耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

都会の斎場

2013年12月16日 08時08分12秒 | 世相今昔
 地元ブリッジサークルの先達が亡くなり、浦安市の斎場のお通夜に
参列して来た。

 72歳のまだまだ元気盛りで、自治会の役員として震災の後始末を
取り仕切り、仕事に遊びに充実した毎日を過ごしておられた。
 面倒見がよく、色んな集まりの幹事役を厭わなかった。

 忘年会で飲み過ぎて、 夜遅く風呂に入り心臓マヒを起こし、翌朝
家族が気が付いた時には手遅れだったようだ。



 都会の斎場はドライである。
 柩が据えられた式場は狭くて精々10人程の親族が座るだけで、
参列者は読経が始まると同時に廊下に延びる焼香の列に並び、すぐ
精進落としの席に誘導されて、飲んで食って終わりである。慇懃では
あるがビジネスライクな職員が淡々と取り仕切って居て、延々と訳の
判らないお経に付き合わされるような事は無い。
 ただ今回は故人がそういうアクティブな人だったから、参列者が多く
300人は越えていたと思うが、それでも1時間程で解散になった。

 故人を偲び冥福を祈るのは、それぞれの関係者が集まって、写真や
思い出の品を囲んでの方が良いかもしれない。

 我々は、追悼ブリッジをプレイしたが。


      熟柿落ち世の儚さの知られけり
      短日やあのだみ声の今一度
      冬枯れや昭和の慈父にして厳父  蛙蝉






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