レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

好きなことをしよう 2

2005年11月29日 | 昔の話
(続)

斥候の蟻が私の置いた蝉に近付いてから
わずか20分足らず


なんと蟻ども、蝉を巣から遠ざけた!


連日食卓に蝉では飽きたのだろうか、
はたまたもう食べる所のない蝉だったのだろうか、
蝉の腹のところに付いている綿みたいな寄生虫が
腹に据えかねたのだろうか、
何にせよ私の蝉は巣から嫌味なほどに遠ざけられて
虚しく天をねめていた。
せめて味だけでもみてやってくれよ
栗の味がする(らしいぜ)と思いつつ
仕方がないので新たな獲物を求めて
私は近くの森に入っていった。

蝉ほどの大きさで蝉より具があり、
尚且つ死んでいる獲物が望ましい。
バッタやこおろぎなどはいくらでも見つかったが
私は蟻に食われて死ぬのはとても嫌なので
もちろん蟻に食われて死ぬ生き物は見たくない。
蟻に罪は無いのだが、もし罪があるとしたなら
その小ささと半端に痛い武器だろう。
目当ての獲物はなかなか見つからず
私の「蟻に費やす一日」は
「蝉ほどの大きさで蝉より以下略」を探す時間に
大半を費やしてしまった。
頑張って探す事しばし、見つけたのは
自転車に半分轢かれてしまった芋虫だった。
本当はその前に踏まれた野生のゴキブリを見つけたのだが
ちょっと 何と言うか 色々無理だった。


先ほどの蝉を尻目に新たな獲物を巣に献上すると
今度は気に入ったのか、蝉の時とは比べものにならないくらい
大勢の歓迎を受けた。芋虫が。
さてこの大物を巣に運び込むにあたり、
見物人である私はある程度の予測をつけていた。

① いくらなんでも巣にまるごと運び込むのは無理
② なので パーツごとに解体して運ぶのだろう
③ 固い昆虫だったら関節ごとにばらし
④ 柔らかい部分は肉団子状にして

などと思っていたのだが、蟻は以上4つの予想とは
全く異なる運び込み方をした。



 しばらく見ていると、いきなりがつがつ食いだす者数名を除き
蟻は周囲で群がるばかりで、何もしていないように見えた。
私は遠ざけられた蝉をしつこく巣の側に置いたり
(もちろん何度やっても遠ざけられた)
ジュースを飲んだりしながら芋虫を見ていた。
と、なにやら様子が違う。
さっきまで芋虫の足は見えていたのだが。

よく見るとただ群がってはしゃいでいるように見えた蟻は
芋虫の下から砂を掘り出し
身体の周囲に積んでいた。
それを繰り返す事数時間、砂粒一粒分でも
大量に掘り出せば そうだ。
芋虫の身体は蟻地獄に入ったかの如く
ゆっくりだが確実に、地面に飲まれていった。

丸ごと入れるとは夢にも思わず、又入れるとしても
誰かの作ったカラオケバーのように
入り口を壊して巣穴を広げ、指定の部屋に
運び込むのかなあくらいにしか思っていなかった。
蟻にとって道や部屋という観念は
人間にとってのそれとはまるっきり違う。
地面は全て道であり部屋である彼らからすれば
芋虫を丸ごと沈めて、その周囲を部屋とすればいいのだ。
気付いてみればそれ以外の上手い手は考えつかないのに
なぜ絶対に最初からは気付けないのだろう。
私は暗くなってもしばらく
ほとんど見えなくなった芋虫の背中を追っていた。


物凄くふざけた話をするつもりだったのに
なにやら教訓めいた話になってしまった。
あれからのち、再び社会人として働き始めた私に
蟻を観察する時間は無くなってしまった。
でも追い詰められた時、追い詰められたと感じた時
逃げ場が無いと感じた時には
蟻の観察をしようと思う。
多分追い詰められたと思うのは錯覚で
周囲には壁や部屋など無いと気付けるはずだ。


おすすめです。蟻の観察。