ダマスカス留学生有志による情報ブログ

ダマスカス留学生有志とそのOBがアラビア語やイスラームについての情報をお送りします。

イスラームのここがおかしいQ&A ①

2010年02月08日 | ★イスラームって?(初級~)

質問
イスラムの教えと普通の信仰者の現実の行動の乖離が非常に大きいのはなぜでしょうか。無責任で口ばかりで、アラブの童話を見ても、「騙される愚か者の方が悪い」という結末になっているのが多いように思うし、現実もその傾向がありますが?

回答
自分をムスリムだ、と名付けている人たちの中には、実際には、本当の意味で「ム
スリム」でない人がたくさんいます。

彼らは、ただ、「ムスリムの社会に属している人」、というだけです。
そこには、大きな差があります。
現在は、イスラームがあり、本当の「ムスリム」がいる一方で、それとは別に、「ムスリム社会に属している人たち」が存在します。
これはとても大切なことで、ムスリムでない方たちに、私たちがきちんと説明すべきことです。

イスラームというのは、神から啓示された教えです。
神からその教えを啓示された預言者ムハンマド(彼に平安と祝福がありますように)が、私たちに教えてくださった教えです。
「ムスリム」というのは、その教えに従って生きている人のことです。
神が教えたように、神に反することなく、その教えに沿って生きようとしている人のことです。

しかし、「イスラーム社会に属している人たち」というのは、自分達のことを、「ムスリム」と呼んではいますが、実際は、イスラームのことを何も知りません。
礼拝も断食もしなければ、他人を尊重することもなく、働くこともなく、向上心もなく、他人を害して平気な顔をしている、、、こういう人は、イスラームの教えとは関係がないことをしている人たちです。
ただ、彼らは自分たちを、「ムスリム」という名で呼んでいますが、実際には、イスラームの教えを実践したことがないのです。

それは、例えると、木で家具などを作り、先祖代々、大工の仕事をしている家のようなものです。
その地域の人たちはみんな、「あそこは、大工の家だ」と呼びます。
おじいさんが大工で、その息子が大工で、、、と続いていたため、現在もその家は、人々から、「大工の家」と呼ばれていますが、実際には、もうそこの人たちは、サラリーマンになっていて、まったく大工の仕事について、何も知らなかったりします。

それと同じような状態が、ムスリム社会に起こっています。
母親と父親は、ムスリムであったけれど、子どもたちはイスラームのことをまったく知りません。
それにも関わらず、彼らは、「ムスリム」と呼ばれてしまいます。
あそこは「ムスリムの家だ」と呼ばれてしまいます。
それは、ただ「家系」であるだけで、「宗教」ではありません。
彼らは、本当の意味で、イスラームを実践している「ムスリム」ではないのです。

 日本人留学生:「質問者は、住んでいるイスラーム国で、嘘の話をされて、お金を騙されて取られたりして、ひどい経験をしているようです。」

あなたにお金を求める人々というのは、真の「ムスリム」ではないことを知ってください。
もし、本当の「ムスリム」が、実際に貧困に陥り、お金に困っていたとしても、イスラームは、彼に威厳を保つよう教えます。
彼は、他の人に、自分から、「私は貧しくて困っている」と言うことも、お金を求めることもないでしょう。
イスラームは、彼に働くことを命じます。
そして、人々の前では、よく働いているまじめな人という印象しか残さず、自分が困っているところを人に見せたりしません。

あなたが出会われた、自分のことを「ムスリム」と呼んで、あなたを騙すような人たちには、アッラーの精算が必ずあります。
「ムスリム」と、「ムスリム家系に生まれてイスラーム社会に属する人」というのを、区別して考えていただかないと、現在のムスリム社会の中では、とても混乱してしまうことでしょう。
彼らを本当のムスリムだと、あなたが誤解してしまうののは仕方のないことですが、事実として知っておいていただきたいのは、残念なことに、彼らがイスラームを知らないにもかかわらず、自分のことを「ムスリム」と呼んでいることについて、イスラームの教えは何の関係もない、ということです。


質問
豚肉。不浄というのがわかりません。今のハイテク時代、非常に衛生的な肉を生産する事も可能です。

回答
ムスリム達が、豚肉を食べないのは、衛生的に不浄だから、という理由ではありません。
アッラーへの崇拝行為として、食べないのです。
ムスリムというのは、アッラーが命令したことに従い、禁止したことをやめる人です。
現在では豚肉を衛生的に処理をして、汚物などを食べない豚を養育することが可能でしょう。
ですが、それだからと言って、ムスリムが豚肉を食べてもよくなった、ということはありません。
この世界をお創りになられた創造主が、それを食べないように、と教えてくださっているものを、ムスリムは、アッラーを讃える行為として食べません。

一部の国では、豚の養育に気をつけて、豚が自分の糞や、人間の汚物を食べたりしないように飼育しているかもしれませんが、今でも多くの国では、人間の生活圏から発生する生ゴミや人糞をそのまま養豚に用いられることが伝統的な養豚法であるため、まだまだ衛生的に管理されてずに育っている状態が多くあります。

仮に、すべての豚が衛生的になったとしても、私たちが豚を食べないことは、アッラーへの服従を現すことが目的ですから、変わりません。
私たちは、アッラーの僕(しもべ)なので、崇拝行為として、豚を食べず、崇拝行為として、お酒を飲みません。

イスラームがお酒を禁じているのは、お酒が、アッラーが人間だけに与えてくださった「理性」を失わせるものだから、ということを知った後でも、ムスリムは、理性を失うからお酒を飲まない、のではなく、アッラーへの崇拝行為として、お酒を飲みません。
アッラーが、何が私たち人間にとって、一番良く、何が私たちを害するかということを最もよくご存知ですから、命じられたことに従い、禁じられたことをやめる、という崇拝行為として、ムスリムは、それを行うのです。


質問
なぜ、男性の証人は一人でよく、女性は2人でないといけないのか。女性の人格、思考力に対する偏見ではないのか。昔これを日本人ムスリムに聞いたら、「女性は心が優しいから、悪人のことでも本当のことが言えない」「女性には証言は負担だから」「女性は生理が来ると感情的になり、正しい判断ができないから」と言われましたよ。これは男性の思い込みじゃないですか?

回答
イスラームにおいて、女性に対する偏見はありません。
イスラーム法における義務においても、善行をした際にアッラーからもらえる報酬においても、女性は男性とまったく同等です。

しかし、生物学的な女性の生態という点において、体のしくみということでは、女性と男性では違っているというのは、周知の事実です。
この相違は、女性の欠陥というわけではありません。逆に、この相違こそが、人間の生を完成させるために、大きな役割を担っているのです。

この生物学的な男女の相違というのは、女性の価値を下げるものでも、社会的地位を奪うものでも、仕事の欠陥を生むわけでもありません。
女性が、男性よりもずっと仕事ができるということも、大いにあります。
しかし、この相違というのは、先ほど申し上げたように、生命を維持させ、人間の生を完成させるためのものです。

たとえば、女性の生理のことをおっしゃっていましたが、生理というのは、人類の生命を存続させ、人間の生を完成させるために、必要不可欠なものです。
女性が妊娠し、出産する、というのは、人類の存続に不可欠だからです。
ですから、生理ということひとつをとっても、それは、男女間の相違ですが、女性の欠陥ではまったくなく、反対に、それがなくては人類が存続できない、生を完成させるために、不可欠な、とても重要なもので、女性に尊厳を与えるものです。
ですから、それ自体が、女性の地位を降下させたり、女性を害したりするものではまったくくありません。

しかし、証言、という点においては、一般的に記憶力という点だけをもって比較すると、男性と女性では相違があります。
女性の社会的地位が向上して、女性の生活が家から社会へと広がりましたが、女性の生物学的な体のしくみは、変えることができません。
生理が来れば、血液が体から不足することによって、記憶力が普段よりも劣ります。

(参考:http://diamond.jp/series/mf_rules/10019/  女性の記憶力や学習力は、生理中に低下し、排卵前後には高まるとされている。これは、女性ホルモンのひとつ「エストロゲン」のなせる業だ。そもそも、記憶をつかさどっているのは脳の辺縁系にある「海馬」という器官。ここには、見たり聞いたりした情報が一時的に「短期記憶」としてストックされている。短期記憶はその後、大脳連合野のいろいろな部位に保管されて「長期記憶」となり、必要に応じて海馬に呼び出される。一連の働きに欠かせないのが、エストロゲンである。海馬の活性化には「長期増強」と呼ばれるシナプスの働きが必要になるが、エストロゲンは海馬の長期増強を高めて、神経細胞を興奮させるからだ。)

ですから、証言をするために、アッラーは、男性の証人は一人、女性は2人、とお決めになられました。
記憶という点では、男性も、忘れるかもしれません。
ですから、イスラームの証言というのは、男性一人でも、不十分です。男性二人、もしくは、男性と女性二人が必要なのです。
お互いに忘れたときに、思い出せるように、です。
男性の証人も、記憶力が悪い人は証人として成立しません。

また、生理の前には、イライラしたり、PMSと呼ばれる月経前症候群に多くの女性が悩まされているのは、男性はあまりご存じないかもしれませんが、女性だったら誰もが認める事実です。

(参考:http://www.women-life.com/body/02_pms.htm  精神症状、身体症状、社会症状、仕事が面倒になる、人付き合いが悪くなる等様々な症状がありますが、その原因はまだ未解明ではっきりしていません。日本では1,300万人、アメリカでは2,700万人の患者がいると推定されていますから、月経を有する女性の半数以上がなんらかのPMS症状をもっている事になります。 )

これは、女性が、創造主によって、そのように創られているからです。
社会の中で、女性の生活がどのように変わろうとも、女性の体は変わりません。

一般的に女性が男性よりも感情が豊かであるという、アッラーのお創りになられた女性の特徴のひとつも、子どものために必要なものです。
女性の感情が豊かでなければ、母になったときに忍耐力の必要な子育てを全うすることができません。

女性の豊かな感情により、子育てが容易になり、感情の豊かさにより、子どもを愛情豊かに育てることができます。

イスラーム法は、この世を創造されて、全ての事をご存知のアッラーが、こういった両性の特性も十分ご承知の上で、公正に決められているのです。

 

参考:

男は論理派、女は情緒的、ビッグデータで見えてきた男女の明確な差
引用「COLOR INSIDE YOURSELF(以下「CIY」)の自己診断の結果では、様々な個人の特性が現れるものの、「論理的に思考するタイプ」と「情緒的、感情的に思考するタイプ」には、男女間で明らかな差が見られました。論理的に思考するタイプ」では全年齢層で男性の割合が高く、「情緒的、感覚的に思考するタイプ 」では女性の割合が高い、という結果に。よく言われるように「男性は論理的に考え、女性は共感力が高い」という概念があながち間違いではないことを示しています。男女の思考の違いが存在することが明らかになりました。」

 

脳科学者・中野信子が解説。“ジェンダー”の枠から飛び出して自由になる、頭と心のつくり方。

引用「男女の間で筋肉量や皮下脂肪の量などが異なるのと同じように、脳にも男女の違いはあります。

たとえば神経伝達物質のひとつ、セロトニンは精神を安定させることで知られていますよね。この物質の合成能力には男女で差があり、男性は女性の約1.5倍というデータが。セロトニンが少ないと欠落に過敏になりやすく、不安傾向が強まりやすいのです。」

 


→イスラームのここがおかしいQ&A ② へ続く

 

関連記事:

イスラームのここがわからん、Q&A ①  

イスラームのここがわからん、Q&A ②


イスラームのここがおかしいQ&A ②

2010年02月07日 | ★イスラームって?(初級~)

質問
私は仏教徒です。死ねば地獄に落ちるとイスラム教徒に言われるのは、勝手ですが、7世紀ムハンマドが仏教のなんたるかを知ってのことですか?

回答
地獄というのは、神の存在を、否定する者のみが行くところです。
人が自分をどう名付けようとも、キリスト教徒と名付けようとも、仏教徒と名付けようと構いませんが、神の存在を否定していないのなら、あなたが、自分のことをどう名付けようとも、問題はありません。

クルアーンの中でアッラーが言われているのは、

【本当に(クルアーンを)信じる者、ユダヤ教徒、キリスト教徒とサービア教徒で、アッラーと最後の(審判の)日とを信じて、善行に勤しむ者は、かれらの主の御許で、報奨を授かるであろう。かれらには、恐れもなく憂いもないであろう。】(2 雌牛章62節)

私たちは誰も、自分のことも、他人のことも、死後、地獄に入るかどうか判断することはできません。
誰にもそれは知らされていません。
アッラーのみがご存知のことです。

あるとき、預言者様(彼に平安と祝福ありますように)の教友が、殉教者として亡くなりました。
彼の母親が墓に来て、土をなでながら、「息子よ、あなたが天国に入れることを祝福します。」と言っていました。
預言者様(彼に平安と祝福ありますように)が、それをご覧になられ、
『誰があなたに、彼が天国に行くと告げましたか?』
と、母親に尋ねました。
母親は、「彼は殉教者ですよ。」と言うと、預言者様(彼に平安と祝福ありますように)は、
『アッラーのみが、それをご存知です。』
とおっしゃいました。

アッラーにしか、それはわからないのです。
ですから、誰かがあなたに、「仏教徒だから地獄に行く」と言われたようですが、あなたが、神の存在自体を信じていなければ、問題は、仏教徒であるとか、キリスト教徒である、とかいうことではありません。
問題は、神がいるということを信じているかどうか、という点です。

誰一人、あなたに、「あなたは地獄に入る」と言うことはできません。
あなたが、今現在、神の存在を信じていないとしても、将来、もしかしたら、信じるようになるかもしれません。
それは誰にもわかりません。
ですから、あなたが天国に入るか地獄に入るかは、アッラー以外、誰にもわかりません。

今ムスリムであっても、礼拝をしていて、断食をしていても、死ぬ直前になって、信じることをやめてしまうかもしれません。
それは誰にもわかりません。
アッラーのみがご存知です。

最後の審判の日の主催者である、アッラーのみが、私たちが死後どこに行くかを決定します。
もっとも公正で、私たちがこの世で何をしたかをすべてご存知のアッラーが、誰が天国に行き、誰が地獄に行くかを決定します。


質問
ブログ内の「人を許すこと①~③」利他主義に関する話への質問として。)
教義としては立派ですが、…。ならば、アラブの人達は、イスラエルに対して、一番親切にしてあげるべきだしそのはずです。でも、うちの近所のイマームでさえ、例えば去年1月の攻撃にイスラエルを激しく非難していましたが。

回答
イスラームにおいて、権利というのは、2種類に分かれます。
個人的な権利と、集団の権利、です。
個人的な権利、というのは、私個人だけの権利、例えば、所有権などです。

この携帯電話は、私のもので、これは、私に所有権があります。
誰かがこの携帯電話を私に黙って持って行ってしまったとしたら、私は彼を追いかけて自分の携帯電話を取り返そうとするでしょう。
しかし、もし彼が、それを返してくれず、逃げてしまったら、私は、他の人のところに行って、彼の悪口を言い回ったりすることなく、自分の権利に対して彼を許し、口をつぐんで、黙っていることができます。
自分だけの個人の権利の場合は、相手を許して、自分の権利を放棄することができるのです。

しかし、それが、集団の権利だった場合、国の権利だったり、共同体の権利だったりした場合には、イスラームは、私に、その権利を守りなさいと教えています。
私の携帯電話が不当に摂取されても、私は黙っていることができますが、イスラーム国の土地が、不当に摂取された場合には、私は黙っていることはできません。
それを守らなければなりません。

もし、自分の国に、他の国の人が来て、これは、私の国だ、と言い出したら、その国に住むすべてのムスリムが、その外国人に抵抗して自分の国を守る義務が生じます。
ですから、利他主義(自分よりも他人の権利を優先する)というのは、とても美しいものですが、それは、自分の権利のみに適応されます。

私が自分のものでもない、他人の携帯電話を友達にあげて、利他主義を実行するために耐えなさい、と言うのは、間違っています。
自分個人の権利を放棄することはできますが、他人の権利や、集団の権利を、あなたが個人で放棄することはできません。

もし、集団の権利において、利他主義を実行しようとしたら、その国は、無くなってしまいます。
国の権利というのは、集団の権利ですから、すべてのムスリムが、その権利を守らなければなりません。
自分の国を侵略してきた敵が、あなたにこう言うかもしれません。
「あなた達は、利他主義で、とても優く、悪いことをしても善行で返し、何でも許してくれるから、私たちは、あなたたちの国に入って勝手に何でも好きなことをします。」
それを許していたら、その国の人たちは、安全な生活を送ることは不可能になってしまいます。
そうなれば、その国は、死んでしまいます。

私は、誰かが自分の権利を侵害したときには、忍耐して、自分の権利を放棄し、利他主義に徹することができますが、国や、共同体に害を与える場合には、怒らなければなりません。
それに対して私が黙っていることは、その国の一員として、義務を怠っていることになるからです。


質問
カイロに来て住んでみてください。騙そうとする輩には、気をつけて距離をおき、時には、怒鳴りつけなければ、奪い取られ続けるだけです。私の周囲の比較的親切なエジプト人は、私が災難にあうたび、同情するかわりに、「経験から学んで、二度と○○しないことだ」と言います。○○は、妻が癌で今すぐ入院が必要なのでと泣きながら頼まれたり、家賃が払えなくて大家に妻子ともども追い出されるとかね、そりゃあ、人道的に見過しにくいことを言ってきますよ。あとで、嘘とわかるんですがね。

回答
世界中にこういった現象は多々あり、カイロに限ったことではないのではと思います。
どこの国にも、こういった嘘の劇を作り、泣いたり叫んだりして、人を騙そうとする人たちは、どこにでも存在します。

  日本人留学生:「日本では、めったにこういったことは、起こりません。ですから、彼は、すごくびっくりしているのだと思います。日本人は、こういったことに慣れていないため、すぐに人を信用するので。」

かわいそうに。
もし可能だったら、私は彼と電話で話をしたいです。
彼のことが、とても心配です。
彼は、本当にいい人です。
彼はアラビア語は話せるでしょうか?
もし話せなければ、あなたが、通訳をして、話をしましょう。
本当に彼はかわいそうです。
私は、深く彼に同情します。

問題は、嘘をつく、ということを、まったく知らない人が、嘘つきのいる社会で暮らす場合です。
彼と同じ問題が、昔、私の子供にも起こりました。
私の息子が小さいときには、彼はまったく嘘というものを知らずに育ち、そして、自分の周りの全ての人のことが大好きで、愛情深く、誠実に育ちました。
しかし、学校に行くようになって、問題が起こり、ある日、息子が私に向かって言いました。
「お母さんは、嘘をつかないようにと教えてくれたけど、嘘をつく人間がいる、ということを教えてくれなかったじゃないか。全ての人を好きになるようにと教えてくれたけど、人を憎む人がいる、ということを教えてくれなかったじゃないか。」と。

質問してくださった彼は、私の息子と同じような状態に陥っているのしょう、かわいそうに。
私は息子に、そのときから、善いことと悪いことを両方教えなければなりませんでした。
あなたに嘘をついた人がいたら、その人に挨拶はしますが、あまり深く関わらないように、そういう人には注意するよう、話しました。
嘘つきの人や、ねたみ深い人や、人に憎しみを抱く人たちは、心に病気を抱えていますから、その人たちと関わり合いになるのは、とても危険です。
私が息子に教えたように、彼は、人に何かを言われたら、まず最初に、この人は本当のことを言っているのか、それとも、嘘を言っているのか、と調査し、疑うことが必要です。
誠実な人かもしれないし、嘘つきかもしれないからです。
なぜなら、あなたのお金を、嘘つきに与えてしまうのは問題です。

教友ウマルさま(彼にアッラーのご満足がありますように)は、ある伝承でこう言われました。

≪私は、人を騙す者ではありませんし、人に騙される者でもありません。≫

この意味するところは、私は、嘘つきではないけれど、嘘つきの人に騙されるままにしておくこともありません、ということです。

周りの人々に確認したり、調査をして、その人のことを、本当に誠実な人か、冷静に判断しなければなりません。
その人が、自分をムスリムと名付けていたとしても、イスラームは嘘を禁止していますが、ただ外見上の名前だけで判断してはいけません。
残念なことに、イスラームをまったく実践しない人たちは、自分の利益のために何でもするからです。


質問 
イスラムはすばらしいのかもしれない。でも、それを信じている人の態度は、そう誉めたもんじゃないですね。後悔させ正しい道に進ませる力のない宗教なんですかね。

回答
彼の言葉は、すばらしいですね。
彼と連絡を取ることができたら、どうか、私からサラーム(彼に平安があるように)を伝えてください。
本当に私は、彼の質問が気に入りました。

イスラームというのは、例えると、飛行機のようなものです。
飛行機は、ある国から他の国に多くの人々を簡単に運ぶことができますが、操縦士が、もしその飛行機の操縦方法を知らなかったら、何の役にも立ちません。
何億円もする高額な飛行機で、最新式の機能のついたすばらしいものだったとしても、その操縦方法を知っている操縦士がいなければ、何の役にも立ちません。
では、飛行機自体に問題があるのでしょうか?
そうではなく、その飛行機を操縦する人がいないことが、問題なのです。

イスラームというのは、歴史的事実が証明しているように、その教えに従った人々を、正しい道に進ませ、歴史的に偉大な事業を成し遂げさせました。
イスラームの教えを忠実に守っていた人々が、どのように人々と接し、どのように文化を発展させることができたか、歴史が証明しています。
ぜひ、預言者様(彼に平安と祝福がありますように)の時代とその後、十字軍襲来までのイスラームの歴史を勉強してみてください。
(参考:http://www.uraken.net/rekishi/reki-westasia22.html)
(参考:預言者ムハンマドの足跡を辿って《前編・生誕からヒジュラ(マディーナへの移住)まで》-アフマド・クフターロー師の預言者伝講義より-) 

私の亡くなった師の最後の言葉ですが、
「イスラームは、その導きへと導いてくれる操縦士が、不足しています。」
と、先生はおしゃいました。
現在のイスラーム社会の混乱は、その真実の教えイスラームへと導いてくれる、操縦士の不足によるものです。



これら7つの質問は、コメントにて、「とおりすがり」さんが寄せてくださったものです。この場を借りてお礼を申し上げたいと思います、本当にありがとうございました。回答が大変遅れましたことを、深くお詫び申し上げます。
また、答えてくださった、ダマスカスの大学教授でもあるイマーン先生が、とおりすがりさんとぜひ直接お話をしたいと言われていますので、お手数ですが、もし、これをお読みになられたら、留学生有志のメールアドレス(damas327@hotmail.com)の方へ、メールにて直接ご連絡を頂けると助かります。
エジプトでの生活の大変さは、こちらでも耳にすることがありますが、日本人として、誠実に対応されている姿に、とても感動しました。
ご質問をお寄せいただき、ありがとうございました!


関連記事:

イスラームのここがわからん、Q&A ①   イスラームのここがわからん、Q&A ②


全ての人に必ず一度訪れるもの

2010年02月01日 | イスラーム講座(上級)

 

私たちが今生きているこの世界では、お金持ちの人だけに手に入って、貧しい人には手に入らないものや、一部の人だけが経験し、他の人は経験しないこと、というのがたくさんありますが、世界中のどんな人にも、お金持ちの人にも貧しい人にも、男性にも女性にも、すべての人に、必ず一度訪れるものがあります。
それは、何でしょうか?
クルアーンにその答えがありました。

【でも皆、死を味わうのである。】(3 イムラーン家章:185節)

すべての人に必ず訪れるもの、それは「死」です。
普段忘れていますが、私たちは、将来必ず死にます。
それが、30年後なのか、1年後なのか、明日なのか、もしくは、10分後なのか、アッラー以外誰にもまったくわかりませんが、ひとつだけ確かなことは、私たちは、生まれてきた以上、必ずいつか死ぬ、ということです。

イスラームは、その必ず訪れる死に対して、背を向けて逃げ出し、耳をふさいで目を瞑って考えないようにするのではなく、面と向かって、この世において準備をするよう教えてくれます。
ムスリムは、死んだ後、あの世で、最後の審判の日に必ず、唯一の神さまであり、もっとも公正なアッラーの前に行き、この世でした自分の行い、一つ一つ、一瞬一瞬が記録されているビデオテープのような記録書を見せられると信じています。
そして、「このとき、あなたはこうしましたね?」と全てのことをご存知のアッラーに訊かれ、自分の行った善行と悪行を精算されると信じています。

ですから、アッラーの前に出たときに恥ずかしくないよう、生きている最中もアッラーのことを忘れないよう、イスラームは教えてくれます。
アッラーの前に出たときに、自分が何を望むか?をいつも考えて生きるよう、教えてくれます。
そのときに、「これをしておけばよかった!」と悔しがることを、なぜ今しないのか?と教えてくれます。

生きている今は、それができます。
死んでしまっては、「もう一度この世界に戻してください」と言っても、もう遅いのです。
アッラーがクルアーンの中で言われている通りです。

【だが死が訪れると,かれらは言う。「主よ,わたしを(生に)送り帰して下さい。 わたしが残してきたものに就いて善い行いをします。」】(23信者たち章:99,100節)

しかし、死んだ後、誰もこの世に戻されることはありません。
そして、自分がいつ死ぬかは、誰にも知らされていないのです。


【アッラーの御許しがなくては,誰も死ぬことは出来ない。その定められた時期は,登録されている。誰でも現世の報奨を求める者には,われはこれを与え,また来世の報奨を求める者にも,われはそれを与える。われは感謝(して仕える)者には,直ちに報いるであろう。】(3 イムラーン家章:145節)

あの世でアッラーにお会いしたときに、自分の役に立つことかどうか、自分を救ってくれることかどうかを考えて、行動するよう、イスラームは教えてくれます。
そのとき、「これをしておけばよかった!」と思うものだったなら、それをしなさい、と教えてくれます。
アッラーはクルアーンの中で言われています。

【あなたがたは主からの寛容(を請うため)に、相競って努力しなさい。】(57鉄章-21節)

人生にはいろんな目的があります。
仕事に成功して地位を手に入れること、愛する家族を持つこと、欲しい物がすべて手に入るくらいお金持ちになること、世界中を旅行すること、他にも人それぞれ様々な人生の目的があります。
しかし、目的に見えているそれらのものは、実は、「幸せ」を手に入れるための手段です。

イスラームは、人が本当に幸せに生きるために、「手段」に夢中になって本来の「目的」を忘れることがないよう教えてくれます。
周りに振り回されて自分を見失うことがないよう、しっかりと地に足をつけて、確実に訪れる死に対して面と向かって生きなさい、と教えてくれます。
この世で稼いだお金や家族を全て置いていかなければならない死が訪れたとき、あなたには、あの世でアッラーのところに持っていけるものがありますか?

死を確実なものとして捉えたとき、今、生きているこの一瞬がより貴重なすばらしいものだと実感でき、アッラーが与えてくださった生という贈り物を、台無しにすることなく、人生を本当の意味で楽しんで生きることができるのです。


【本当にそれ(魂)を清める者は成功し、それを汚す者は滅びる。】(91 太陽章:9.10節) 


参考:聖クルアーン検索

  

関連記事:

イスラーム常識度クイズ                  イスラームは厳しい?

イスラームのここがわからん、Q&A ①      イスラームでは、天国は母親の足元に

世界遺産 ボスラ(ブスラ Busra)        ダマスカス旧市街を紹介するFacebook

イスラームは私の人生をどのように変えたか ①   アラビア語のBGMに♪