、それが日本の高度経済成長を支える基礎となった。その象徴が昭和四十年(一九六五年)に綱領的文書として作成された『自民党基本憲章』である。
 その第一章は「人間の尊重」と題され、「人間はその存在が尊いのであり、つねにそれ自体が目的であり、決して手段であってはならない」と記されている。労働運動との融和を謳った『自民党労働憲章』にも同様の表現がある。明らかに、カレルギーの著書からの引用であり、鳩山一郎の友愛論に影響を受けたものだろう。この二つの憲章は、鳩山、石橋内閣の樹立に貢献し、池田内閣労相として日本に労使協調路線を確立した石田博英によって起草されたものである。

  自民党一党支配の終焉と民主党立党宣言
 戦後、自民党が内外の社会主義陣営に対峙し、日本の復興と高度経済成長の達成に尽くしたことは大きな功績であり、歴史的評価に値する。しかし、冷戦終焉後も経済成長自体が国家目標であるかのような惰性の政治に陥り、変化する時代環境の中で国民生活の質的向上を目指す政策に転換できない事態が続いた。その一方で政官業の癒着がもたらす政治腐敗が自民党の宿痾となった観があった。
 私は、冷戦が終ったとき、高度成長を支えた自民党の歴史的役割も終わり、新たな責任勢力が求められていると痛感した。そして祖父が創設した自民党を離党し、新党さきがけの結党に参加し、やがて自ら党首となって民主党を設立するに至った。
 平成八年九月十一日「(旧)民主党」結党。その「立党宣言」に言う。
 「私たちがこれから社会の根底に据えたいと思っているのは『友愛』の精神である。自由は弱肉強食の放埒に陥りやすく、平等は『出る釘は打たれる』式の悪平等に堕落しかねない。その両者のゆきすぎを克服するのが友愛であるけれども、それはこれまでの一〇〇年間はあまりに軽視されてきた。二〇世紀までの近代国家は、人々を国民として動員するのに急で、そのために人間を一山いくらで計れるような大衆(マス)としてしか扱わなかったからである。
 私たちは、一人ひとりの人間は限りなく多様な個性をもった、かけがえのない存在であり、だからこそ自らの運命を自ら決定する権利をもち、またその選択の結果に責任を負う義務があるという『個の自立』の原理と同時に、そのようなお互いの自立性と異質性をお互いに尊重しあったうえで、なおかつ共感しあい一致点を求めて協働するという『他との共生』の原理を重視したい。そのような自立と共生の原理は、日本社会の中での人間と人間の関係だけでなく、日本と世界の関係、人間と自然の関係にも同じように貫かれなくてはならない」。
 武者小路実篤は「君は君、我は我也、されど仲良き」という有名な言葉を残している。「友愛」とは、まさにこのような姿勢で臨むことなのだ。
 「自由」や「平等」が時代環境とともにその表現と内容を進化させていくように、人間の尊厳を希求する「友愛」もまた時代環境とともに進化していく。私は、カレルギーや祖父一郎が対峙した全体主義国家の終焉を見た当時、「友愛」を「自立と共生の原理」と再定義したのである。
 そしてこの日から十三年が経過した。この間、冷戦後の日本は、アメリカ発のグローバリズムという名の市場原理主義に翻弄されつづけた。至上の価値であるはずの「自由」、その「自由の経済的形式」である資本主義が原理的に追求されていくとき、人間は目的ではなく手段におとしめられ、その尊厳を失う。金融危機後の世界で、われわれはこのことに改めて気が付いた。道義と節度を喪失した金融資本主義、市場至上主義にいかにして歯止めをかけ、国民経済と国民生活を守っていくか。それが今われわれに突きつけられている課題である。
 この時にあたって、私は、かつてカレルギーが自由の本質に内在する危険を抑止する役割を担うものとして、「友愛」を位置づけたことをあらためて想起し、再び「友愛の旗印」を掲げて立とうと決意した。平成二十一年五月十六日、民主党代表選挙に臨んで、私はこう言った。
 「自ら先頭に立って、同志の皆さんとともに、一丸となって難局を打開し、共に生きる社会『友愛社会』をつくるために、必ず政権交代を成し遂げたい」
 私にとって「友愛」とは何か。それは政治の方向を見極める羅針盤であり、政策を決定するときの判断基準である。そして、われわれが目指す「自立と共生の時代」を支える時代精神たるべきものと信じている。

  

鳩山由起夫 私の政治学(後編)

2009年09月02日 14時32分54秒 | 記録しておきたいもの
前編に入らなかった鳩山由起夫さんの論文を写します。

 衰弱した「公」の領域を復興

 現時点においては、「友愛」は、グローバル化する現代資本主義の行き過ぎを正し、伝統の中で培われてきた国民経済との調整を目指す理念と言えよう。それは、市場至上主義から国民の生活や安全を守る政策に転換し、共生の経済社会を建設することを意味する。
 言うまでもなく、今回の世界経済危機は、冷戦終焉後アメリカが推し進めてきた市場原理主義、金融資本主義の破綻によってもたらされたものである。米国のこうした市場原理主義や金融資本主義は、グローバルエコノミーとかグローバリゼーションとかグローバリズムとか呼ばれた。
 米国的な自由市場経済が、普遍的で理想的な経済秩序であり、諸国はそれぞれの国民経済の伝統や規制を改め、経済社会の構造をグローバルスタンダード(実はアメリカンスタンダード)に合わせて改革していくべきだという思潮だった。
 日本の国内でも、このグローバリズムの流れをどのように受け入れていくか、これを積極的に受け入れ、全てを市場に委ねる行き方を良しとする人たちと、これに消極的に対応し、社会的な安全網(セーフティネット)の充実や国民経済的な伝統を守ろうという人たちに分かれた。小泉政権以来の自民党は前者であり、私たち民主党はどちらかというと後者の立場だった。
 各国の経済秩序(国民経済)は年月をかけて出来上がってきたもので、その国の伝統、慣習、国民生活の実態を反映したものだ。したがって世界各国の国民経済は、歴史、伝統、慣習、経済規模や発展段階など、あまりにも多様なものなのである。グローバリズムは、そうした経済外的諸価値や環境問題や資源制約などを一切無視して進行した。小国の中には、国民経済がおおきな打撃を被り、伝統的な産業が壊滅した国さえあった。
 資本や生産手段はいとも簡単に国境を越えて移動できる。しかし、人は簡単には移動できないものだ。市場の論理では「人」というものは「人件費」でしかないが、実際の世の中では、その「人」が地域共同体を支え、生活や伝統や文化を体現している。人間の尊厳は、そうした共同体の中で、仕事や役割を得て家庭を営んでいく中で保持される。
 冷戦後の今日までの日本社会の変貌を顧みると、グローバルエコノミーが国民経済を破壊し、市場至上主義が社会を破壊してきた過程と言っても過言ではないだろう。郵政民営化は、長い歴史を持つ郵便局とそれを支えてきた人々の地域社会での伝統的役割をあまりにも軽んじ、郵便局の持つ経済外的価値や共同体的価値を無視し、市場の論理によって一刀両断にしてしまったのだ。
 農業や環境や医療など、われわれの生命と安全にかかわる分野の経済活動を、無造作にグローバリズムの奔流の中に投げ出すような政策は、「友愛」の理念からは許されるところではない。また生命の安全や生活の安定に係るルールや規制はむしろ強化しなければならない。
 グローバリズムが席巻するなかで切り捨てられてきた経済外的な諸価値に目を向け、人と人との絆の再生、自然や環境への配慮、福祉や医療制度の再構築、教育や子どもを育てる環境の充実、格差の是正などに取り組み、「国民一人ひとりが幸せを追求できる環境を整えていくこと」が、これからの政治の責任であろう。
 この間、日本の伝統的な公共の領域は衰弱し、人々からお互いの絆が失われ、公共心も薄弱となった。現代の経済社会の活動には「官」「民」「公」「私」の別がある。官は行政、民は企業、私は個人や家庭だ。公はかつての町内会活動や今のNPO活動のような相互扶助的な活動を指す。経済社会が高度化し、複雑化すればするほど、行政や企業や個人には手の届かない部分が大きくなっていく。経済先進国であるほど、NPOなどの非営利活動が大きな社会的役割を担っているのはそのためだといえる。それは「共生」の基盤でもある。それらの活動は、GDPに換算されないものだが、われわれが真に豊かな社会を築こうというとき、こうした公共領域の非営利的活動、市民活動、社会活動の層の厚さが問われる。
 「友愛」の政治は、衰弱した日本の「公」の領域を復興し、また新たなる公の領域を創造し、それを担う人々を支援していく。そして人と人との絆を取り戻し、人と人が助け合い、人が人の役に立つことに生きがいを感じる社会、そうした「共生の社会」を創ることをめざす。
 財政の危機は確かに深刻だ。しかし「友愛」の政治は、財政の再建と福祉制度の再構築を両立させる道を、慎重かつ着実に歩むことをめざす。財政再建を、社会保障政策の一律的抑制や切捨てによって達成しようという、また消費税増税によって短兵急に達成しようという財務省主導の財政再建論には与しない。
 財政の危機は、長年の自民党政権の失政に帰するものである。それは、官僚主導の中央集権政治とその下でのバラマキ政治、無批判なグローバリズム信仰が生んだセーフティネットの破綻と格差の拡大、政官業癒着の政治がもたらした政府への信頼喪失など、日本の経済社会の危機の反映なのである。
 したがって、財政危機の克服は、われわれがこの国のかたちを地域主権国家に変え、徹底的な行財政改革を断行し、年金はじめ社会保障制度の持続可能性についての国民の信頼を取り戻すこと、つまり政治の根本的な立て直しの努力を抜きにしてはなしえない課題なのである。

  地域主権国家の確立

 私は、代表選挙の立候補演説において「私が最も力を入れたい政策」は「中央集権国家である現在の国のかたちを『地域主権の国』に変革」することだと言った。同様の主張は、十三年前の旧民主党結党宣言にも書いた。「小さな中央政府・国会と、大きな権限をもった効率的な地方政府による『地方分権・地域主権国家』」を実現し、「そのもとで、市民参加・地域共助型の充実した福祉と、将来にツケを回さない財政・医療・年金制度を両立させていく」のだと。
 クーデンホフ・カレルギーの「友愛革命」(『全体主義国家対人間』第十二章)の中にこういう一説がある。
 「友愛主義の政治的必須条件は連邦組織であって、それは実に、個人から国家をつくり上げる有機的方法なのである。人間から宇宙に至る道は同心円を通じて導かれる。すなわち人間が家族をつくり、家族が自治体(コミューン)をつくり、自治体が郡(カントン)をつくり、郡が州(ステイト)をつくり、州が大陸をつくり、大陸が地球をつくり、地球が太陽系をつくり、太陽系が宇宙をつくり出すのである」
 カレルギーがここで言っているのは、今の言葉で言えば「補完性の原理」ということだろう。それは「友愛」の論理から導かれる現代的政策表現ということができる。
 経済のグローバル化は避けられない時代の現実だ。しかし、経済的統合が進むEUでは、一方でローカル化ともいうべき流れも顕著である。ベルギーの連邦化やチェコとスロバキアの分離独立などはその象徴である。
 グローバル化する経済環境の中で、伝統や文化の基盤としての国あるいは地域の独自性をどう維持していくか。それはEUのみならず、これからの日本にとっても大きな課題である。
 グローバル化とローカル化という二つの背反する時代の要請への回答として、EUはマーストリヒト条約やヨーロッパ地方自治憲章において「補完性の原理」を掲げた。
 補完性の原理は、今日では、単に基礎自治体優先の原則というだけでなく、国家と超国家機関との関係にまで援用される原則となっている。こうした視点から、補完性の原理を解釈すると以下のようになる。
 個人でできることは、個人で解決する。個人で解決できないことは、家庭が助ける。家庭で解決できないことは、地域社会やNPOが助ける。これらのレベルで解決できないときに初めて行政がかかわることになる。そして基礎自治体で処理できることは、すべて基礎自治体でやる。基礎自治体ができないことだけを広域自治体がやる。広域自治体でもできないこと、たとえば外交、防衛、マクロ経済政策の決定など、を中央政府が担当する。そして次の段階として、通貨の発行権など国家主権の一部も、EUのような国際機構に移譲する……。
 補完性の原理は、実際の分権政策としては、基礎自治体重視の分権政策ということになる。われわれが友愛の現代化を模索するとき、必然的に補完性の原理に立脚した「地域主権国家」の確立に行き届く。
 道州制の是非を含む今後の日本の地方制度改革においては、伝統や文化の基盤としての自治体の規模はどうあるべきか、住民による自治が有効に機能する自治体の規模はどうあるべきか、という視点を忘れてはならない。
私は民主党代表選挙の際の演説でこう語った。
 「国の役割を、外交・防衛、財政・金融、資源・エネルギー、環境等に限定し、生活に密着したことは権限、財源、人材を『基礎的自治体』に委譲し、その地域の判断と責任において決断し、実行できる仕組みに変革します。国の補助金は廃止し、地方に自主財源として一括交付します。すなわち、国と地域の関係を現在の実質上下関係から並列の関係、役割分担の関係へと変えていきます。この変革により、国全体の効率を高め、地域の実情に応じたきめの細かい、生活者の立場にたった行政に変革します」
 身近な基礎自治体に財源と権限を大幅に移譲し、サービスと負担の関係が見えやすいものとすることによって、はじめて地域の自主性、自己責任、自己決定能力が生れる。それはまた地域の経済活動を活力あるものにし、個性的で魅力にとんだ美しい日本列島を創る道でもある。
 「地域主権国家」の確立こそは、とりもなおさず「友愛」の現代的政策表現」であり、これからの時代の政治目標にふさわしいものだ。

  ナショナリズムを抑える東アジア共同体

 「友愛」が導くもう一つの国家目標は「東アジア共同体」の創造であろう。もちろん、日米安保体制は、今後も日本外交の基軸でありつづけるし、それは紛れもなく重要な日本外交の柱である。同時にわれわれは、アジアに位置する国家としてのアイデンティティを忘れてはならないだろう。経済成長の活力に溢れ、ますます緊密に結びつきつつある東アジア地域を、わが国が生きていく基本的な生活空間と捉えて、この地域に安定した経済協力と安全保障の枠組みを創る努力を続けなくてはならない。
 今回のアメリカの金融危機は、多くの人に、アメリカ一極時代の終焉を予感させ、またドル基軸通貨体制の永続性への懸念を抱かせずにはおかなかった。私も、イラク戦争の失敗と金融危機によってアメリカ主導のグローバリズムの時代は終焉し、世界はアメリカ一極支配の時代から多極化の時代に向かうだろうと感じている。しかし、今のところアメリカに代わる覇権国家は見当たらないし、ドルに代わる基軸通貨も見当たらない。一極時代から多極時代に移るとしても、そのイメージは曖昧であり、新しい世界の政治と経済の姿がはっきり見えないことがわれわれを不安にしている。それがいま私たちが直面している危機の本質ではないか。
 アメリカは今後影響力を低下させていくが、今後二、三〇年は、その軍事的経済的な実力は世界の第一人者のままだろう。また圧倒的な人口規模を有する中国が、軍事力を拡大しつつ、経済超大国化していくことも不可避の趨勢だ。日本が経済規模で中国に凌駕される日はそう遠くはない。
覇権国家でありつづけようと奮闘するアメリカと、覇権国家たらんと企図する中国の狭間で、日本は、いかにして政治的経済的自立を維持し、国益を守っていくのか。これからの日本の置かれた国際環境は容易ではない。
 これは、日本のみならず、アジアの中小規模国家が同様に思い悩んでいるところでもある。この地域の安定のためにアメリカの軍事力を有効に機能させたいが、その政治的経済的放恣はなるべく抑制したい、身近な中国の軍事的脅威を減少させながら、その巨大化する経済活動の秩序化を図りたい。これは、この地域の諸国家のほとんど本能的要請であろう。それは地域的統合を加速させる大きな要因でもある。
 そして、マルクス主義とグローバリズムという、良くも悪くも、超国家的な政治経済理念が頓挫したいま、再びナショナリズムが諸国家の政策決定を大きく左右する時代となった。数年前の中国の反日暴動に象徴されるように、インターネットの普及は、ナショナリズムとポピュリズムの結合を加速し、時として制御不能の政治的混乱を引き起こしかねない。
 そうした時代認識に立つとき、われわれは、新たな国際協力の枠組みの構築をめざすなかで、各国の過剰なナショナリズムを克服し、経済協力と安全保障のルールを創りあげていく道を進むべきであろう。ヨーロッパと異なり、人口規模も発展段階も政治体制も異なるこの地域に、経済的な統合を実現することは、一朝一夕にできることではない。しかし、日本が先行し、韓国、台湾、香港がつづき、ASEANと中国が果たした高度経済成長の延長線上には、やはり地域的な通貨統合、「アジア共通通貨」の実現を目標としておくべきであり、その背景となる東アジア地域での恒久的な安全保障の枠組みを創出する努力を惜しんではならない。
 今やASEAN、日本、中国(含む香港)、韓国、台湾のGDP合計額は世界の四分の一となり、東アジアの経済的力量と相互依存関係の拡大と深化は、かつてない段階に達しており、この地域には経済圏として必要にして十分な下部構造が形成されている。しかし、この地域の諸国家間には、歴史的文化的な対立と安全保障上の対抗関係が相俟って、政治的には多くの困難を抱えていることもまた事実だ。
 しかし、軍事力増強問題、領土問題など地域的統合を阻害している諸問題は、それ自体を日中、日韓などの二国間で交渉しても解決不能なものなのであり、二国間で話し合おうとすればするほど双方の国民感情を刺激し、ナショナリズムの激化を招きかねないものなのである。地域的統合を阻害している問題は、じつは地域的統合の度合いを進める中でしか解決しないという逆説に立っている。たとえば地域的統合が領土問題を風化させるのはEUの経験で明らかなところだ。
 私は「新憲法試案」(平成十七年)を作成したとき、その「前文」に、これからの半世紀を見据えた国家目標を掲げて、次のように述べた。
 「私たちは、人間の尊厳を重んじ、平和と自由と民主主義の恵沢を全世界の人々とともに享受することを希求し、世界、とりわけアジア太平洋地域に恒久的で普遍的な経済社会協力及び集団的安全保障の制度が確立されることを念願し、不断の努力を続けることを誓う」
 私は、それが日本国憲法の理想とした平和主義、国際協調主義を実践していく道であるとともに、米中両大国のあいだで、わが国の政治的経済的自立を守り、国益に資する道でもある、と信じる。またそれはかつてカレルギーが主張した「友愛革命」の現代的展開でもあるのだ。
 こうした方向感覚からは、例えば今回の世界金融危機後の対応も、従来のIMF、世界銀行体制の単なる補強だけではなく、将来のアジア共通通貨の実現を視野に入れた対応が導かれるはずだ。
 アジア共通通貨の実現には今後十年以上の歳月を要するだろう。それが政治的統合をもたらすまでには、さらなる歳月が必要であろう。世界経済危機が深刻化な状況下で、これを迂遠な議論と思う人もいるかもしれない。しかし、われわれが直面している世界が混沌として不透明で不安定であればあるほど、政治は、高く大きな目標を掲げて国民を導いていかなければならない。
 いまわれわれは、世界史の転換点に立っており、国内的な景気対策に取り組むだけでなく、世界の新しい政治、経済秩序をどうつくり上げていくのか、その決意と構想力を問われているのである。
 今日においては「EUの父」と讃えられるクーデンホフ・カレルギーが、八十五年前に『汎ヨーロッパ』を刊行した時の言葉がある。彼は言った。

 「すべての偉大な歴史的出来事は、ユートピアとして始まり、現実として終わった」、そして、「一つの考えがユートピアにとどまるか、現実となるかは、それを信じる人間の数と実行力にかかっている」と。
―Voice 9月号掲載

悲惨な公害汚染地域

2009年03月16日 17時09分51秒 | 記録しておきたいもの
「世界一受けたい授業」と言う番組があるが、先週3月14日放送の、リチャード・フラー先生の公害に関する授業は、衝撃的だった。
検索してみたら放送されたものの一部が記録されていたので、ここに写して置くことにした。
日本でも戦後しばらくはひどい状態であったけれど、全国の公害が問題になって、かなり改善されて来たらしいけれど、
世界中を見回したら、その害毒についての知識さえ与えられないで、毒を含んだ水を、煮沸すれば大丈夫と思って飲み続けている人々とか、強い毒を含んだ土の上を裸足で走り回って、害毒を体にためてしまっている子供たちとか、
悲惨な状態が今も世界中で、放置されているということであった。
文明は昔の人が想像も出来なかったであろう程の便利な生活を、私たちにもたらしてくれたけれど、その裏側でどれほど大勢の人が、受けなくても済んだかもしれない試練に、只今現在も喘がされている事だろう。
放送で紹介された公害汚染されている地域の情報は、世界中の汚染されている地域のほんの一部のことであるそうだけれど・・・・
  

世界で汚染の影響を受けている人は10億人以上いると言われています。そしてWHO(世界保健機構)は、世界の死亡者数のおよそ25%が汚染によるものだと報告しています。
その中でも脳が成長していて、体も小さい子供が一番影響を受けやすいようです。

インドのスキンダ
インドのスキンダには、世界最大規模のクロムという金属の採掘施設があります。クロム自体は無害なんですが、廃棄物はかなり有害です。

工場の煙突から有毒なガスが吐き出され、川にも廃棄物が流され続けました。その結果、飲料水の約60%が猛毒の六価クロム化合物で汚染されました。六価クロムは触るだけでひどい皮膚炎にかかってしまい、体内に溜まるとガンの原因になる可能性もあります。
この汚染の被害者はおよそ260万人。

ロシアのノリリスク
ここで採れるニッケルは世界の3分の1の量で、工場は世界最大規模です。
ここでは、呼吸器系の病気の原因となる、銅・ニッケルが毎年500トン。肺ガンなどの原因となる二酸化硫黄が毎年200万トンが放出されている。
そのため、空気は硫黄の味がして黒っぽい雪が降ります。

この汚染のため子供たちは、毎年2か月間療養所に送られます。そこでは人工太陽による日光浴や栄養を補うスープを飲ませたりしています。
この汚染の被害者はおよそ13万人 に及ぶと言われています。

アゼルバイジャン共和国のスムガイト
かつてのソビエトの中心的な工場地帯。街を繁栄させていた工場が汚染してしまいます。毒ガスが空気中に放たれ、汚染された水が川に流されたことで約1500トンもの水銀などが街を汚染しました。結果スムガイドは、世界で一番死亡率が場所のひとつになってしまいました。


イスラエルの戦争と和平

2009年01月12日 13時00分29秒 | 記録しておきたいもの
田中宇さんの記事を記録しておきます。

イスラエルの戦争と和平     2008年9月9日  田中 宇

 1967年6月に起きた第3次中東戦争(六日戦争)は、画期的な戦争だった。イスラエルが、エジプト、ヨルダン、シリアの3カ国に先制攻撃をしかけ、わずか6日間の戦争で、エジプトからガザとシナイ半島を、ヨルダンからヨルダン川西岸地域を、シリアからゴラン高原を奪取し、現在まで続く占領体制の始まりとなった。

 イスラエルはこの戦争まで、1947年に国連が決議したパレスチナ分割案のイスラエル側の地域に限定して統治していた。しかし、この戦争でイスラエルは従来の戦略を打破し、アラブの土地を奪取していく拡張戦略に転換したと考えられている。

 しかし実は、六日戦争当時にイスラエル政府が考えていたことは、それとは全く逆の戦略だったかもしれない。イスラエルの元大統領であるハイム・ヘルツォーク(Chaim Herzog)は、1989年に出版した回顧録の中で、六日戦争の停戦からわずか10日後の67年6月19日に、イスラエル政府は、戦争相手だったエジプト・シリアとの平和条約を結ぶことができた場合、戦争によって両国から奪取占領したシナイ半島とゴラン高原を返還するという決議を、秘密裏に閣議決定したと書いている。(関連記事)

(この秘密閣議決定は、別のサイトでも事実として紹介されている)

 六日戦争を起こしたのはイスラエルである。開戦した理由はアラブ側との対立の積み重ねであり、決定的な事由がない。しかも、停戦直後に、早々とエジプト・シリアとの和平を前提に、占領地の返還を秘密閣議決定していたとなれば、イスラエルは、最初からエジプト・シリアと和平する目的で、和平材料として占領地を獲得するために先制攻撃の短期戦を起こした疑いが強い。

▼アラブとイスラエルの対立を扇動したイギリス

 和平するつもりなら、戦争などせず、最初からエジプトとシリアに、和平しましょうと直接に提案すれば良いではないか、と思う人が多いだろう。しかしイスラエルは、アラブ側に和平提案できる状況になかった。

 イスラエルは1948年、イギリスの植民地(国際連盟の委任統治領)だったパレスチナの西側4分の1の地域で建国した。中東全域を支配していた英は、中東の各勢力をできるだけ分割し、相互に敵対状態を永続させることで、外部から支配している英が漁夫の利を得て仲裁役に立てる均衡戦略(バランス・オブ・パワー)を採っていた。

 その一環として、英はユダヤ人国家の領土が大きくなりすぎないよう、パレスチナの東半分(ヨルダン川東岸)でアラブ人の国王(ハーシム家)に建国を許し、トランスヨルダン(今のヨルダン)を作った。さらに、トランスヨルダンとイスラエルの間には、1947年の国連決議などによって、パレスチナ人の国家建設が予約された。欧州の国際政治の舞台裏で長く活躍し、国家運営の技能に長けたユダヤ人に広大なパレスチナ全土を与えたら、英を中東から追い出すほど強いイスラエル国家が建設されると恐れ、英はイスラエルの領土をできるだけ小さくしたのだろう。

 加えて、英はアラブ側にイスラエル敵視の感情を植え付けた。英は、第二次大戦でアラブ諸国がドイツの味方をしないよう、アラブが夢見る「民族統合」のための組織「アラブ連盟」(アラブ諸国の連合体)を1945年に作ってやったが、その後約60年のアラブ連盟の歴史を見ると、米英に都合の良いように分裂され続けている。アラブ連盟は、英の傀儡組織と疑われるが、同時に同連盟は、イスラエルを強く敵視する組織であり続けてきた。

 1948年のイスラエル建国時に、イスラエルに宣戦布告したのはアラブ連盟だったし、1979年にイスラエルと和解したエジプトは、連盟から除名された(10年後に復帰した)。英(米の軍産英複合体)は、アラブ連盟を使って、アラブとイスラエルとの永続的対立を維持してきたといえる。覇権国によって作られた敵対構造の中で、イスラエルがアラブに和解を提案しても、拒絶されるだけだった。

▼英のスエズ以東撤退との関係

 英米覇権からやられっぱなしのアラブ諸国の為政者には「戦力こそ正義」と考える風潮があった。シリアとエジプトという、イスラエルの南北に位置する有力なアラブ2国の領土をイスラエルが戦争で剥奪し、その後、土地を返還するから和平しよう、と提案することは、イスラエルが優位に立ちつつ和平を実現するための、効果的な戦略だった。

 この「戦争による和平戦略」が1967年という時期に行われたことも、私は意味を感じる。67年は、英がスエズ運河以東(キプロスより東)の全地域からの撤退を行っている年だった。スエズ以東からの英軍撤退は、68年におおむね完了した。

 英は第2次大戦後も大英帝国を維持していたが、60年代の国内経済不振の中、アジアからすべての軍隊を引き揚げる方針を決定し、撤退を実施した(グルカ兵を除く)。撤退の準備としてマレーシアなど英植民地は独立し、東南アジアでは67年にアメリカ主導でASEANが作られた。ペルシャ湾岸諸国ではこの時期、通貨の英ポンドに対するペッグ(為替連動)が終わり、代わりに米ドルへのペッグとなった。71年にはシンガポールにあった英軍の極東司令部が廃止され、アジアは英覇権下から米覇権下への移行が完了した。代わりに英は欧州とのつながりを強め、73年にEC(欧州共同体)に加盟した。

 この英の戦略転換は、世界的に重要な節目だったが、米英は覇権の移転を人々に知られたくなかったらしく、関連するすべての動きは、深い意味づけが表明されないまま実施された。英から米への覇権移転が始まった第二次大戦時に「覇権移転は25年かけて行う」といった米英密約があり、それに沿って挙行されたのかもしれない。1956年のスエズ動乱(エジプトがスエズ運河を国有化し、英が仏イスラエルを誘って国有化を阻止しようとしたが、米がエジプトの肩を持ち、英は敗退した)の失敗も、スエズ以東からの英撤退と関係ある。

(余談だが、英軍の最東端の拠点となった地中海のキプロス島では、63年にトルコ系とギリシャ系の対立が扇動され、島内の南北分断が固定化されていき、紛争仲裁の名目で、英軍が国連軍の看板を掲げ、国連の資金援助を受けて駐留し続ける体制が作られた。キプロスは、中東からトルコ、ロシア、バルカン方面の電波傍受や有事即応ができる要衝の島である。昨年から、トルコとギリシャがキプロス問題で急速に歩み寄っているが、これはブッシュ政権の自滅的過激策によって米英覇権体制が崩壊し、英の支配力が低下したことと関係がありそうだ)

 1968年の英撤退は、それまで英覇権下にあったイスラエルとアラブにとって大事件だった。英から覇権を引き継ぐ米は「民族自決」を推奨していた。アラブ連盟は64年、パレスチナ人に、イスラエルと戦って民族自決を勝ち取るための組織としてPLO(パレスチナ解放機構)を作らせた。PLOの後見人はエジプトだった。アラファトらが率いるPLOのゲリラ部隊は、西岸やヨルダンを拠点に「パレスチナ解放」のための対イスラエルのゲリラ戦をやり出した。

 イスラエルとアラブとの恒久的な敵対を扇動してきたイギリスが中東から撤退することは、イスラエルにとって、アラブとの和解のチャンスだった。この機会を逃してアラブとの敵対が放置されると、PLOなどパレスチナ人によるゲリラ活動が活発化し、イスラエルの国家存続を脅かしかねなかった。そこで、英がスエズ以東から撤退していく1967年に、イスラエルは六日戦争を起こし、その後に予定されていた和平の取引材料としてのシナイとゴランを獲得した。

▼米中枢の暗闘開始と六日戦争

 しかし、その後の展開は、イスラエル政府が思っていたようにならなかった。前出のヘルツォーク元大統領によると、イスラエル政府は、エジプトとシリアが和平を結ぶなら占領地を返すという提案を、アメリカ経由でエジプト・シリアに伝えることにした。だが、アメリカはイスラエルからの依頼を受けたものの、エジプトとシリアにこの話を伝えなかった。ヘルツォークは、その理由を明らかにしていない。

 当時の米政府は、ケネディ暗殺後に昇格・再選された民主党ジョンソン政権で、米中枢は軍産複合体が強かった。米政府がイスラエルの和平提案をエジプト・シリアに伝えなかったのなら、おそらくそのことと関係ある。ケネディは、キューバ危機の解決策としてソ連との対話を開始し、冷戦を終わらせようとしたために、危機感を持った軍産複合体によって63年に暗殺されたと考えられ、後継のジョンソンは、軍産複合体に操られる傾向が強くなっていた。

 イスラエル秘密閣議決定から2カ月後の67年8月、アラブ連盟は首脳会議を開き「イスラエルと和平しない、交渉しない。イスラエル国家を承認しない」という「3つのノー」の方針を決議した。エジプトとシリアは、奪われた領土の返還を望んでいたが、イスラエルの意志を米から伝えられていなかったこともあり、イスラエル敵視の傾向が強いアラブ連盟に流された。イスラエルは同年10月、和平と占領地の交換提案を放棄した。

 六日戦争に負けた側のエジプトでは、全アラブの英雄だったナセル大統領が、敗戦直後の67年6月、惨敗の責任をとって辞任を表明した。しかし、アラブ全土で100万人以上が街頭に繰り出し、ナセルに辞任を撤回し、イスラエルと戦い続けるよう求めた。ナセルは辞められなくなり、エジプト軍はその後3年間にわたって停戦ライン(スエズ運河)から低強度でイスラエルを攻撃し続け、何とか軍事力を向上させようと、ソ連に頼る傾向を強めた。形として、これは中東への冷戦構造の波及だった。

 すでにこの時期、アメリカでは、冷戦を終わらせる準備が始まっていた。ヘンリー・キッシンジャーによると、もしケネディが1963年に暗殺されなかったら、1964年の米大統領選挙に共和党からネルソン・ロックフェラー(ニューヨーク州知事)が立候補し、そこにキッシンジャーも入閣する予定になっていた。ケネディが暗殺されたため、64年の選挙は民主党のジョンソン(ケネディ政権の副大統領)が圧勝し、事前に負けるとわかっていたのでロックフェラーは出馬しなかった。(関連記事)

 キッシンジャーは、次の68年の選挙で勝った共和党ニクソン政権に入閣し、中国との関係を劇的に改善し、ソ連との関係も和解方向に持ち込み、事実上、冷戦終結への道筋をつけた。ケネディが暗殺されず、ロックフェラーが大統領になっていたら、冷戦終結の始まりは1964-67年に早まっていただろう。ロックフェラー家は、中国に投資して儲けたい「多極主義」の勢力である。

 そもそもケネディ自身、冷戦を終わらせようとして軍産複合体に暗殺されている。米政界では60年代前半から、冷戦を終わらせようとする(多極主義的な)動きと、冷戦の永続を画策する軍産英複合体との暗闘が激化していた。この暗闘はおそらく、すでに述べた60年代後半のイギリスの衰退とスエズ以東撤退、英から米への覇権移転の完了と関係している。英の力が失われたので、米では、かつてヤルタ体制を作って世界を多極化しようとした多極主義の勢力が盛り返し、ロックフェラーやキッシンジャーが出てきたのだろう。

 そんな中でイスラエルは、英衰退のすきを突いてアラブと和平しようと六日戦争を起こしたが、米中枢の暗闘の中でイスラエルの戦略は無効化され、逆にその後エジプトがソ連寄りになり、米寄りのイスラエルとの間で長期戦になりそうな雲行きとなった。

▼英雄になりたいサダトに「戦勝」を贈呈

 しかしこの流れは、1969年にニクソンとキッシンジャーの政権ができたことで一転した。ニクソン政権は、ジョンソン政権が無視したイスラエルの和平提案を復活し、1970年にロジャース案としてアラブ側に提案した。同時期に米政府はソ連との対話を強めていたので、ソ連もアラブ和平に乗り、2万人もいた駐エジプト軍事顧問団を72年に撤収した(表向きはエジプトが追い出したということになっている)。

 エジプトのナセル大統領は米のロジャース案を受諾し、アラブ連盟としてイスラエルと和解する話を進めていたが、その最中の70年9月、ナセルは過労で急死してしまった。後継には副大統領だったサダトが昇格したが、それまで英雄ナセルの操り人形としか見られていなかったサダトには、権威が全くなかった。英雄ナセルが「イスラエルと和解しよう」と言うなら、アラブ民衆は納得しただろうが、サダトが同じことを提唱しても「アラブ団結の裏切り者」としか見られなかった。サダトは「イスラエルともう一度戦争して勝つ」という方針を掲げざるを得なかった。ロジャーズ案は棚上げされた。

 事態は冷戦派の勝ちとなるかに見えたが、ここでイスラエルは、驚くべき秘密の奇策を挙行した。それは「イスラエルに勝ってナセルのような英雄になりたい」と熱望するサダトに「戦勝」を贈呈すること、イスラエルがわざと負ける戦争をやることだった。こうして起きたのが1973年の第4次中東戦争(ヨームキップール戦争)だった。

 公式な歴史では、この戦争は、何も仕事をしてはいけないユダヤ教の大休日でイスラエル社会全体が休みに入る「贖罪日」(ヨームキップール)を狙ってエジプトとシリアの軍隊が奇襲をかけ、成功した戦争とされている。

 しかし、イスラエル側は、アラブ側が攻撃してくる前夜には攻撃を察知していた。イスラエルのマスコミは、シリア軍が国境に進軍していると報じていた。攻撃を受ける6時間前には、閣議でイスラエル側からの先制攻撃の必要性について議論し、軍首脳は、アラブ側からの攻撃が間近だと言って先制攻撃を主張したが、ゴルダ・メイア首相は、先制攻撃はアメリカを怒らせるので駄目だと却下した。その直後、メイアの判断を補強するかのように、キッシンジャー米大統領顧問から「先制攻撃するな」と連絡が入った。

 イスラエル軍が先制攻撃していたら、第4次中東戦争はイスラエルの勝ちになっていただろうが、メイア首相が先制攻撃を却下したためイスラエルは負け、停戦後のエジプトとの交渉でシナイ半島を返還した。その後の両国は和平に向けて話を進め、77年にはサダトがイスラエルを訪問し、78年には米の仲裁で正式に和解した(キャンプ・デービッド合意)。メイアは、イスラエル政界の右派から「エジプトと和平するために、奇襲を知りながら先制攻撃案を却下した」と非難され、戦争から半年後に辞任した。

▼チェイニーはメイアの逆張り

 エジプトのサダトは、戦争の半年前から「イスラエルと戦争して勝つ」と公言しており、イスラエル側が大休日だからやられてしまったという話は茶番である。サダトは、70-71年にはソ連に接近したが、72年にはソ連と仲違いし、アメリカに接近し始めている。おそらく、この時にはすでに、メイアとサダト、それからキッシンジャーの間で「イスラエルはちょっとエジプトに勝たせてやり、サダトはそれで面子を立て、イスラエルと和解する」という談合ができていたと推測される。

 サダトはこの戦争によって念願の英雄となり、開戦日はエジプトとシリアで「戦勝記念日」となった。しかしサダトは、その後イスラエルと和解したため世論の激怒を受け、イスラエルとの国交回復から2年後の81年に暗殺された。イスラエルとの恒久敵対を維持する「軍産英複合体のエージェント」であるアラブ連盟は、イスラエルと和解したエジプトを除名した。「アラブの盟主」だったエジプトにあったアラブ連盟の本部は、チュニジアに移転した。

 イスラエルでは、67年の六日戦争後、建国以来の与党である労働党(マパイ)の政府が、占領地の返還と引き替えにアラブとの和解を目指したのに対し、政界の右派勢力は、占領地の返還に反対し、返還を阻止するため、政府が禁止した占領地への入植運動を拡大した。この動きは米のユダヤ人社会に波及し、従来の左派的な米ユダヤ政治運動とは全く異質な、右派的なユダヤ政治運動が出てきた。右派は70年代に米の軍産複合体と結託して米議会を動かす強い政治勢力となり、批判者に「ユダヤ人差別」「親ナチス」のレッテルを貼って黙らせつつ、80年代のレーガン政権や、今のブッシュ政権を牛耳り、ネオコンの過激な国際戦略を展開した。

 米政界でのイスラエル右派の台頭は、イスラエル本体に逆波及し、1973年にはいくつかの右派政党が結集してリクードとなり、77年の選挙で労働党を破って与党になり、中道左派勢力は建国以来初めて下野した。

 ゴルダ・メイアによる、73年のヨームキップール戦争の意図的な敗北を通じたエジプトとの和解戦略は、米イスラエルの政界で好戦的な右派勢力が拡大し続ける中で、何とかアラブ側と和解してイスラエルの安定を確保しようとする中道派の対抗戦略として行われた。

 メイアは、外務大臣をつとめた後、いったん66年に68歳で政界からリタイアしていたが、六日戦争後に請われて政界に復帰し、69年に首相となった。彼女の首相としての最大の任務はエジプトとの和平であり、ヨームキップール戦争でわざと負けて悪者扱いされ、辞職させられることを予期しつつ、任務をこなしたのだろう。彼女は首相を辞任した4年後に80歳で死去したが、中道派のユダヤ人の間では今も英雄である。(関連記事)

 メイア同様に、意図的に負けて悪者になりつつ、軍産複合体の戦略を「やりすぎ」によって破綻させる任務を、まさに今こなしていると思われるのがアメリカのチェイニー副大統領である。彼はユダヤ人ではないが、側近にはネオコンなどユダヤ人が多く、ユダヤ的な政治手法が身についているのだろう。チェイニーがやっていることは、今は戦争ばかりだが、長期的には軍産複合体の世界支配を破綻させ、世界を安定させる。

 ただし、メイアはイスラエルを右派の乗っ取りから守るために動いたのに対し、チェイニーは右派に乗っ取られたイスラエルを潰すために動いている。今のイスラエル政界では、次期首相と目されるツィピィ・リブニ外相が、メイアの跡を継ぐ、イスラエルを守る女性指導者として期待されている。チェイニー対リブニの暗闘の結果が、今後の世界体制を決めるとも言える。

▼鈍重なシリア

 イスラエルは、1967年の六日戦争で獲得した占領地を返還しつつアラブと和解していく戦略だったが、占領地のうち返還されたのはエジプトのシナイ半島だけだ。それも、79年の国交回復後、米イスラエルでは右派の力が強くなり、エジプトとイスラエルは国交再断絶寸前の冷たい関係が続いている。

 ゴラン高原を奪われたシリアは、英雄好きの派手で軽薄なエジプトとは対照的に、目立たず安定を重視する鈍重な独裁のアサド父子の政権がずっと続き「やらせの戦勝」もない代わり、イスラエルとの和解や領土の返還もないまま、今に至っている。

 イスラエルの中道派は、米イスラエルの右派にずっと阻止されつつ、今でも「ゴラン高原を返還する代わりにシリアと和平し、相互不可侵の約束をする」という戦略を何とか実現したいと考えている。米政府が妨害するので、最近ではサルコジのフランスや、ロシアに仲裁を頼んでいる。9月3日には、サルコジが米制裁を無視してシリアを訪問したし、8月末にはシリア大統領とイスラエル首相が相次いでモスクワを訪問している。(関連記事その1、その2)

 今回の記事は、レーガン政権前までしか詳述できなかった。ここからは早回しである。この後、81年に就任したレーガン政権は、軍産複合体に牛耳られており、最初はソ連を「悪の帝国」と呼び、イスラエルを巻き込んでレバノンに侵攻した。だが、政権内には隠れ多極主義者が多くいたようで、政権末期には冷戦を終わらせ、88年にはアラファトをチュニジアからガザに移転させ、ヨルダンに西岸を放棄させ、アラブ連盟にエジプトを復帰させて、93年のオスロ合意(パレスチナ国家建設合意)への布石を敷いた。

 このレーガン政権の大転換が、どのようなからくりで起きたのか、私には今一つわかっていない。95年のイラン・コントラ事件によって政権内の右派が外されたことにより、キッシンジャー以来の中道派(現実主義派)が台頭し、冷戦終結・中東和平となったのではないかとの仮説を以前に考えた。だが「新レーガン主義」を自称していた現ブッシュ政権の流れから逆類推すると、現政権と同様に、最初から「やりすぎ」によって軍産複合体の戦略を破綻させ、冷戦を終わらせる隠れた戦略があったのかもしれない。
    (引用終り)

今日午後1時 ポチが逝きました。