春 夏 秋 冬

めぐり来る 春夏秋 麗しき 大和し護れ 民草いとえ 
          

ブログ休止のお知らせ

このブログの表題に入れた短歌の、春夏秋冬の中の冬の字が、誰かによって削られて、修正不能になって久しいのですが、昨日から編集画面までが、誰かにいじられたようで、出す事が出来なくなっています。 この記事作成画面も、何時使用不能になるかもしれない状況にありますので、 春夏秋冬はこの記事をもって、しばらく休ませていただく事にしました。(2010年3月) * * * * * * *  Fc2ブログに不祥事が起き、広告主が引き上げたそうです。 Fc2は何時終了になるか予断を許さない状況かと思い、 気になる過去記事を少しずつ、こちらのブログに写す事にしました。(2015・4・24)

憲法9条の功徳 by 中村哲

2013年11月19日 10時15分12秒 | ペシャワール会
「マガジン9:http://www.magazine9.jp/」(http://www.magazine9.jp/interv/tetsu/tetsu.php)
この人に聞きたい中村哲さんに聞いた
アフガニスタンという国で、9条をバックボーンに活動を続けてきた
から転載された「晴耕雨読」の記事を、重ねて写させていただきます。


*******************
久しぶりに帰国された、医師の中村哲さんにお会いしました。

もちろん、みなさんご存知のように、中村さんは「ペシャワール会」の代表として、パキスタン、アフガニスタンで、さまざまな活動に携わっておられます。
 
その中村さんに、現地での活動状況と、特に憲法9条との関連について、お伺いしました。

なかむら・てつ
1946年福岡市生まれ。九州大学医学部卒。NGO「ペシャワール会」現地代表、PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長。専門は神経内科(現地では内科・外科もこなす)。国内の診療所勤務を経て、1984年パキスタン北西辺境州の州都のペシャワールに赴任。ハンセン病を中心としたアフガン難民の診療に携わったのをきっかけに、井戸・水路工事による水源確保事業など現地での支援活動を続ける。著書に『医者、用水路を拓く--アフガンの大地から世界の虚構に挑む』(石風社)『アフガニスタンで考える--国際貢献と憲法九条』(岩波ブックレット)など。

アフガニスタンの人々の「生活」を取り戻すために

編集部

 中村さんがお書きになった本や、インタビューなどを読ませていただきました。その中でも、最近出版された『医者、用水路を拓く』(石風社刊)は、ほんとうに面白い本でした。

『医者、用水路を拓く』(石風社刊)1,890円(税込)

中村

 そうですか。ありがとうございます。そう言っていただけると、とても嬉しいです。あの本は、土木工事のかなり専門的なことを重点に書いたもので、一般の方が読んで面白いのかな、と、少し心配していたんです。

編集部

 いえいえ、いい喩えにはならないかもしれませんが、まるでハードボイルド小説を読んでいるみたいにスリリングで。

中村

 それはとても嬉しいです。“面白い”と言われるのが、何よりの励みになりますね。

編集部

 船戸与一さんの小説みたいでしたよ。まあ、船戸ハードボイルドには、癖のある悪人ばかりが登場しますが、この『医者、用水路を拓く』には、悪人がほとんど出てこない。とても読後感の爽やかなハードボイルド…(笑)。いや、中身はほんとうにハードですけれど。

中村

 そうですか。そういう読まれ方もあるんですね。なにはともあれ、面白く読んでいただけたのは、とても嬉しいことです。
編集部

 この本では、「ペシャワール会」(編集部注・中村医師のパキスタンやアフガニスタンでの活動を支えるために、1983年に作られた組織。パキスタンのペシャワールにちなんで名付けられた)が行っている、用水路建設について詳しく触れておられますね。現在ではむしろ、医療よりも水源確保により多くの力を注いでいる、という印象を受けますが。

中村

 そうですね。現在は、アフガニスタンでの灌漑事業に主力を注いでいますので、毎日が土木作業です。ほとんど用水路建設にかかりきりで、野外での作業ばかりなんですよ。それで、ごらんのように真っ黒です。ナニ人か分からない、なんてしょっちゅう言われますね。この用水路建設事業は、僕が言い出しっぺなので、仕方なしに土木技師をやっているわけです。

編集部

 医療よりも用水路建設が優先、ということですか。アフガニスタンは、現在、それほど水源が枯渇している状況にあるのですか。

中村

 そうです。2000年から始まったアフガニスタンの大干ばつは、凄まじいものでした。アフガンの人々の生活を、根底から突き崩してしまったといってもいいと思います。我々ペシャワール会は、彼らの元の生活を、まず取り戻すことが、なによりも先決ではないかと考えたわけです。


まず「生き延びる」ための支援を

編集部

 日本政府はよく国際貢献と言いますが、どうもそれがズレている感じがします。中村さんたちがなさっているような事業に、もっとお金を出すべきじゃないか、なんて単純に思ってしまいますけど。

中村

 端的に言えば、人々が生存するための、生きていくための事業に対する支援。これがなんと言っても第一だと思いますけどね。我々は、日本政府からは一円の援助も受けていませんが、どうも、日本政府の援助の仕方は、あまりそういう生存への援助にはなっていないんじゃないか、と思いますね。いや、日本政府に限ったことじゃなく、アメリカやほかの国際組織のやり方にも、僕は違和感を覚えることが多いんです。

編集部

 生存への援助になっていない?

中村

 そう。例えば欧米の団体などでは、男女平等を訴えるグループもあれば、情報網の完備だとか言って、通信網やネットの整備に力を注ぐ人たちもいます。いまや、首都カーブルの一角には、インターネットカフェなんかまでできています。

 もちろん、それが悪いとは言いませんが、そんなことよりももっと以前に、まずみんなが生きていかなくちゃ、ということが不思議なくらい話題にならない。どうしても、政治的な動きだけが伝えられて、それにしたがって、僕に言わせれば無駄なところへ援助資金が投下されている、そんなふうに見えるんです。完全に、情報操作としか言いようがないですよ。まず、生き延びることが、いちばん大切なはずでしょ?

編集部

 援助すべきところが違うんじゃないか、と。

中村

 例えば、アフガンの大干ばつにしても、それを防ぐために何をすべきか、というところをよく考えて援助の方向を決める。それは、みんなが納得することなんですね。アフガンでは、ほんとうに生きていけない人たちが増大している。なにしろ、2500万人の人口のうち、1200万人がこの干ばつで被害を受け、500万人が飢餓線上、100万人が餓死寸前という状況にあるのがアフガニスタンですよ。そこへ、男女平等だとか情報網の整備だとか言っても、それがどうだと言うんですか。

編集部

 まず、命を、ですね。

中村

 アフガンに限って言いますと、生き延びることに対する支援でしょうね。単に学校教育――自分の国の教育もきちんとできていないのに、よその国の教育がどうのこうの言ったって仕方ない。まず、生きられるようにしてあげる協力ですよ。これには、誰もが納得するんじゃないでしょうかね。

編集部

 それが、中村さんたちペシャワール会が目指したことなんですね。

中村

 そうです。大干ばつの後、我々の診療所にやってくる患者は、子どもたちがほんとうに多かった。その背景には、栄養失調と水不足があるんです。それが、子どもたちを直撃したんですよ。水不足で農業ができなくなり、村そのものが消えてしまったところも珍しくない。それが、アフガン全土で起こった現実です。うちのダラエルヌールの診療所の近所でも、一時、2軒を残して完全に無人化したこともあったほどです。全部、難民化したんですよ。

編集部

 それで、水資源確保のために、井戸掘りを始められたわけですね。

中村

 そうですね。井戸掘りを始めたのが、2000年の7月でした。それは、すでに1670本になりました。そのおかげで、40万人以上が村を離れずにすんだんです。

編集部

 それがさらに、用水路の建設へと発展していった…。

中村

 もちろん、診療をやめたわけではありませんが、ある意味、医療だけでは限界があると感じたんです。水がなければ農業が続けられない。日々の糧を得ることができないんですから、生きて行きようがない。それに、きれいな水がなければ、伝染病などが蔓延するのを防ぐことだってできない。だから、我々の現在の仕事は、用水路の建設と医療の2本立てなんです。


数字だけを見ることには、
何の意味もない

編集部

 用水路建設の進み具合はいかがですか。そうとうの難工事の連続だったようですが

中村

 2003年3月から始めて、現在まで16.5キロを完成させています。これで、合計5000ヘクタール弱の農地を潤せる計算になります。漠然としたことしかいえませんが、この用水路1本で、数十万人が食えることになるのは確実です。

編集部

 ここまで来るには大変だったでしょうね。

中村

 ほんとうに、最初は手探り状態。その中で、日本各地の取水方式が、とても参考になりました。日本方式と言っても、江戸時代や戦国時代の技術を、アフガンで再生しているんです。ほとんど機械が使えないような状況の中では、こんな日本古来の人力に頼った技術が、思わぬ効果を発揮するんですね。

編集部

 そういう活動を、ほかの団体がなぜもっと行わないんでしょうか。

中村

 たとえば国連の機関なんかも、すべてを数字で置き換えてしまうんですね。ソ連軍の侵攻と撤退とそれに伴う内戦や大混乱、さらにはその後の大干ばつなどで、故郷を捨てざるを得なかった難民が大発生しました。それに対し、国連などが“帰還事業”を行い、「200万人のうち、130万人を1年間で帰した」なんて発表するんですよ。そうすると、ほんとうは難民は70万人しか残っていないはずじゃないですか。ところが実際は、300万人の難民が現実に存在している。
 僕らは言うんです。「むしろ、難民は増えている」と。「復興帰還プロジェクトなんて、帰ってそこで人々が生活できる基盤を作らないと成立しないんだ」と、僕らが盛んに言うもんだから、それで反感を買ってしまう、という面もあるんでしょうね。国際機関は、とにかく数字を示して自分たちの活動の成果を誇示しようとします。そうすることが、次期の予算やなんかにも影響してきますからね。

編集部

 スタンスが違うわけですね。お聞きしていると、まずどんな事業に資金や援助をつぎ込むかを、もっと見極めなくては、という気がしますね。優先順位を、きちんとつけて重要なところから始めていく。

中村

 そうです。まず生きることです。あとは、はっきり言って、タリバンが天下を取ろうが反タリバン政権になろうが、それはアフガンの内政問題なんですね。そのスタンスさえ崩さなければ、我々を攻撃する連中なんかいませんよ。それどころか、政府、反政府どちらの勢力も、我々を守ってくれるわけです。


「平和国家」日本に期待されていること

編集部

 現地では、NGOとか国際機関なんかが襲撃されるということは、かなりあるんですか?

中村

 何回も、見聞きしたことはありますよ。でも、我々ペシャワール会が襲われたことは一度もありません

編集部

 それだけ、ペシャワール会の活動が現地の方々に浸透しているということでしょうか。

中村

 そうですね。アフガンの人たちは、親日感情がとても強いですしね。それに、我々は宗教というものを、大切にしてきましたから。

編集部

 宗教とは、やはりイスラム教…。

中村

 おおむね、狙われたのはイスラム教というものに無理解な活動、例えば、女性の権利を主張するための女性平等プログラムだとか。現地でそんなことをすると、まず女性が嫌がるんです。キリスト教の宣教でやっているんじゃないか、と思われたりして。

編集部

 宗教的対立感情みたいなものですか?

中村

 いや、対立感情は、むしろ援助する側が持っているような気がしますね。優越感を持っているわけですよ。ああいうおくれた宗教、おくれた習慣を是正してやろうという、僕から言わせれば思い上がり、もっときつくいえば、“帝国主義的”ですけどね。そういうところの団体が、かなり襲撃されています。民主主義を波及させるというお題目は正しいんでしょうけれど、やっていることは、ソ連がアフガン侵攻時に唱えていたことと五十歩百歩ですよ。

編集部

 ペシャワール会は、そういうことからは無縁であったということですね。

中村

 そうです。それに僕はやっぱり、日本の憲法、ことに憲法9条というものの存在も大きいと思っています。

編集部

 憲法9条、ですか。

中村

 ええ、9条です。昨年、アフガニスタンの外務大臣が日本を訪問しましたね。そのとき、彼が平和憲法に触れた発言をしていました。アフガンの人たちみんなが、平和憲法やとりわけ9条について知っているわけではありません。でも、外相は「日本にはそういう憲法がある。だから、アフガニスタンとしては、日本に軍事活動を期待しているわけではない。日本は民生分野で平和的な活動を通じて、我々のために素晴らしい活動をしてくれると信じている」というようなことを語っていたんですね。

編集部

 平和国家日本、ですね。

中村

 ある意味「美しき誤解」かもしれませんが、そういうふうに、日本の平和的なイメージが非常な好印象を、アフガンの人たちに与えていることは事実です。日本人だけは、別格なんですよ。

編集部

 日本人と他国の人たちを区別している?

中村

 極端なことを言えば、欧米人に対してはまったく躊躇がない。白人をみれば「やっちゃえ」という感覚はありますよ。でもね、そういう日本人への見方というのも、最近はずいぶん変わってきたんです。

編集部

 それは、なぜ、いつごろから、どのように変わってきたんですか?

中村

 いちばんのキッカケは湾岸戦争。そして、もっとも身近なのは、もちろんアフガン空爆です。アメリカが要請してもいない段階で、日本は真っ先に空爆を支持し、その行動にすすんで貢献しようとした。その態度を見て、ガッカリしたアフガン人はほんとうに多かったんじゃないでしょうかね。

編集部

 せっかくの親日感情が、そのために薄らいでしまったんですね。

中村

 それでも、いまでもほかの国に比べたら、日本への感情はとても親しいものです。この感情を大事にしなければならないと思うんです。湾岸戦争のときに、「日本は血も汗も流さずお金だけばら撒いて、しかも国際社会から何の感謝もされなかった。それが、トラウマになっている」なんて、自民党の議員さんたちはよく言うようですけど、なんでそんなことがトラウマになるんですか。「お金の使い方が間違っていた」と言うのならいいのですが、「もっと血と汗を流せ」という方向へ行って、とうとうイラクへは自衛隊まで派遣してしまった。僕は、これはとても大きな転回点だったと思っています。
 これまでは、海外に軍事力を派遣しない、ということが日本の最大の国際貢献だったはずなのに、とうとうそれを破ってしまったんです。これは、戦争協力ですよね。そんなお金があるんだったら、福祉だの農業復興だの何だの、ほかに使い道はいくらでもあるというのに。

編集部

 ほんとうにそうですね。お金をどのように使うか、国際貢献とか国際援助とかいうのなら、最初に中村さんがおっしゃったように、まず「生存」のために使うべきですよね。

中村

 日本は、軍事力を用いない分野での貢献や援助を果たすべきなんです。現地で活動していると、力の虚しさ、というのがほんとうに身に沁みます。銃で押さえ込めば、銃で反撃されます。当たり前のことです。でも、ようやく流れ始めた用水路を、誰が破壊しますか。緑色に復活した農地に、誰が爆弾を撃ち込みたいと思いますか。それを造ったのが日本人だと分かれば、少し失われた親日感情はすぐに戻ってきます。それが、ほんとうの外交じゃないかと、僕は確信しているんですが。


9条は、僕らの活動を支えてくれる
リアルで大きな力

編集部

 そう言えば、雑誌『SIGHT』(07年1月)のインタビューで、「9条がリアルで大きな力だったという現実。これはもっと知られるべきなんじゃないか」とおっしゃっていましたね。

中村

 そうなんですよ。ほんとうにそうなんです。僕は憲法9条なんて、特に意識したことはなかった。でもね、向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。
 武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。

編集部

 その体で実感した9条を手放すことには、どうしても納得できない。

中村

 具体的に、リアルに、何よりも物理的に、僕らを守ってくれているものを、なんで手放す必要があるんでしょうか。危険だと言われる地域で活動していると、その9条のありがたさをつくづく感じるんです。日本は、その9条にのっとった行動をしてきた。だから、アフガンでも中東でも、いまでも親近感を持たれている。これを外交の基礎にするべきだと、僕は強く思います。

編集部

 お話を伺って、中村さんたちの活動は、それこそ「ノーベル平和賞」に十分に値するものじゃないかと、とても強く感じました。これからも、ほんとうにお体や健康にお気をつけて、素晴らしい活動をお続けください。
 本日は、長時間、ほんとうにありがとうございました。

中村

 はい、こちらこそありがとうございました。第2期用水路建設に向けて、もっと日焼けしてきます(笑)。





※中村さん(ペシャワール会)の活動の場所をGoogleMapでご覧ください。
(ブラウザのバージョンによっては、閲覧できません。)

●ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/
○活動エリアについては、以下にもあります。
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/ayumi.html

「9条がある」ことこそが、日本という国の本当の強みだ、と指摘する中村さん。
さまざまな困難に身をさらしながらの活動の中から生まれたその「実感」に、
私たちはもっと真摯に耳を傾けるべきなのではないでしょうか?
中村さん、ありがとうございました!

ペシャワール会報を見て

2013年10月19日 07時51分05秒 | ペシャワール会
昨日届いたペシャワール会報の
「緑の大地計画」の最大懸案に見通し
  度々の大洪水の中、事業は多用かつ大規模に
          30年目の秋に

という見出しの、中村哲さんの文章の一部を引用させて頂きます。
 この秋も例年のごとく、河周りの工事が目白押しです。最大のものは、何と言っても「マルワリード=カシコート連続堰」の完成です。昨冬基礎工事を終えたものの、今夏の大洪水の影響で、かなりの修正を迫られそうです。これは良いことで、洪水通過を十分に考慮し、丈夫で長持ちするものが出来ると思います。(下線は当ブログ)

苦労を重ねて出来上がったばかりの「マルワリード=カシコート連続堰」が洪水でやられても、
「これは良いことで、洪水通過を十分に考慮し、丈夫で長持ちするものが出来ると思います。」と、淡々と語っておられるのです。
何と粘り強い人だろうと、改めて感心させられました。

ハンセン病患者を主に診てこられた中村哲医師にとっては、
何度も何度もこれ以上の試練の連続の30年だったのかも知れません。

中村さんが始めて自伝を出されるそうです。
ちょっと読んでみたくなりました。

天、共に在り
アフガニスタン30年の闘い
(NHK出版)2013年刊

ペシャワール会のDVD発売される

2009年08月28日 07時51分21秒 | ペシャワール会
少々旧聞ですが、ペシャワール会の苦闘の記録の、DVDが発売されるそうです。
以下、西日本新聞を写します。

荒野に緑 「命」の記録 アフガン用水路 近く完成 苦闘の歩みDVDに ペシャワール会2009年7月29日 14:20  
30年に及ぶ戦乱と干ばつに苦しむアフガニスタンの難民を支援している非政府組織「ペシャワール会」(事務局・福岡市)が同国東部で2003年から建造してきた全長約24キロの農業用水路が近く完成する。善意の寄付金と汗で成し遂げる難事業。同会は用水路完成までの歩みを記録したDVD「アフガンに命の水を ペシャワール会26年目の闘い」を作り、販売を始めた。益金をさらなる支援に役立てる。

 DVDは01年9月11日の米中枢同時テロ後のアフガンで米軍の空爆が始まった中、現地で貧困層に食糧を配給するスタッフの活動なども含めた過去10年間の映像を56分間にまとめている。用水路の建造も同時テロ後の危険な環境で敢行された。

 DVDには、土木工学の知識がない同会現地代表の中村哲医師(62)が高校の教科書で独学して穀倉地帯の再生計画をまとめる経過や、人々が乾いた大地で1500本もの井戸を掘り、用水路建設に汗を流す姿が刻まれている。

 限られた資金の中、用水路の護岸建設には筑後川の伝統的工法を採用。針金で作ったかごに石を詰めて積み上げ、地雷から抜き取った火薬を掘削工事の爆薬に転用した。

 建設中には悲劇もあった。昨年夏、スタッフの伊藤和也さん=当時(31)=が武装グループに殺害されたが、中村医師たちは現地にとどまって工事を継続。現地は今、気温50度を超す猛暑に見舞われているが、ついに最終段階を迎えている。

 DVDについて、同会の福元満治(みつじ)事務局長は「戦乱と干ばつで荒れた農村に平和を取り戻す闘いの記録。現地の喜びを映像で伝えたい」と話す。

 同会によると、用水路の建造で、傭兵(ようへい)や難民にならざるを得なかった人々を延べ60万人雇用でき、3000ヘクタールの田畑がよみがえり、15万人が暮らせるようになったという。

 DVDは、中村医師が西日本新聞に寄せた文章などを収録した小冊子付きで2625円。ナレーションは俳優の菅原文太さんが無償で引き受けた。送料不要。申し込みは同会=092(731)2372。    ×      ×

 ■ペシャワール会

 1983年、パキスタン北西辺境州で貧困層のハンセン病治療をし、79年の旧ソ連侵攻で生じたアフガニスタン難民も治療する中村哲医師の支援組織として結成された。会員数約1万3000人。寄付金により同州やアフガニスタンで複数の病院や診療所を運営している。受診者は延べ100万人を超える。中村医師は2003年、アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞(平和・国際理解部門)を受賞した。

=2009/07/29付 西日本新聞夕刊=

追記
[紹介]医者、用水路を拓く--
アフガンの大地から世界の虚構に挑む 


アフガニスタンの農業用用水路完成する。

2009年08月27日 11時18分45秒 | ペシャワール会
京都新聞の一面に、アフガニスタンの大勢の人々が喜び合っているが写真載っていた。(ネットにもこのニュースがありましたもう一つ
希望の水路 遺志実る」と言うタイトルで
ペシャワール会の伊藤和也さんの遺志をつぎ、アフガン人らが今月、全長約24キロの農業用水路を完成させ、通水を喜んだ。と言うものであった。
アフガニスタン戦争が長引いているので、ペシャワール会のあの用水路も、爆弾で壊されているのではないかと心配していたので、この記事で水路の完成を知り、私もとても嬉しかった。

しかし、現地ではタリバンが攻勢を強めているので、現地スタッフは今も脅迫を受けており命の危険にさらされていると言う。
ペシャワール会の現地代表の中村哲さんは、今一時的に福岡に帰っておられるけれど、
秋にもアフガニスタンに戻られるので、その時に用水路開通の記念式典を開く予定とのことである。
長い年月をかけて現地の人と共に、現地の人の為に、最後の方はそれこそ命がけで、用水路を作ってこられた、ペシャワール会の方々に、心からの拍手を送りたい。
そしてこんな人々がある一方で、無暗に爆弾を打ち込んで、人々から生活の手段も何もかも奪っていく、戦争と言うものの理不尽さに戦慄させられる。

一日も早いアフガン攻撃の終結が祈られる。

追記
インターネットに、このニュースが載っていると言う事を知らなくて、
新聞記事のまま、中村哲さんが秋にアフガニスタンに戻られてから、開通式をされると書きましたが、8月初めに通水式を中村さんがされたと言うことでした。
お詫びして訂正します。