ダマスカス留学生有志による情報ブログ

ダマスカス留学生有志とそのOBがアラビア語やイスラームについての情報をお送りします。

なぜラマダーンに断食するの?①

2010年08月13日 | ★イスラームって?(初級~)

 

ムスリムが、ラマダーン月に、一ヶ月間断食をする、と言うと、ムスリムでない方達から、「大変ね」とか「かわいそうに。」と言われることがあります。アッラーは、私たちを、困難に陥れるために断食をするように義務付けたのでしょうか。

 

そもそも、アッラーは、私たち人間になぜ、ラマダーン月に断食することをお決めになられたのでしょうか?
クルアーンで、アッラーは、こうおっしゃっています。

 

【信仰する者よ、あなた方以前の者(キリスト教徒やユダヤ教徒たち)に
 定められたように、あなた方が主を畏れるように、あなた方に、斎戒(断食)が定められた。】クルアーン2章 雌牛章 183節 日訳P32

 

断食の理由として、アッラーは、「タクワー」アッラーを畏れること、つまり、アッラーのご命令に従い、禁止されたことを避けること、ができるようになるために、と言われています。
では、断食で、どうして、このタクワーが身につくのでしょうか?

 

ラマダーンで、私たちが断食をすることで、あることが私たちに起こってきます。
それは、2つあります。
ひとつは、私たちの中の、あるものが弱くなること、そして、もうひとつは、あるものが強くなること、です。


人間は、元々2つの要素から成り立っています。何でしょうか?_
体、と魂(ルーフ)です。
体だけ合っても、人間は生きていません。
命、魂が体に備わっていなければ、死体の状態です。


まず体を健康に保つには、どうしますか?
私たちが、体の栄養は取るには、土、地面から栄養をもらうことができます。
アッラーが、地面から育ててくださる野菜、果物、など、またそれらを食べることで生かされている動物たちから、私達は栄養を摂ることで、体の健康を保っています。
つまり体の健康を保つための必要な栄養は、地面からすべて摂ることができます。


では、人間の構成要素のもう片方、魂というのは、どうやって健康を保つのでしょうか?
魂が、その健康を保つために、地面から栄養を摂ることはできません。
では、魂の健康を保つには、どこから栄養を摂るのでしょうか?

 

それは、私達人間の魂が、何から創られたか、を思い出すとわかります。
私たちの魂は、もともとは、何から創られましたか?

 

【かれ(アッラー)は、いやしい水(精液)から、その(人間の)後継者を
創られ、それから彼(人間)を均整(きんせい)にし、かれ(アッラー)の魂を
吹き込まれ、またあなたがたのために聴覚と、視覚と、心を、授けられた御方。
あなた方は、ほとんど感謝もしない】クルアーン アッサジダ章9節

 

私たちの魂は、私たちのことを愛して止まないアッラーが、直接吹き込んでくださったものです。
ですから、私たちの魂の健康を保つためには、魂の栄養は、地面の反対の、天から、アッラーから栄養を吸収することが必要です。
つまり、私たちを創ってくださり、私たちのことを24時間見守ってくださり、私たちのことを愛してやまないアッラーからしか、魂は栄養が摂れないのです。


その栄養を取る方法は、まず、私たちのことを大好きなアッラーのことを知ること、です。
そして、アッラーのことを考えること、礼拝やズィクルでアッラーとつながりを持つこと、それだけが、私達人間の魂の健康を保つための栄養になるのです。

 

現代人の問題は、片方の、体の栄養にばかり気をとられて、「どこの何がおいしい」とか、「どんな料理がおいしい」とか、体に栄養を与えることばかりを熱心にしていることです。
そうすると、人間に、どんな問題が起きてくるかというと、片方の体ばかりに栄養が行渡って、どんどん体の欲求が太って、体の欲求だけが巨大になり、その中にいる魂は、やせ細って、体に圧迫されて窒息寸前の状態になっていきます。
体の欲求だけが栄養満点の状態になると、その中にある魂は、巨大になった欲求に圧迫されて瀕死の状態になります。

 

そうすると、もっともっと体の欲求が、増大していきます。
もっともっとおいしいもの食べたい、もっともっと楽しいことをしたい、もっともっとこの世の享楽を楽しむことを全部したいと、欲求は巨大化し、今度は、その巨大な欲求が、人間自身を動かすようになります。
そうなると、人間は、欲求が、命じたことに、「かしこまりました。」と従わなくてはならなくなります。
「おいしいものを食べたい。」と欲求が言えば、人間は「かしこまりました」とその命令に従い、「ご飯の後には、あそこのおいしいケーキが食べたい。」と欲求が言えば、「かしこまりました。」と人間がその命令に従うようになり、それ以外のことが考えられなくなってきます。
常に自分の欲求を満たすことだけを考えて、生きていくことになります。

 

そうなってくると、魂の方は、巨大な欲求にガードされてしまって、栄養がまったく行き届かなくなってしまいます。
巨大な欲求に押しつぶされて、窒息死寸前の状態になります。
人に親切にしても全く嬉しくない、クルアーンを聞きたいとも思わない、礼拝をするのも億劫に感じる、礼拝をしても全然楽しくない、善い事をしても、ちっともおもしろくない、という状態になってしまいます。
これは、その喜びを感じる魂が、危機に陥り、瀕死の状態になっているからです。
当然の結果です。体の欲求にばかり気をとられて、魂には、全く栄養が行かなくなってしまった状態だからです。

 

ここで、ある問題が起こってきます。
それは、人間が体の欲求を満たすだけでは、本当に幸せを感じることできないようにできている、というところに原因があります。
人間は、なぜ体の欲求を満たすだけでは、真の幸せを感じられないのでしょうか?

 

なぜならアッラーは、人間を、そんなことだけのためにお創りになられたわけではないからです。
食べて、寝て、そんなことだけをするために、私たちに、体を与えて、心を与えて、こうしてこの世に生かしてくださっているのではないのです。
アッラーは、人間に、心をお与えくださり、人の苦しみを感じたり、善いことをすることで、喜びを感じたり、動物をいつくしんだり、子供を愛したりすることができるように、人間を、もっともっと崇高な存在に創られました。

 

人間が、体の欲求だけを聞いて、その命令に支配されている状態は、本当の人間の姿ではないのです。
ですから、その状態では、人間は心から幸せを感じることができません。体の欲求を満たしていっても、終わりはありません。
のどが渇いた人が、塩水を飲まされているように、飲めば飲むほど、どんどんのどが渇いていきます。
欲求を満たせば満たすほど、どんどん欲求は巨大化します。
欲求を満たすことで得られる幸せは、とても短く一瞬のものです。
アッラーは、そんなはかない幸せを与えるために、私たちに人間をお創りになられたのではないのです。


よくお金持ちの人が、何でもできるお金があって、好きなものを好きなだけ食べられ、好きなところに行けるにも関わらず、突然自殺してしまったりすることがあります。
それは、人間の構成要素のもう片方、魂に栄養を補給するのことを忘れてしまったからです。
体の欲求ばかりを聞いていても、人間は心の底から幸せを感じることができません。
なぜなら、アッラーは、人間を、魂の幸せ、という、もっと大きな幸せをお与えになられるためにお創りになられたからです。

                                    → なぜラマダーンに断食するの?②へ続く。


関連記事:


なぜラマダーンに断食をするの?②

2010年08月13日 | ★イスラームって?(初級~)

→(なぜラマダーンに断食するの?①の続き)

でも、体の欲求が巨大に膨れ上がってしまった状態では、魂はそれにガードされてしまって、せっかく魂に栄養を与えることをしても、ガードが厚すぎるため、その栄養が魂に届かなくなってしまいます。
そのため、人の役に立つことをしても嬉しくなかったり、礼拝をしても何も感じなくなったり、クルアーンを読みたくなくなったり、善い事をしてもちっとも楽しくなかったり、という魂の瀕死の状態が起こってしまうのです。それを、そのまま放っておいてしまうと、少しずつ魂は死んでいきます。


そろそろ、なぜムスリムが、断食するのか、わかった方もいるかもしれません。
アッラーは、私たちの魂を救うために、一年の12ヶ月の内の、一ヶ月だけを、体に与える栄養を制限し、巨大になった体の欲求のガードを弱めて、魂の方にも栄養が行き届くようにする、すばらしいルールをくださいました。
それが、ラマダーン月の断食です。
ラマダーンには、昼間食べたり飲んだりすることを止めることで、今まで、太りに太って巨大化していた欲求が、だんだん弱まり、窒息寸前だった魂が、欲求の圧迫から開放されて、ようやく息を吹き返すことができます。


そこへ、ラマダーンに特別なたくさんの善行や、タラウィーフの礼拝や、クルアーンを普段よりも多く読誦することで、魂の栄養をどんどん与えていくと、瀕死の魂が、徐々に元気を取り戻し、生き生きと蘇ります。
そうなると、善いことをしても、心から嬉しく感じ、クルアーンを聞いても、もっともっと聞きたいと思うようになり、善い事をもっともっとしたいと思うようになり、礼拝しても楽しくて楽しくて仕方がなくなってきます。
瀕死の魂が、再生されてきた証拠です。
つまり、ラマダーンで、私たちに起こる2つのことというのは、体の欲求が弱まり、魂が強まる、という現象なのです。



ラマダーンの効果は、これだけに留まりません。
この状態が続くと、さらに不思議なことが体に起こってきます。
アッラーとつながリを持って沢山栄養を与えられ、満たされた魂は、アッラーの光がその人の魂に満ちあふれ、光で一杯になります。
すると、その魂から、光の栄養はあふれ出て、体の隅々に光の栄養が行き渡り始めるのです。
なんと、地面からしか栄養が摂れなかった体が、魂の光から栄養を摂るようになるのです!
その人の体自体は、断食で弱っているはずなのに、魂の活力で、アッラーの光で生き生きと輝きます。
魂が元気になると、体は、地面からの栄養を摂らなくても、魂からの栄養でどんどん元気になり、アッラーの光が体中にあふれる状態になります。


そんな例をたくさんシリアで見ました。シェイフ達は、みなさんご高齢にもかかわらず、ものすごくお元気です。内側から光り輝いているようです。
ダマスカスの学校を創立されたクフタロー先生は、お亡くなりになったとき、94歳でしたが、お亡くなりになる直前まで、金曜日に、金曜礼拝のモスクで、講話をされていました。
5階建てのモスク一杯にあふれる何千人という先生のお話を聴きに来た人たちに、一時間以上の講話を、しっかりした口調で毎週行われていました。
先生は、全て暗記されているため、何も本を見ることなく、クルアーンだけを前において、94歳で亡くなる直前まで、講話をされていました。アッラーのご慈悲が彼にありますように。


この先生に限らず、シェイフ達は、80歳を過ぎても、痴呆やボケという声を全く聞いたことがありません。
年を重ねれば重ねるほど、マーシャアッラー、経験と知識が増え続け、学者としてすばらしい状態になっていきます。
それは、彼らが、地面から摂る、体の栄養だけで生きているのではないからでしょう。
アッラーと常につながることにより、アッラーの光という魂の栄養が人間に与える効果、というのを、実証してくださっているのが、こうしたご高齢のシェイフたちです。アッラーが、彼らの寿命を延ばしてくださいますように。


ラマダーンで断食をするのは、11ヶ月間かけて窒息寸前になっている私たちの魂に、栄養を与えて、再生させるためなのです。
断食なんて大変、とか、かわいそうと思われることがありますが、実際には、魂が窒息寸前になったまま、徐々に死んでいくのを放って置くことの方が、ずっと危険で大変です。
私たちのことを愛してやまないアッラーは、私たちに、魂の救済方法をお与えくださったのです。アルハムドゥリッラー。


ここで思い当たるのは、ムスリムになって最初の年の断食のことです。
まだクルアーンも読めず、アッラーとつながりを持つ方法をほんの少ししか知らなかったときには、体に栄養が与えられない断食は、辛いものだったのではないでしょうか。
それは、体に栄養が行かない上に、魂の栄養が十分に摂取できないので、体も魂も、ふたつとも弱ってしまうことによって起こるのではないかと思います。


断食で体が弱っている、と感じたら、魂の栄養になることを、たくさんしてみましょう。
親孝行をしたり、ご近所の人たちに親切にしたり、人の役に立つようなことをしたり、こういった善行をたくさんしたり、クルアーンを読んだり、読めなければ、クルアーンをCDでたくさん聞いたり、アッラーのことを考えるズィクルをたくさんしたり、魂の栄養になることをたくさんすると、不思議に、食べなくても飲まなくても、全く平気になっていきます。
断食中でも、お腹がすいていることを忘れます。
魂が満腹しているときは、ほんの少しの量で、体も満腹になります。不思議なものです。


魂の栄養がうまく摂れないと、体も魂も、ふたつともがダウンして、とても辛いものになってしまうこともあるのではないかと思います。
もちろん、体質や病気の場合もあります。
イスラームでは、断食によって、病気がひどくなったり、体に害を与えるとわかっていて断食することは禁じられています。


魂の栄養をしっかり摂っていたサハーバたち(アッラーのご満悦あれ)の中でも、スンナの断食をすると、疲れてしまって礼拝やクルアーン読誦に支障があると言われていた方もいますので、体質もあるでしょう。
ただ、試してみることはできると思います。
断食で疲れたときには、ただ寝ていないで、魂に栄養を与えることをしてみると、以外に自分でもびっくりするくらい元気が出てくることもあります。


こうして、私たちが、ラマダーンで一ヶ月間、体の欲求を弱め、魂に栄養をやり続けていると、巨大な欲求でふさがれていたガードが、魂から完全に取り払われ、欲求に支配されていた人間が、反対に、欲求を支配できるようになります。
欲求が、「食べたい」と言っても、「かしこまりました」と従う代わりに、「アッラーのために断食をしているから、食べない」と答え、「悪口を言いたい」と言っても、「アッラーのために断食をしているから、悪口を言わない」と答え、「あの人のことを嫌いだ」と言っても、「アッラーのために、彼女に善いことだけをする」と答え続けると、ついには、人間は、巨大に太った欲求が、だんだんとやせ細り、人間は、欲求の支配から解放され、反対に、欲求を支配することができるようになります。


断食というのは、人が見ているからする、というものではありません。
もし自分が止めようと思えば、誰もいない部屋に入って、こっそり水を飲んだりすることができるからです。
でも、それをしないのは、私たちが、「誰も見ていなくても、アッラーが見ているから」ということを知っているからです。
ラマダーンの間、一ヶ月間、食べたくても、アッラーが見ているから、食べない、人の悪口を言いたくても、アッラーが見ているから、悪口を言わない、ということを続けていると、アッラーのご満足だけを求めて、アッラーのご命令に従い、禁止されることを避ける、「タクワー」の練習を毎日することになります。
これが、アッラーが、人間に断食を課した所以、クルアーンで言われた、「タクワー」を手に入れるということです。


一ヶ月間、断食を終えたムスリムは、アッラーのご満足だけを求めて、行動することがずっと簡単になり、欲求の支配から解放されて、魂がクルアーンの光で満ち溢れた状態になり、体も心もきれいに浄化され、また、次のラマダーンが来るまでの一年間、新たなアッラーとの関係を始めることができます。
これが、ムスリムが、一ヶ月間のラマダーン学校を卒業する、ということです。
ラマダーンが始まる前と、終わった後では、インシャアッラー、どれだけ自分に大きな変化があるか、楽しみです。
ある敬虔な方の言葉に、
「空腹は、アッラーの元では、彼の宝庫に保管されており、お好きな者にしかお与えにならない。」
というものがあります。


この一ヶ月、アッラーの元で特別な、空腹を、アッラーのために感じることができるこの祝福されたラマダーンに、私たちのことを愛してやまないアッラーが、私たちのために準備してくださったラマダーン学校を、ちゃんと卒業できますように。

 

 

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パキスタン洪水被害者 及び アフガニスタン難民の支援のお願い!

2010年08月05日 | お知らせ
パキスタン洪水被害者 および アフガニスタン難民の支援のお願い!

■衣類支援と、食料や医療品支援のための支援物資をお願いします!

7月29日から8月2日にかけてパキスタン北西部を襲ったモンスーンの影響による洪水や土砂崩れは、甚大な被害を出しております。この洪水などによる死者は1500人を超え、被災者は300万人以上に上るそうです。
また、さらに今後もモンスーンは活発化すると予測されております。
ジャパン・イスラミック・トラストは、被災された方々への緊急支援およびアフガニスタン難民支援を下記の通り開始いたします。支援物資はすべて下記の倉庫へ郵送し、マスジド大塚へは持ち込まないよう、ご理解とご協力の程よろしくお願いします。
期間:2010年8月6(金) ~ 8月23日(月)必着(土日祝日休み・期間内必着厳守)
(ジャパンエキスプレスでは救援物資ということで、特別のサービスを提供下さっております。従いまして、期間内に必着するようお願い致します。)

送付先:〒140-0003 東京都品川区八潮2-9 ジャパンエキスプレス大井物流センター
TEL:03-3971-5631(伝票記載専用)『アフガニスタン救援物資』と明記のこと

*マスジド大塚には保管場所がありません。マスジドには送らないでください。
*個人持込は出来ません。必ず郵送でお願いします。

<<<贈っていただきたいもの>>>

○セーター ○ジャケット ○毛布 ○暖かい靴下 ○カーディガン ○暖かい下着 ○子供用衣類

船便で送るため、保管期間が長くなります。クリーニング・洗濯の後の乾燥等につきましてもご配慮下さるようお願い致します。

■現地までの運賃(船便+現地輸送費)を必ずお振り込み下さい。

ミカン箱(縦+横+高さ=120cm未満を目安)よりも、小さな箱(1箱)・・・500円

大きな箱(1箱)・・・1,000円

振込先:
【現地までの運賃およびアフガニスタン難民支援金】
■ 郵便振替00150-9-98307 JITアフガン難民ファンド

■ 三菱東京UFJ銀行大塚支店 普通口座1415181 JITアフガン難民ファンド
(一部ネットバンクなどでは、ジェーアイティーアフガンナンミンファンドと記入してください。)

【パキスタン洪水被災者支援金】
■ 郵便振替00120-6-314542 宗教法人 日本イスラーム文化センター

■ 三菱東京UFJ銀行、大塚支店 普通口座1363828 ジャパン イスラミック トラスト

※ 皆様から贈って頂きました衣類は、パキスタン洪水被災者とアフガン難民に必要に応じて分配いたします。
※ サダカ/支援金は、パキスタン洪水被災者とアフガン難民では振込口座が違いますので、ご確認の上お振込ください。
※ 経費の節約により現地までの運賃に余剰金が出来た場合は、医療品、食糧、毛布などを現地で購入するための資金とすることをご了承下さい。 
※ 集荷場所までの送料は別途お支払い下さい。
※ 箱の中に、お金を入れないでください。現地でゴミと間違われてしまいます。よろしくお気遣いください。

人間関係 ②

2010年08月04日 | ★イスラームって?(初級~)

前回掲載した、「人間関係」の続きです。
現在の孤独や人間関係の問題を抱えた方々にとっても、ムスリム兄弟姉妹の人間関係のあり方は、何らかの解決に向けた思考の呼び水となるかもしれません。

これから数回に渡ってご紹介するのは、「兄弟姉妹関係において行うと良いこと」について、著名なイマームガザーリー氏の著書(「イヒヤーウルームッデーン」)から抜粋してまとめたものです。
イスラームにおける信仰上の姉妹たちというのは、どういう関係なのかを、8つのポイントから学んでいきます。

この8つを全部実行すると、すばらしい人間関係が築けるというものです。
ちょっと考えてみても、もし、あなたのために、昼も夜も祈ってくれて、あなたのことを自分のことと同じように大切に考えてくれて、あなたの欠点を口が裂けても決して他の人に言わず、困ったときには、物質的にも精神的にも、喜んで助けてくれる、そんな友達を持っていたら、しかもたくさん持っていたら、あなたの人生は、豊かで安心ではないでしょうか?
ムスリムである、ということは、こういった信仰上の友達をたくさん持つことができる、ということです。

イスラームは、私たち人間を創られたアッラーが、私達が、一番幸せに、この世とあの世で生きていけるように、教えてくださる、永遠に続く幸せの法則です。
私たちのことを大好きなアッラーは、私たちが、何とかして、この世でも来世でも幸せになれるように、「あなた達、これをすると、幸せになれますよ、これをすると、あなたのためにならないから、しないように注意しなさいよ」、と懇切丁寧に、人生を生きるために必要なことを、すべて教えてくださっています。アッラーが教えてくださることの中で自分ができることは、がんばってしていき、もしできないことがあったら、アッラーにお願いして、「今は難しくてできないけれど、どうかいつかできるようにしてください」、とアッラーにお願いして頼んでしまうことです。

アッラーは、私達に無理なことをしなさい、とは決して言いません。アッラーは、いつも私たちと一緒にいてくださって、私たちを愛してくださって、私たちがアッラーにいつか気が付くのを、ずっと待っていてくださいます。
ですから、この信仰上の姉妹のマナーも、できることはすれば、あなたも、あなたの周りの人たちも幸せになります。そして、もしできないことがあったら、アッラーにお願いしてしまいましょう。

まず最初に、信仰上の兄弟姉妹関係のポイント8つの内の、一つ目、物質的に行う援助というのがあります。

①物質的に行う援助:自分の中にある物欲や利己主義(自分だけがよければいいという気持ち)を捨てて、困っている兄弟姉妹をできれば本人に気付かれないよう助けること、です。

預言者ムハンマドさま(彼に平安と祝福がありますように)は、仰いました。

≪二人の兄弟は、一対の手のようなもので、ひとつの手がもう一方の手を洗います。≫

預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)は、手と足という例えではなく、二つの手という例えを選ばれました。それは、一対の手は、一つの目的に向って、お互いに助け合う関係にあるからです。
ご飯を食べようと思うとき、右手は箸を持ち、左手はお茶碗を持つことで、ご飯を食べる、という一つの目的を、二つの手がお互いに助け合って、果たしています。
この両手と同じように、二人の兄弟関係は、人生において、同じ目標、アッラーに向かう、ということを果たすために、助け合って協力していきます。
人間は、一人では、片手だけで手を洗おうとするのが難しいように、なかなか一人では自分をきれいにすることができません。他の人と接して、初めて、両手となり、簡単にお互いを洗い合うことができます。

あるムスリムのグループのことが、カリフ(国の統治者)のひとりに中傷的に伝わり、カリフは、彼らの処刑を命じました。その一員であったある男は、自分が一番先に処刑されるように死刑を執行する人の前に急いで走り出ました。その理由を聞かれて彼は、こう言いました。

“自分より私の兄弟たちに、少しでも長く生きてほしかった。”

彼のこの行動のおかげで、結局は、全員の命が助かったのでした。

あるとき預言者の教友サハーバたち(アッラーのご満悦あれ)のひとりが、高級品の羊の頭、アラブではみんな大好きな一番おいしい箇所をもらったそうです。彼は、「私の兄弟の誰々の方が、もっとこれを食べたいだろう。」と言って、彼にそれを届けました。それを届けられた人は、同じことを思って、また別の人に届けました。
このようにして羊は、人から人に回って、7人の手元を経て、また最初の人のところに戻ってきてしまいました。

私達は、もし高級洋菓子が誰かから届いたらどうでしょうか。喜んで、まっさきに一番おいしいのを家族で全部食べてしまうかもしれません。自分のところに来たものを自分で食べるのは、普通のことですが、ムスリムとして、よりすばらしいのは、他の人のことを考える余裕を持つことです。

相手に良くすることで、アッラーが、自分をもっと好きになってくださると知っていると、こういった嘘のような話は、現実に起こりうることになります。そして、実際、アッラーのために行ったことを、アッラーが放っておくことはありません。

実際にあった話ですが、あるダマスカスの学者が、預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)のお誕生祭を自分の家で開きたいと思いましたが、客をもてなすお茶を買うお金がありませんでした。
そこで、困ったシェイフは、自分の家の絨毯を奥さんに黙って持ち出し、市場で売って、そのお金でお茶を用意し、ゲストを招待しました。

招待客の一人は、そのシェイフをとても尊敬していたので、せっかくマウリド(誕生会)に招待されたので、何か上等なプレゼントを贈りたいと思って、市場に行くと、非常に上質の絨毯を見つけました。
それで、それを買って、シェイフの家に行くと、それはそのシェイフが売った、彼の家の絨毯でした。
ただ1つの違いは、絨毯売りが、絨毯を売り出すために、きれいにクリーニングされてシェイフの元に帰ってきたのでした。

アッラーのためにしたことを、アッラーが放っておくことは決してありません。
ある昔の敬虔な方はこう言っていました。

「食べ物を一口、兄弟に食べさせると、その味を私ののどに感じます。」

ムスリムのこういった美徳は、預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)のお手本に従っています。
ある時、あるサハーバが、体を洗おうと座り、預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)は代わって、彼を衣服で覆い隠そうと立たれました。しかし彼は、「私の父母よりも大切な御方!おおアッラーの預言者よ、やめてください。」と言って、それを断りましたが、預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)は、彼が洗う間、スクリーンがわりの衣服を持ち、おっしゃいました。

≪二人の人が一緒にいる時に、アッラーにとってより愛おしいのは、自分の兄弟に、より親切な人の方です。≫

私たちがどこでも、人と会うときには、自分が相手よりも、相手に親切にしているかな?と、常に考えて行動してみるといいですね。

                                          →次回に続く、インシャアッラー

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