<狭い専用車でシャモニーへ>
ツールドモンブラン(5):ウィーンからシャモニーへ
(アルパインツアー)
2011年7月16日(土)~24日(日)
第1日目:2011年7月16日(土) (つづき)
<ジュネーブへ>
■ジュネーブ行の飛行機に搭乗
東京(成田)国際空港を7月16日に飛び立った私たちはウィーン国際空港でトランシットして,オーストリア航空17時40分発ジュネーブ行OS575便搭乗待合室で,かれこれ1時間以上待っている.ここまで来ると,さすがに日本人は殆ど見掛けなくなる.
16時55分,ようやくボーティング開始.改札口を出ると,バスが待っている.目の前には空港の敷地が広々と広がっている.駐機している飛行機の数は,羽田空港や成田空港に比較するととても少ないので,何となくノンビリしとのどかな印象を受ける.
ほんの2~3分で,バスは飛行機の真横に到着する.私は飛行機のことは良く分からないが,少し小さな飛行機である.運転室のすぐ後ろ,魚に例えるならば,エラの辺りにあるハシゴを登って,機内に入る.入口には大柄のキャビンアテンダントが立っている.
機内真ん中に通路がある.通路の向かって右側(飛行機の進行方向左側)に2列,左側に3列の客席が並んでいる.私たち日本人の席は,バラバラ.私の席は12D.なぜかB列がないので,私のD席は通路側.短いフライトだが,通路側とはラッキーである.
私の隣の席には,若い男性が座っている.控えめな好青年である.
17時46分,無愛想な女性のキャビンアテンダントが,お菓子を盛ったザルをヌッと差し出して,ボデーランゲージで,
「菓子を取れ・・」
という.何となくブスッとした女性である.
小さな菓子袋を一つ頂戴する.青色の袋を破ると少し粉々になった小さなセンベイのようなものが飛び出てくる.
次いで,18時20分,今度はオレンジジュースを頂戴する.長旅の後なので,酸味のあるオレンジジュースは実に美味しい.オレンジジュースのおかげで,気分がスッキリする.
<小さな飛行機の機内;グリーンの座席がシック>
■退屈な機内
私の隣の席に座った青年は,単行本を熱心に読んでいる.ドイツ語の本である.どうやらオゥエルの小説『1984』のようである.1949年ジョージオゥエルが書いた未来小説(SF)である(参考資料1).
私も,丁度,1984年に,この本の日本語版を読んだことがある.詳しい内容は忘れたが二大大国が,それぞれの国で専制政治を行っている.国内で問題が起きると,時々戦争を行って国内の結束を固める・・市民の家にはスクリーンが設置されていて,個人の行動のすべてが監視されている・・というような内容だったと思う.
私は当時コンピュータエンジニアであった.オゥエルの小説が,情報化時代の問題点を,あまりにもリアルに描写しているので,何とも言えない戦慄を感じた.とにかく素晴らしい小説だった.
隣の青年と話をしてみたいなと思ったが,彼があまりにも熱心に食い入るように本を読んでいる.彼の邪魔をしてはいけないと思って,話しかけるのを止める.
その内に眠くなる.私は,暇つぶしを兼ねて居眠りを始める.
<ジュネーブ国際空港>
■ジュネーブ国際空港に到着
ほんの30分ほどうたた寝している間に,飛行機はレマン湖の近くまで来ている.機内アナウンスがある.フランス語と訛りの強い英語.日本語はない.何を言っているのか良く分からないが,まあ,大方のところシートベルトを締めろと言っているのだろう.座席は最初からリクライニングができないから,常にアップライトポジションだ.
19時07分,無事にジュネーブ国際空港に到着する.
19時11分,ディセンバーグ.
19時25分,バゲージクレイム.無事,自分の荷物を受け取る.
何となく薄暗くて狭い空港である.大阪(関空)からきた方々と合流する.
ツアーリーダーのS村さんから,
「明日の昼食ですが,空港内の売店で購入して下さい・・・」
と指示がある.
S村さんの案内で,空港内の「とある売店」に立ち寄る.そこで各自好みのものを購入する.私もロールパンのようなもの2個,オレンジ,ジュースなど10ユーロほど購入する.そして,お店備え付けの袋に入れたまま持ち歩く.
出口で現地ツアー会社の日本人男性が私たちを待っている.こういう所がツアー旅行の良い所である.個人旅行だと,これからリムジンバスかタクシーの乗り場を探さなければならないところである.
<当面の食料を購入;袋の白い部分が紙,すぐに破れる>
<国境を越えてシャモニーへ>
■高速道路でシャモニーへ
19時53分,現地ツアー会社が手配した専用バスに乗車して,ジュネーブ国際空港を出発する.
私は,プライベート旅行で,ジュネーブ国際空港には,これまで何回か来たことがある.10年ほど前に,家内とヨーロッパ旅行を楽しんでいたとき,家内がスイスのローザンヌで突然病気になった.医者の手配や薬を購入したり,旅行計画を変更したりで,大変困ったことを,懐かしく思い出す.
最近では,今から5年ほど前に,モンブラン山に登頂したとき,同行の山仲間と一緒に,今回と同じルートでシャモニーまで行った.そのときのことなども懐かしく思い出しながら,旅を続けている.
旅行社が手配した専用バスは定員ギリギリで,リュックの置き場所に困るほど狭い.狭い座席でリュックを膝に抱えながら辛抱する.
発車してすぐに専用バスは,トンネルを潜る.進行方向右手には山並みが迫ってくる.何時の間にか,スイスとフランスの国境を通過している.
20時15分,こぎれいな街を通過する.その後は,右手に山並みを見ながら,素晴らしい道路を淡々と進む.
20時30分頃,辺りがだんだんと薄暗くなり始める.ほどなく,モンブラントンネルに向かう道との分岐を通過する.
21時08分,無事にシャモニーで宿泊する「パークホテルスイス(Park Hotel Swiss)」に到着する.ホテルの玄関に星が三つ並んだ看板が出ている.どうやら三つ星ホテル(最高が五つ星なので中級か)のようである(資料2).
<狭い専用車に乗り込む>
<パークホテルスイスの位置>
■パークホテルスイス
ツアーリーダーがホテルの受付で宿泊手続きをしている.少々手間取る.その間,送迎担当の男性が私たちの雑談相手をしてくれる.
シャモニーの町も,周辺地域を合併して,今では人口1万6000人の大きな町になったとのことである.その他,ここの水道は飲料水に適しているので,わざわざペットボトル入りの水など買う必要はない・・むしろ,ペットボトル入りの水よりもシャモニーの水道の水の方が品質が上だとのことである.
海外へ出掛けて一番煩わしいのが飲料水である.どうやらツールドモンブランの途中にある山小屋の水もそのまま飲めるようなので,これは大助かりである.
手続きを終えたツアーリーダーから,割り当てられた部屋の鍵を渡される.私とF田さんは同室.
その後,ツアーリーダーから明日の行動予定について説明がある.一同,神妙な面持ちで伺う.
明日は,終日,足慣らしのために散策をして,夕方,ホテルに帰宅する.必ず雨合羽と傘を持つように注意を受ける.
モーニングコールは6時丁度,7時から朝食.8時15分集合.
21時20分頃,割り当てられた客室に入る.3階の210号室である.1階がグラウンドフロア,日本流の2階が,ここでは1階.頭では分かってはいるが,少々戸惑う.
部屋に入る.なかなかシックで良い部屋である.入口のドアーから4段ほど階段を下りると広い客室がある.大きなダブルベッドが2台置かれている.まずは,至れり尽くせりの部屋である.良くありがちな,変な臭いもしない.
荷物をザッと片付けてから,風呂に入る.ついでに,家を出てから,ちまちの内に汗だらけになってしまった下着類の洗濯を済ませる.
22時頃.就寝.
こうして長い,長い,第1日目が終わった.
<第1日目ラップタイム>
8:10 成田空港(第一ビル)着
9:35 出国審査
10:30 搭乗
11:29 成田空港離陸
15:35 ウィーン国際空港着(時差マイナス7時間)
17:36 〃 発
19:11 ジュネーブ国際空港着
19:52 〃 発(専用車)
21:08 シャモニー;パークホテルスイス着
22:00 就寝
(つづく)
「ツールドモンブラン」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a88d09959d023d7f76c11226595c9c4b
「ツールドモンブラン」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/1e873fe8853a16ff8462f0f4d3ae1970
「ツールドモンブラン」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4a4c5fb759853b8b140c4d3944095d8c
「参考資料」
資料1;http://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)
資料2;http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&langpair=en%7Cja&u=http://www.chamonix-park-hotel.com/index.en.php
http://jp.hotels.com/hotel/details.html#description
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[編集後記]
2011年8月12日(金) 晴,酷暑
今日も相変わらずの酷暑が続いている.昨日同様の蒸し暑さである.
当然,私も体力の要る山行は差し控える.とはいえ終日家に籠もっていても仕方がないので,午後から付近を小一時間散策する.余り詳しく書くと自宅の位置が分かってしまうので,ぼんやりとしか掛けないが,私の家は源氏山や葛原岡神社のある山の尾根を藤沢方面に20分ほど辿った所にある.住宅地にしては,まあ,まあ,緑豊かな所と言えよう.
木陰を辿りながら散策する.時々だが,僅かな風が通り過ぎる.風がジメジメと纏わり付く湿った空気をほんの一寸だけ取り除いてくれる.でも,その瞬間,ホットした気分になる.
「今日は,暑いには暑いが,昨日よりは少しはマシかな・・・」
と思いながら,携帯電話に付いている寒暖計を覗き込む.
ところが,なんと・・! 35.0℃もある.やっぱり,舗装道路の照り返しが強いようである.私が年配者で暑さに鈍感になっているのか,あるいは連日の猛暑に少し馴れたか,それほどには暑く感じていなかったのに・・・
午後,近くに住む長女が,またもや孫を連れて来る.家内と連れ添って,喜々として買い物に出掛けてしまう.ジジ,ババの家をまるで自分の家のように,訪れてくれるのは嬉しいことである.
郵便受けを見る.数通の手紙が届く.
その中に,昨年夏に,アメリカのエルバート山にご一緒した方からの残暑見舞いがある.もう,かれこれ1年前のツアーだが,私のことを忘れずに思い出してくれたことに深く感謝している.これもとても嬉しいのである.私はすぐさまお礼の手紙を書く.
「・・・また,どこかの山へご一緒しましょう・・・」
私は,まじめに,エルバート山にご一緒した仲間との再会を企画したいなと思っている.
返事のはがきをポストに投函するために,再び外出する.
ポストの近くにある飲み物の自動販売機でファンタでも飲もうかなと思う.後ろポケットから小銭入れを出す.小銭入れの外側は何時もと同じだが,中は何とも妙な具合にシネシネしている.先週土曜日,大汗をかきながら雷雨にあったので,汗と雨水でシネシネになったままだ.小銭入れの中に入っている10円玉や1円玉は酸化したのか白い粉がベットリと付いている.触ると塩がザラザラとする.
「・・自動販売機で,はねられるかな・・」
と思ったが,難なく通過する.自動販売機の方も,汗で酸化した硬貨に出くわすとは想定していなかったのかも知れない.
帰宅してから,購入したファンタをじっくりと飲む.すると,何となく落ち着いて,何かしたくなる.そして,夕方,ようやく水彩画を描く気になる.
来週,20日が展覧会へのエントリー登締め切り日である.それまでに,せめて絵のテーマや大きさを決めなければならない.何時ものことながら締切日が近付かないと,なかなかエンジンかかからないのが,私の欠点である.
私は今回のツールドモンブランで画いたラフスケッチを叩き台にして,大きさ20号の絵を仕上げようと思う.
私が画く絵では,山は決して遠景や背景ではない.山は近景である.山そのもがテーマである.
私のフラウンホーヘル線は,一体,何処にあるのか.それをどう表現したらよいのだろうか.また,暫くの間,苦しい日々が続くことになる.
・・と,意気込みだけは立派だが,実は夕方になっても,筆が一向に進まないのである.
正直な所,苦しいよ・・・本当に.
(愚痴おわり)
所でロッキー行きが近づいて来ました。お客だけで17人とか、まだ詳しい資料が来ませんので荷物等全然まとめてないですが、色々とお聞きしたい事もありますので、申し訳ありませんが、私の方へメール戴けたら有難いのですが・・・この前から私のメールナンバー何回も乗せましたが、削除して下さった様ですね。
私はパソコン詳しくないので、よろしくお願い致します。
たびたびのコメント,有り難うございます.
メールナンバー(PCのアドレスですか?)を何回も乗せて頂いたとのことですが,私の方で削除したことはありません.どこかで,おかしくなったんでしょうね.
どうぞ,コメント欄に在間さんのPCのアドレスを記入してお送り下さい(アドレスが記入されているコメントは非公開扱いにしますのでご安心下さい).
在間さんのアドレスが分かり次第,折り返し,私のメールアドレスをメールしますので,何なりとお尋ね下さい.
なお,ご紹介頂きました「蕎麦大宇」「カモシカ永井」さんの記事も,近々,拝見させて頂きます.
私に分かることでしたら,何でもお手伝い致しますのでよろしくお願い致します.
頂戴したコメントに,私の方から
「メールをを頂けたら有り難い・・」
とお書きになっておられますが,私には在間さんのメールアドレスが分かりません(コメントの発信元はgooになります).したがって,私からは連絡の撮りようがありません.
どうぞ,コメント欄に在間さんのアドレスを記入して,お送り下さい(非公開扱いにします)・
ご紹介頂きました「蕎麦大夫」さん,「カモシカ永井」さんのHPを拝見しました.在間さんのことも分かりました.
とりあえず追加まで・・