10月に
dendrodiumに書いた記事なのですが、癌が治った体験談を、このブログを覘いて下さった方にも読んでいただけたらと思い、複写しました。(2017.12.25)
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夫の癌が治った?
昨日は報恩講でお寺参りをしていました。
浄土真宗の秋の行事で、これまでは何時も、夫が行っていたのですが、
今年は5~6日前から体に沢山の湿疹ができ、だるそうでしたので、
代わりに私がお参りしたのでした。
夫は昨年夏、大腸がんの摘出手術をした後、元気にしていたのですが、
手術後6ヶ月の定期検診の時、肝臓に小さな癌が見つかって、
手術を勧められていたのですが、
80過ぎた高齢で1年に2回も手術したら、
見つかった癌を摘出する事が出来たとしても、
又他のところに癌が出来るに違いないから、
手術は止めておこうと手術は受けなかったのでした。
話は変わりますが。
私の父が63の頃(昭和43年6月)、父の商業学校の同級生・平田治郎さんが胃癌にかかられ、開腹手術を受けられました。
ところが、お腹を開けたら癌はあちこちに転移していて、
手術不能の状態になっていたそうです。
それでお医者さんは何もできず、そのまま閉じられ、
余命3ヶ月という診断の上、帰宅させられたそうです。
父は三菱鉱業が石炭廃止で縮小~廃業になってから後、
55歳定年だった時代に53歳で希望退職させられ、
妹は未だ小学生でしたので、遊んでいるわけにいかず、
最初は三菱鉱業からの出向でしたが、その後色々と苦労していた様です。
そんな訳で平田さんにはお世話になっていましたし、
もし治すことが出来るなら、何とかしたいという意欲の塊のような人でしたから、
父は平田さんの家に日曜日毎に(5ヵ月ほど)通って、
生長の家の話をしていました。
平田さんの奥様は、お医者さんから見離されて、(ご本人はご存じなかったそうです)
父の話を命の綱と思われたのかもしれません。
いつも父の来訪を歓迎して下さったそうです。
(ご本人に胃潰瘍の手術だったと嘘を言っておられたそうです。)
或る時平田さんが「体中に湿疹が出来た、どうしよう」と父に聞かれたそうです。
父は「それは病院に行って塗り薬を出してもらったらいいだろう」と答えたら、
「君の考えでは如何なんだ」と平田さんが重ねて聞かれるので、
それなら、と父は自分の考えを言ったのだそうです。
「皮膚は表だけが皮膚ではなく、丁度蛸の頭をひっくり返したら、同じような皮が出るように、内臓の内側もやっぱり皮膚であると思う。
これは人体の自然療能力が働いて、内臓の表面に出来た吹き出物を、もっと治し易い体の表面にもってきて、今治しているのだろう」という様な話を父は平田さんにしたそうです。
平田さんの湿疹は一週間ほどで枯れてしまったそうです。
その前だったか後だったかは忘れたのですが、
平田さんは40.2度の高熱にも耐えて、(*註)
お医者さんの言われた余命3ヶ月を、はるかに超え生きておられただけではなく、
年末にはすっかりお元気になっておられました。
そんな平田さんの奥さん宛に、春に手術した病院から、ご愁傷様ですという書き出しで、
亡くなった時の様子を知らせて欲しいという葉書が来たそうです。
年が明けて平田治郎さん本人がその病院を訪ねたら、
お医者さんが驚かれて、
「あんたは本当に平田治郎さんか?」と何度も聞かれたそうです。
こんな話を見聞していましたので、
夫の体に沢山の湿疹が出た時、
2月に見つかった小さな癌が、これで治されて消えていくのだろうと思う事が出来ました。
夫の体に湿疹が出始めて約1週間の今日は、殆ど枯れかけています。
これで夫の体に出来ていたトラブルが、
自然治癒力で治されたのに違いないとほっとしているところです。
尚余談ですが、父が平田さんの癌が消えた事を谷口(雅春)先生に報告しましたら、
谷口先生は、次の生長の家誌にその事を載せてくださり、久しぶりに(父の)名前を聞いて、
「友遠方より来るの思いです。」と書いてくださったのでした。
これを見た父は大感激で、
「わしは谷口先生の『友』よ!」と何度も何度も繰り返して感激していましたが・・・・・
父にとって谷口先生は『人間・神の子・完全円満』という思想の先達であって、
それ以上でも以下でもない存在だったと思います。
生長の家が現在のように『日本会議』の母体のような存在になって、
安倍晋三という売国奴が跋扈する下支えになっていようとは、父は想像もしていなかった事でしょう。
次の選挙では絶対に、
安倍晋三が総理を続けられないようにしましょう。
安倍晋三を選挙区で落とすか、自民党を過半数われにすれば済む事ですし・・・・・
10月18日追記 一部修正しました。
*註 平田さんが全快された時の記録が見つかりました。
高熱が出たのは手術不能で退院された直後(6月27日)からで、
37度余りの微熱が8月初旬まで続き、
その後最高40,2度の高熱が2週間ほど続いたのだそうです。
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