レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

いやですよ

2014年03月31日 | ぼそぼそ
閑話休題。


五歳と四歳くらいの男の子と女の子が
「申し訳ございません!」「申し訳ございません!」
と言いながら三歳くらいの男の子を追いかけ回していて
笑ってしまった。
三歳くらいの男の子は
「いやですよ!」「いやですよ!」を連呼しながら
逃げ回っていた。
丁寧に言われても許したくなくて
丁寧にお断りしてるんだな。

さらにナンセンスに

2014年03月31日 | ぼそぼそ
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前述のエディが出したクイズは、
もちろん本気で面白いと思っている訳ではなくて
遠い昔の、切ないながらも楽しかった思い出の一部として
口にするものだ。
アメリカ文学における「いたずらおもちゃ」と「ナンセンス」の
共通点がここ。

ナンセンスを前にした所謂大人の反応は
バラエティに富んだ嫌悪の反応だ。
顔を顰める、遮るように咳払いをする、笑顔でドアを開けて退場を促す、
黙れを色々な語彙で五回くらい言う(最後はフォルテシモ)
理詰めで黙らせる、(これは大抵成功しない例として挙げられる)
他にはとにかく無言で見つめる、銃をぶっぱなす。
お前は幼稚だと指摘し怒鳴りつける、が王道。
早く大人になれ、といった具体的指示で〆られる事も多い。


いたずらおもちゃとナンセンスが表すのが
幼稚な、無垢な心の象徴で、多くのアメリカ人が
大人になる過程これを過ぎ去ったもの、
馬鹿らしくなって捨ててきたものとし拒否しながらも
心の奥ではもう一度それらに夢中になりたい!と願っているように見える。
日本にはそういう、強烈な幼心の象徴みたいなものがないなあと思ったが
日本はアメリカほど、子供の文化と大人の文化が違わないからだ、と
思いついた。
日本では大人の方が断然漫画やアニメ、おもちゃ収集にお金をかけるし
それが当然の文化として定着している。
大人がアニメや漫画、ゲームに夢中になっていても
白い目で見られる文化ではないからこそ
「いたずらおもちゃ」や「ナンセンスな発言」の奥深い意味に
あまりピンと来ないのだろう。

大人とこどもの境目がはっきりと違う文化を背景に持つから、こその
いたずらおもちゃの地位、ナンセンスに対する厳しさ、なのだ。