私は高校を卒業してすぐ就職した。
大学へ行く学費を稼ぐ目的もあったが、
とにかく早く自立したかったのだ。
進路を大学、或いは専門学校に決めた生徒とは別に
就職組は夏の間毎日、職員室に貼ってある求人票とにらめっこだった。
就職先には全く困らなかった。当時はバブル真っ只中で
高校生といえど引く手数多、好きに会社を選べる時代だった。
翌々年にはバブルが崩壊したので
私の進路選択は実にタイミングが良かったのである。
何社か目当てを決め、同じ会社を希望する友人と一緒に
会社見学に行っては悩みながら帰ってくる。
私は目当てを二社に絞っていた。選ぶ基準は何のことはない、
求人票の中で給料が高いものだ。
就職すると言っても一生の仕事を見つけようという気は無かった。
好きな事が仕事になるとも思っておらず、
ただ早く金を貯めること、金が貯まったら大学に行くこと
これしか考えていなかった。
企業としては大変迷惑な話である。
目当ての一社(印刷会社)は何人か希望がいた上に
仕事があまり面白くなさそうであったので諦めた。
もう一社のデザイン事務所は本命だった。此方に求める条件が
かなり厳しいため希望者はほとんどいなかったのだが
私が思い描いていた「就職」に
実にぴったりの雰囲気であったからだ。
地下鉄の駅から並木道を、十分ほど歩いた所にある小さなビル。
一階と二階がいかにも洒落た事務所になっていた。
パンプスを履き、タイトスカートで小脇にファイルを抱え
髪をまとめた私が地下鉄の駅から事務所まで
足早に歩いていく姿を想像して身悶えした。
これだ。私の就職先はここしかない。(迷惑)
しかし会社見学に行った帰り道、
私と友人は近くの喫茶店に入って黙り込んだ。
採用するのは一人、しかも他校からも募った上で、だそうだ。
就職先が数多あるとはいえ、一度落ちてからの申し込みは
やはり時間的なリスクがある。
希望する就職先がかち合ってしまった友人(男)とは普段から
よく気が合った。気が合っちゃったからこそのかち合いなのだろう。
少し悩んだけど、私は彼に言った。
「Mが受けなよ。実は私、三年で金貯めて大学行こうと思ってるんだ。
そんなの会社にとったら迷惑じゃない。
Mは私よりもちゃんと就職しようと思ってるんだから、いいよ。」
格好つけから言った言葉ではなく、就職を真剣に考えている人を
優先すべきだと思ったのだ。
Mはびっくりしたように、でもすごく嬉しそうに
「…ありがとう」と言ったが
私は就職も、その先に予定している進学さえも
自分が真剣に考えていない気がして
Mに悪いことをしたような気持ちになった。
こうして私の就職活動は振り出しに戻った。
絞って二社にしたとはいえ、はっきり言って
その二社以外に私が働けそうな会社が無かった。
他の友人は皆希望就職先を提出し終わり、
グループになって面接の練習などしているのに
私の希望就職先は鉛筆の先で空欄のままだった。
それから暫く経った頃、担任がある求人票を持ってきた。
「株式会社○○」
私はそれを受け取って怪訝な顔をしたと思う。
確かにそれは最初から求人票の束の中にあった。
多分誰でも知っている、バカみたいに大きな会社からの
でも私にははっきりと畑違いの求人だった。
給料は確かに求人票の中で一番良かったけど
だからと言って出来る仕事と無理な仕事がある。
お金を貯めるのが目的だけど、お金が貯まる前に
クビになったら敵わない。
私は最初からその求人票を省いた所で就職先を探していた。
それなのに何で今私の手元に
この求人票があるのだろう?
担任は私にこう言った。
「M君と同じ希望でかち合っちゃったんでしょ?
まだ就職先が見つかってないなら、ここはどうかなと思って」
どうかなもへったくれも無いのだが。
だってこの仕事は多分、私には無理だ。
その旨を担任に伝えたのだが彼女は実に暢気者で
大丈夫大丈夫、あなたなら出来ると
気軽に肩を叩いて行ってしまった。
***
暢気者の担任が薦めてくれた会社の求人票には
男女各一名を採用すると書いてあった。
(男女雇用機会均等法施行前であったため)
男子でこの会社を希望しているのは
M(同じデザイン会社を希望したMではなく、『漫画のような彼』のM)
であった。ややこしいが頭文字が一緒だったため
このまま進めていく事にする。
製図が得意で立体に強いMは
希望する会社に大変ぴったりだと思った。
そして製図が苦手で立体に超弱い私は
大変な身の程知らずであったと思う。
「女子の希望は●ちゃん(私の名前)だったんだ」
Mにそつのない笑顔で言われても私は苦笑いをしながら
せめてもの抵抗としてオンシャの歴史とか所在地なんかを
必死で勉強していた。
あとMから「志望動機」を仕入れる事も忘れなかった。
私に動機があるはずもなく、だからと言って
「担任に薦められたから」なんて言うほど落ちたいわけじゃない。
向いてないのは分かってるけど 落ちるのは嫌なんだ。
さて
入社試験に何をしたか、とか何を聞かれたか、という事は
残念ながら言えない。覚えていないとも言う。
隣にどんな人が居たかも覚えていないし、
テストの内容も印象深かった一問だけしか覚えていない。
…ただ面接の時すごくはきはき喋る人がいて、
その声が大江千里そっくりだったため笑いをこらえるのに
怒ったような顔をしてしまった事は覚えていたよ!
ともかく無事に合格だけはし、(でもその合格の知らせが
どんな形で来たのかも忘れてしまった)
数え切れないほどの書類の束を
上から下まで説明を受けながら判子を押して
夢中のまま私は株式会社○○に入社を果たした。
これから二年、いや三年か。必死で働いてお金を貯めて
大学へ行こう。
迷惑な目標を隠したまま私の社会人生活が始まった。
***
それにしても、だ。
今思い返しても、入社試験から入社まではほとんど雪崩れだった。
気楽な学生生活の中で気楽に会社を決め、
試験を受け合格してしまうと
途端に想像もつかない程の責任と義務が圧し掛かる。
ここで言う責任と義務とは「会社人」として果たさなければならない
仕事上の責任や義務ではなく
(もちろんそれもあるけど)
自分が知らない間に手に入れていた
社会人としての責任と義務である。
自分の持っている判子一つにどれだけの拘束力があるか、
自分の稼ぎがどれだけの保障となり得るのか、
自分に最低どれだけの保険をかけておかなければならないか、
老後のために(!)何をしておかなければならないか。
一度社会人になってしまったら「知らなかった」では
済まされない事だらけなのだ。
皆は一体いつどのタイミングでこういう事を知るのだろう、
やはり入社と同時に教育されるのだろうか。
会社に向かう早朝の電車の中で
私は豪雨のように降りかかる現実に思いを馳せ、首をすくめていた。
私は当時18歳で、老後の事を考えるには非現実的すぎる年だった。
一緒に入社した同僚は女性二人、男性六人
私を含めて九人であったが
男性には一年間の工場勤務が義務付けられていた。
しつこいようだけど男女雇用機会~の施行以前であったからだ。
なので私達は一年先に入社して工場勤務を終えた、
先輩の男性社員と一緒に教育を受ける事になった。
一緒に入社したM達は同期にも関らず一年遅れになるのだが、
男女~の施行以前であったため女性は
残業出来る時間が笑っちゃうほど制限されており
一年の差などすぐに追いつかれ、追い抜かれてしまうのだ。
それは又後々の話。
「私達」の話をしようと思う。
同期入社の二人はSとO、三人とも互いを苗字で呼んでいた。
(ちなみに私はH)
働き始めてすぐ、私は二人のうちどちらとも
一緒に仕事はしたくないなと思った。
Sは典型的な女の子で、明るくてお喋り好きで楽しいんだけど
仕事に関しては責任感が無く甘えてばかりで
一緒に仕事をするのはとても疲れた。
Oは穏やかで性格に関しては可も無く不可も無く、
だが手先があまりに不器用で仕事が遅すぎた。
二人の事は今でも同僚として、友達として好きだけど
仕事をするってそういうものじゃないのだ。
***
仕事上では残念ながら、一緒に仕事をしたくない同僚
SとOと組まされる事が多かった。
「一緒に仕事をしたくない」などと一人前の発言をしているが
仕事の内容は最初から分かっていた通り、私の苦手分野だ。
とにかく女の子のS、とにかく手が遅いO、
そしてやる気はあるがセンスの無い私。
認めようと思う。
「はずれ」の年である。
『ねえ、何でこの会社に入ろうと思ったの?』
一緒に仕事をしている人とは会話の取っ掛かりとして
まずそんな話になるものだ。
まだ苗字にさん付けしていた私達は
話し掛けられ話し掛けしながらお互いを探っていた。
Sは話し出すとすぐに手が止まってしまうので
私は自分の手をせっせと動かして
(話していてもこうだぜ!)とアピールしつつ
この会社に入った成り行きを聞いた。
地方から一人出てきて寮住まいの彼女は
ともかく地元から出たかったと言った。
「ずっと立体を専攻してたし、向いてると思ってさ」
止まりがちになる手を何とか動かしながらSは笑った。
最終的に担任の勧めもあって現在に至るそうだ。
なるほど。
私が分からなかったのはOの方だ。
傍目にも明らかにこの仕事に向いていない。
何かをやらせれば人の倍時間がかかり、かといって
出来上がりはいまいちのいまいちだ。
Oはどうして?と聞くと、うーんと一言唸ったまま
黙々と仕事を続け、かなりの時間をかけてようやく
「真面目だから、向いてるんじゃないかって。先生が」
と答えた。
***
Oは高校時代無遅刻無欠席、赤点も無く
課題提出に遅れたこともなく、成績は上位だったそうだ。
「真面目で可もなく不可もない」
これがOに抱いた私の印象だった。
確かに会社に推薦してもらう上で
大切な条件を全て兼ね備えているのは
こういう空気のような子なのだ。
遅れておらず秀でておらず、どっちの面でも目立たない。
今回はちょっと(悪い方向で)目立ってしまったが
私にはこういう空気のような知り合いが居なかったので
Oの存在が大変物珍しかった。
と同時に 大変やきもきさせられた。
Oは先回りをするという事がない。
10の仕事があれば説明を受けた順に
1から10までこなしていく。
まず10までの説明を聞き、3をやる上で
後の4の事を考えて手順を変えようとか
そういった事は一切考えない。
実際にあったことだが、床に敷く四角いシートを止めるのに
私は4箇所分の指示を出さなくてはならなかった。
つまり4つの隅、全てである。
「シート敷いてから作業するからさ」『うん』
「隅、とめといて」(一つの隅を指差す)
『わかった』(ペタ)
「…」
『…』
「…あっちの隅もさ」(もう一つの隅を指差す)
『わかった』(ペタ)
「…」
『…』
以下繰り返しである。
決して大げさに言っているのではない、
Oは仕事の全てに関してこの調子だった。
学校の勉強や課題ならこれでも良かったのだろう。
人より時間が掛かるだけで、その分時間をきちんと掛ければ
皆と同じ成績が残せる。
ただ一緒に仕事をするには迷惑以外の何者でもなく
私は女の子女の子したSと組むのは億劫だったが
Oと組むよりは断然楽だった。
ともかく私達は三人とも
担任の勧め、という影響を受けてこの会社に集った事になる。
この仕事をやりかったの!という熱い情熱は誰にもなく
「…そこに会社があったから?」(語尾上げ)
くらいのいい加減さでみんな進路が決まっていた。
自分の進路決めが何だかいい加減だなあと思っていた私だが
案外そういうものかもしれないんだなと
帰りの電車でガラス窓に頭をくっつけて思った。
と同時に
本当にこれでいいのか?と思う気持ちも
ぼんやりした熱のように頭の隅に沈んでいた。
***
三年でお金を貯めて大学へ行く、というのが
私の当初の目標だった。勿論公にはせず内緒である。
ところがお金というのは全然思い通りに貯まらない。
私は財形貯蓄の額を、最初から一月7万円に設定していた。
ボーナス時にはその3倍の額が給料から天引きされる。
新入社員としては欲張りすぎな作戦だった。
おかげで私はしょっちゅう金欠になり、
財形貯蓄が下ろせるようになるとすぐに
ちょろちょろと預金を切り崩して生活していた。
服や靴や鞄、冬にはコート、夏には帽子にサンダル。
会社生活って思った以上にものいりなのだ。
それから保険にも入った。
このくらいで十分だろう、と思った掛け金に対し
自分が死んだ時に貰える額の少なさにあっけにとられた。
ニュースやサスペンスで「○億円の保険が」とか
聞いていたけど、まさかそれだけ貰うのに
毎月あんなにお金を払わなければならないとは。
自分が死んだら本当は…三千万円くらい!欲しかったのだが
私が当時「えいや」の思いで入った保険は
死亡時の給付金が三百万円だった。
現実というのはかくも厳しい。
***
しばらくたって、Sは同じ職場内の事務仕事に移ることになった。
一緒に仕事をした期間は半年くらいだろうか。
Sはこの仕事に向いていないとは思わなかったけど、
向いているわけでもなかったみたいだ。
女の子の中で誰か一人事務仕事に行かないか、
という話をすぐ承諾し
作業着を脱いで事務服に着替え、仕事内容もがらりと変わった。
昼の休憩は同期の三人一緒にとっていたので
仕事が変わってもお喋りはよくした。
高校で勉強してきたことが一切役に立たないんだよなあと
最初は自分でもこの成り行きに迷っているようだったが
すぐに慣れて、まるで最初から事務員だったように
イキイキと働いていた。
***
Sが抜けてしまい、私は必然的にOと一緒に
行動することが多くなった。
仕事の合間や休憩時間に、仕事の話や趣味の話を
ぼそぼそとしていたが
最初は何とも気が合わない人だなあと思った。
読む本、聴く音楽、好きな事、それらの感想
どれをとってもさっぱりかみ合わない。
それどころか彼女の好きなものは
ことごとく好感が持てないものであった。
とはいえどんな人でも長く付き合っていくうちに
付き合い方が分かってくる。
趣味の面ではまるで合わないが、辛抱強くて意外と気が強く
話し慣れてくるとなかなか頭の回転の早い人だった。
仕事の面ではフォローすることが多かったけど
体調を崩しやすかった私は精神面でOによく助けられた。
一年も経つうちにお互い上手く摺り合って
大変良い友達になれたのだ。
昼の休憩時間に私達は職場の隅の資材置き場に入り込み、
缶コーヒーを飲みながらだらだらしていた。
高校時代の話や仕事の愚痴、最近何を買ったか
休日には何をしたか。女の子の話はとりとめがなくきりがない。
将来の話になると二人ともぼんやりした。
私は大学に行くつもりであったが、さて
大学へ行ってその先どうしようと思うと
途端に分からなくなってしまう。
その頃には世の中の好景気も大分熱が冷めてきて
一旦会社を辞めたらまずいんじゃないかな、という
空気も見えてきていた。
Oの方には会社を辞める、という選択肢は無く
このまま何時まで仕事を続けていけるかなあという不安だった。
女性の労働時間は男性社員と比べて格段に少なく
残業できる時間もわずかだ。
一つのプロジェクトは何ヶ月も、下手すると一年がかりになるため
最初から最後まで入れる人が中心となっていく。
定時で帰ってしまう女性を入れるのは難しいのだ。
「やっぱり何年かして、結婚して辞める事になるのかなあ」
Oがぼそっと言う。
「会社とか国の目論見通りで悔しいけど、そうしないと
必要以上に自分が気張ってるみたいになるんだよね。
期待されないのは別に構わないんだけどさ…」
結婚かあ、とOはもう一度呟いた。その後で
なんか、人生って何だろうね。と言った。
***
そして三年が経った。
四年も経った。五年も経った。
予定通りに行かなかったものの、ある程度
まとまったお金も貯まった。
にも関らず何故私が会社を辞めなかったかというと
怖くなったからだ。辞められなくなったという言い方が正しい。
浮かれた祭りのような好景気から落ちていった、
半端ない不景気が怖くなったのもある。
大学へ進学した友人が、そんなに悪い人ではなかったのに
あまりに就職に苦労して嫌味を言ったことがある。
曰く「いいよね丁度いい時に高卒で就職して。
大卒だと今じゃ採用してもらえないんだよね。
…高卒なんかより余分に勉強してるのにさ」
私はかなり気分を害して電話を切ったけど
それほどの苦労だったのだなと思うと
友人を責める気持ちもすぐ失せた。
それについてどうこう言われる筋合いは無いとしても
確かにいい時に就職できたからね。
それともう一つ。私が過ごした三年間を失うのが怖かった。
自分が手につけた職(…って程でもなかったけど)が
他の機会に役立つとは思えなかったし、大学で役立つような
ものでもなかった。
私はここで大学に行ってしまったら
ただただお金を貯めただけの三年間を
無駄に過ごした事になるのではないか。
会社というのは浅くてぬるい風呂のような場所だ。
浸かっていても快適ではない。不自然な格好で浸っても
薄ら寒くてきちんと温まる事は出来ない。
しかし風呂から出てしまうと、ぬるま湯に慣れた身体に
世間が寒いであろう事を感じていた。
…寒い日のプールみたいな。うまく伝わるだろうか。
そんなこんなで5年が経った。
その時私は23歳、好きな事は山登りと水泳。
通勤バスの中でいつも「今私が30歳だったら」という
空想をしていた。現在30歳であるという前提のもとに
散々色々なシチュエーションを空想した挙句
「まだ私23歳じゃない。ああ良かった!」と思うのだ。
何と憎たらしい空想癖だろう、殴ってやりたい。
(鼻息)
閑話休題。
その当時私はもう現在の彼と付き合っていたが
Oも同じ職場内に彼がいた。
一つ年下の男の子で名前はK君。
新入社員歓迎会の食事の席でOに好意を持った彼が
熱心に口説いて付き合うことになったのだ。
Oは…こう言っては何だけど、もてるタイプではなかった。
外見は「温かみがある」「素朴な」「真面目そうな」と
評されるような子で、
女の子が男の子に「いい子だよ」と紹介して
男にその魅力がさっぱり伝わらないタイプだ。
だからK君がOに好意を持っていると知ったとき、
何だか嬉しくて、影から日向から応援した。
お姉ちゃんキャラのOと弟キャラのK君は
すぐにしっくりしたカップルとなり
最初は戸惑っていたOの口から
休憩時間のたびにK君の話ばかり聞くようになる。
私は仲の良い二人が大好きだったので
その話をいつも面白がって聞いていたのだ。
***
二人は本当に仲が良かった。年上のOが
年下のK君を上手くあやして釣り合いを取っている感じがした。
どこに行くのも何をするのも一緒。
元々やんちゃなK君の言動に
「あの子は白か黒しかないんだよね」と言って
Oが溜息をつくこともあったけど
あまり大概の場合はOが怒り、K君が素早く謝って
丸く収まっていた。分かりやすくOの事が大好きなK君に
Oも長く怒っていられなかった。
だから二人が喧嘩をした所なんて見たことが無い。
二人で何処かへ遊びに行く時には
必ずファミリーレストランで朝食をとる。
K君の食べ方が子供のように周囲を汚すので
世話をするのが大変だとOがぼやいていた。
…Oの食べ方だって十分子供っぽいのになあ。
私はニヤニヤしながら頷く。
二人でドライブに行った時に、
車が高速道路で故障して大変だった。
新しく出来たあのショッピングモールに行って
こんなものを一緒に買ったよ。
K君の家に遊びに行ったら猫が沢山いてねえ。
そんな話をするOの横顔を見ていたら
ある時その顔がおばあさんの顔に見えた。
「…OはK君とずっとこうやって暮らして行くんだろうね」
何の気なしにそう言った。
Oもそうだろうねえと当たり前みたいに言った。
おばあさんみたいな横顔で頷いていた。
以前だったら、私が十代の若者だったら多分
こんな会話を嫌っていただろう。
Oは将来何をしたいとか、何になりたいとかいう
希望を前から持っていなかった。
将来のビジョンが明確に決まっていて、
夢に向かって努力するような
そんな生き方に憧れていたし、そうなろうと私は思っていた。
やりたい事が何も無いなんて!
保守的が過ぎて無色な彼女の生き方は若かった私にとって
…本当はすごく格好悪いと思っていたのだ。
だけどそうだろうねえと頷く彼女の横顔は
すごく安定した生活を築いてきたおばあさんの顔に見えた。
結婚して出産を機に退職し、子供が成長して孫が出来ても
結婚当初からずっと仲の良い老夫婦として
二人で幸せに生きているように見えた。
子供だった私は派手な成功をいつも妄想していたけど
そうやって「まっとうに」生きていく生き方を
初めてちょっと羨ましいなと思った。
「ねえ、今Oの顔がおばあさんに見えたよ」
笑いながらOにそう言ったら、
「そうかあ。今、おばあさんになった時のこと
考えてたからかなあ」
Oはそう言って私の顔を見た。
このままこうしておばあさんになるのかもしれない。
でもそれも全然悪くないよね、と
おばあさんの目で笑っていた。
(02へ続く)
大学へ行く学費を稼ぐ目的もあったが、
とにかく早く自立したかったのだ。
進路を大学、或いは専門学校に決めた生徒とは別に
就職組は夏の間毎日、職員室に貼ってある求人票とにらめっこだった。
就職先には全く困らなかった。当時はバブル真っ只中で
高校生といえど引く手数多、好きに会社を選べる時代だった。
翌々年にはバブルが崩壊したので
私の進路選択は実にタイミングが良かったのである。
何社か目当てを決め、同じ会社を希望する友人と一緒に
会社見学に行っては悩みながら帰ってくる。
私は目当てを二社に絞っていた。選ぶ基準は何のことはない、
求人票の中で給料が高いものだ。
就職すると言っても一生の仕事を見つけようという気は無かった。
好きな事が仕事になるとも思っておらず、
ただ早く金を貯めること、金が貯まったら大学に行くこと
これしか考えていなかった。
企業としては大変迷惑な話である。
目当ての一社(印刷会社)は何人か希望がいた上に
仕事があまり面白くなさそうであったので諦めた。
もう一社のデザイン事務所は本命だった。此方に求める条件が
かなり厳しいため希望者はほとんどいなかったのだが
私が思い描いていた「就職」に
実にぴったりの雰囲気であったからだ。
地下鉄の駅から並木道を、十分ほど歩いた所にある小さなビル。
一階と二階がいかにも洒落た事務所になっていた。
パンプスを履き、タイトスカートで小脇にファイルを抱え
髪をまとめた私が地下鉄の駅から事務所まで
足早に歩いていく姿を想像して身悶えした。
これだ。私の就職先はここしかない。(迷惑)
しかし会社見学に行った帰り道、
私と友人は近くの喫茶店に入って黙り込んだ。
採用するのは一人、しかも他校からも募った上で、だそうだ。
就職先が数多あるとはいえ、一度落ちてからの申し込みは
やはり時間的なリスクがある。
希望する就職先がかち合ってしまった友人(男)とは普段から
よく気が合った。気が合っちゃったからこそのかち合いなのだろう。
少し悩んだけど、私は彼に言った。
「Mが受けなよ。実は私、三年で金貯めて大学行こうと思ってるんだ。
そんなの会社にとったら迷惑じゃない。
Mは私よりもちゃんと就職しようと思ってるんだから、いいよ。」
格好つけから言った言葉ではなく、就職を真剣に考えている人を
優先すべきだと思ったのだ。
Mはびっくりしたように、でもすごく嬉しそうに
「…ありがとう」と言ったが
私は就職も、その先に予定している進学さえも
自分が真剣に考えていない気がして
Mに悪いことをしたような気持ちになった。
こうして私の就職活動は振り出しに戻った。
絞って二社にしたとはいえ、はっきり言って
その二社以外に私が働けそうな会社が無かった。
他の友人は皆希望就職先を提出し終わり、
グループになって面接の練習などしているのに
私の希望就職先は鉛筆の先で空欄のままだった。
それから暫く経った頃、担任がある求人票を持ってきた。
「株式会社○○」
私はそれを受け取って怪訝な顔をしたと思う。
確かにそれは最初から求人票の束の中にあった。
多分誰でも知っている、バカみたいに大きな会社からの
でも私にははっきりと畑違いの求人だった。
給料は確かに求人票の中で一番良かったけど
だからと言って出来る仕事と無理な仕事がある。
お金を貯めるのが目的だけど、お金が貯まる前に
クビになったら敵わない。
私は最初からその求人票を省いた所で就職先を探していた。
それなのに何で今私の手元に
この求人票があるのだろう?
担任は私にこう言った。
「M君と同じ希望でかち合っちゃったんでしょ?
まだ就職先が見つかってないなら、ここはどうかなと思って」
どうかなもへったくれも無いのだが。
だってこの仕事は多分、私には無理だ。
その旨を担任に伝えたのだが彼女は実に暢気者で
大丈夫大丈夫、あなたなら出来ると
気軽に肩を叩いて行ってしまった。
***
暢気者の担任が薦めてくれた会社の求人票には
男女各一名を採用すると書いてあった。
(男女雇用機会均等法施行前であったため)
男子でこの会社を希望しているのは
M(同じデザイン会社を希望したMではなく、『漫画のような彼』のM)
であった。ややこしいが頭文字が一緒だったため
このまま進めていく事にする。
製図が得意で立体に強いMは
希望する会社に大変ぴったりだと思った。
そして製図が苦手で立体に超弱い私は
大変な身の程知らずであったと思う。
「女子の希望は●ちゃん(私の名前)だったんだ」
Mにそつのない笑顔で言われても私は苦笑いをしながら
せめてもの抵抗としてオンシャの歴史とか所在地なんかを
必死で勉強していた。
あとMから「志望動機」を仕入れる事も忘れなかった。
私に動機があるはずもなく、だからと言って
「担任に薦められたから」なんて言うほど落ちたいわけじゃない。
向いてないのは分かってるけど 落ちるのは嫌なんだ。
さて
入社試験に何をしたか、とか何を聞かれたか、という事は
残念ながら言えない。覚えていないとも言う。
隣にどんな人が居たかも覚えていないし、
テストの内容も印象深かった一問だけしか覚えていない。
…ただ面接の時すごくはきはき喋る人がいて、
その声が大江千里そっくりだったため笑いをこらえるのに
怒ったような顔をしてしまった事は覚えていたよ!
ともかく無事に合格だけはし、(でもその合格の知らせが
どんな形で来たのかも忘れてしまった)
数え切れないほどの書類の束を
上から下まで説明を受けながら判子を押して
夢中のまま私は株式会社○○に入社を果たした。
これから二年、いや三年か。必死で働いてお金を貯めて
大学へ行こう。
迷惑な目標を隠したまま私の社会人生活が始まった。
***
それにしても、だ。
今思い返しても、入社試験から入社まではほとんど雪崩れだった。
気楽な学生生活の中で気楽に会社を決め、
試験を受け合格してしまうと
途端に想像もつかない程の責任と義務が圧し掛かる。
ここで言う責任と義務とは「会社人」として果たさなければならない
仕事上の責任や義務ではなく
(もちろんそれもあるけど)
自分が知らない間に手に入れていた
社会人としての責任と義務である。
自分の持っている判子一つにどれだけの拘束力があるか、
自分の稼ぎがどれだけの保障となり得るのか、
自分に最低どれだけの保険をかけておかなければならないか、
老後のために(!)何をしておかなければならないか。
一度社会人になってしまったら「知らなかった」では
済まされない事だらけなのだ。
皆は一体いつどのタイミングでこういう事を知るのだろう、
やはり入社と同時に教育されるのだろうか。
会社に向かう早朝の電車の中で
私は豪雨のように降りかかる現実に思いを馳せ、首をすくめていた。
私は当時18歳で、老後の事を考えるには非現実的すぎる年だった。
一緒に入社した同僚は女性二人、男性六人
私を含めて九人であったが
男性には一年間の工場勤務が義務付けられていた。
しつこいようだけど男女雇用機会~の施行以前であったからだ。
なので私達は一年先に入社して工場勤務を終えた、
先輩の男性社員と一緒に教育を受ける事になった。
一緒に入社したM達は同期にも関らず一年遅れになるのだが、
男女~の施行以前であったため女性は
残業出来る時間が笑っちゃうほど制限されており
一年の差などすぐに追いつかれ、追い抜かれてしまうのだ。
それは又後々の話。
「私達」の話をしようと思う。
同期入社の二人はSとO、三人とも互いを苗字で呼んでいた。
(ちなみに私はH)
働き始めてすぐ、私は二人のうちどちらとも
一緒に仕事はしたくないなと思った。
Sは典型的な女の子で、明るくてお喋り好きで楽しいんだけど
仕事に関しては責任感が無く甘えてばかりで
一緒に仕事をするのはとても疲れた。
Oは穏やかで性格に関しては可も無く不可も無く、
だが手先があまりに不器用で仕事が遅すぎた。
二人の事は今でも同僚として、友達として好きだけど
仕事をするってそういうものじゃないのだ。
***
仕事上では残念ながら、一緒に仕事をしたくない同僚
SとOと組まされる事が多かった。
「一緒に仕事をしたくない」などと一人前の発言をしているが
仕事の内容は最初から分かっていた通り、私の苦手分野だ。
とにかく女の子のS、とにかく手が遅いO、
そしてやる気はあるがセンスの無い私。
認めようと思う。
「はずれ」の年である。
『ねえ、何でこの会社に入ろうと思ったの?』
一緒に仕事をしている人とは会話の取っ掛かりとして
まずそんな話になるものだ。
まだ苗字にさん付けしていた私達は
話し掛けられ話し掛けしながらお互いを探っていた。
Sは話し出すとすぐに手が止まってしまうので
私は自分の手をせっせと動かして
(話していてもこうだぜ!)とアピールしつつ
この会社に入った成り行きを聞いた。
地方から一人出てきて寮住まいの彼女は
ともかく地元から出たかったと言った。
「ずっと立体を専攻してたし、向いてると思ってさ」
止まりがちになる手を何とか動かしながらSは笑った。
最終的に担任の勧めもあって現在に至るそうだ。
なるほど。
私が分からなかったのはOの方だ。
傍目にも明らかにこの仕事に向いていない。
何かをやらせれば人の倍時間がかかり、かといって
出来上がりはいまいちのいまいちだ。
Oはどうして?と聞くと、うーんと一言唸ったまま
黙々と仕事を続け、かなりの時間をかけてようやく
「真面目だから、向いてるんじゃないかって。先生が」
と答えた。
***
Oは高校時代無遅刻無欠席、赤点も無く
課題提出に遅れたこともなく、成績は上位だったそうだ。
「真面目で可もなく不可もない」
これがOに抱いた私の印象だった。
確かに会社に推薦してもらう上で
大切な条件を全て兼ね備えているのは
こういう空気のような子なのだ。
遅れておらず秀でておらず、どっちの面でも目立たない。
今回はちょっと(悪い方向で)目立ってしまったが
私にはこういう空気のような知り合いが居なかったので
Oの存在が大変物珍しかった。
と同時に 大変やきもきさせられた。
Oは先回りをするという事がない。
10の仕事があれば説明を受けた順に
1から10までこなしていく。
まず10までの説明を聞き、3をやる上で
後の4の事を考えて手順を変えようとか
そういった事は一切考えない。
実際にあったことだが、床に敷く四角いシートを止めるのに
私は4箇所分の指示を出さなくてはならなかった。
つまり4つの隅、全てである。
「シート敷いてから作業するからさ」『うん』
「隅、とめといて」(一つの隅を指差す)
『わかった』(ペタ)
「…」
『…』
「…あっちの隅もさ」(もう一つの隅を指差す)
『わかった』(ペタ)
「…」
『…』
以下繰り返しである。
決して大げさに言っているのではない、
Oは仕事の全てに関してこの調子だった。
学校の勉強や課題ならこれでも良かったのだろう。
人より時間が掛かるだけで、その分時間をきちんと掛ければ
皆と同じ成績が残せる。
ただ一緒に仕事をするには迷惑以外の何者でもなく
私は女の子女の子したSと組むのは億劫だったが
Oと組むよりは断然楽だった。
ともかく私達は三人とも
担任の勧め、という影響を受けてこの会社に集った事になる。
この仕事をやりかったの!という熱い情熱は誰にもなく
「…そこに会社があったから?」(語尾上げ)
くらいのいい加減さでみんな進路が決まっていた。
自分の進路決めが何だかいい加減だなあと思っていた私だが
案外そういうものかもしれないんだなと
帰りの電車でガラス窓に頭をくっつけて思った。
と同時に
本当にこれでいいのか?と思う気持ちも
ぼんやりした熱のように頭の隅に沈んでいた。
***
三年でお金を貯めて大学へ行く、というのが
私の当初の目標だった。勿論公にはせず内緒である。
ところがお金というのは全然思い通りに貯まらない。
私は財形貯蓄の額を、最初から一月7万円に設定していた。
ボーナス時にはその3倍の額が給料から天引きされる。
新入社員としては欲張りすぎな作戦だった。
おかげで私はしょっちゅう金欠になり、
財形貯蓄が下ろせるようになるとすぐに
ちょろちょろと預金を切り崩して生活していた。
服や靴や鞄、冬にはコート、夏には帽子にサンダル。
会社生活って思った以上にものいりなのだ。
それから保険にも入った。
このくらいで十分だろう、と思った掛け金に対し
自分が死んだ時に貰える額の少なさにあっけにとられた。
ニュースやサスペンスで「○億円の保険が」とか
聞いていたけど、まさかそれだけ貰うのに
毎月あんなにお金を払わなければならないとは。
自分が死んだら本当は…三千万円くらい!欲しかったのだが
私が当時「えいや」の思いで入った保険は
死亡時の給付金が三百万円だった。
現実というのはかくも厳しい。
***
しばらくたって、Sは同じ職場内の事務仕事に移ることになった。
一緒に仕事をした期間は半年くらいだろうか。
Sはこの仕事に向いていないとは思わなかったけど、
向いているわけでもなかったみたいだ。
女の子の中で誰か一人事務仕事に行かないか、
という話をすぐ承諾し
作業着を脱いで事務服に着替え、仕事内容もがらりと変わった。
昼の休憩は同期の三人一緒にとっていたので
仕事が変わってもお喋りはよくした。
高校で勉強してきたことが一切役に立たないんだよなあと
最初は自分でもこの成り行きに迷っているようだったが
すぐに慣れて、まるで最初から事務員だったように
イキイキと働いていた。
***
Sが抜けてしまい、私は必然的にOと一緒に
行動することが多くなった。
仕事の合間や休憩時間に、仕事の話や趣味の話を
ぼそぼそとしていたが
最初は何とも気が合わない人だなあと思った。
読む本、聴く音楽、好きな事、それらの感想
どれをとってもさっぱりかみ合わない。
それどころか彼女の好きなものは
ことごとく好感が持てないものであった。
とはいえどんな人でも長く付き合っていくうちに
付き合い方が分かってくる。
趣味の面ではまるで合わないが、辛抱強くて意外と気が強く
話し慣れてくるとなかなか頭の回転の早い人だった。
仕事の面ではフォローすることが多かったけど
体調を崩しやすかった私は精神面でOによく助けられた。
一年も経つうちにお互い上手く摺り合って
大変良い友達になれたのだ。
昼の休憩時間に私達は職場の隅の資材置き場に入り込み、
缶コーヒーを飲みながらだらだらしていた。
高校時代の話や仕事の愚痴、最近何を買ったか
休日には何をしたか。女の子の話はとりとめがなくきりがない。
将来の話になると二人ともぼんやりした。
私は大学に行くつもりであったが、さて
大学へ行ってその先どうしようと思うと
途端に分からなくなってしまう。
その頃には世の中の好景気も大分熱が冷めてきて
一旦会社を辞めたらまずいんじゃないかな、という
空気も見えてきていた。
Oの方には会社を辞める、という選択肢は無く
このまま何時まで仕事を続けていけるかなあという不安だった。
女性の労働時間は男性社員と比べて格段に少なく
残業できる時間もわずかだ。
一つのプロジェクトは何ヶ月も、下手すると一年がかりになるため
最初から最後まで入れる人が中心となっていく。
定時で帰ってしまう女性を入れるのは難しいのだ。
「やっぱり何年かして、結婚して辞める事になるのかなあ」
Oがぼそっと言う。
「会社とか国の目論見通りで悔しいけど、そうしないと
必要以上に自分が気張ってるみたいになるんだよね。
期待されないのは別に構わないんだけどさ…」
結婚かあ、とOはもう一度呟いた。その後で
なんか、人生って何だろうね。と言った。
***
そして三年が経った。
四年も経った。五年も経った。
予定通りに行かなかったものの、ある程度
まとまったお金も貯まった。
にも関らず何故私が会社を辞めなかったかというと
怖くなったからだ。辞められなくなったという言い方が正しい。
浮かれた祭りのような好景気から落ちていった、
半端ない不景気が怖くなったのもある。
大学へ進学した友人が、そんなに悪い人ではなかったのに
あまりに就職に苦労して嫌味を言ったことがある。
曰く「いいよね丁度いい時に高卒で就職して。
大卒だと今じゃ採用してもらえないんだよね。
…高卒なんかより余分に勉強してるのにさ」
私はかなり気分を害して電話を切ったけど
それほどの苦労だったのだなと思うと
友人を責める気持ちもすぐ失せた。
それについてどうこう言われる筋合いは無いとしても
確かにいい時に就職できたからね。
それともう一つ。私が過ごした三年間を失うのが怖かった。
自分が手につけた職(…って程でもなかったけど)が
他の機会に役立つとは思えなかったし、大学で役立つような
ものでもなかった。
私はここで大学に行ってしまったら
ただただお金を貯めただけの三年間を
無駄に過ごした事になるのではないか。
会社というのは浅くてぬるい風呂のような場所だ。
浸かっていても快適ではない。不自然な格好で浸っても
薄ら寒くてきちんと温まる事は出来ない。
しかし風呂から出てしまうと、ぬるま湯に慣れた身体に
世間が寒いであろう事を感じていた。
…寒い日のプールみたいな。うまく伝わるだろうか。
そんなこんなで5年が経った。
その時私は23歳、好きな事は山登りと水泳。
通勤バスの中でいつも「今私が30歳だったら」という
空想をしていた。現在30歳であるという前提のもとに
散々色々なシチュエーションを空想した挙句
「まだ私23歳じゃない。ああ良かった!」と思うのだ。
何と憎たらしい空想癖だろう、殴ってやりたい。
(鼻息)
閑話休題。
その当時私はもう現在の彼と付き合っていたが
Oも同じ職場内に彼がいた。
一つ年下の男の子で名前はK君。
新入社員歓迎会の食事の席でOに好意を持った彼が
熱心に口説いて付き合うことになったのだ。
Oは…こう言っては何だけど、もてるタイプではなかった。
外見は「温かみがある」「素朴な」「真面目そうな」と
評されるような子で、
女の子が男の子に「いい子だよ」と紹介して
男にその魅力がさっぱり伝わらないタイプだ。
だからK君がOに好意を持っていると知ったとき、
何だか嬉しくて、影から日向から応援した。
お姉ちゃんキャラのOと弟キャラのK君は
すぐにしっくりしたカップルとなり
最初は戸惑っていたOの口から
休憩時間のたびにK君の話ばかり聞くようになる。
私は仲の良い二人が大好きだったので
その話をいつも面白がって聞いていたのだ。
***
二人は本当に仲が良かった。年上のOが
年下のK君を上手くあやして釣り合いを取っている感じがした。
どこに行くのも何をするのも一緒。
元々やんちゃなK君の言動に
「あの子は白か黒しかないんだよね」と言って
Oが溜息をつくこともあったけど
あまり大概の場合はOが怒り、K君が素早く謝って
丸く収まっていた。分かりやすくOの事が大好きなK君に
Oも長く怒っていられなかった。
だから二人が喧嘩をした所なんて見たことが無い。
二人で何処かへ遊びに行く時には
必ずファミリーレストランで朝食をとる。
K君の食べ方が子供のように周囲を汚すので
世話をするのが大変だとOがぼやいていた。
…Oの食べ方だって十分子供っぽいのになあ。
私はニヤニヤしながら頷く。
二人でドライブに行った時に、
車が高速道路で故障して大変だった。
新しく出来たあのショッピングモールに行って
こんなものを一緒に買ったよ。
K君の家に遊びに行ったら猫が沢山いてねえ。
そんな話をするOの横顔を見ていたら
ある時その顔がおばあさんの顔に見えた。
「…OはK君とずっとこうやって暮らして行くんだろうね」
何の気なしにそう言った。
Oもそうだろうねえと当たり前みたいに言った。
おばあさんみたいな横顔で頷いていた。
以前だったら、私が十代の若者だったら多分
こんな会話を嫌っていただろう。
Oは将来何をしたいとか、何になりたいとかいう
希望を前から持っていなかった。
将来のビジョンが明確に決まっていて、
夢に向かって努力するような
そんな生き方に憧れていたし、そうなろうと私は思っていた。
やりたい事が何も無いなんて!
保守的が過ぎて無色な彼女の生き方は若かった私にとって
…本当はすごく格好悪いと思っていたのだ。
だけどそうだろうねえと頷く彼女の横顔は
すごく安定した生活を築いてきたおばあさんの顔に見えた。
結婚して出産を機に退職し、子供が成長して孫が出来ても
結婚当初からずっと仲の良い老夫婦として
二人で幸せに生きているように見えた。
子供だった私は派手な成功をいつも妄想していたけど
そうやって「まっとうに」生きていく生き方を
初めてちょっと羨ましいなと思った。
「ねえ、今Oの顔がおばあさんに見えたよ」
笑いながらOにそう言ったら、
「そうかあ。今、おばあさんになった時のこと
考えてたからかなあ」
Oはそう言って私の顔を見た。
このままこうしておばあさんになるのかもしれない。
でもそれも全然悪くないよね、と
おばあさんの目で笑っていた。
(02へ続く)