今日は、みどりの日。
これは何かというと、旧・秋田市交通局のバスロケポール。
こうなり、
こうなった!
秩父英里なるピアニストのポスターがはられ、顔がついた!
なのでみどりの話。
今年も毎日新聞は緑色になっていたり。
さて、秋田市内にはこんな緑色のやつがいる。
これは何かというと、旧・秋田市交通局のバスロケポール。
2006年まで秋田市は市営バスを走らせていたが、民間移管により廃止された。
この交通局、役人経営でありながらサービスはかなり優秀であるのか様々なサービスを打ち出し、世界初の無線接近装置バス停を開発した。
世界ですぞ。世界。
開発したのは1981年で65箇所に置かれ、1994年に二代目を開発するも、移管した時に引き継がれず無用の長物にされた。
しかも、廃止にした時期なため世界初のシステム開発した街なのに、東北で唯一バスロケが無いと馬鹿にされるネタを提供というもの。
自分は交通局廃止に反対派だったからなおさらそう馬鹿にされるのが悲しい。
んで、このバスロケは初代式。
場所はこないだ特集したナイスの割山店向かいにある豊町バス停。
どんなシステムかというと、たいてい2系統以上の路線に設置される。
この場合は部品むき出しな3番目に盤があり、盤には
○〜経由〜ゆき●
とある。
バスが近づくと○ランプが付くもの。
最終便が出終わったものは右側の●が緑に赤く光る。
コレは1994年に更新無く終わっているが、たぶん県庁経由秋田駅前ゆき(新屋西線)と、大町経由秋田駅前ゆき(川尻割山線)を表示していたはず。
【追記】本数は少ないが新屋西線の臨海経由秋田駅前ゆきもあったとのこと。
また、一番下には ●[調整中]誤作動・故障があった。
さっき、廃止されたとあるが、廃止されたということで撤去がかなり進んでいる。
初代式は今、ここと自衛隊前や自衛隊入口ぐらいしかないはず。
ちなみにバスロケが無い派生種もあるが、こちらも減らしている。
(登町上町、築地下町、東通仲町など)
2代目も土崎駅入口ぐらいかな。
また、昔は秋田駅前や市役所や木内や交通公社に盤がでかいやつもあったが、それはポールごとはずされてしまった。
自分の母校、秋田中央高校にも中央高校前がこれだったが盤むきだしなまま放置され、いつのまにかなくなった。
【追記】コメントなどで思い出したが初代は旭南小学校前、二代目は天徳寺前、桜町、秋田大橋に加え、護国神社前、からみでんにもあり、いろいろ調べるとあんがい残ってたりした。
この豊町も、天空の城ラピュタの死んだロボットみたいに鎮座していて、電線も切られてもう撤去待ち。
世界初のシステムとして交通遺産として大事にすべきなはずなのに、これでは。
さて、赤ら顔のにくいやつ。
ゴミ箱撤去でこれから、
こうなり、
こうなった!
秩父英里なるピアニストのポスターがはられ、顔がついた!
また、筐体横に「不法投棄禁止!」と厳しいポスターも。
【追記】県南地域ではここまでではないようで、まだゴミ箱が生きていた。
参考研究:広く浅く「西部市民サービスセンター」(美品みれます)
それだけ意識から外れるほどの扱いなのか…
県立博物館は交通展示たまにやってるからそれでもいいですが、欲をいえば常設がいいんですがね。
札幌やさいたまみたいに。
もしくはフォンテ木内西武あたりの空きフロアを借りるか。
実際にきょうのフォンテの鉄道フェアはニュースだとこのコロナでも来ていたようで。
あと、市も中央交通も失政と引き継ぎ失敗を認めたくなくて黒歴史として消したいのかもしれないのかもと思います。
レガシーを残すとなにを言われるかわからないからと。
だから美品な共通ポールを一気に刷新したり、幕も市営のいいとこを取り除いたり。
なんか氏が教えてくれたかつてのJRの前首相のおくさんと同じ名前のマスコット黒歴史化を推進したのと同じなのかも。
だからこそ、県や市民や他の民間がどうにかできないのでしょうか。
市長選挙でも交通政策にはあまりふれた候補いませんでした。
豊町は、ほかに臨海・県庁経由駅行きの表示もあったはずです。
現存するものは、初代は旭南小前にも、2代目は天徳寺前、桜町、秋田大橋等々減ってはいますがそれなりにあると思います。
このまま残れば、強風などで倒壊した時、特に重そうな2代目では命に関わる被害が生じないか不安です。
資料として貴重なのはその通りで、バス会社や秋田市にその気がないのなら、県立博物館辺りで何基か収蔵してくれないか、要望してみようかと思ったり。
バスロケ以前に秋田市では、機能する電照式の「光るバス停」がたぶん1つもなくなってしまったのも哀しいもの。ただでさえ暗い夜の街が、余計に…
バス停環境を改善する余裕がないのかもしれないけれど、もう少し力を入れてもらいたいです。