レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

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2019年10月28日 | ぼそぼそ
 以前働いていた会社に戻る事になった。

木工の仕事を断り、工房を閉める事にしたので
動けるうちは働きに出ようと思って
以前から気になっていたAmazonの倉庫に
面接の申し込みをした。
工房を閉めるんだ、来週末に面接なんだよ、と
今も会社で働いている友人に話したところ
「じゃあうちに面接に来なよ
 君しかやれない仕事がクソほどあるわ」
と口汚く誘われたため
なし崩し的にバイトに入る事になってしまった。

そんなに良い辞め方じゃなかったし
大嫌いになって辞めた会社だったから
躊躇が無かったかと言われたらそれはあった。
だけど病気のことも分かっていて、
これから先どうなるかも知っているのに
帰って来なよ、と言ってくれる会社って
私がチョロ助なのかもしれないけど
すごくありがたいんじゃないかと思ったのだ。

結局面接は無かった。
2日くらいで話がどんどん決まり
初出社の日、社長に挨拶に行ったら
幹部勢揃いで拍手で迎えてくれた。
私は聖水をかけられた
ゾンビみたいな顔をしていたと思う。

5年前に見えなかったものが
ちょっと見えるようになって帰ってきました。
きっとまぁまぁ使えるバイトだと思います。
よろしくお願いします。

私のボール盤

2019年10月04日 | ぼそぼそ
会社を辞めて、物を作るための工房を借りようと決めて
いの一番に電動ドライバーを買った。
その次に小さなボール盤を買った。
全然高いものではなく、一万円ちょっとで手に入れた
RYOBIの卓上ボール盤。
夫が付けてくれたニワトリのおもちゃがてっぺんにいて
動かすたびにカタカタ揺れた。
そこから色々な小さい機械を入れて
二坪足らずの私の工房は何でも作れる私のお城だった。

昨年、ずっと仕事をくれた会社からの依頼を正式に断り
五年間お世話になった工房を畳もうとしている。
病気の進行具合は予測が出来ず、
いつまで仕事が出来るか分からない。
受けておいて出来ません、になる前に
後始末が自分で出来る内に、と決めたことだ。

今日、壊れてしまっていたボール盤を
クリーンセンターに持ち込んだ。
ある日突然スイッチが入らなくなり、
モーターかな、コンデンサの寿命かな、
修理しないとなあと思っていたけど
多分もう使う事は無いと思い、一足先に処分を決めた。


クリーンセンターへの道を何度も間違えた。
修理をするためにホームセンターに持ち込むか、
工房へ持って帰るか悩んだ。
捨てたくない。捨てたくない。
このボール盤は
何でも作れる私のお城のシンボルだったのだ。


たどり着いてしまったクリーンセンターで
私のボール盤を
係のおじさんが大事に抱えて下ろしてくれた。


帰ってきた今、私はすごく泣いている。
これから先もままならない事が沢山あるだろうけど
ままならない事とはいえ
一つの生き方を閉じるのはこんなにも辛いのだ。


やれば出来るのか 無理なのか

2019年08月23日 | 難病の話
 母を見ていてすごく辛くなることがある。
主に食事の仕方に関してだ。

病気になる前の母は食事の仕方が
すごくきれいって訳ではないかもしれないけど
箸はきちんと持てるし、音を立てたりしないし
寄せ箸や指し箸をしないなど
基本的な礼儀作法は整っていた。
でも今はそうじゃない。

この「そうじゃない」のは
本人が滅茶苦茶嫌なのにそうせざるを得ないものなのか
なんとなく楽な食べ方をしている内にそうなっているのか
私には分からない。
私としては最大限努力をしてこうなっているのだろう、と
思っているけど、時々すごく悲しくなる。


後々、今の自分がこう思っていたという事を
記して残しておく役目をこのブログが担っている。

食卓についたときに身体が斜めだったら
そのまま食べだしてしまうものなのか。
プリンは啜らないと食べられなくなっているのか。
口の中に入り切らないほどの食べ物を
無理やり突っ込んで食べてしまうのか。
(一口大にするのが億劫になってしまうのか)
むせ防止に、口の中のものが無くなってから
次の一口に移る、はそんなに守れないものなのか。
口の周りについた食べ物は
舌を思い切り伸ばして取ってしまうものなのか。
要するに、小さい子の食べ方に戻ってしまうものなのか。


私はこうなるまで「やれば出来るでしょ」の
典型であった自覚があるので、
本当にやれば出来るのか、無理なのかを
自分の身体で実験していこうと思う。
そして私以上に主人が「やれば出来るでしょ」の
人であるので、
「私は汚い食べ方が本当に嫌だけど、
 この病気になってしまうと頑張っても無理だわ」と
言い残すために記しておこうと思う。


私は自分の食べ方が汚いのは本当に嫌だ。
だからもし、私の食べ方が汚くなったら
散々あがいた末の行動だと思ってほしい。
もし一緒に食べるのが嫌なら別々で全然いいよ、
でも努力は最後まで続けるから、
その事だけはわかってください。

境界3

2019年08月06日 | ぼそぼそ
ただ、
私の耳が雑音を拾いすぎるからといって
客観的に私は私のことを可哀想だとは思えない。
なぜなら私はそれを上回って
わがままで性格が悪いからだ.....。

友人と街へ出かけて、煩くて辛いなぁと思っても
ぐっと我慢し笑っている、
そんな人になれたら良かったが
実際の私は我慢が効かず
皆が笑っているときに1人だけ仏頂面。
なんでこんな煩い場所がみんな平気なの?と
自分の感覚中心の発言をしていた。

そう、そんな中でも
私は自分の感覚が正しいと思っていたので
楽しさに水を差すような発言を
繰り返していたのだ。

私が弱いものは他にもあって
強い風、強い日差し、強い光、暑さ寒さ、
細かい振動(地響きや航空機の音)
それら全てに私は弱っていきゃあいいのに
苛立ちと排除したい気持ちを持っていた。

私が私の友人だったら
こんな人は面倒だし嫌だな。
大変なのは分かるけど、が正直なところ。


もし私がこの事象に弱りきり
社会生活を送るにあたり支障をきたしていたなら
何らかの障害であると診断が下りたと思う。
友人が受けた発達障害のテストを
私も受けてみたが、どうやらそっちではなかった。
そっちではなくても、何らかの問題がある事は
間違いないと思うけど
社会生活を送るにあたり支障がない以上
境界にいる私はただ性格が悪い人、
という事で終わる。


この性格が悪い私に付き合ってくれる
数少ない友人のために
私の身体に起きていることを
わかってもらう努力、ではなく
自分の辛さを分析し
自分の中で排除する努力をしていこうと思う。
技術の発達で
デジタル耳栓なるものも出来ている事だし
きっと1つずつ自衛していける。
そうやって自衛した上でも忘れていけないのは
人の感覚は人のもので、自分の感覚は自分のもの
ということ。
お互いある程度推し量ることはできても
完全に理解することは無理だ。
それを前提にしておけば
誰も「察してくれない事への怒り」
を溜めなくて済むと思う。


この世の怒りの殆どが
「誰かが何かをしてくれないこと」
にあるんじゃないかと思う。



ちょっと思うところ

2019年07月23日 | 難病の話
 仕事先の人と世間話をしていたら今回の選挙の話になって、
その人がれいわ新選組をよく思っていなかったらしく
当選した二方のことを
「どうして支援者は当選させたんでしょうね?」と言って
私はどう答えて良いか分からずに、曖昧に相槌をうって終わった。

あの二人を送り込んで何がしたかったのか、とか
いろいろ言っていたけど、要するに
意思疎通もままならない人を討論の場に送り込んで
なにが出来ると思ったのかよくわからない、という事らしい。

病気ってなるまでは他人事。
それが身内であってもまぁまぁ他人事。
自分がその立場に置かれて初めて
扱いにうわぁ、と思うことなのだ。
政治家は病気になったら政治生命終わりと言うけど
そもそも「声が大きくて体力があって言いたいことを言いたいタイミングで何度でも早口で言える」のが政治家なんだろうか。
どれだけ高潔な考えがあろうとも
それを同じタイミングで出せないというだけで、ダメなんだろうか。

どれだけ頭が回転し、気の利いた台詞が浮かんでも
それを即座に口に出せなくなる。
でも、それさえ出来ればさほど扱いは変わらない。
出来なければ腫れ物に触るように扱われ
厄介なのを送りこんで来たなあと言われる。


いやぁ、なんと悔しいこと。
あんたたちと何の違いもないのに。

目が疲れる

2019年07月07日 | ぼそぼそ
私の病気の症状に「眼振」というのがあって
目が細かく左右に揺れるやつなんですが
なってみるとこれがきつくて
気がつけば酷い眼精疲労になっています。

何か見るにも目は一所懸命頑張っているらしく
頭が痛いなあと思って目を瞑ると
鈍痛と疲労感が目の底に溜まっているのが分かります。
母がブルーベリーのサプリを飲んでいたのはそのためか。。

症状が進むにつれ、分かる事が多くあるので
なるべく細かく記録していこうと思います。

申請とは

2019年06月05日 | ぼそぼそ
私の病気は国の特定疾患に指定されているので
国から医療費の一部助成金が発生します。

これが前提

今から書くのは決して文句ではないんだけど
もう少しどうにかならないかなあ……と思う事。


通常は支払窓口で控除が受けられますが
受給者証の更新のタイミングとかで
受給番号が手元にない場合
一旦窓口で全額支払ってから控除の書類を書いてもらって
受給者証が来たタイミングで行政に提出
という流れになります。


私は認定のタイミング、更新のタイミング、
主人の保険証変更のタイミング
すべてがものすごく悪く、
この請求を三回やったのですが
請求先の宛名に毎度「ぐぬぬ……」となるのです。


郵便番号→7桁 普通
住所
●●●市中区三の丸●-●-●→ 普通、短いくらい
宛名
●●県健康福祉部保険医療局健康対策課難病対策グループ様
↑コレ

私は年々字を書くのが難しくなるのですが
一体これをいつまで書けるか不安で仕方ないのです。
なんか短い愛称で届くようにしてくれないかな……
AKF グループN とかさ。。


以前にも書いた事だけど
何かしら国の助成を受けるための手続きのややこしさが
もう少しだけでもどうにかならないかなあと
明日、年1の更新のための書類を
書いて貰わなくてはならない私は思うのです。

境界2

2019年04月08日 | ぼそぼそ
私はデジタル耳栓を着けた事で初めて
私の世界が環境音だらけだった事に気がついた。
それはずっと聞こえているものだったから
シャットアウト出来る音だったなんて
思いもしなかった。


だけど私が何より驚いたのは
付け足された友人の一言だった。


「これ、フツウの人には聞こえてないらしいよ」


ああ、そうだったんだ、と思った。
思い当たる事が多すぎて泣きそうになった。
何故、みんなは教室やデパートや街中で
苦もなく誰かとお喋りが出来るんだろう。
自分の声さえ聞こえない中で
長い時間を過ごしても平気なんだろう?

小さい頃、私は声が大きくて人一倍煩い扱いだった。
小学校の教室で私が喋りだすと皆が眉をひそめ
皮肉な笑みと目配せをされた。
「愛ちゃんは煩い煩いって言うくせに
愛ちゃんが一番煩い」と
近所の子に言われていた。
話すときの声の大きさが分からなくて
人と話すのが億劫になった。
たくさんの手痛い目にあって
私は小さい声で話す技術を身につけたが
殆ど手話のようなものだと思っている。
胸にこのくらい響いているから、
この声量で人には伝わっているだろうな、と。


自分の声さえ聞こえないのに
冷蔵庫の音にも負けているのに
そんな中でどうやって会話をしたら良かったのだろう。

しかもみんな、この音聞こえてないらしいよ。

境界

2019年04月08日 | ぼそぼそ
私は生まれてこの方
自分のことをずっと我儘だと思って生きてきた。
高校生の時にクラスメイトに
「あなたは我慢できないことが多すぎる」
と言われ、
本当だよね、皆はちゃんと我慢できているのに
私は抑えが効かなくて子供のままだ、と
大変に深く反省したものだ。
それでもやっぱり我慢できないことは多く
抑えたつもりが憂鬱な顔をしてしまって
結果気を使わせてしまい自己嫌悪、
という繰り返しだった。

私の眉間にはいつも縦皺が刻まれていて、
この年になると定着してしまっている。
一体何がそんなに不愉快なんだ、と聞かれるも
眉間の皺の意味もすり減った奥歯の意味も
うまく説明がつかなかった。
逆になぜ、皆が出来る我慢が
私にだけ出来ないのか聞きたいくらいだった。

40代に突入したある日、
友人が「デジタル耳栓」なるものを持ってきた。
普段から周囲の音で気が散って作業が出来ないと
囀っていた彼女は、
どうやら自分の耳が環境音を拾いすぎるのでは、
との思いに至り
環境音だけをフィルタリングしてくれる耳栓を
探し当てて購入したのだ。
「これは君にとっても快適なんじゃないかな」
と言われるも
私は周囲の音で気が散らないからなあ、と
さほど乗り気でもなく着けてみた。


驚愕した。


その時私達はファミレスにいたのだが、
対面に座る友人の声だけがクリアに聞こえた。
私は誰かと一緒に喋っていても
その周囲に人がいて話していると
友人の声と人の声が混じってしまい
聞き取れないことが度々、しばしば、
しょっちゅうあった。
ファミレスなんかだとどれだけ席が離れていても
店内にこだまする家族の話し声、
どこかのグループの笑い声、
大人の声、子供の声、店員の声が入り乱れて
まともに会話することなんて不可能だった。
だから私は話している人の方を向き
その唇を熱心に見つめて、周囲の音と
唇の形が合致する声を探し当て
切れ切れの声をつなぎ合わせて会話をしていた。

それに加えて蛍光灯の音、
エアコンの音、冷蔵庫の音なんかが重なり
その中で集中しっぱなしだったので
ちょっとした会話でヘトヘトになった。

それがどうだろう。
すべての雑音が抑えられ、
私が聞きたかった音だけが聞こえるなんて!


(続く)

仄めかす

2019年03月25日 | ぼそぼそ
「犯行を仄めかす」ってよくテレビで言いますが
具体的にどんな言い方するんでしょうね。


『それは俺がやったかもしれないし……
やらなかったかもしれない……』


(考え得る精一杯のほのめかし)